電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

映画「PERFECT DAYS」を観る

2024年02月14日 06時00分40秒 | 映画TVドラマ
10日の土曜日、三連休の初日に、映画「PERFECT DAYS」を観てきました。なにやらカンヌ映画祭で賞をもらったとか役所広司が主演だとか、断片的な情報は息子を通じて得ていたのですが、どんな作品かは全く知らず、先入観なしの鑑賞となりました。



主人公・平山は、中年というより見た目では初老にさしかかったような様子のトイレ掃除人の男性です。画面は主人公の朝の目覚めから仕事に出かけ、様々な趣向の工夫された公衆トイレをていねいに掃除をし、帰ってから銭湯や飲み屋で息抜きをして眠る、その繰り返しを淡々とドキュメンタリー・タッチで描いていきます。でも単純な繰り返しではなく、若いチャランポランな相棒との関わりや休憩時に神社の境内で出会う人々や、趣味にしている写真や植物、あるいは古書店でのやり取りなどを挿入し、殺伐とした貧困生活ではない、精神的には落ち着いた生活であることが描かれます。このあたりが、映画のチラシにあった一言、

こんなふうに
  生きていけたら

に通じるのでしょう。もしかしたら、多くの人が若い頃に憧れたかもしれない清貧な生活です。



しかし、そんな繰り返しの生活の中に投げ込まれた小石は、彼の姪でした。厳しい母親と対立して家出をしてきたらしい高校生くらいの少女は、伯父さんである主人公の後を付いて歩き、公衆トイレの掃除を手伝い、なぜか突然2台になった自転車で、彼女の知る世界を広げていきます。どうやら平山は運転手付きの高級車を乗り付ける妹の状況から判断して、実はかなりの財閥の息子で、父親と対立する中で今の生活を自ら選び取ったらしい。いわば、自覚的な中高年ミニマリストのシンプルライフというわけです。

休日、珍しく腕時計をして出かける居酒屋で、心を寄せるおかみの歌「朝日のあたる家」が上手なのに驚きましたが、石川さゆりだったのですね。そしてギターは多分あがた森魚。

この後のネタバレは割愛して、監督の名前と経歴を見ていたら、ヴィム・ヴェンダースさんといい、どうやら以前観た「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」の監督でした。あれも良かった。今回も、良い作品だったと思います。



ただし、では平山のストイックな生活に憧れるかというと、微妙です。自分の単身赴任の頃のアパート生活(*1,*2)は、ストイックという意味ではまさにあんな生活でしたが、最初はいいけれど数ヶ月で「潤いがない」と感じるようになりました。おかげで、MDミニコンポなどを購入して一息ついた(*3)ことを思い出します。主人公も、老年になってアパートの契約を断られるとか、病気をして居酒屋のおかみに厄介になるとか、様々な将来図が見えてきそうです。そういう意味では、「やや PERFECT に見えなくもない DAYS」なのかもしれません。

(*1): 単身赴任の住まい〜「電網郊外散歩道」2008年4月
(*2): 単身赴任先に運ぶ本とCD〜「電網郊外散歩道」2008年4月
(*3): 単身赴任用にONKYOのミニコンポを購入〜「電網郊外散歩道」2008年7月

コメント (2)

映画「ゴジラ-1.0」を観る

2023年12月08日 06時00分17秒 | 映画TVドラマ
雨が降り出した木曜の午後、妻と二人で映画「ゴジラー1.0」を観てきました。映画「ゴジラ」といえば、私がまだ小学校の3〜4年生だった昭和30年代のある日、小学校の体育館で映画教室が開かれ、白黒の「ゴジラ」を初めて体験しました。何月ごろだったのか季節も記憶にないのですが、怖かったことだけは鮮明に覚えていて、夢にまで出てきたのでした。ゴジラに追われて逃げ惑う中で、なんとか物陰に隠れるのですが、ゴジラのあの眼がギロリとこっちを向いて見つかってしまうのです! あの怖さは、おそらく生涯「最恐」の映画でした。

で、今度の映画「ゴジラ-1.0」は、このオリジナルの「ゴジラ」をリスペクトし、踏襲して作られているらしいと何かで読み、これはぜひ観たいと映画館に足を運んだという次第。その結果は、子供の頃の恐怖を思い出させるような迫力がありました。もう一つ、特攻から逃げ、ゴジラとの戦いからも逃げた青年の人間ドラマもあり、殺す技術を強いられてきたエンジニアたちが生きのびるために工夫したパラシュートなど、なるほどそう来たかと思わせる描き方で、特攻や犠牲の死を美化しない描き方は共感できるものでした。

【予告】映画『ゴジラ-1.0』《2023年11月3日劇場公開》


もう一つ、伊福部昭のゴジラの音楽はやっぱりスゴイ。特に劇場の音響の力もあり、緊迫感、緊張の盛り上がりが否応なく持っていかれる感じです。ただし、ビキニ環礁での水爆実験の影響は示唆されていたものの、オリジナルと比べて原水爆実験への批判や核兵器への疑問などの面が後退したのは否めず、このあたりはキリンのようなコンクリートミキサー車が林立して血液凝固剤を注入して抑え込んだ「シン・ゴジラ」(*1)が福島第一原発の事故を念頭に置いたものになっているのともまた違うスタンスになっているようです。

(*1): 映画「シン・ゴジラ」を観る〜「電網郊外散歩道」2016年8月

コメント (2)

映画「生きる〜LIVING」を観る

2023年04月20日 06時00分45秒 | 映画TVドラマ
少し前になりますが、息子からの情報により、妻と息子と一緒にフォーラム山形で映画「生きる〜LIVING」を観てきました。題名のとおり、黒澤明監督作品「生きる」を、ノーベル賞作家カズオ・イシグロが1950年代の英国を舞台に脚本を書き、原作にかなり忠実にリメイクした作品です。

映画の冒頭、今は見慣れた横長の画面ではなく、4×3の昔ながらのスクリーンに走る列車のシーン、流れる音楽のノスタルジックな雰囲気にグッとやられました。加えて主人公ウィリアムズ(ビル・ナイ)が勤務する市役所の市民課の雰囲気、調度品や雑然と積み上がる書類の山、課に一台だけの黒電話、手回しの鉛筆削りやインクとつけペン等の文具類、陳情するご婦人たちが提出する書類の綴り方など、ああ、そうだった、情報化以前、いや、オフィスの事務革命以前の姿はこんなふうだったと、ストーリー外でも思わず感動してしまいました。特に、たらい回しをされながら別の課にねじ込む際に、新人のピーターをお供に10箱もの書類を持ち込む迫力、あれはアナログな手書き文書だから通用する手法でしょう。

ストーリーは原作同様で、妻の死後ずっとことなかれ主義に浸ってしまっている市民課長ウィリアムズが主治医からガンで余命半年、長くて9ヶ月との宣告を受け、自らの人生の意味を考えてしまいます。残り人生を楽しもうにも、楽しみ方がわからない。悩み逡巡し無断欠勤を続けますが、どうもロンドン市役所の勤怠管理はザルなようで、その間、同僚だった若い娘マーガレットと噂になるほどの「交際」をしますが、彼女の天真爛漫な明るさに救われる形で、陳情のあった公園を作る仕事に意味を見出し、没頭していきます。そして順次その過程を描くのではなく、ウィリアムズ課長の葬儀の後に故人の残したものが周囲の人たちに、特に若い職員ピーターにどんなふうに受け止められたかが描かれる、というお話です。

イギリス映画らしい重厚な雰囲気と俳優陣、中でも主人公ウィリアムズを演じるビル・ナイ氏の抑制された演技が素晴らしい。作中のさまざまな場面に挿入される音楽も見事でした。妻と共に、久々に良い映画を観たという充実感が残り、後味の良い経験となりました。

<予告>『生きるLIVING』【3/31公開】


ピンストライプの背広にネクタイをしめ、帽子と革靴、書類かばんとこうもり傘という当時の英国紳士のスタイルは、ある程度の財産を所有する中産階級のステイタスを表しますが、息子夫婦が皮算用する場面は、郊外に家と預貯金を持ち相続を前提とするから成り立つ場面です。ドライな嫁と寡黙な父親の間に挟まれ、遠慮しがちだった息子は、余命宣告を受けていたことを自分には知らせてくれなかった、自分は父親の話を聞いてこなかったと悔いています。噂になっていたマーガレットには話していたかどうかをたずねますが、マーガレットは自分も知らなかったと嘘をつきます。相手(息子)の心情を思いやる、マーガレットの優しさを感じさせる場面です。そのほか、魅力的なシーンが多数ありました。私はめったに他人様におすすめしたりすることは少ないのですが、これは「機会があればぜひに」とおすすめできる映画でした。できればカズオ・イシグロの脚本を書籍の形で読んでみたいものです。

(*1): 映画「生きる〜LIVING」公式サイト

コメント

映画『百姓の百の声』を観る

2023年02月07日 06時00分11秒 | 映画TVドラマ
地元紙・山形新聞に伊藤律子記者による紹介記事が載っていたことから興味を持ち、ドキュメンタリー映画『百姓の百の声』を観てきました。『フォーラム山形』で上映予定を調べたついでにチケットを予約してみたら、珍しく Linux + Chrome の環境でもスムーズに予約できましたので、気分良くじっくり鑑賞して来ました。

この映画は、柴田昌平監督が農山漁村文化協会(いわゆる農文協)の雑誌『現代農業』誌の取材チームに同行して全国のさまざまな農家を巡るうちに、「農業問題」でもなく「ユートピア」としてでもなく、多くの農家の声を取り上げたいと思って撮影したものだそうです。リンゴ農家、稲作農家、野菜園芸農家、農業法人、畜産農家、野菜苗育成販売農家、ブドウ農家、山菜栽培農家など、登場する農家はみな実力のある魅力的な人たちで、実践も言葉も説得力があります。また、種子の自家採種の重要性は、伝承野菜の保存継続の観点からも重要性は理解できますが、逆に種苗法がそれを妨げる面があることは初めて知りました。自家採種を進め、種子交換会を開催する人たちと、種子の権利を法的に主張し他を制限しようとする企業との関係は、コンピュータの世界におけるフリーソフトウェア or オープンソースと、クローズドな、プロプライエタリなソフトウェアの関係に似ているのかも。「百姓の百の声」を集めるという、こういう内容ならば、もっと続きを観たい、聴きたいと思ってしまいました。

映画の予告編はこんなふうです。1分50秒のものと8分のものと二種類あるようですが、内容をよく反映していてわかりやすいのは8分のほうでしょうか。

映画「百姓の百の声」予告編(1分50秒版)


映画『百姓の百の声』トレーラー (8分版)


また、映画のパンフレットに記載の「百姓の視点でみた戦後農業年表」が興味深いものでした。戦後の農村の再編成、1950年代の戦後復興、1960年代の農業近代化、1970〜80年代の村・経営・家族、暮らしから農業を見直す1990年代、地域と共に都市民を巻き込んで関係人口を増やそうとする2000年代以降など、多少の異論はあるものの、なかなかおもしろく興味深いものです。



もう一つ、この映画がきっかけで、農文協の『現代農業』という雑誌に興味を持ちました。そういえば、亡父も『現代農業』という雑誌をずいぶん長いこと購読していたなあ。母が全部まとめて処分してしまったけれど、どんな内容だったのだろう、という程度の興味ですが、機会をみて一度は手にして読んでみたいものです。

コメント

映画「Coda〜あいのうた」を観る

2022年03月06日 06時00分56秒 | 映画TVドラマ
過日、あいにくの雨降りの日に、映画「Coda〜あいのうた」を観ました。当初は、コーダと言えば音楽用語で楽曲や楽章の終わりを意味することから、クラシック音楽映画だろうと想像していましたが、実は「Child of Deaf Adults」の頭文字をとったもので、「聾の親を持つ、聴こえる子ども」の意味だそうです。映画館ではアガサ・クリスティ等の人気作にはお客さんがかなり入っていたようですが、こちらの上映シアターのお客さんはずいぶん少ない人数でした。

主人公のルビーは、聾唖者である父親と兄とともに漁船に乗り組み漁で生活していますが、母も同じくろうあ者の一家の中で唯一の健聴者で、家族の「通訳」係の役割を果たしています。暮らしは豊かではなく、高校では「魚臭い」と疎外されていますが、実は素晴らしい声と音楽的才能の持ち主でした。新学期に選択するクラスに合唱を取ったことから、ヴィラ・ロボス先生の指導を受けるようになります。先生はメキシコ系のようで、型破りですが効果的な指導で生徒たちの力を引き出していきます。もちろん、ブラジルの作曲家ヴィラ・ロボスとは別人(^o^)/
指導の中でルビーの才能に気づいた先生はバークリー音楽大学の受験を勧めますが、家族は大反対。通訳がいなければ漁船の安全な運行も仲買人との交渉もうまくいかないのですから、生活が立ち行かないのです。自分のやりたいことと家族の生活・役割との板挟みになったルビーは、いったいどうすればよいのか!

以下、ネタバレはやめて本編をごらんいただくこととし、私の感想をいくつか。

  • 私の祖母が30代で中途失明した視覚障碍者であったために、社会生活はもちろん、日常生活に大きな支障があったことを痛感しておりましたので、米国の聾唖者の家族がダイナミックに社会生活を営んでいる姿に強い印象を持ちました。
  • それと同時に、全盲の祖母ほど深刻ではないけれど、やはり音声言語によるコミュニケーションができないというのは、社会生活では様々な場面で大きなハンディキャップになるのだなということがよくわかりました。
  • 手話によるコミュニケーションというのは、いわば結論、エッセンスを伝え合うことのようで、「空気を読んでスマートに対処する」というのは苦手なようです。ルビーの両親の場合は、下ネタ演出というよりは、夫婦がそれぞれ「結論で生きている」姿を表しているように思います。
  • 音楽が良かった。ジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」なんて、ほぼ半世紀ぶりに聴いたのではなかろうか。それと同時に、失明した祖母がチャップリンの「街の灯」(*1)を見ることができないのと同様に、ルビーの父と母と兄が彼女の歌を聴くことができないことの悲しみを、痛切に感じます。それでも、悲しみを越えて娘を送り出す家族の姿に、感動します。心うたれる、いい映画でした。




バークリー音楽大学というのは、米国マサチューセッツ州ボストンにあるのだそうな。そういえば、渡米時にボストンのシーフード・レストランで食べた白身魚はうまかったなあ。あのあたりは、魚を食べる習慣がちゃんとあるようでした。オルコットの住まいだった建物の前で記念写真を撮った、ボストンの旧市街地も古都の趣があって見事だった。ハーバード大学の CO-OP でTシャツやトレーナーを買ってきて、しばらく愛用していました。映画とは関係ないところで、若い頃を思い出してしまいました。たぶん、昔懐かしい音楽が流れてきたからでしょう。



YouTube でジョニ・ミッチェル「青春の光と影」を見つけました。
Joni Mitchell - Both Sides, Now [Original Studio Version, 1969]


懐かしい曲、懐かしい歌声。半世紀前の若い頃を思い出します。今ならば、できればこの映画のルビーの歌で、もっとしっかり全曲を聴きたいと思ってしまいました。

(*1):チャップリンの映画「街の灯」を観て昔の記憶違いを知る〜「電網郊外散歩道」2019年12月

コメント (4)

映画「ドライブ・マイ・カー」を観る

2022年02月25日 06時00分49秒 | 映画TVドラマ
少し前のことになりますが、久しぶりで映画でも見ようかと映画館に行きました。お目当ては「ドライブ・マイ・カー」(*1)です。村上春樹原作でアカデミー賞にもノミネートされたという前評判は見聞きしていましたので、期待もありました。

ストーリーは、役者で演出家の夫と作家の妻の奇妙な関係から始まります。性行為の後に物語の文章が湧き出てくる妻の姿は、ホラー的で気持ち悪い。そして妻の不倫現場を目にしながら、ことなかれ主義で知らんふりする夫も気色悪い。妻の突然死も唐突で、なんでそうなるの?! そこでようやく始まるタイトルロール。そこからは、広島の演劇祭に招かれ、多言語によるチェーホフ「ワーニャ伯父」の上演に向けた取り組みの過程が描かれます。オーディションで選ばれた役者の中には、妻の不倫相手の若者が含まれ、不安定な青年が波乱の要因となる、というわけです。もう一人、主人公の愛車を運転する寡黙なドライバーの娘が登場、この人の仕事ぶりの中で、少しずつ半生が明らかになってきます。



あまり詳細なネタバレはやめておきましょう。いくつか気づいた点を。

  • 全体的に、ストーリーとは直接に縁がないけれど、イメージ的に効果的なチェーホフの劇中の台詞などが挿入され、あたかも台詞(文章)のコラージュのような雰囲気を醸し出しています。作家の言葉だけでなく過去の名作の一部を堂々と使えるという点では巧みな設定であろうとは思いますが、少々ズルいという感じも受けます。
  • 広島から北海道に舞台は変わるのに、冬用タイヤに交換するような様子は描かれず、車を大切にする雪国生まれのドライバーにしてはおかしい。夏用タイヤで田舎の雪道を走れると思っているとしたら、ご都合主義というべきでしょう。
  • 思わせぶりにタバコを使っているけれど、昔、咳喘息に悩む若い頃に会議中の禁煙を提案したら否決されたという苦い記憶を持つワタクシには、実に苦々しい無駄なカッコつけにしか見えません。今どき、タバコ産業が喜んで組織的に応援したりして(^o^)/

全体的には、うーん、そうですね〜、面白く見ましたけれど、二度三度と繰り返して観たい映画とは言えなかったように思います。もうちょっと、心に残る映画を観てみたいところです。「コーダ」あたりはどうなのだろう。

(*1): 映画「ドライブ・マイ・カー」公式サイト

コメント (6)

この年末年始の注目番組は

2021年12月29日 06時00分12秒 | 映画TVドラマ
ふだん、テレビを見る時間はごく少なく、朝夕のニュースや昼の料理番組くらいですが、年末年始は農作業もありませんし、非常勤の仕事もありません。読書やパソコン三昧にも飽きて、どれテレビでも見ようかとなることは確実です。では、年末年始の特別番組はどんなものがあるのだろうか。例年、元日付の新聞にテレビラジオ番組特集が入ってきますので、それで確認することが多いのですが、実は今から楽しみにしているものがちょっとだけありまして。

  • 1月1日(土) 19:00〜22:00 ウィーンフィル・ニューイヤー・コンサート 2022年はダニエル・バレンボイムが指揮するのだそうな。今年も無観客でテレビ中継する形になるのか、それともちゃんと聴衆を入れて演奏するのか。オミクロン株の感染状況も懸念材料で、聴衆のマスク普及率がひと目でわかるのも興味深いところ。ワクチン接種で早々にマスク不要を宣言した国・地域は再感染が広がっているため、たぶんマスク義務付けて聴衆を入れて開催するものと予想。もちろんブラヴォー禁止、あたりかな。
  • 1月3日(月) 19:00〜21:00 ニューイヤー・オペラコンサート(*1) Eテレ, BS1, NHK-FM 毎年恒例の新春番組ですが、今年は阪哲朗さん(*2)が登場します。阪さんは現在は山形交響楽団の常任指揮者ですが、これまでスイスのベルン市にあるビール市立歌劇場を振り出しに、ブランデンブルグ歌劇場専属第一指揮者(1997~98年)、ベルリン・コーミッシェ・オーパー専属指揮者(1998~02年)、アイゼナハ歌劇場(ドイツ・テューリンゲン州)音楽総監督(2005~09年)、レーゲンスブルク歌劇場(ドイツ・バイエルン州)音楽総監督(2009~17年)を歴任しています。いわば、最も得意とする分野かも。どんなコンサートになるか楽しみです。司会に壇ふみさんが登場するのも期待大です。

あとは、昔の懐かしい映画とか良質な番組の再放送とか、この機会でないとなかなか接することができないものも少なくないものです。私には珍しく、テレビっ子、いや、テレビ爺さんになりそうです。まあ、放送局の人たちもお正月くらいは順番に休めるといいなあと思いますからね〜(^o^)/

写真は、季節は春、だいぶ昔に撮影した水仙です。殺風景な雪景色では少々色彩感に乏しいので、時期外れとは思いながら、あえて採用(^o^)/

(*1): NHKニューイヤーオペラコンサート〜NHK番組紹介ページ
(*2): 阪哲朗さんのプロフィール〜オフィシャルサイトから

コメント

NHKテレビで「きょうの料理」を観るとき

2021年11月08日 06時00分15秒 | 映画TVドラマ
勤め人をやめて変わったことの一つに、お昼のテレビを観るようになったことがあります。夕方のローカル番組と昼食どきのニュースに続く番組くらいしか観ませんが、木曜日の「サラメシ」と金曜日の「きょうの料理」はNHK、土曜日の「ぽつんと一軒家」は民放の再放送で、毎回ではありませんがこのあたりは観る機会が多いです。

その中でも、「きょうの料理」を観るのは楽しいです。テキスト『きょうの料理』は、学生時代の一人暮らしの強い味方でしたので、結婚したばかりの頃にドサッと持ち込んだ十数冊は、妻に呆れられたものでした。単身赴任時代には『同ビギナーズ』を愛読していましたが、少ない材料で簡単に作れるものが多く、重宝したものでした。でも、いずれも紙ベースでの話で、テレビの映像つきで作り方を知るのは退職のおかげです。

出演者の特徴もだいぶわかってきて、日本料理を担当する大原千鶴さんの回は漫才みたいだし、おしゃれな西洋料理風家庭料理の栗原はるみさんの回は、相手役のTAIRIKさん(*1)との呼吸がぴったりで、なんだか有閑マダムと若いツバメみたいな錯覚に陥るほどです(^o^)/ いや、栗原さんが包丁を上からトントンと垂直に下ろしてみじん切りをしているときに、TAIRIK さんは牛刀のカーブを活かしてみじん切りをするのを見て、料理経験の豊富さをうかがい知るなど、若い人たちの実力を再認識したりもしています。

こうした映像で一番参考になるのは、例えば「中火で加熱する」とあるとき、どの程度の時間なのかが体感としてわかること。不慣れなときにはつい加熱しすぎて食材がくにゃっとなりがちなのですが、ああ、あの程度でいいのか、とわかりますので加熱し過ぎがなくなります。これはテレビ映像やネット動画の強みですね。

(*1): TAIRIK さんというのは、佐田大陸=さだまさしの息子なのだそうで、芸能スポーツ分野にはとんとうといワタクシには驚きの事実です(^o^)/
TSUKEMEN / HAPPYキッチン(Studio Live)NHK「きょうの料理」挿入曲

TSUKEMEN SPECIAL CONCERT クラシックとシネマで辿る音の旅 (TSUKEMEN CONCERT DIGEST) for J-LODlive2


コメント (2)

映画「ONODA〜一万夜を越えて」を観る

2021年11月06日 06時08分57秒 | 映画TVドラマ
10月下旬、お天気が雨模様で農作業には不向きだったある日、妻と映画を観に出かけました。場所は山形市のフォーラム山形、タイトルは「ONODA〜一万夜を越えて」です。第74回カンヌ国際映画祭2021「ある視点」部門オープニング作品となったフランス映画だそうです。題名となった「ONODA」とは、私がまだ学生だった1970年代のはじめ頃に、フィリピンのルバング島で発見された残留日本人兵士、小野田寛郎さんのことです。当時のことは、うっすらと記憶にあります。たしか、小野田さんの前に横井庄一さんが帰国しており、「恥ずかしながら帰ってまいりました」という言葉が話題になりました。横井さんと比較して小野田さんの場合は、あらかじめ発見が報じられたけれど上官の命令がなければ投降できないという主張だったようで、正直言って「めんどくさい人だなあ」という感想を持った記憶があります。この映画を観て、その理由がわかりました。小野田さんは、陸軍中野学校を出た、玉砕は許されない、遊撃戦すなわちゲリラ戦のプロフェッショナルとして教育された人だったんだ!

映画は全編ほぼ日本語で、ルバング島への到着から島での長い過酷な生活、そして投降までを描いています。仲間がしだいに減っていく過程は一般兵士であれば当然だろうなあと思いますし、殺されたり略奪されたりした現地の住民にしてみれば、えらく迷惑な話です。SONYのトランジスタラジオの放送を聞いて、敵の諜報宣伝活動だと疑ったり、断片的なニュースをつなぎ合わせて大東亜共栄圏の継続を信じたりするあたりは、本人の記憶に基づいているのでしょう。



ルバング島の密林で生き残るのに重要だったのは、良く言えば慎重さと意地、悪く言えば猜疑心と意固地さだったのではなかろうか。地図をつくり、生活の痕跡を消すことにこだわるあたりは追跡捜索される手がかりを与えたくないという一点にあるようで、29年という長い潜伏生活を可能とします。
小野田さんは最初に航空兵を目指したようですが、高所恐怖症がわかって脱落したことが描かれています。高所恐怖症というのは根底に「死にたくない」という気持ちがあるのだろうと思いますが、帝国軍人のタテマエとしては失格の烙印。逆に生きて遊撃戦を展開するという命令は、失格の取り消しと名誉の回復だったために、絶対のものになったのでしょう。陸軍中野学校の上官である谷口少佐の教育は、詰め込み叩き込むやり方ではなく、自分で考え自分で判断して行動するというものでした。それが「玉砕を許さず、生き残って遊撃戦を展開する」という目標・目的でしたから、ある意味、教育の恐ろしさを描くものでもありました。

考えるということは、それまで得ている知識や経験を組み合わせていくことでしょう。知識や経験が偏っていれば、考えも偏った方向に向かうのは当然のことかもしれません。途中で脱落投降して残留兵の存在を知らせた若い兵士は、思想や論理よりもむしろ「こんな生活イヤだ、生きたい」という素朴な感情を優先したのが良かったのかもしれないなあ。

コメント

これが山形(弁)だ!〜NHKラジオ「ライブバーあがすけ」聴き逃しサービスで

2021年07月17日 06時00分15秒 | 映画TVドラマ
先日、7月14日(水)の夜にラジオNHK第1で放送された「ライブバーあがすけ」が、「らじる★らじる」の聴き逃しサービスで聴くことができます。便利な時代になったなあ。"Fly me to the moon" をはじめ、山形ローカルなゆかりの人たちによる音楽と、ほぼ純粋な山形弁が聴ける貴重なチャンス! 

 方言×音楽「ライブバー・あがすけ」NHK「らじる★らじる」聴き逃しサービス 〜7月23日まで

山形出身のNHK柴田徹アナウンサーをホストに、番組紹介によれば

山形ゆかりのミュージシャンによる、山形愛にあふれたライブをお届け。方言全開のトークとスペシャルな演奏でお送りする50分。出演は上々颱風、東北ろっけんろーるショーのボーカル白崎映美、山形弁のグルーブ全開ロッカー山口岩男、元T-SQUAREのベーシスト須藤満、県内を中心にライブ活動を行うバイオリニスト駒込綾、山形育ちのひだまり娘工藤あやのと、豪華な顔ぶれ。

というものです。

須藤満さんが柴田アナウンサーの高校の先輩で、応援団の長ラン姿がおっかなかったのだそうな。古き良き時代? 須藤さんのベースがいいですね〜(^o^)/

会場となった山辺町の「噺館」のブログでは、収録の裏事情が紹介されています。

以前、山形弦楽四重奏団で親しんだヴァイオリニスト駒込綾さん(*1)の演奏もしばらくぶり(*2)。最後の曲、駒込さんのアレンジによる「風になりたい」、とっても良かった〜!

(*1): RyoViolin Diary 〜 山形市在住のヴァイオリニスト駒込陵さんのブログ, 同オフィシャルWEBサイト
(*2): 村山市のバラ公園での親しみやすい演奏会や、「センセ、タカラヅカ!」の印象が強かった第38回定期演奏会など。

コメント

NHK「おちょやん」最終回を観る

2021年05月15日 06時01分31秒 | 映画TVドラマ
NHKの「朝ドラ」最終回を観ました。朝食後、後片付けもそこそこにTVの前へ。夫婦で二人して食い入るように(^o^)/
ドラマの最終回のテーマは「和解」でしょうか。例えば千代と一平がお芝居を通してしみじみと本音を語るセリフとなっているところ。なるほど、前日の「セリフを追加してはどうか」という千代の提案がこんな形で生きてくるとは!

妻も夢中でのめりこんでいたようで、テレビ画面への身の乗り出し方がスゴイです。このところ朝ドラを続けて観られる環境になって、私自身も、なるほど面白いものなのだなと実感しているところです。まあ、作品によるものとは思いますが、「おちょやん」の終盤の盛り上がり方はすごかった。

そうそう、役者人生はきちんと役回りを演じなければならず、それも大変なことです。天海一平役の成田凌さんは、一般の人から役者と役柄とを混同して誤解され、「浮気して子どもまで作るなんて、サイテー、嫌い!」と言われたとか。まあ本人にとっては大変なことですが、身から出たサビというか自己責任というか、それとも役者冥利に尽きることなのか、微妙なところですね〜(^o^)/

写真は、私のお気に入りの、東根市神町の菓子店「チェリー」のケーキです。まるで「おちょやん」のように、甘さとほろ苦さが絶妙。

コメント (2)

NHKの朝ドラ「おちょやん」を観るようになって1ヶ月

2021年05月08日 06時01分55秒 | 映画TVドラマ
助っ人フルタイム勤務を退職して非常勤となったおかげで、この4月からNHKの朝ドラ「おちょやん」を観るようになりました。番組の始めに出てくるアニメーションの猫が昨秋20歳で亡くなった我が家のアホ猫(娘)(*1)に似ていると、妻がたいそうお気に入りのようで、朝八時になるとテレビの前に陣取り、地震でも来ない限りはまるで動きそうにありません。私の方もお付き合いで見始めたのですが、主人公おちょやんの夫一平が劇団員の娘と浮気をして子どもまでできているという事態を経て、離婚、継母と孫と同居、ラジオ番組への出演が決まり、生放送の人気沸騰と、なんとも劇的な展開。すっかりハマってしまいました。とかなんとか言っているうちに、来週はもう最終週だそうです。ええっ、もう終わっちゃうの!?

妻にすすめられて、あるいはおつきあいで特定のドラマにハマるのは、このブログを始めた時期、2004年頃の韓流ドラマ「ランラン18歳」以来かも(^o^)/

(*1):記憶に残るアホ猫記事〜「電網郊外散歩道」2020年12月

コメント (6)

NHK「立花登 青春手控え2」第8回「処刑の日」を観る

2021年03月08日 06時02分12秒 | 映画TVドラマ
土曜の夕方、このところ毎週楽しみにしているNHKの連続時代劇「立花登青春手控え2」の最終回、「処刑の日」を観ました。原作は藤沢周平『風雪の檻・立花登手控え(2)』(*1)の最終話、「処刑の日」です。番組予告では、こんなふうに紹介しています。

妾を殺した罪で囚われていた商家の主人・助右衛門。娘のおゆきだけは、父が犯人でないと登(溝端淳平)に訴える。そんなある日、ちえ(平祐奈)が、助右衛門の妻と手代の新七が親しげに一緒にいるところを目撃、不審に思った登は、南町奉行所にもう一度調べ直しをするよう頼み込む。やがて藤吉(石黒賢)の協力で、事件の真相と助右衛門の家の意外な事情が徐々に明らかに。しかし、助右衛門の処刑の日が刻々と迫っていた…。

ストーリーは原作に忠実なもので、まったくそのとおりです。処刑の前に死罪を申し渡す役人に対して、一介の牢医者にすぎない立花登が刑の執行を待ってほしいと願うやりとりは原作と同様に緊迫したもので、今回の藤吉親分と子分の直蔵の探索は無実の男を冤罪から救う、実に良い役まわりと言うべきでしょう。

それにしても、宮崎美子さん演じる叔母の松江さんは、家族思いではあるけれどセコさ満開(^o^)、無実の罪から救われた商家の主人・助右衛門と娘のおゆきが二人で礼に訪ねてきたのに家に入れようともせず、登が訪ねていく機会も全力でつぶします(^o^)/
もう完全に登をおちえの婿にしようと、余計な虫がつくのを妨げ、防御する姿勢です。いやはや、この年齢だからわかるオバサン族の深謀遠慮、全巻読むと結果的には良かったねとなりますが、まだこの時点では恋の花園なのか蟻地獄なのかわかっていない(^o^)
まあ、若い人たちの恋心はそんな思惑は蹴っ飛ばしていくのですが。



ところで、締まり屋の叔母・松江さんは、実は作者の奥様がモデルらしい(*2)。思わずクスッと笑ってしまいますが、これも藤沢周平流のユーモアでしょうか。

(*1):藤沢周平『風雪の檻・立花登手控え(2)』を読む〜「電網郊外散歩道」2007年9月
(*2):山形新聞「藤沢周平没後20年」の鼎談がネットで提供〜「電網郊外散歩道」2018年1月

コメント

NHK「立花登 青春手控え2」第7回「待ち伏せ」を観る

2021年03月01日 06時00分41秒 | 映画TVドラマ
先の土曜日、NHKの土曜時代ドラマ「立花登 青春手控え2」の第7回「待ち伏せ」を観ました。公式ホームページ(*1)の予告では、

牢から解き放ちになった三人が連続して殺される事件が起きる。次に解き放ちになる馬六(田山涼成)の命が危ないと考える登(溝端淳平)。そんな矢先叔父の玄庵(古谷一行)が倒れ、叔母・松江(宮崎美子)とちえ(平祐奈)から頼りにされる。数日後、馬六が解き放ちに。実は、嫁いだ馬六の娘・おかつが、一人暮らしの馬六を引き取ろうとしていた。藤吉(石黒賢)の助けを借りて馬六を守ろうとする登。しかし、馬六は不審な男たちに襲われてしまう…。

とありますが、まさにそのとおりの内容です。丈夫で働き者のおかつが、多田屋の後添えとして嫁ぎ、嫁ぎ先の旦那に大事にされています。女房の父親を引き取ろうというだけでなくたっぷり小遣いをあげていれば、そうそう不祥事は起こさないだろうというのですから、実に太っ腹な旦那です。人間ができています。

ところが、実はおかつの嫁ぎ先の商家の手代がとんだ曲者で、悪事の相談を見られた馬六が商家に引き取られると、自分の正体がバレてしまうことから企てた犯行でした。登と藤吉親分らの骨折りで助かりますが、さて馬六の生来のちゃらんぽらんさは治るものなのだろうか(^o^)/

叔父の玄庵は、どうやら不整脈で倒れたようです。酒の飲みすぎとはいうものの、おちえは登を頼りにするほかありません。頼りにされた登は、自分勝手ではありますがお年ごろのおちえの美貌に今更ながら気づいたようで、最後のベタな描き方はまあなんとわかりやすいこと(^o^)/



原作は藤沢周平『人間の檻~獄医立花登手控え(4)』の第3話(*2)です。手元にあるのは講談社文庫版ですが、最近は文春文庫でも出ているみたい。次回は最終回「処刑の日」。これは緊迫した見ごたえのある回になりそうです。ぜひ見なければ。

(*1):NHK「立花登青春手控え2」公式サイト
(*2):藤沢周平『人間の檻~獄医立花登手控え(4)』を読む〜「電網郊外散歩道」2007年10月

コメント (2)

NHK「立花登 青春手控え2」第6回「見張り」を観る

2021年02月14日 06時01分21秒 | 映画TVドラマ
土曜の夕方のお楽しみ、NHK「立花登 青春手控え2」を見ました。すでに第6回で、予告には

登(溝端淳平)は、町中で具合の悪そうな女・おとし(富田靖子)と出会う。おとしの亭主・酉蔵(浅野和之)は、傘張り職人だったが、酒飲みの怠け者で、おとしは一膳飯屋で働かざるを得なかった。そんなある日、登は牢の囚人から、押し込み強盗の計画を聞く。押し込みを企む連中は、酉蔵に見張りを頼もうとしているらしい。おとしを心配する登は、酉蔵に、おとしが死にそうだと嘘をつく。すると、慌てた酉蔵が、ある行動に出る…。

とあります。ははあ、あの話だな、とピンときました。原作は第4巻『人間の檻〜獄医立花登手控え』(*1)から「見張り」です。過去記事からですが、

第2話「見張り」、牢内で押し込みの相談をして行った奴がいる。女房の養生と遊び心で、酉蔵は見張りを引き受けた。どうやったら仲間から疑いを受けずに酉蔵を抜けさせることができるのか。

ふーむ、ドラマ化にあたって、具合の悪い妻の治療代を工面するために、という面を強調しているようで、女房のおとしの優しさや健気さを浮かび上がらせています。次回が「待ち伏せ」で叔父の玄庵が倒れる場面になるようですので、イメージの重ね合わせというか、そういった手法が意識されているのかもしれません。

まあ、女房殿が具合が悪くなると亭主が心を入れ替えて朝晩の食事も作ったりするというのは、なにも酉蔵に限った話ではなく当方もごく最近に心当たりがありますので、ちょいと「こちょびたい(くすぐったいの山形弁)」面もあったりします(^o^)/



今回のドラマ化は全部で8回。残すところあと2回です。最終回「処刑の日」の緊迫したやりとりと最後の甘酸っぱいシーンの対比がどのように描かれるかがシリーズ一番の楽しみですが、次回の「待ち伏せ」も意外なストーリーだったはず。期待したいと思います。

(*1):藤沢周平『人間の檻〜獄医立花登手控え(4)』を読む〜「電網郊外散歩道」2007年10月

コメント (2)