電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」を聞く

2006年05月31日 20時22分28秒 | -協奏曲
通勤に要する時間が短くなり、帰宅が早くなったので、通勤とは別に音楽を聞いたり本を読んだりする時間が増えた。さて何を聞こうかとCDを探すのが楽しみである。今日は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。ベートーヴェンの五曲のピアノ協奏曲の中では、1番とともにお気に入りの音楽だ。

第1楽章、アレグロ・モデラート。ピアノ独奏が静かに始まり、同じ主題を管弦楽が続く。再びピアノが入ると、オーケストラと対話しながら自在にかけまわる。特に管弦楽の充実が見事で、演奏に要する時間の面からも、実に充実した楽章だと感じられる。
第2楽章、アンダンテ・コン・モート。短いが静かに深い緩徐楽章。ベートーヴェンの緩徐楽章はほんとうに魅力的だ。続けて第3楽章が演奏される。
第3楽章、ロンド、ヴィヴァーチェ。重厚な管弦楽をバックに、ピアノ独奏の名技を存分に味わうことができる。最後もスカッとしており、しつこくならないで終わる。
(それも手が伸びる原因の一つだなどと言ったら、偉い人に怒られるか。)

演奏は、フリードリヒ・グルダのピアノ、ホルスト・シュタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるLP(ロンドン、L16C-1610)と、レオン・フライシャーのピアノにジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団によるCD(SONY SBK-48165)を聞いている。

この協奏曲あたりになると、独奏者ももちろんだが、オーケストラの充実と魅力がほしいと思う。1970年代に来日し、N響を指揮してワーグナーの名演奏を聞かせてくれたホルスト・シュタインがウィーン・フィルを振った演奏は、ゆったりとした遅めのテンポを取りながら時おり激しい強奏を聞かせ、まさに堂々たる響きを楽しむことができる。LPには演奏者の写真などは添えられていないけれど、あの偉大なるおでこをゆらしながら丹念に指揮をするホルスト・シュタインさんの壮年時代の姿が見えるような気がする。いわば、横綱の土俵入りのような演奏か。
その点では、ジョージ・セル指揮のクリーヴランド管弦楽団も、堂々たる演奏だ。ただし、こちらはかなり速めのテンポで、きりりと引き締まったもので、見事なフォーメーションを披露しながら圧倒的な強さを見せるラグビーの試合のようなものか。第2楽章の深さなどは、遅いテンポだけに頼らない緊張感を見せている。

■グルダ(Pf)、ホルスト・シュタイン指揮ウィーンフィル
I=19'03" II=5'52" III=9'57" total=34'52"
■フライシャー(Pf)、セル指揮クリーヴランド管
I=17'59" II=5'07" III=9'03" total=32'09"
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宮城谷昌光『奇貨居くべし』第2巻(火雲篇)を読む

2006年05月30日 20時50分48秒 | -宮城谷昌光
秦の策謀から和氏の璧を守り抜いたものの、疲労のあまり病に倒れた呂不韋は、藺邑で僖福の献身的な看護を受けて生命をとりとめます。ここまでが前巻のお話。

ようやく健康を回復したものの、藺邑は秦軍に包囲され、呂不韋は奴隷として陶侯・魏ゼンが建設中の穣邑に送られる。そこで孫子に出会い、奴隷の生活の中で学問をすることになる。秦への復讐を誓う楚が攻め込み、奴隷たちは穣邑から出て輜重隊に加わることになるが、孫子は輜重隊が五日以内に奇襲を受けると予測する。楚兵の隊長が黄歇の配下であったことから、辛くも脱出することができた。

広大な楚の国を歩き通し、人相を見る名人の唐挙に出会うと、唐挙は呂不韋を位人臣を極めると予言する。また唐挙は楚の衰退を告げ、大商人・西忠に楚から重心を移動するよう示唆する。唐挙は多額の謝礼を運び、魏に接し孤児や不幸な人々を救済する慈光苑の伯紲に寄付する。そこで呂不韋は見知らぬ老人に出会い、招待を受けるが、その老人こそ最晩年の孟嘗君であった。そして、孟嘗君の死とともに、時代は大きく変化していく。

これが、火雲篇のあらすじです。奴隷となった呂不韋が同じく奴隷の身に落ちている孫子を師として学ぶ対話の場面が、実に緊張感を持って描かれています。古代ギリシアの哲学者との対話に似て、羨ましいほどです。
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レスピーギ「ローマの祭」を聞く

2006年05月29日 20時53分43秒 | -オーケストラ
週の始まりの今日は、屈託のない音の快感、レスピーギの「ローマの祭」を聞いた。全曲が通して演奏される。

第1曲、「チルチェンセス」、ファンファーレに伴い開始されるのは、大管弦楽によるなんともスペクタキュラーな音楽だ。古代ローマの暴君ネロが、円形闘技場においてキリスト教徒をライオンに食い殺させるショーを描いた部分もあるそうだが、シェンキヴィッチの『クオ・ヴァディス』の世界か。
第2曲、「五十年祭」。Wikipediaによれば、古い賛美歌をモチーフとし、ロマネスク時代の祭を表すとあるが、意味がよくわからない。オーディオ的には圧倒的な迫力がある。
第3曲、「十月祭」、ローマの城で行われるルネサンス時代の祭がモチーフになっているというが、これも意味不明。むしろ、「ポピュラー音楽のような」と形容できるほどの、ずいぶんと直接的な部分もある。
第4曲、「主顕祭」、不協和音で始まり、わかりやすい遊園地のメリーゴーランドのような音楽も登場。

曲としては「ローマの松」のほうがずっと充実していると思うけれど、こういう屈託のない音楽をぼーっと聞くのも楽しい。特に、自宅でステレオ装置で聞く「祭」は、通勤のカーステレオの音響では味わえない、近代大管弦楽の醍醐味を味わうことができる。
現在は、学校の吹奏楽部でもこうした曲を演奏するのだとか。技術的にも音楽的にも、若い人達のレベルが格段に上がっているということなのだろう。単純にすごいと思う。

演奏は、リッカルド・ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団。1984年11月にフィラデルフィアのメモリアル・ホールにてデジタル録音された。CDは、HCD-1146という型番を持つ、EMI「新・世界の名曲」シリーズのうちの1枚。
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宮城谷昌光『奇貨居くべし』春風篇を読む

2006年05月28日 17時29分35秒 | -宮城谷昌光
中公文庫で、宮城谷昌光『奇貨居くべし』春風篇を読みました。帯解説によれば、「秦の始皇帝の父とも言われ、一商人から宰相にまでのぼりつめ」るとともに『呂子春秋』を編んだ人ということだそうですが、この解説から受ける印象は不義密通とか政商とかいう生臭いもので、編纂した著作も自慢気な自伝のようにさえ受けとれます。
ところが、実際には全然違いました。『孟嘗君』の後日談であり『青雲はるかに』の裏面史でもある本作品は、堂々たる大河のような物語です。

韓の中堅の商家である呂家の次男である呂不韋(りょふい)は、生母不在のまま不遇に育ちます。父の命により鮮乙(せんいつ)とともに黄金を産出する山を調査する旅に出て、次第に成長していきます。偶然に暗殺現場に居合わせ、楚の国宝というべき和氏の璧(へき)という宝玉を手にします。楚は趙と結び、秦に対抗しようとしていたのでした。
邯鄲で鮮乙の妹である鮮芳(せんほう)は藺相如(りんしょうじょ)を思慕し、愛人となっています。楚の黄歇(こうけつ)は、和氏の璧を土産として趙君に運ぶ途中で、楚と趙が結ぶことを妨害する秦の宰相・魏ゼンの策略により、奪われたのでした。呂不韋は、和氏の璧を黄歇に返し、藺相如のもとに滞在して学問を始めます。
慎子曰く、天子を立てるは天下の為なり。天下を立てるは天子の為にあらず。
こうした思想を、古代中国の人々は持っていたのですね。

さて、秦王の使者が趙の邯鄲に来て、秦の十五の城をやるので和氏の璧をよこせといってきます。もちろん、ねらいはただ取りです。だが、強大な秦に対し、否とは言えない趙は、正義を立てるために陪臣である藺相如を秦に派遣します。藺相如は呂不韋を伴い秦におもむきます。藺相如が秦王にまみえる場面は、実に迫力がありスリリング。結果的に藺相如は無事使命を果たしますが、呂不韋は生死の境をさまよいます。これが春風篇の概要です。

平凡で不遇な若者が、旅をして次第に成長する場面は、一種なつかしさを感じさせます。物語の続きが待ち遠しい。今日は地域行事のため、午前中いっぱいつぶれてしまいました。明日は読めるでしょうか。
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読書三昧

2006年05月27日 22時12分26秒 | 読書
週末の休日、午前中は畑に出て雪で折れた倒木を始末してくたびれて、午後は読書三昧で過ごしました。ただいま読んでいるのは、宮城谷昌光『奇貨居くべし』春風篇です。面白くて、つい時間を忘れます。後日、記事にするといたしましょう。
音楽の方は、ゲーザ・アンダのモーツァルトのピアノ協奏曲第20番と第21番を聞きました。明日は地域行事のため、早起きです。
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アバドの「ロッシーニ&ヴェルディ序曲集」を聞く

2006年05月26日 20時19分43秒 | -オーケストラ
ロッシーニの歌劇というのはこれまであまりご縁がなかったので、その序曲にも興味を持つことは少なかったと思います。昨年、たまたま入ったブックオフで全集分売ものの「ロッシーニ&ヴェルディ序曲集」を見付け、クラウディオ・アバドとロンドン交響楽団という演奏者を見て購入しました。(BMGビクター、CDBV-40)
正直言って、通勤の際に聞いたら気持ちも軽くなるかも、という程度の思い付きの選択だったのですが、実際にははるかにそれ以上に楽しむことができました。収録された曲目は、以下のとおりです。

ロッシーニ
(1)歌劇「セミラーミデ」序曲
(2)歌劇「絹のはしご」序曲
(3)歌劇「イタリアのトルコ人」序曲
(4)歌劇「セヴィリャの理髪師」序曲
(5)歌劇「タンクレーディ」序曲
(6)歌劇「ウィリアム・テル」序曲
ヴェルディ
(7)歌劇「運命の力」序曲
(8)歌劇「シチリアの晩鐘」序曲

「ウィリアム・テル」序曲の前半部のような、朗々とチェロが歌いながらもしみじみとした味わいのある音楽の魅力については、以前も書いた(*)ことがあります。一方で、早口言葉のようなロッシーニの音楽はどこか軽薄で、どことなくなじめないように感じていました。しかし、通勤の際に、また自宅のステレオ装置で、何度も繰り返して聞いているうちに、歌劇「セミラーミデ」序曲や「セヴィリャの理髪師」序曲のような、軽快でわきたつような音楽の魅力も感じられるようになりました。なるほど、これがロッシーニ・クレッシェンドというものか、と思います。

(*):「水仙の芽の成長の速さ」の投稿記事

また、「運命の力」序曲や「シチリア島の夕べの祈り」の名でも知られる最後の収録曲は、ヴェルディの魅力を存分に味わうことができます。まだ若いアバドの、良い演奏だと思います。

1978年5月、RCAによりロンドンで録音されていますが、この頃はアナログ録音の絶頂期と言って良いでしょう。世界の名建築の細密画をあしらったリーフレットには壱岐邦雄氏の解説が載っており、プロデューサーはチャールズ・ゲアハルトと記されています。

写真は、山形県郷土館「文翔館」バルコニーから時計台を見上げたところ。
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デスクトップの利用上の工夫

2006年05月25日 20時10分34秒 | コンピュータ
液晶ディスプレイを更新して、Windowsでは1280x1024で、Linuxでは古いFMVのハード的な制約から1024x768の画面で利用しているが、画面が狭くても利用の仕方で工夫できる面があることにいまさらながら気がついた。

画面が広くなることは便利なことだ。その最大のメリットは、全体的な一覧性が向上することだ。ウィンドウをリサイズして、複数のアプリケーション・ウィンドウを重ねて表示し、使いたいウィンドウをクリックして前面に出し、アプリケーション間のコピーやペーストを行えるというのは、MS-DOSの時代には考えられなかったことだ。だが、画面解像度を上げれば文字の大きさは小さくなり、老眼にはつらいものがある。

一方、LInuxをコンソールで使っていた時から、仮想画面を切替えて使うということが可能だった。X-windowシステムが使える場合は、MS-Windowsのように複数のウィンドウをカスケードして使うこともできるが、仮想画面を切替えて使える便利さは格別だ。たとえば、画面いっぱいに多くのウィンドウを開き作業している最中に、別の仮想画面に切替えてMozilla等でGoogle検索し、問題点を確認する、などが可能だ。あまり画面解像度を上げずに大きな文字で表示し、仮想画面を切替えることで、快適に多数のウィンドウを操作することができる。これは老眼世代にはたいへんありがたいことだ。

ところで、仮想画面のスイッチは特定のファンクションキーに割り当てたり、Gnomeなどのウィンドウ・マネージャの場合は画面右下の六分割アイコンを利用したりするが、最近は三次元ふうに回転するなどして、視覚的にわかりやすくなる方向に来ているようだ。MacではKeyNoteなどで回転する画面転換を取り入れたプレゼンができていたが、あんな感じか。

Novellの SUSE Linux の新版では、この回転するデスクトップを実現するXglが導入されて発売されるようだ。どの程度のハードウェア性能(とくにグラフィック性能)を要求するのか、興味深いものがある。
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ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」を聞く

2006年05月24日 21時16分26秒 | -協奏曲
若葉が風にそよぐ季節は、一面で五月病の季節でもあります。幸いに、愚息はホームシックにはかかっていないようで、妻の度重なるメール攻勢に「便りのないのは良い便り」と返信してきたそうな。

CDの解説書によれば、26歳のラフマニノフは五月病ならぬ交響曲第1番の初演失敗ですっかり自信喪失に陥り、精神科医ニコライ・ダール博士に暗示治療を受けて、ようやくこの曲を作曲したのだとか。その暗示治療とは、「君には素晴らしい作曲の才能がある、君はまもなくピアノ協奏曲の作曲に取り掛かる、その協奏曲は必ず傑作となる」というものだったといいます。治療を受けた期間は四ヶ月といいますので、いわば初演の失敗による心的外傷が癒えるまでにそれだけの期間を要したと言うことでしょう。でも、第1楽章だけが超有名で後の二つの楽章が刺身のツマのようになってしまいやすいチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番に比べて、ずっと楽章間のバランスの良い音楽になっているように思います。

第1楽章、モデラート。独奏ピアノで静かに始まると、もうこの出だしを聞いただけでラフマニノフとわかる、重厚な旋律をオーケストラが奏でます。適度に近代的な力強さを持ち、ほどよくロマンティックでもある、こころよい音楽です。
第2楽章、アダージョ・ソステヌート。ゆるやかな管弦楽をバックにピアノが分散和音を奏で、フルートが美しい主題を歌います。このあたりは、青年の若々しい叙情でしょうか。決して中年の懐古的な感傷ではありません。
第3楽章、アレグロ・スケルツァンド。映画にも使われた、例の有名な旋律が登場します。華麗な名技性とメランコリーを併せ持つ、見事な音楽になっていると感じます。

ラフマニノフというと、プロコフィエフと重なる時代です。でもずいぶん違います。1901年に作曲されたラフマニノフのこの曲と、1911年に作曲されたプロコフィエフの第1番。わずかに10年の違いですが、かたや濃厚にロマンティック、かたや前衛とモダンの塊。

私の手元には、二種類のCDがあります。一枚目は1986年に清水和音(Pf)のロンドン・デビューに際し、アビーロードスタジオでデジタル録音されたもので、マイケル・ティルソン・トーマス指揮ロンドン交響楽団の演奏。ゆっくりしたテンポで、堂々たる演奏です。二枚目は、日本コロムビアのCD全集"MyClassicGallery"シリーズのブックオフ分売もので、ミルカ・ポコルナのピアノ、イルジー・ワルトハンス指揮ブルノ国立フィルハーモニー管弦楽団の演奏。清水盤よりはやや速めのテンポで、巨大さよりは自然な流れを重視した演奏のようです。こちらは録音年月日と録音地は不明。録音はいずれも良好です。

■清水和音(Pf)、マイケル・ティルソン・トーマス指揮ロンドン響
I=10'45" II=12'15" III=11'26" total=34'26"
■ミルカ・ポコルナ(Pf)、イルジー・ワルトハンス指揮ブルノ国立フィルハーモニー
I=10'20" II=10'29" III=11'42" total=33'11"

写真は、文翔館二階バルコニーの復元された床です。
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今年のサクランボの予想

2006年05月23日 20時32分03秒 | 週末農業・定年農業
今年は雪が多く、四月になってからも積雪があるなど春が遅かったために、桜の開花も遅れ気味でした。サクランボやモモの開花も遅くなり、収穫時期もやや遅くなるものと思われます。例年、山形盆地のサクランボの適期は、尾瀬のミズバショウと同じで、六月の第三日曜日あたりがシーズンなのですが、今年は若干遅れて、第四日曜日あたりになるのではないかと予想しています。6月23日(金)から25日(日)にかけての週末が、最盛期になるのでは。
写真は、まだ青いサクランボの実です。六月に入ると、これが次第に色づいてきます。中旬には、ぐんぐん大きくなり、日ごとに甘みも増してきます。今から楽しみです。
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藤沢周平『用心棒日月抄~凶刃』を読む

2006年05月22日 20時42分03秒 | -藤沢周平
藤沢周平の連作『用心棒日月抄』シリーズの最終巻、『凶刃』を読みました。

青江又八郎は、数年で四十となる妻由亀(ゆき)との間に三人の子がおり、近習頭取として百六十石の祿を喰む身分。かつて江戸で用心棒をしながら藩の抗争事件の解決に尽力してから16年が過ぎている。だが、ある日寺社奉行の榊原造酒に呼び出され、江戸出府の折に嗅足組と呼ばれる忍びの組の解体を告げるよう依頼される。その相手は、かつて生死を共にした江戸屋敷の嗅足組の頭領・谷口佐知だった。ところが、寺社奉行・榊原造酒が暗殺され、又八郎も何者かに襲撃される。背景には幕府の隠密の動きもあるらしい。

江戸屋敷で、又八郎は佐知に再会する。組の解体を告げ、佐知は解散に至った事情を承知するが、帰国した江戸嗅足の女が国元で惨殺され、またニの組の者が又八郎らを見張っている。どうやら嗅足組を私的に利用している者があるようだ。
16年ぶりに再会した細谷源太夫は、再び夫が浪人したことを苦にして妻女が狂死し、すっかり酒毒に侵されて悲惨な生活を送っている。細谷源太夫を助ける若い初村賛之丞は仇持ちで、討たれてやる日を待つ身だ。その不幸な顛末も苦い味がする。

江戸屋敷の村越儀兵衛が幕府の隠密に拉致され、藩主側室の卯乃の出生の秘密を探っているようだ。村越儀兵衛が口を割る前に、又八郎と佐知、郡奉行渋谷甚之助の長男・雄之助らが急襲するが、村越は口を封じられてしまう。

真相は意外なものだった。生類憐れみの令の犠牲となり、幕府の御政道を批判したかどで刑死した浪人の乳飲み子が、平野屋、杉村屋を通じかろうじて救われ、養女として美しく成長していた。江戸時代の厳格な身分制度のもとで、一藩の屋台骨をゆるがすことになりかねないスキャンダルである。

江戸のミステリーとなった物語の解決は、お楽しみと言うことで省略します。時の流れと老いの無惨さを背景にしながら、青江又八郎と佐知の陰影をおびた関係が、しっとりと描かれます。国元でひたすら夫の帰りを待ちわびる健気な妻の影が薄いのは、物語の都合上いたしかたのないことといってよいのか、いささか疑問ではあります。もし作者が存命で第五作が書かれていたとしたら、尼僧となった佐知と妻由亀の対面があったのだろうかと、週刊誌か昼ドラマのような下世話な空想をしかねませんが、そんな疑問を吹きとばすような哄笑で、物語は終わります。
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文翔館を見学する

2006年05月21日 21時38分18秒 | 散歩外出ドライブ
五月の晴天に誘われて、お気に入りの散歩スポットである山形県郷土館「文翔館」を訪ねました。ここは大正時代に建てられた旧山形県庁で、ほぼ十年の歳月をかけて丁寧に修復され、無償で一般公開されているものです。山形を訪ねた旅行者は、よく山寺や蔵王を訪れますが、実はこの文翔館を忘れてはいけません。飾り天井を見上げると、精緻で華やかな漆喰細工の見事さ!この漆喰細工を完成したのは、山形県内に住む中堅の左官職人さんたちでした。そして、足掛け十年近い歳月をかけて完成したとき、職人たちは初老の域にさしかかっておりました。父親の仕事に見向きもしなかった息子がこの映画を見て、後を継ぐと言うようになった人もいたとか。

また、廊下のリノリウム材やカーペットの復元も見ものです。県民が歩くのに何を遠慮する必要があるか、という知事の一言で、山辺町で織り上げられる本物のカーペットが惜しげもなく使われ、実際に感触を味わいながらその上を歩くことになります。
この旧県庁復元工事を記録した映画「職人の謳(うた)」(約50分)が、施行した業者の一つ千歳建設によって作られ、1996年度日本産業映画ビデオコンクールで文部大臣賞を受賞しています。私もこの記録映画を文翔館の中で見る機会がありましたが、それはそれは感動的なものでした。

相当の歳月と資金を費やしたこの貴重な記録、現在は文翔館のウェブサイト(*)で、ビデオの一部が公開されており、見ることができます。
(*):重要文化財・旧山形県庁「文翔館」
この中の、「■記録ビデオ WMVファイル」がそれです。おそらく、ADSL以上なら充分に鑑賞できることとと思います。

多くの記録ビデオが制作されますが、著作権の壁に守られて、ただ死蔵されてしまうことが多いように思います。一定の年月のあと無償で公開するという山形県の試みに、見識を感じます。

写真は、ツツジが咲く東側の庭からの景観です。
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液晶ディスプレイを更新

2006年05月21日 17時23分59秒 | コンピュータ
昨年11月に、17インチ-CRTから液晶ディスプレイにチェンジして、机上のスペースが広がり喜んでいたが、購入後5年間毎日使っていたものだけに、動作が不安定になってきた。パソコンは2台をCPU切替器で切り替えて使っているので当面の不便はないけれど、ディスプレイはさすがにそういうわけにはいかない。これは更新の時期だろうと判断し、某Y電器で良さそうな液晶ディスプレイを物色、三菱のRDT1712Sを購入してきた。2005年4月の製品のようだ。
17インチの画面は、推奨解像度が1280x1024、水平及び垂直周波数は64.0kHz,60.0Hzとのこと。残念ながら、FMV-6450CL3はビデオメモリの関係で1024x768までしか利用できないけれど、Windows機の方では高解像度が利用できる。広々とした画面は、たいへん具合がいい。これは、Linux機の方も更新時期なのかもしれない。
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いささか酩酊中なので

2006年05月20日 21時55分23秒 | Weblog
今日は、山形県郷土館「文翔館」を訪れ、議場ホールを見学。夕方に合唱団「じゃがいも」の公演が予定されていたが、急遽入った野暮な飲み会のため断念。待ち時間の間、喫茶室でアップルパイとコーヒーを注文し、藤沢周平『用心棒日月抄~凶刃』を読みました。
で、子どもに車で迎えに来てもらい、現在いささか酩酊中。文翔館の写真と『凶刃』の読後感は、また別途投稿いたします。
そうそう、忘れないように付け加えておきましょう。
(1)6月に議場ホールでチェコの室内楽団による演奏会が行われるそうな。これは聞いてみたい。
(2)山形交響楽団が、モーツァルトの交響曲全曲の演奏に挑戦するそうな。以前のシベリウスの交響曲全曲演奏も良かったので、楽しみです。
(3)秋に仙台で「熱狂の日」をパクったような演奏会が開かれるそうな。45分、1000円が単位だといいます。仙台フィルハーモニーが中心か。
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元生徒が恩師と話すとき~藤沢周平の場合

2006年05月19日 22時25分18秒 | -藤沢周平
文春文庫で、『藤沢周平のすべて』を読んでいる。
藤沢周平は、山形師範学校を卒業後、郷里に近い湯田川中学で二年間教鞭を取った。御本人は、さまざまな対談や随筆の中で、教え子たちとの交流を語っている。最初こそ、意気ごみが空回りして悩んだ時期もあったようだが、やがて教師としての自信のようなものも生まれ、生徒たちと年齢の近い若い先生は、学校の中でずいぶん慕われたようだ。

だが、結核の発病により、療養所生活を送る。ようやく病癒えて社会に復帰しようとしたとき、自ら天職と感じ人生の目標とした教職に戻ることはできなかった。業界紙に就職し、取材して原稿を書くかたわら、湯田川中学の卒業生の一人である最初の妻との生活をつつましく送っていたが、28歳の若さで妻を失う。この時期の鬱屈を小説の形で発表するようになるが、東京で送った不遇な時代を、多くの教え子たちは知らず、無名時代の作品に接することもなかったに違いない。やがて、直木賞受賞作家・藤沢周平が、途中で姿を消した自分たちの小菅先生であることを知ったときの驚きはいかばかりか。郷里である鶴岡市で開かれた講演会の際に、生徒の一人が発した「先生、今までどこへ行ってたのよぉ~」という言葉は、正直な気持ちだったろう。

その後、毎年東京で開かれるようになった同級会も、教え子が四十代に近くなってからは、生徒だったときとはことなり、近況報告も恩師との会話もずっと内容豊富になっていただろう。ずっと不幸続きだった教え子が、「先生に会いたくて出てきた」とポロポロ泣くと、小菅先生も「苦労したねぇ、でもよくがんばった」と手を取り合って一緒に泣く。それをほかの子が見て、「何やってんだ先生、いつまでも」と焼きもちをやく。インタビューで、作家はそんな情景を語っている。

小菅先生として、年に一度の教え子との交流を大切にしていた作家・藤沢周平は、自分のそれまでの作品の救いようのない「暗さ」を、どう感じただろうか。かつての教え子の一人一人を、顔の見える読者として意識したとき、『用心棒シリーズ』などに表れる明るさやユーモアへの転機は自然なことと思える。

文春文庫『早春』に収録された『碑が建つ話』を読むとき、人生経験を積んだ元生徒が優れた作家である恩師と話す会話が、互いに限りなく影響しあうことが少なかったとは思えない。
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「アルビノーニのアダージョ~バロック名曲集」を聞く

2006年05月18日 20時57分37秒 | -オーケストラ
最近の通勤の音楽、ジャン=フランソワ・パイヤール指揮、パイヤール室内管弦楽団による「アルビノーニのアダージョ~バロック名曲集」を聞きました。CDは、すこし前に購入していた、全集分売のもので、FDCA-803というもの。しばらくぶりに聞く音楽は懐かしく、思わずしんみりしてしまいます。収録されているのは、次の10曲。

(1)パッヘルベル、「カノン」
(2)バッハ、コラール「主なる神、我を憐れみたまえ」BWV.721
(3)バッハ、コラール「主よ、人の望みの喜びよ」BWV.147
(4)バッハ、コラール「汝ら人間よ、神の愛を讃えよ」BWV.167
(5)バッハ、コラール「目覚めよ、と呼ぶ声が聞こえ」BWV.140
(6)アルビノーニ、「アダージョ」
(7)バッハ、コラール「神のなしたもうことはすべて良し」BWV.75
(8)ポンポルティ、アンダンテ~「4声部の協奏曲集」作品11
(9)バッハ、コラール「わがもとにとどまれ」BWV.6
(10)モルター、アンダンテ~「2つのトランペットのための協奏曲ニ長調」

1983年にデジタル録音されたこの演奏、実は若い頃に妻にプレゼントしたLP(エラート、REL-13)と全く同じ演奏・録音です。そのLPは、今は私の手元に戻っています。やっぱりLPは不便なのだそうで、CDの方がいいそうです。女性に見限られてしまうと、すたれるのは早いものですね。LPが懐かしくて捨てられずに聞いているのは、中年男性の感傷なのかもしれません。

写真は、果樹園に植えられた牡丹の花です。
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