マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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古代の国道

2012年01月18日 06時41分57秒 | 大和郡山市へ
古代に造られた計画的な大道は直線的だ。

大都の始まりは奈良にある。

「藤原京から北に向かって次の都の平城京は下ツ道を伸ばした線上にある。古都と新都を造った際に大道を整備した」という人は多い。

そうなのであろうか。

実際は条理があってその線上にあったのが大道である、もしくは同時並行で築造されたのではと思っている。

大道がなければ物資を運ぶことにならないからだ。

古代の宮廷や池、都が発掘されれば古代史ファンがわんさかと押しかける。

道であればどうなんだろう。

12月13日に出土例としては過去最長になる下ツ道が発見されたのだ。

その場所といえば大和郡山市と天理市にまたがる八条北遺跡。

名阪国道ICの建設に伴って発掘調査が行われていた地である。

下ツ道は県盆地部の中央を南北に縦断する古代の大道。

藤原京西と平城京を結ぶ約23kmで日本書紀や過去の調査から七世紀に整備されたと考えられており、都が消滅した九世紀以降に埋没して水田になったとされる。

下ツ道の大道は白地図を見れば直線的な道であったことがよく判る。

奈良県では「歩く・なら」のポ-タルサイトが充実している。

“探して楽しい、歩いて感がい深いルート“の一つとして古代の幹道・下ツ道を紹介している。

その推定道にぴったりと収まる今回の発掘結果。

路面幅は約19mであったと判明したそうだ。

ウォークマップを持って古代の景観を思い起こしながら歩くのも楽しいだろう。

(H23.12.14 SB932SH撮影)