電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

しばらくぶりにLinuxの話題で

2005年06月30日 22時36分49秒 | コンピュータ
最近、コンピュータ環境はきわめて安定している。FMV-6450CL3 のサウンドボードのノイズを除けば、VineLinux3.1 にほぼ満足しているし、TeX/LaTeX/Emacs/Gimp/Mozilla/StarSuite 等のアプリケーションの動作にも、それほど不満はない。
最新のディストリビューションは、それなりに高機能で、高性能なマシン性能を要求するようになり、かつてのLinux=中古機でも可、という図式は薄れた。しかし、世の中にはどんどん中古パソコンが出回る。新機能、新製品と連呼する反面、PenIII/600-800MHz台の中古機が主流である。であるなら、この程度の中古機でも軽く動作するディストリビューションがあっても良いのではないか。そう考えた人はやはりいたようで、TurboLinuxが中古ビジネスに乗り出すとか。WEB閲覧とメール端末程度に割り切れば、充分な能力を持っているのだから、こういう道もあっていい。企業の割り切った用途には充分な気がする。残念ながら、個人は対象外だそうです。

写真は、板戸から夏向きに網細竹の戸に模様替えした和室の様子。この部屋にもLAN回線が引いてあり、メールチェックができるようになっている。
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台所に立つと

2005年06月29日 22時01分26秒 | 料理住居衣服
私が台所に立つと、家人は「化学実験みたいだ」という。たとえばカレーを作るにも、カップで水を○○ml、という具合に測り出すからだ。そのかわり、失敗ということがない。常に安定した味になる。だいぶ忘れてレパートリーが狭くなってしまったが、単身赴任の時も飢え死にどころかけっこう生活を楽しむことができた。
家人のリクエストの多いメニューは、①カレー、②乾焼茄子、③ピカタ、④薩摩風豚角煮など。
カレーは熟したトマトの皮を湯むきしてざくざくに切り、入れるのと、プレーンヨーグルトをかなり入れる。バタ臭くなるかと思ったが、全然大丈夫だった。市販のカレールーに不足しがちな酸味がきいて、俄然おいしくなる。
乾焼茄子は、ナスを縦に六つ割りにし、軽く水でアクをきって油でキツネ色に揚げる。ショウガやザーサイなど、辛いものをみじんにして軽くいため、ひき肉に酒とお醤油で下味をつけたものを加えて混ぜ合わせた後、揚げておいたナスをいれ、お醤油で味をととのえる。最後にきざんだ大量のねぎを混ぜ合わせて火からおろすと、夏のスタミナ料理だ。

写真は、台所に飾ったユリ。すだれが早くも夏らしい。
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1988年6月28日(火)のNHK-FM番組

2005年06月28日 21時17分26秒 | クラシック音楽
今日も雨だ。サクランボを食べながら、書棚から昔の雑誌FM-fanを取り出し、ぱらぱらと眺めていると、面白いことに気がついた。17年前の1988年の今日=6月28日=も、やっぱり火曜日だったのだ。
ちなみに、番組の主だったところを中心に紹介すると、

6:00 あさの音楽散歩
7:15 マイクラシック (リクエスト-2) オネゲル/夏の牧歌、デュトワ/バイエルン放響他
8:10 FMサウンドクルーザー
9:00 ミュージック・ライフ ~スラブの響き~ チャイクコフスキー/晩祷から他
10:20 FMリサイタル パン・インリン(Vn)堀江真理子(Pf) シューマン/Vnソナタ第1番他
10:50 レッツシングアソング わが心に歌えば(2)
11:00 朗読 夏目漱石『門』(27) 朗読:草野大悟
11:15 邦楽のひととき
12:15 FMワイド歌謡曲 ひるの歌謡曲「アルフィー」メリーアン他
13:00 わたしの歌謡アルバム 「夢見る少女たちのメロディ」原由子、小泉今日子、立花理佐、工藤静香、中村由貴、種ともこ、斎藤由貴、中森明菜
14:00 ポップスアベニュー 「スティーブミラーバンド」
15:00 名曲ギャラリー リスト「巡礼の年」第3年 ゾルターン・コチシュ(Pf)、他
17:15 FMサウンドクルーザー(再)
18:00 各局ローカル
19:20 クラシックコンサート オトマール・スウィトナー/シュターツカペレ・ベルリン演奏会、モーツァルト「魔笛」序曲、ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番(中村紘子:Pf)、ブラームス/交響曲第1番、シューベルト/劇付随音楽「ロザムンデ」から間奏曲
21:00 夜の間奏曲 荘村清志(G) タレガ/演奏会用大ホタ他
21:15 ジョイフルポップ DJ:中川勝彦、桑田靖子
22:00 アドベンチャーロード
23:00 クロスオーバーイレブン

といった具合。
この号では、プラシド・ドミンゴが松田聖子とデュエットとした話題や、ブルース・スプリングスティーン、フリオ・イグレシアス、サザン・オールスターズの復活などが取り上げられている。

実は、この号をわざわざ保存していたのは、SoundForumという記事でDENONの20ビットCDプレーヤーが取り上げられ、その関連で初期の同社のデジタル録音の苦労話がたくさん掲載されているからだ。当初の試作機はヘリカルスキャン方式でテープ編集ができない。そこで2インチテープでなんとか編集可能にしたのが実用第1号機(1972年,13ビット/8ch,47.25kHz)。1974年の2号機で14ビットになり、1979年の4号機で16ビット/4chに、1981年に収録機と編集機を分離した、HDを使ったランダムアクセス編集装置を開発、1983年にADコンバータの歪補正回路を開発、などの経過がモノクロの写真入りで説明されている。デジタル録音の黎明期の技術的なポイントが、素人にもわかりやすく解説されている。
同社初の海外録音となったスメタナ四重奏団の「モーツァルト弦楽五重奏曲」の録音は、実は教会の死体置き場で行われた、という秘話もある。これだから、当事者の話は面白い。
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梅雨空--しかし畑には恵みの雨

2005年06月27日 21時16分59秒 | Weblog
今日は、しばらくぶりに雨が降った。雨を見越して、サクランボの収穫作業を休みにして、老父もゆっくり休んだらしい。しかも、久方ぶりのまとまった雨。からからに乾いた畑には、恵みの雨だろう。

だが、電車やバスにゆられて通勤・通学する人には、たぶんうっとおしい梅雨の復活だと思う。たしかに、満員の車内で濡れたカサを持った人と一緒になったら、こちらまで濡れてしまう。湿度は高く、不快指数も上昇することだろう。いくらお気に入りの文庫本や携帯音楽プレーヤーを持ち歩いても、こんなお天気では台無しだ。かつて私も経験したこととはいえ、皆様には同情申し上げます。

ローカル列車で通学する学生時代までは、田舎暮らしは不自由なものだった。だが、高校や大学を卒業し、車で通勤できる立場になると、田舎暮らしにはいい点もある。仕事や職場にもよるかもしれないが、雨の日にも濡れずに通勤できることなど、その代表例かもしれない。言葉を変えれば、田舎は車がないと生活できなくなりつつあるのかも。

今日は、ガソリンを給油。750km走って40.1リットル。燃料消費率はなんとディーゼルエンジンに迫る18.7km/lという値である。さいわい、エアコンを使う機会が少なかったために、これだけ良好な結果となったのだろう。おそるべし、March 1000。
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サクランボの収穫は今が盛り

2005年06月26日 20時12分20秒 | 週末農業・定年農業
サクランボ、特に主力品種の「佐藤錦」の収穫は今が盛りだ。空梅雨で晴天が続いたために、太陽の恵みをいっぱいにあびて、大粒に成長している。今年は例年よりもほぼ一週間生育が遅れており、この週末が収穫の最盛期になっている。どこの園地も、収穫の人々が精を出している。そば屋も出前を断るほど客が多いようだ。

今日は、子どもの嫁入り先の両親と姉夫婦が訪ねてきて、サクランボ狩りを楽しんでいった。生まれて初めてとのことで、感激のようす。写真をとり、ビデオを撮ってから、一粒口に入れると、「おいしい!」確かに、園芸試験場の元・場長さんも指名して依頼されるくらいだから、おいしいのは間違いないと思うが、それにしても大感激のようで、うれしいことだ。丹精している老父も、大いに喜んでいた。

サクランボの収穫は、枝についた軸をつまみ、上に引き上げるのがコツ。そうすると枝からきれいに離れる。決して果実をつまんではいけない。
また、木の高いところにある、日当たりの良い枝の先ほど、大きくて美味しい実がなっている。テントでおおわれていない露地ものであれば、一番おいしいところを鳥が食べている。テントの中はネットをまわしているので鳥も入れないが、そうでもしなければ鳥の群れがやってきて、数時間で食べられてしまうだろう。

人間は脚立をかけたりハシゴを使ったりして、高いところの実を収穫していた。そのため、収穫の最盛期に疲労が重なり、足を踏み外して落下し、頚椎や腰椎をいためて傷害が残ってしまう人が少なからずいた。最近は、高所作業台車が普及し、よほど安全にはなってきているとはいうものの、雇い人の人たちも、疲労回復の時間が必要だろう。我が家の収穫作業も、明日はお休み。

今後、「佐藤錦」から「紅秀峰」へと収穫する品種が交代していく。今日は、N響アワーを聞いて休みましょう。
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プッチーニの歌劇「ボエーム」を見る

2005年06月26日 14時40分04秒 | -オペラ・声楽
プッチーニの歌劇「ボエーム」は、ヴェルディの歌劇「ドン・カルロ」「ラ・トラヴィアータ」やモーツァルトの「フィガロの結婚」などとともに、つい手が伸びる歌劇作品の一つだ。
一つは、ミミをテレサ・ストラータスが歌い、ロドルフォをホセ・カレーラス、ムゼッタをレナータ・スコットが演じる、レヴァイン指揮のメトロポリタン・オペラの1982年の公演を記録したLDがある。舞台デザインはディテールに凝ったもので、フランコ・ゼフィレッリのものだ。
もう一つは、放送録画だが、2002年のブレゲンツ音楽祭におけるウルフ・シルマー指揮ウィーン交響楽団、リチャード・ジョーンズとアントニー・マクドナルドの演出・美術による、現代風の衣装の公演がある。こちらのほうは、2002年11月3日の文化の日にNHK教育テレビで放送されたもので、ミミをアレクシア・ヴルガリドゥ、ムゼッタをエレーナ・デ・ラ・メルセド、ロドルフォをロランド・ビリャソン、マルチェルロをリュドビク・デジエが歌っている。ボーデン湖上ステージでの公演だから、歌い手たちはマイクを付けているし、衣装も1950~60年代を思い出させるものだ。
しかし、あかりをもらいにくるのがやっぱり「ろうそく」であり、ひどい肺結核なのに抗生物質を服用しているふうもなければ、もちろん健康保険が使える様子もない。貧しさと病苦と若者たちの無軌道な生活だけを現代に取り出した設定なのだろう。コルリーネの「外套の歌」にしみじみとした感慨を持ち、かつての仲間たちを思い起こす人も多かろう。おそらく、楽しく貧しい学生生活を送った経験のある中年諸氏は、ほろ苦い懐かしさがこみあげてくるのではないか。

いずれの公演でも、プッチーニの音楽は、オーケストラの中で必要な最小限の楽器で、感受性豊かな効果を発揮している。これは、大規模な音響をもって描かれた神々の世界ではない。多くの人々がかつて経験したことのある、日常的な出来事の一こまのように感じられる世界だ。
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『ゼフィレッリ自伝』を読む

2005年06月25日 14時13分09秒 | -ノンフィクション
このところ、時間の合間をみて、『ゼフィレッリ自伝』を読んでいる。
「畑中良輔さんとヴェルディ『椿姫』をきく」で紹介されていた、映画「ラ・トラヴィアータ」のLDを購入し、セットの華麗さと映画らしい野外の雰囲気を味わい、オペラ映画の醍醐味を味わっていた1989年、昭和から平成に変わる年、東京創元社から『ゼフィレッリ自伝』が発刊された。奥付を見ると89年の1月に発行された初版で、たぶん5月末頃に購入し、読了したのが同年6月。その後95年に再読了している。10年ぶりの再々読だが、非常に興味深い本だ。
このオペラ映画の監督であり、演出と舞台美術を担当し、プラシド・ドミンゴをダイエットさせ、気難しいテレサ・ストラータスをなだめて映画を撮り終えた話だけでなく、若い頃のイタリア・パルチザンの話、トスカニーニやルキノ・ヴィスコンティとの関係、映画「ロメオとジュリエット」の制作のこと、マリア・カラスとの友情と別離など、フランコ・ゼフィレッリの映画とオペラ演出の話が満載だ。

サクランボの収穫も大詰めだ。ここ数日が山場だろう。
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朝日新聞の「みる・読む・聴く」の記事について

2005年06月24日 21時44分06秒 | クラシック音楽
80年代の中ごろ、朝日新聞で「みる・読む・聴く」という記事があった。それぞれの分野の著名人が、映画や本、音楽CDなどを取り上げて紹介するもので、当時好きでよく読んでいたしスクラップもしていた。昨日の「加賀乙彦さんとマーラーの第5交響曲をきく」もその中の1回(85/07/21)であった。
他に印象に残っているものとして、「畑中良輔さんと椿姫をみる」や「吉田秀和さんと詩人の恋をきく」というのもある。椿姫の紹介は、当地では84年10月14日付けで掲載され、「愛を裂く因習的社会への抵抗」「底辺の叫び見据えたヴェルディ」などの見出しが踊っている。この記事の情報らんに、フランコ・ゼフィレッリ監督のオペラ映画「ラ・トラヴィアータ」の紹介が出ている。のちにテレサ・ストラータスとプラシド・ドミンゴらによるLDが発売されたとき、その豪華なセットにため息をつきながら見たものだった。
「詩人の恋」の記事はいつの掲載だったのだろうか。これもまた、味わい深い紹介だった。「ある時は共鳴、ある時は慰め」「名パートナーの歌とピアノ」と見出しが付けられ、「光輝く夏の朝」で歌の上に降ってくるピアノのアルペジオと、歌が終わったあとも続く後奏の音楽の素晴らしさを語っている。この記事も、フィッシャー・ディースカウとデームスの旧録音のLPを聞きながら、読んだものだ。
後日、朝日新聞のこのシリーズは単行本化され、けっこう人気があったらしい。

映画「ラ・トラヴィアータ」の冒頭の少年は、ゼフィレッリ自身の投影だろうか、一転して夜会の場面で「乾杯の歌」が始まる。わくわくするような音楽の魅力はどうだろう!
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マーラー「交響曲第5番」、またはLPからCDへの転換

2005年06月23日 21時57分41秒 | -オーケストラ
マーラーの交響曲第5番に触れたのは、1972年にグラモフォンが1枚750円で出したラファエル・クーベリックのサンプラーLPレコードに収録された、第4楽章「アダージェット」だった。ちょうどこの頃、ヴィスコンティ監督の映画「ヴェニスに死す」で使われたことで、耽美的な音楽として話題になった。
1980年代に入り、LPでマーラーの交響曲第7番「夜の歌」や第3番などを通じて、第4番以外のマーラーの音楽にも親しむようになり、これもクーベリックのマーラー交響曲全集の分売を狙って収集し、時折きいて楽しんでいた。だが、第5番はなんとなく知ったつもりになり、後回しにしていた。
1985年になって、朝日新聞の記事に作家の「加賀乙彦さんとマーラーの第五交響曲をきく」という記事が掲載された。この記事で、氏はマーラーを車で聴く楽しみについて述べている。「私は車に乗るのが苦にならない。車で移動するためでなくマーラーを聴くために乗るのだから、これは楽しみである」というのだ。この記事がきっかけで、あのアダージェットの曲を全曲聞いてみようと思い立った。
ちょうど、ラファエル・クーベリックの第5番がLPレコード1枚に収録された直輸入盤を見付け、これを購入して聞いてみた。残念ながら、第3楽章のスケルツォが、LPレコードのA面とB面にまっぷたつにされている。1971年にミュンヘンのヘルクレス・ザールで録音された演奏が素晴らしいだけに、それだけがなんとも残念である。それでも、LPからカセットテープに録音して、車の中で聞いてみると、たしかに具合がいい。これなら、片道40kmの通勤路ロングドライブもあまり苦にならないことがわかった。
のちに、レヴァイン指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏でCDを購入し、さらにエリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団のCDで全曲を通して楽しめるようになり、コンパクト・ディスクというメディアの恩恵を感じた。以後、この頃続けて発売されていたインバル指揮フランクフルト放送交響楽団の演奏を収録したデンオン盤を中心に、マーラーの交響曲の新録音を積極的にCDを中心として収集しはじめ、LPレコードの購入は急減するようになった。

参考までに、演奏データを示す。
■クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団 (18MG-4515)
I=11'35" II=13'52" III=9'20"+8'03" IV=9'44" V=15'29"
■レヴァイン指揮フィラデルフィア管弦楽団 (R32C-1009)
I=12'57" II=14'51" III=17'36" IV=12'03" V=14'55"
■エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団
I=13'31" II=14'04" III=18'46" IV=11'34" V=14'27"

クーベリックの演奏は、前半が比較的速めのテンポで大きな誇張のない自然な演奏になっており、第4楽章「アダージェット」もあまり遅過ぎず淡々とした表現が好ましい。第5楽章は比較的ゆっくりめのテンポで、堂々とした演奏。全体として夜の草原を吹きわたる風のように、響きが濁らず爽やかだ。これはクーベリックの演奏と録音の特徴だと思う。粘着質でひたすら悲劇的なマーラーもありうるが、爽やか系のマーラー演奏もあっていい。
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笹巻きで笹を使う理由

2005年06月22日 20時42分30秒 | Weblog
たんにもち米を蒸すだけなら、せいろのようなものを使えばよい。なぜ笹の葉を組み合わせてもち米をつめ、糸でしばって蒸すような面倒なことをするのか。それは、どうやら保存が目的らしい。たしかに、笹巻きは保存できる。翌日もちゃんと変質せずに食べられる。これは、なぜなのだろうか。
考えられる理由の一つは、蒸すさいに殺菌されることだ。かなり長時間蒸気滅菌され、しかも二重に巻かれた笹の葉が密着し、じかに外気に触れることが少ない。いわば、耐熱性に優れた植物性ラップだ。もち米や笹の葉に付着した雑菌はほとんど死滅するだろう。
考えられるもう一つの理由は、笹の葉が持っている成分の作用だ。ベゴニアがレタスの発芽を阻害するように、あるいは桜の下にクローバーは生えないように、クマザサの葉の微量成分が揮発し、もち米に付着して雑菌の成育を阻害するという可能性がある。そういえば、クマザサのやぶの中には、ほとんど他の植物が成育できない。
実際のところどうかは不明だが、笹巻きの保存性が良いのは事実で、固くなってもあぶって食べられる。きな粉でなく、お醤油をつけて、あつあつで食べるとこれもおいしい。昔の人の知恵の合理性に感心させられる。
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親戚から「笹巻き」をいただく

2005年06月21日 21時27分15秒 | Weblog
先日、近隣の親戚の家にサクランボを届けたところ、笹巻きをいただいた。クマザサの葉にもち米を包み、蒸して作る、一種のもちである。きな粉をつけていただいたが、たいへんおいしく、季節の味がする。幼年時代には我が家にもクマザサがあり、祖母が笹巻きを作っていたが、トイレの水洗化の工事に伴い、クマザサはなくなってしまった。幅の広いササの葉を組み合わせて、もち米をつめる作業は、なかなか根気のいる仕事だ。
ところで、中尾佐助著『料理の起源』(NHKブックス)によれば、インドシナ半島ではもち米が主流で、ご飯を炊くいわゆる「うるち米」は雑草として引き抜かれるほどだという。また、ご飯をたく方法、すなわち蒸らす方式は調理法としてはかなり新しい部類のようで、この笹巻きのように植物の葉に巻いて蒸す方法は、現在主流の蒸らす方法以前に広く行われていた方式のようだ。すると、季節ごとになにか儀式的な要素が含まれるのもうなづける。この本はロングセラーらしく、版はいささかくたびれてきているが、なかなか興味深い本だ。
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クレジットカードの個人情報流出事件について

2005年06月20日 19時12分02秒 | コンピュータ
米国でMasterカードやVISAカードの個人情報が、不正アクセスにより、数千万人単位で洩れたらしい。流出した情報には、契約者名とカード番号、有効期限が含まれるというから、ネットショッピングはできてしまう。実際は本人に覚えのないカード決済は保護されるとはいうものの、不快なことには変わりがない。
考えてみれば、クレジットカードの情報保護の原理は「多数の数字は暗記されにくい」ということだ。たしかに、昔はこれでもよかったかもしれないが、コンピュータ・ネットワークの中では「数字の桁の多さ」に防御的な役割など何もない。これほど普及してしまった制度を、コンピュータ・ネットワークの時代だからと言って、がらりと変更することはできないだろうが、はたして「いざという場合は保護します」制度だけで大丈夫なのだろうか。なんだか、コンピュータ・ネットワーク時代に適応しようともがく恐竜のようだ。
私の場合はプロバイダの経費以外はカード決済をしないので、それ以外の決済通知が届いたら不正使用だとすぐわかる。そんなことにはなってほしくないが、なんともはや、「起こる可能性のあることは、起こる」というマーフィーの法則を地で行く事件だ。
ところで、不正アクセスされたサーバのOSは何だったのだろうと思ってしまうのは、単純に過ぎる反応だろうか(^_^;)>poripori
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同級生の父君の葬儀に出席

2005年06月19日 20時39分23秒 | Weblog
梅雨とは思えぬ暑い午後、同級生の父君の葬儀に出席した。故人の生前の功績を顕すかのように、おおぜいの参列者であった。あまり大きな寺でないこともあって、本堂左のテントもいっぱいになり、山門入り口まで連なった。90歳の大往生なので湿った雰囲気はなく、故人のエピソードなどが淡々と語られた。
若い頃は、こうした冠婚葬祭のつきあいがわずらわしく見え、田舎はうっとうしいと思っていた。だが、実際にUターンして郷里で暮らしてみると、地元に定着した同級生間の横の連絡が密接で、受付から下足番、連絡までそつなくこなす。しかも同期の卒業生一同の名前できちんと花環が届き、葬儀の後の寺の掃除まで済ましてくれる。最後に喪主に挨拶し、何事もなかったかのように散会していく。特技や向き・不向きなどは考慮されるが、社会的な地位や経済力などは考慮されず、たんに同級生だという扱いしかない。「お互いさま」という原理に基づくかつての村落共同体の名残りだろうが、こういう地域的な無償のつながりというのはいいものだ。
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マーラー「交響曲第4番」を子守唄にした子が

2005年06月18日 21時30分39秒 | -オーケストラ
先年、上の子どもが結婚した。この子が小さいときはまだLP時代だったので、回転するレコードプレーヤーに「おいたをしちゃダメよ」と言い聞かせるくらいではすまない。仕方なく、ホーレンシュタイン指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏をカセットテープに録音し、ラジカセで聞くようにした。これで、レコードの損傷もカートリッジの破損も防止できたが、幼児の頃には「子守唄の音楽」とか言っていたのに、ずいぶん大きくなってから「この曲の記憶ある?」と聞いたら、「全然。」だそうです。
マーラーの四番を子守唄がわりにした父親も父親だが、全く記憶にないと答える子どもも子どもだ。それでいて、小~中学校とピアノを習い、高校では合唱に夢中になり、今も社会人コーラスに所属しているから、音楽に興味関心がないわけでもないのだ。
要するに、幼児期に何かをすると、それが脱脂綿が水を吸収するように影響を与えるわけではない、ということ。
このLPには「レコードから無断でテープその他に録音することは法律で禁じられています」と表示されているが、結局、狭いアパート暮らしの子育て期に、父親がクラシック音楽の趣味を断念せずにすんだのは、LPレコードのカセット・ダビングのおかげだった、ということだ。物事は、意図したとおりにはならず、結果的になるようになる、ということか。

マーラーの四番、最初の経験は図書館から借りた、レリ・グリスト(ソプラノ)のバーンスタイン盤だった。これが新鮮な感動で、はまった。その後、東芝のセラフィム・シリーズの中からこのホーレンシュタイン盤を見つけ、マーガレット・プライスのソプラノ独唱で楽しんだ。CD時代になってからは、デンオンのデジタル録音でエリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団による演奏を購入し、自然な録音の良さにも驚いた。アナログ時代の録音だが、ハヨーショヴァーのソプラノ、ノイマン指揮チェコフィルの録音なども好きな演奏だ。

マーラー「交響曲第4番」を子守唄にした子が、先ごろ子どもを産んだ。出産前にしばしば聞いていたのがプッチーニ「蝶々夫人」だそうで、をいをい、大丈夫かい、と聞きたくなったところだが、無事出産できたようで、まぁ、いいか~。当方もめでたくジイサンの仲間入りをした次第。
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興味深い実験

2005年06月18日 18時52分12秒 | コンピュータ
海外の誰かが「音楽のバトン」と称することを考えたらしい。好きな音楽などの質問に答えて、次の5人に渡す、というものだ。チェーン・メールならぬチェーン・ブログである。
興味深いというのは、これが何回続くかによって、ネットワークにおける人間関係の規模が推定できるからだ。
一般に、発信元を親(第0世代)とすると、子(第1世代)は5人になる。孫(第2世代)の人数は、5人がそれぞれ5人に伝えるので、5の2乗、すなわち5^2となり、同様に第n世代では5^nとなる。もし、日本のブログ人口が300万人とすると、3×10^6であるから、このバトンが全員に渡されるのは
5^n=3×10^6
となる。この常用対数をとれば、
n×log5=log3+6
となるので、log5=0.699, log3=0.477 を代入すると、
n=(6+0.477)/0.699=9.3
すなわち、第9世代でほぼ300万人に達するという計算になる。理論上第14世代で地球上の人類の数を突破するはずだ。
しかし、日本のクラシック音楽愛好家で、かつブログを主催している人口というのはもっとずっと少ないことが予想されるので、たぶん数回で同じメンバー間の堂々巡りになる可能性が高い。
むしろ、トラックバックやリンクが激増することを考えると、サーバの負担は大丈夫なのだろうかと素人ながら心配になる。この興味深い実験を、ややハラハラしながら眺めているところだ。
たいへん申し訳ありませんが、私は参加しませんので指名しないでください。遊びだというのはわかってますが、無粋でどうもすみませ~んm(_'_)m
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