マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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夏神楽終えた直後に到着した室生小原の八幡神社

2021年04月11日 09時19分13秒 | 宇陀市(旧室生村)へ
行事日は、たしか海の日に移したと聞いていた夏神楽(なつかぐら)。

祭事の地は、宇陀市室生小原に鎮座する八幡神社。

日にちは聞いていたが、始まる時間は、存じていない。

三重県伊賀に代々が継承してきた室町期小領主の平城居館の調査帰りに立ち寄りである。

到着した時間帯は、午後2時半。

神職と氏子さんに出会えたが、神事を終えて引き上げる、まさにそのときの到着だった。

少しだけでも伺いたい、本日行事の夏神楽。

夏神楽と呼ばれる行事であるが、奈良県内に広く伝わる行事でもない。

私の知る範囲内であるが、行われている地域は、旧都祁村にみられる行事。

これまで取材した地域は、奈良市都祁小山戸町・小山戸山口神社にみられる「おせんどう」神事の、最中に男性神職による舞いである。

平成19年7月1日、並びに平成28年7月3日に取材した「おせんどう」神事・夏神楽。

元々は7月1日であったが、数年前から第一日曜日に移した。

同市都祁藺生町・葛神社の夏神楽は、平成23年7月3日の第一日曜日に行われた。

7月7日に行われる都祁南之庄町は、国津神社、末社の歳徳神社。

夏病みせんように赤飯で作ったスズキモチを供える行事。

平成19年に取材した。

7月16日は、都祁甲岡町・国津神社の夏神楽。

ここでも他社同様に祓い願う人はオヒネリを投じられる。

いずれも、都祁友田町・都祁水分神社のN宮司が祭主を勤め、夏神楽を舞う。

夏の暑さに負けることなく、半年の区切りに夏を乗り切る夏越の祓い、いわば暑気祓いの意味をもつ夏舞う神楽舞である。

鈴を手にした神官が、太鼓の音色に合わせて、シャン、シャン、シャン。

左に、右に舞う神楽舞。

巫女でなく、男性神職による舞いは、隣村になる奈良市針町・春日神社にもみられる。

平成19年7月8日に撮影した神職は、N宮司が宮司職に就く前の先代宮司が舞っておられた。

また、行事の名称は夏神楽であるが、神楽舞の存在がみられない山添村大塩・八柱神社の座の行事例もある。

おそらくは、神楽舞がかつてされていたのだろう。

年中行事のほとんどが、寺行事との兼ね合いもある座が仕切る八柱神社。

神職による神楽舞があってもおかしくないと思料されるのだが・・。

さて、室生小原の八幡神社行事の夏神楽である。

これまでしていた団子つくり。

午前8時から作っていた団子つくりは、諸事情により、中断されている。

粉挽きからからしていた団子つくり。

一般的に団子といえばうるち米で作るのだが、ここ腹では、米でなく小麦で作っていた、というSさん。

挽いた小麦粉で作った団子は、シンコ団子。

シンコというだけに「新粉」。

考えられるのは、二毛作時代である。

米は秋に収穫し、その年の新穀感謝祭、つまり新嘗祭。

収穫の感謝を、その土地の産土神に献納する。

一方、二毛作時代は、夏に収穫した麦も献納していた。

そのことを証言する行事が今もなお・・。

平成29年7月1日に取材した、奈良市の旧五ケ谷村の一角。

米谷町・白山比咩神社行事の麦秋期の農休みの麦初穂にみられる。

米谷町では、麦で作ったコムギモチ。

初穂のサナブリモチ代わりのキナコモチであるが、ここ小原では小麦を挽いた小麦粉で作るシンコ団子である。

ところが、現在は作業負担の軽減に、シンコ団子改め、同じ小麦からできているパンに切り替えた、という。

また、Sさんが伝えてくれた秋祭り。

特に、といえば、貴重な習わしがある。

平成19年11月3日に取材した「当屋座渡し」である。

4人の送り当屋から受け、引継ぐ4人の受け当屋。

受け継ぐ儀式に酒と酢で〆た生魚のカマスがある。

なみなみに注いだ酒盃廻しに、ごくごく呑む、

五口酒に、酒の肴がカマス。

口シメシの作法のカマスは手で掴んで口に銜える、三々九度の儀式

今でも、絶えることなくしているそうだ。

大事なことだから、今もなお、であるが、一方、宵宮祭に献じていた氏子献供の甘酒は中断した。

さて、夏神楽行事は、これまで7月の第三月曜日の海の日にしていた。

国の制度のハッピーマンデーによる第三月曜日が祝日の海の日。

ところが、東京オリンピック・パラリンピック競技日との兼ね合いに、令和3年は7月22日木曜日に。

翌年以降は、再び戻った第三月曜日になるだろう。

実は、夏神楽の前日日曜日は、村祭りの夏祭り。

時間帯も同じく午後2時より始まるのだが、令和3年の対応はどうされるのだろうか。

県内各地のいくつかの地域でも夏祭りを海の日にしている。

この年限りではあるが、日程確定に時間を費やされる。

それはともかく、小原八幡神社を兼務されている上笠間在住の新宮神社宮司のMさんからお願いされた件である。

これまで小原在住の宮司さんがこの付近地域すべてを担っていた。

いつしかご高齢になられ引退された。

跡を継いだのがM宮司。

小原をはじめ、旧室生域の上笠間、下笠間、染田、深野の他、山添の毛原も・・、であるが、夏神楽所作があるのは、ここ小原だけである。

神楽の所作は、結局引き継ぐことはできなかったらしく、ご存じであれば、紹介してほしい、というお願いに、候補者はお一人。

前述した、都祁友田町・都祁水分神社のN宮司がおられる。

急ぎではないが、所作の教えを乞いたくお願いされた。

すぐには動けないが、都祁水分神社に行く機会に合わせてと、させてもらった。

その後において、日本全国どころか全世界に広まった新型コロナウイルスによるパンデミック。

身動きできない自粛行動が長期間に亘った。

ところが、偶然にも、というかご縁が繋がり、令和3年になるが、2月14日に行われた天理市長滝町・九頭神社の祈願祭にお会いできた。

長滝町の取材も長年の空白期間を経て、偶然が偶然を呼び込み、さらに九頭神社宮司が交替、新しく任に就いた都祁水分神社のN宮司と出会ったのである。

伝えた上笠間のM宮司のお願い。

夏神楽所作を教わりたい意向を伝えさせてもらった。

N宮司は、M宮司をご存じだったこともあって、近々連絡を取り合ってみましょう、の詞に、繋ぎの役目を終えてほっとした。

実は、ここ小原に来る前に立ちよっていた神社がある。

奇遇なことだが、ふと伺いたく車のハンドルをきった室生上笠間・新宮神社

7月15日に何らかの行事があるのでは、と思って立ち寄ったが、気配はまったく感じない。



社務所の扉は締まっている。

ふらりと立ち寄った神社に初参り。



その途中に見た灯籠に、はっとする。

灯籠は2基。右手の灯籠にあった刻印は「九頭大明神」。

左手も「九頭大明神」。

一対ものであろうか。

由来札によれば「明治40年字川窪 明神山に奉祀せり九頭大明神、高雷龍命(たかおかみのかみ)を合祀する」とある。

新宮神社境内社に瘡(くさ)神社あり、例祭は11月3日にようだ。



また、宇陀チャンネルこと宇陀市メディアネットが紹介するユーチューブ映像に、平成25年に行われた瘡神社春の祭典の模様をとらえていた。

こいのぼりが揚がる5月5日の祭典に、上笠間で育てた蕎麦手造りの手打ち蕎麦。

打ち立て、茹でたての蕎麦を、村の人たちに振舞っていた。

〆に御供撒き。こっちも、こっちも、と子供たちの声が村内広く届いているようだ。

また、最後に鯉の放流。

笠間川に鯉。

まさかの大きな錦鯉の放流。

まるで放生会の様相である。

普段の上笠間ではまず遭遇することのない子供たちの喜ぶ声。

一度、拝見したいものだ。

(R1. 7.15 SB805SH撮影)