電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

宮城谷昌光『公孫龍』巻1「青龍篇」を読む

2024年05月18日 06時00分09秒 | -宮城谷昌光
令和6年4月刊行の新潮文庫で、宮城谷昌光著『公孫龍』巻1「青龍篇」を読みました。実際は購入後2冊を通読しており、二度目の読了ではあるのですが、記事にするのは初めてですので再読とはせずに読了記事としたものです。

周の王子稜は、腹黒い陳妃の陰謀により周王の命で燕に人質として送られることとなります。途中、護衛役の召公祥の心遣いを受けながら北へ進みますが、鋸鹿沢で山賊の襲撃を受けている趙の二公子を救います。この時の戦闘で馬車が壊れ、燕王に渡すべき周王の書翰の入った匣が破損し、文字が書かれた木簡を読んでしまいます。実は我が子を太子としたい陳妃によって書翰はすり替えられており、王子稜を殺害するか生涯幽閉するようにと燕王に依頼する内容だったのです。

王子稜は愕然としますが、召公祥の機転で王子稜は行方不明とし、山賊の襲撃から救った趙の二公子の求めに応じただの商人「公孫龍」として趙の都である邯鄲を目指すことになります。超の内情も実は穏やかではなく、長男である公子章を太子として確立したい田不礼が公子何と公子勝を暗殺しようとした陰謀でした。再度の襲撃を退け、公孫龍は趙の二公子の信頼を得ますが、燕に向かった召公祥は王子稜を暗殺した疑いで燕に幽閉されてしまいます。

有能な配下を多く得た公孫龍は、召公祥を救うために燕に向かい、郭魁の仲介により燕王に面会し、召公祥を救出します。燕は稜の亡き母の生国であり、公孫龍は燕王の甥にあたることになりますが、これで燕と趙の二国を自由に往来できる特権を得たことになります。趙の公子何が趙王となり、趙王を退き外征に専念することとなった主父に招かれて再び趙に向かった公孫龍は、中山との戦いの場で楽毅の襲撃から主父を救い、中山の滅亡を目にします。



久々の宮城谷作品ですが、うーむ、やっぱり公孫龍は強すぎる。私のイメージでは、「白馬非馬説」などという屁理屈を唱えるヘンな人、という先入観があっただけに、作者が作り上げた主人公とその物語は、スーパーマンの貴種流離譚になっているみたい。その分だけ、史実になどとらわれずに空想の翼を広げた痛快冒険活劇になっているようです。続きは巻2「赤龍篇」へ。

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宮城谷昌光『公孫龍』1〜2巻を通読し、少しずつ再読中

2024年05月16日 06時00分41秒 | -宮城谷昌光
先日、お出かけの際に購入してきた文庫本で、宮城谷昌光著『公孫龍』第1巻と第2巻を、先日読み終えました。今のところの印象は、主人公が強すぎる!というのと、楽毅が登場するけれどあまりいきいきとは描かれていない、くらいでしょうか。あくまでも楽毅はサイドストーリーの性格が強く、主人公ではないということなのでしょう。

今、第1巻:青龍篇を少しずつ再読しているところです。『楽毅』のときもそうでしたが、初読の時の印象が再読でだいぶ変化することもあります(*1)。くたびれてバタンキューのときもありますが、寝床で少しずつ読み進めるのは楽しみでもあります。

(*1): 宮城谷昌光『楽毅』を再読して〜「電網郊外散歩道」2015年2月

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宮城谷昌光『呉越春秋・湖底の城(九)』を読む

2019年03月29日 06時01分57秒 | -宮城谷昌光
講談社刊の単行本で、宮城谷昌光著『呉越春秋・湖底の城(九)』を読みました。2018年9月刊ですから、ほぼ半年遅れ、前巻を読んでからはほぼ一年ぶりです。

呉に捕らえられて忍従生活を送る越王勾践が解放される日を望みながら、范蠡と諸稽郢の二人は呉王への贈り物を満載した船を届けますが、楚王が急死し安心した呉王・夫差は越王・勾践を返し、代わりに范蠡と諸稽郢を人質とします。呉での生活の中で色々なことが判明しますが、范蠡は伍子胥と呉王夫差との間に間隙が生じており、これが呉の弱点となることを見抜いています。

このような范蠡の才能を邪魔で危険と感じた呉の大宰・伯嚭は、范蠡をひそかに暗殺することを命じます。策略はなんとか回避しますが、人質生活に終止符を打つことができたのは、牙門と名を変えた阮春が後宮に手を回し、呉の正夫人が王を動かしたのでした。范蠡と諸稽郢が帰国を許されると同時に、西施もまた側室の立場を離れて帰国することになります。越の敗戦時に身を挺して正夫人を守ったとはいえ、西施の帰還はなかなか微妙な事態となりますので、越王勾践も頭が痛いことでしょう。しかし、囚われの時間は勾践にとり有意義な時間となったようで、困難を処理し、国民を十年間無税とし、自らは質素倹約につとめて国力の回復と増強を図ります。そのポイントは人口の増加、今風にいえば「子育て優遇政策」でしょう。

越王の政策と実践を知った呉の伍子胥は、その意味するところを呉王夫差に伝えようとしますが、感度の悪い側近に阻まれ、警告は王に届きません。それどころか、夫差は伍子胥を疎んじ、ついに自害せよと剣を与える始末です。



以下、あらすじは省略しますが、なるほど、このあたりが『楽毅』において伍子胥の運命を嘆き、生き方としては「范蠡がよい」と言わせた所以なのでしょう。物語は呉越の決戦と越の勝利へ、そして范蠡がすっと身を引き、商賈の道に入るという鮮やかさを描いて、後味の良い終わり方となります。

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宮城谷昌光『呉越春秋〜湖底の城(八)』を読む

2018年03月02日 06時04分16秒 | -宮城谷昌光
講談社刊の単行本で、宮城谷昌光著『呉越春秋・湖底の城』第八巻を読みました。2017年9月刊の第1刷で、現時点での最新刊です。

越王・勾践が立てた大戦略を、若い呉王の夫差を支える宰相は洞察することができませんが、伍子胥は見抜きます。呉王が越を後略すべく軍を発するとき、越は五湖に船を浮かべ、呉の首都を陥落させる計画であろう、と。越に対抗し、軍船を急造した呉は、兵車を製造していると虚報を流します。こうした情報戦は呉の有利に運び、湖上の決戦は呉が大勝、越王は逃げて会稽山にこもります。越の都を急襲した伍子胥を迎えたのは、ただ一人で喪服をまとった越王の正室でした。

越王の正夫人を焼き殺そうという企ては、呉王とその臣の劣悪さを示していますが、逆にそれを救った西施の勇気と自己犠牲も浮かび上がらせます。越王勾践は降伏し、忍従生活を強いられますが、この期間の范蠡と諸稽郢の活動は越の希望をつなぎます。行く先は、楚です。



越王は才をたのみ、それに溺れて伍子胥にしてやられます。情報戦は呉の勝ち。でも、越王勾践は苦難に学ぶでしょうし、後継者の質と世代は明らかに越が優っています。逆転は時間の問題のように思えます。それには、続刊をまたなければなりませんが、たぶん今夏以降になるでしょうか。待ち遠しいことです。
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宮城谷昌光『呉越春秋 湖底の城(七)』を読む

2017年01月11日 06時05分49秒 | -宮城谷昌光
講談社刊の単行本で、宮城谷昌光著『呉越春秋 湖底の城(七)』を読みました。2016年9月刊行と奥付にあり、当方にはまだ発行間もない印象です。第6巻で予想した(*1)とおり、第7巻は越の側から描かれるようになります。始まりは「将来の妻」の章から。

魯の国で養蚕と製糸業を営む施氏の、生まれたばかりの女児と一種の見合いをするために、楚の北部にある苑の大賈・范氏の子、蠡(れい)が出かけていたとき、范氏の家が賊に襲撃され、家族は皆殺しになります。范蠡は、従者の開と臼とともに留守だったおかげでかろうじて難をのがれますが、運命の女児とは離れて、越の叔父を頼って移り住みます。叔父の范季父は越の豪族となっており、住民に敬慕されていました。范季父は范蠡をかわいがり、斉から来ていた計然という学者のもとで学ばせます。

越の君主である允常が没した後に、范蠡は喪中の嗣君・句践(こうせん)に仕えます。呉王・闔閭(こうりょ)が軍を発し越を攻めるという情報に接し、句践は喪を払い、即位して対策を立て始めます。呉に比べて国力が小さい越でしたが、外交と諜報を担当する大臣である胥犴(しょかん)の策により、なんとか押し返します。呉越の戦いはまだ范蠡の活躍が中心ではなく、経験を積み、成長する過程が描かれるところです。その意味で、本巻はまさしく「范蠡登場!」の巻で、たぶんこれで物語の主要な役者がそろったことになるのでしょう。

(*1):宮城谷昌光『呉越春秋・湖底の城(六)』を読む~「電網郊外散歩道」2016年10月



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宮城谷昌光『呉越春秋・湖底の城(6)』を読む

2016年10月01日 06時01分59秒 | -宮城谷昌光
講談社刊の単行本で、宮城谷昌光著『呉越春秋・湖底の城(六)』を読みました。雑誌「小説現代」の2014年8月号から2015年8月号まで掲載され、同年9月に刊行されていますので、ほぼ1年後に読了したことになります。同じペースであれば第7巻が刊行されている頃でしょうか。



楚王に父と兄とを殺されたと恨み、復讐を誓った伍子胥は、呉王・闔閭(こうりょ)を助け、呉を強国としています。蔡という小国の君主・昭侯は、楚を牛耳る重臣の子常から、楚王に献上した贈り物と同じものを要求され、断ったために帰国できず、足止めをされてしまいます。こうした無礼に怒った昭候は晋に助けを求めますが、晋の重臣もまた貨を要求し、昭候を失望させます。昭候は呉に助けを求め、呉王は出師を決断します。ここに、伍子胥の積年の願いを果たす機会が到来します。

孫武の策戦によって子常を撃破し、沈尹戍をも破った呉軍は楚都に攻め入りますが、楚王は水路を逃亡、行方をくらまします。仇敵であった楚の平王の墓をあばき、遺体を鞭打つことによって父と兄の恨みをそそいだ伍子胥は、墓を元に戻します。また、随に逃げ込んだ現・楚王について、呉王は随の包囲を解き、赦すという大度を示しますが、これでは完全に呉に屈服したことになると主張する気迫ある者が楚臣の中におりました。その男・申包胥は秦に行き秦王に説いて楚への助力を約束させます。その頃、呉では越の君主・允常の侵攻がありましたが、孫武の策によって撃退されます。

伍子胥にとって、このあたりまでは順調に進んでいましたが、何事もうまくいくとは限りません。落とし穴は王の弟でした。楚に調略された愚かな弟は、自分が呉王となる愚かな夢に沈みます。悪いことは重なるもので、伍子胥の婦の小瑰が逝去し、さらに孫武も没していました。伍子胥に助けられ、敬慕していた華英は、伍子胥が幽明の境にあったときにこれを助けます。しかし、さらに呉王闔閭の太子である終纍(るい)が病没し、その子の夫差を後継と定めたときに、本当は引退すべきだったのでしょう。越の允常が没し、嗣君である句践が登場してくるのですから。



やっと越王・句践の名前が登場してきました。こんどは越の側から描かれる場面が増えてくることでしょう。『呉越春秋』の物語は、いよいよ面白くなってきました。

(*):宮城谷昌光『呉越春秋・湖底の城』を読(1), (2), (3), (4), (5)



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宮城谷昌光『呉越春秋~湖底の城(5)』を読む

2015年03月20日 06時01分07秒 | -宮城谷昌光
先日、某図書館で宮城谷昌光著『呉越春秋~湖底の城(五)』が入っているのを見つけ、借りてきて読みました。前巻はいつ読んだのかを調べて見ると、昨年(2014年)の1月(*1)となっていますので、約1年ぶりに続巻を読んだことになります。どおりで、脇役の名前がピンと来ない。はて、この人は誰だったろう? それでも、読了した後でもう一度読み返すうちに、「たしかこの人は…」とおぼろげながら思い出しました(^o^;)>



公子光が即位し呉王・闔閭(こうりょ)となりますが、伍子胥は彼を補佐して呉の国力の増大につとめます。まずは、孫武を呉に迎えること。王が孫武を試したやり方はあまり褒められたものではないけれど、怒りに我を忘れることなく、帰国しようとする孫武を招く決断をした内省の力は、やはり一流のものでしょう。一方、楚は、人望篤い季子の逝去という呉の弱みにつけこむこともせず、伍子胥の父と兄を殺した誤った政治を続けています。国力を蓄えた呉は、やがて楚を揺さぶりつづけるまでになります。伍子胥の復讐はついに果たされるのか? というところで本巻はおしまい。要するに、「呉王、伍子胥の推挙により孫武を得る」の巻と言ってよいでしょう。



相変わらず思わせぶりに「黄金の楯」が話題になりますが、この巻では早くも行方不明になってしまっています。華登の娘の華英の帰郷はいったいどういう意味があるのかも、今はまだ判然としません。ある程度具体的になった頃に続けて読めば判明するのでしょうが、図書館から借りて読む本には、こういうもどかしさがあります。文庫本では、すでに第三巻まで確保していますが、第四巻以降はまだ刊行されていないようです。

(*1):宮城谷昌光『呉越春秋~湖底の城(4)』を読む~「電網郊外散歩道」2014年1月
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宮城谷昌光『楽毅』を再読して

2015年02月22日 06時09分34秒 | -宮城谷昌光
宮城谷昌光著『楽毅』は、新潮文庫で四巻からなる長編です。いちばん最初に読んだ時(*1)は、要するに名将の軍事の物語であって、為政者としてよりも将軍としての事績が主となっており、将軍の活躍の前提条件は命じる王の理解と支持であることから、それほど高く評価しておりませんでした。

ところが、なぜか本書を手に取り再読(*2)する頻度が高く、しかも二読・三読するうちに、この長編の構造と密度が、作者の作品の中でもかなり優れたものと感じるようになりました。若い時代、中山の将としての無名時代、山岳ゲリラ戦で名をあげる時代、中山の滅亡で燕に行き斉を占領する時代、そして斉王に追われて趙で晩年を送るなど、境遇が大きく変転し、読者の緊張感の弛緩を許さないのだと思いますが、作品の終わりごろになるとしばしば歴史の駆け足的説明に終わってしまう傾向のある作者にしては、最後までドラマとしての緊張感を保ったままに終結します。

たぶん、作者が気力・体力ともに充実した時期に、人物としても最後まで共感でき、周囲の脇役にも恵まれた主人公であり、物語の時代性だったのではないかと思います。

(*1):宮城谷昌光『楽毅』(二)~(四)を読む~「電網郊外散歩道」2005年8月
(*2):宮城谷昌光『楽毅(一)』を読む~「電網郊外散歩道」2013年10月
(*3):宮城谷昌光『楽毅(二)』を読む~「電網郊外散歩道」2013年10月
(*4):宮城谷昌光『楽毅(三)』を読む~「電網郊外散歩道」2013年10月
(*5):宮城谷昌光『楽毅(四)』を読む~「電網郊外散歩道」2013年10月

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宮城谷昌光『香乱記(四)』を読む

2014年02月18日 06時02分32秒 | -宮城谷昌光
新潮文庫で、宮城谷昌光著『香乱記(四)』を再読しました。この巻は、欺かれ滅んでいく姿が描かれる悲劇的な内容だけに、なかなか重いものがあります。出張先に携帯し、車中や空き時間に読みましたので、田横らが甘受する運命を悲しみながら、ページを追うこととなりました。

「東方の旗」
叛将の田都に勝ったのは良かったが、斉王の田市は田横らに刺客を差し向けます。田栄は即墨で田市を討ち、田横は博陽を奪回します。盗賊あがりとはいえ、独立自尊の誇りと大きな勢力を持つ膨越と協力することとなります。趙から陳余の使者が訪れ、田横は陳余に趙を取らせ、膨越に魏を取らせて斉と三国同盟を結び、項羽と戦う、という戦略構想を描き、陳余を助けて信都へ攻め上ります。

「馬上の影」
陳余と張耳の対立、項羽と劉邦の抗争などの中で、兄の斉王・田栄が楡伯に殺されます。こうなると、三兄弟が王になるという許負の予言は、むしろ不吉な色合いを帯びてきます。季桐が田横から去る理由が、はじめはよくわからなかったのですが、何度も読み返してようやくわかったような気がします。政治的には、斉王が次々に死去する運命を引き寄せた(きっかけを作った)のは、欺かれたとはいえ、やはり季桐が捕えられてしまったことでしたし、周囲の風当たりも強かったのではないか。また、同姓の者は結婚できないという当時の不文律を思うとき、蘭が田横の正妻となり、自分は決してその地位に上ることはないという立場を甘受できない、ということもあったのでしょう。

「斉の復興」
奇襲で項羽を脅かした田横でしたが、ついに項羽を倒すことができず、逆に危地に踏み込んでしまいます。ちょうどそこへ、劉邦が膨城を奪ったという知らせが入ったために楚軍は攻撃を中止し、田横はようやく宰相として斉の復興に取り組むことができました。静かな斉の地から項羽と劉邦の争いを見ると、なんともはや、粗暴と欺瞞の応酬です。

「不屈の人」
最後の章は、せっかくですのであらすじは省略しましょう。悲劇の終幕は、黒いベールの貴婦人が登場することで、静かに閉じられます。私は死を美化する物語を好まないけれど、最後まで慕いつづけた季桐の姿に、田横の最期の見事さが輝いて映ります。

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宮城谷昌光『香乱記(三)』を読む

2014年02月05日 06時03分31秒 | -宮城谷昌光
新潮文庫で、宮城谷昌光著『香乱記』第三巻を再読しました。季桐を救出するため忍び込んだ臨済の城を舞台に、物語は始まります。

「斉王の席」
臨済の城は、二十万の秦軍に囲まれ、魏王とともに田横らは脱出の機会を失います。斉王・田憺の率いる斉軍が救援に向かいますが、秦の章邯の自在な用兵に敗れ、田憺は死亡し、臨済の落城は必至となります。魏王は自らの命と引き換えに吏民の助命を願い、開城しますが、田横らは追跡を逃れ、博陽に達します。秦への反撃は楚と連合して行われることになります。

「天旋地転」
楚軍は項梁が率い、秦軍は章邯が率いています。この対決は、田横の進言によって司馬龍且が東阿の塁を攻撃したことから動きだし、項梁の楚軍が勝ちをおさめますが、項梁は油断を突かれ、斉王を嗣いだ田市はどうも王の器ではないようです。そして、ここからは項羽と劉邦の名がひんぱんに登場することになります。

「輝く星」
趙高の独裁のもとで、李斯が死に、岸当が田横のもとにやってきます。しかし、孤軍で奮闘する秦将・章邯は、二世皇帝に復命するよりも項羽と和睦する道を選び、楚の傘下に入ります。末期状態の秦では、章邯の違背に驚き慌てますが、趙高は皇帝を欺くことのみを考え、現実への対応は全くなされません。

「秦の滅亡」
父・扶蘇の仇として皇帝を狙う蘭は、上林苑で狩りを行う皇帝・胡亥を狙います。そうしているうちに趙高が謀反を起こし、さらにその趙高を後嗣の秦王嬰が暗殺します。扶蘇の子・蘭が女であったことを初めて知った田横は驚きますが、自分が蘭に敬慕されていることはまだ気づいていないか、または情勢がそのような状況にない、ということでしょう。



主人公は田横ですが、実際には田横を中心にして時世が動いていくという意味での主人公ではなく、楚漢戦争前夜、帝国秦が倒れるという時代の変転に、必死で従っているといったところでしょうか。

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宮城谷昌光『香乱記(二)』を読む

2014年01月30日 06時00分34秒 | -宮城谷昌光
新潮文庫で、宮城谷昌光著『香乱記』第二巻を読みました。

「二世皇帝」
この章では、李斯が趙高の陰謀の裏をかき、蒙恬将軍と太子扶蘇に知らせようとしますが、趙高のほうが一枚上手でした。使者の岸当と展成は幽閉され、扶蘇は自裁し、蒙恬将軍は捕えられます。幸いなことに、扶蘇の娘の蘭は姿を隠し、父の仇をうつと宣言します。頼りになるのは、やはり田横です。

「小鳥と大鳥」
苛政の度を深める秦に対し、陳勝と呉広の乱が起こります。李斯の別宅にひそんでいた田横は、多数の兵に取り囲まれますが、辛くも脱出に成功します。そのころ、陳勝と呉広の乱は勢いを増し、項羽と劉邦の名も聞こえ初めています。

「三兄弟起つ」
陳勝によって将軍に任命された周文は函谷関を越え、秦都・咸陽に迫ります。二世皇帝は、群臣の中から声を挙げた軍事の天才・章邯を将軍に任命し、強制労働に従っていた刑徒七十万を兵としてこれを押し返します。いっぽう、狄県では田憺、田栄、田横の三兄弟が県令を倒し、斉を再興すべく兵を挙げます。

「千里烈風」
蘭は、父の仇をうつために姿を変え、李斯の手引きで後宮に入ります。この間に世情は変転し、章邯の軍は無敵を強さを示し、表題どおり千里が烈風にさらされるような戦乱の時期となります。

「地上の星」
プロジェクトXではありません。短気な田憺が、無礼な楚王の使者を斬ったことから、田横を中心として情報収集の組織化を図ります。自身は東阿に向かうこととしますが、17歳くらいと思われる季桐が田横を慕い、同行することになりますが、これが作者の作劇術で、美少女を救うために主人公が危険に直面するハラハラドキドキというパターンが忠実に守られます(^o^)/

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宮城谷昌光『香乱記(一)』を読む

2014年01月29日 06時03分01秒 | -宮城谷昌光
宮城谷昌光著『香乱記』は、何度か取り上げようとしましたが、そのたびに読む方に夢中になり、これまで記事にまとめることができませんでした。このたび、三度目か四度目の読了を経て、ようやく記事にしてみようかと思った次第。



秦の始皇帝が中国を統一しますが、民は秦の法に縛られ、息苦しい生活を強いられています。かつての斉の国でも同じことで、斉王の子孫である狄県の田氏三兄弟は、秦の苛政に反発していました。盗賊の襲撃から救った男は許負といい、実は高名な人相見でしたが、田憺・田栄・田横の三兄弟を、三人ともやがて王になると予言します。無実の罪を着せて田氏の力を弱めようとした県令と郡監らの策謀により、田憺・田栄は窮地に立たされますが、田横はこの策謀をどうやって切り抜けるのか、また始皇帝の病没を宦官の趙高が利用し、末子の胡亥を立てて太子を自裁させる一連の動きは、田氏三兄弟の運命とどのように関わって来るのか。第一巻は、小珈や季桐など印象的な女性たちを配しながら、物語の舞台が徐々に明らかになっていきます。



趙高の詐謀が成功したのは、明らかに李斯の不決断のせいです。決断すべき時に決断できないのは、李斯が年老いたということなのでしょう。気力は若い時のようには湧いてこない。心のエネルギーも、若さが持っている宝のように思います。

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宮城谷昌光『『呉越春秋~湖底の城(4)』を読む

2014年01月15日 06時03分24秒 | -宮城谷昌光
 講談社刊の単行本で、宮城谷昌光著『呉越春秋~湖底の城(四)』を読みました。楚王に父と兄を殺された伍子胥が、楚の太子の子である勝を救い、呉で暮らしていますが、この巻では、公子光の信頼を得て呉王へのクーデターに協力する話です。

 冒頭は、伍子胥が斉に孫武を訪ね、公子光が呉の王になったときには、呉に来てほしいと頼みます。呉に戻ると、出師の際には補佐を頼みたいという、公子光からの依頼です。楚に攻め入り、見事な勝ちをおさめた公子光ですが、このことは公子光と呉王の間隙を大きくします。それは、呉王の王位継承権の順序に関わる、王位の正当性の問題が根底にあるのですから、根が深いです。

 さらに、暗殺未遂や諜報戦の応酬がありますが、呉王は人望のある季子を使節として外遊させている間に、公子光を殺害しようとします。公子光もまた、クーデターを決意した模様。伍子胥の策は公子光の危機を救うことができるのか? というのが大きなストーリーです。



 よくわからないのが、玄門の棺や黄金の楯などのエピソードです。多分、後から何か意味が出てくるのだと思いますが、今はまだ、何かしら思わせぶりなだけで、皆目意味不明。次巻はいつ頃になるのでしょうか。本巻は『小説現代』の2012年8月号から2013年7月号が初出となっていますので、おそらく2014年夏過ぎになるのでしょう。それまでストーリーを忘れないでいる自信は……まったくありません(^o^;)>poripori

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宮城谷昌光『楚漢名臣列伝』を読む

2014年01月10日 06時05分00秒 | -宮城谷昌光
文藝春秋社の単行本で、宮城谷昌光著『楚漢名臣列伝』を読みました。項羽と劉邦を中心に語られることが多い、秦の崩壊後の時代を、彼らを支えた名臣たちを通して描くものです。

本書の構成は、次のとおり。

楚漢の時代
張良
笵増
陳余
章邯
簫何
田横
夏侯嬰
曹参
陳平
周勃

中国古代の歴史にはうといのですが、これまで宮城谷昌光作品を多く読んできているだけに、どこかで覚えのある名前が少なからず登場します。その意味では、吉村昭氏の医家ものに対する『日本医家伝』のように、ダイジェスト版のような性格の本なのかも。

ただし、項羽は乱暴で劉邦の粛清は陰惨です。どうも、この楚漢戦争の時代は、全体としてあまり好ましい色合いが見えません。作者も、長編を書くときには、たぶん気合が入る人物を選んでいるのでしょう。

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宮城谷昌光『呉越春秋~湖底の城(3)』を読む

2013年12月18日 06時02分01秒 | -宮城谷昌光
講談社刊の単行本で、宮城谷昌光著『呉越春秋~湖底の城』の第三巻を読みました。講談社刊の単行本で、雑誌「小説現代」に連載中のものです。本巻は、楚王と費無極の奸計により、父・伍奢と兄・伍尚が斬首されることとなった刑場を、伍子胥とその配下の者たちが襲撃する場面から始まります。残念ながらこの襲撃は失敗するわけですが、伍子胥たちが誰も命を落とさないで逃げることができるところがすごい。

「太子をたすけよ」という父の遺言により、伍子胥は太子の亡命先の宋に向かいますが、途中で褒氏の子の小羊を預かり援けることになります。宋を出て鄭に向かいますが、亡命をためらって父の死の原因となった太子は、晋に欺かれて落命し、伍子胥らの一行は、内乱の中、鄭兵に追われながらかろうじて脱出、太子の子の勝を助けて呉に向かいます。

呉に向かった船の着いたところは、朱旦という大商人専用の船着場で、徐兄弟の紹介により蘭京に会います。蘭京は呉王の子で、王の命令により棠邑に住み、スパイ活動を束ねていたのでした。さらに伍子胥は、かつて呉の王位相続に関わる乱れを防いだ季札に会います。季氏の好意で用意された家では、かつて楚都の尹礼家で見初め結婚を申し込んだ女性・小瑰と再会します。楚の康王の娘であった小瑰は、尹礼の計らいで王家の争いから助けられ、養女としてひそかに育てられていたようです。伍子胥が一目ぼれしたのが長女の伯春ではなく養女の小瑰であったために、尹礼家では求婚を断った、というのが真相だったのでしょう。

伍子胥と小瑰、御佐と婚約していた青桐はここで結婚しますが、落ち着いてはいられません。公子光を通じて呉王に拝謁した伍子胥は、高く評価してくれた公子光の客となることを承諾します。伍子胥の片腕というべき右祐の妻となっている桃永の兄ではないかという彭乙は、両親を殺した永翁を恨んでいますが、永翁は妹の桃永にとっては育ての親ともいうべき人です。どうやら大きな謎があるようで、青銅の小函の中に入っていた絵図が、その鍵を握っているようです。



第三巻まで来ましたが、第四巻まではすでに刊行されているようですので、ストーリーを忘れないうちに、なんとか次巻を探してみましょう。大長編になりそう、という予感は、ズバリ当たったようです。

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