電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

木曜時代劇「風の果て」第7回を観る

2007年11月30日 06時57分33秒 | -藤沢周平
NHKの木曜時代劇「風の果て」第7回、たいへん面白く観ました。「果し状」という題名なのに、まだ最終回ではない。では、最終回はどうなるのだろうと懸念しましたが、実際の番組は、原作ではいたってさらりと流している、失脚後の杉山忠兵衛の動きや後任の家老の人事などを丁寧に描きます。

原作では、失脚後の杉山忠兵衛について、

友吉の話によれば、閉門の沙汰を受けたわけでもないのに、杉山家の畑は荒れているという。忠兵衛はひょっとしたら、政争はまだ終わったわけではないと思いながら、最大の政敵である又左衛門に市之丞をさしむけ、息を殺してその結果を見守っているのではないか、と又左衛門は思ったのである。

としているだけです。

それにしては、杉山忠兵衛の屋敷に訪ねて行くし、加代さんと話もするし、後任の家老を一人一人説明するし、やけに具体的にふくらませています。権力と権勢欲という抽象的なものを映像で描くには、いささか時間がかかる、ということでしょうか。

素人考えですが、たとえばもらった賄賂を貧乏に困っている家士にそっと与え、自派を増やすしくみを作る場面など、悪どい権力の乱用ではなくても権勢欲を満たす結果になりうる、という表現は可能なのではなかろうかと思います。その意味で、

----多分、それは……。
と又左衛門は、かつて考えたことがある。富をむさぼらず権力をひけらかしもしないが、それは又左衛門がやらないというだけで、出来ないのではなかった。行使を留保しているだけで、手の中にいつでも使えるその力を握っているという意識が、この不思議な満足感をもたらすのだ、と。
(文春文庫版『風の果て』下巻、p.227「天空の声」より)

という作者の意識は、業界新聞の編集長という、小さいながらも権力を一度手にしたことのある人のものでしょう。よく似たプロットで先に描かれた山本周五郎作品『ながい坂』(*3)での、権力の重荷にあえぐ主人公の意識とはだいぶ違いがあり、このあたりは藤沢周平と山本周五郎との大きな違いになっているように思います。

テレビドラマとして印象的な場面をいくつか。

(1) 市蔵にあのようなことがなければ、としゃあしゃあとぼやく類さんは、さらにご「家老様」に暮らしの金をねだります。やっぱり宇宙人です(^o^)/
(2) 働き者の普請組の兵六は、「人生がいやになったことはないか」という市之丞に、すぐに「ない」と答え、ついでに「野瀬は頭もいい、腕も立つ。この世に不足があるのは、当り前だ。」と市之丞に言います。この言葉は、なかなか含蓄がありますね。

さて来週は、市之丞との実際の果し合いの場面と、若い家老の反逆に悩む場面。それに関連して、杉山忠兵衛がもう一度出てくるようです。もう最終回です!残念ですが、また楽しみでもあります。

■『風の果て』関連記事リンク
(*1):藤沢周平『風の果て』上巻を読む
(*2):藤沢周平『風の果て』下巻を読む
(*3):「ながい坂」と「風の果て」
(*4):NHK木曜時代劇「風の果て」公式WEBサイト
(*5):木曜時代劇「風の果て」第1回を観る
(*6):木曜時代劇「風の果て」第2回を観る
(*7):先週の木曜時代劇「風の果て」第3回
(*8):木曜時代劇「風の果て」第4回を観る
(*9):木曜時代劇「風の果て」第5回を観る
(*10):木曜時代劇「風の果て」第6回を観る
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再びペンギンの季節です。

2007年11月29日 06時57分13秒 | Weblog
南極マーチン基地の gentoo ペンギン、再び見られるようになったようです。ペンギン・ウェブカム、今年も健在です。北半球はこれから冬に向かいますが、南半球ではこれから夏に向かう季節。たぶん、ペンギンも繁殖期にはいっているのでしょう。今後、このウェブカメラに写る個体数も、どんどん増えて行くものと思われます。毎年見ている光景ですが、next camera をクリックするたびに、なんとなく嬉しくなります。

ペンギン・ウェブカム~南極マーチン基地の現在

最近、なんだか時間がなくて、自宅でゆっくり音楽を聴くゆとりがありませんが、通勤の音楽のプロコフィエフ「チェロソナタ」は、何度も聴いていると、たいへんすてきな音楽であることがわかります。特に第1楽章が好きですねぇ(^_^)/
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「ふじ」リンゴの収穫

2007年11月28日 05時37分13秒 | 週末農業・定年農業
11月のリンゴ、「ふじ」の収穫は、お天気さえ良ければ、楽しい作業です。中年の農業後継者といたしましては、飽きずにできるよう、楽しみながらの作業を心がけております。

写真は、携帯CDプレイヤーが入ったショルダーバッグで、これを斜めに掛けながら、腰の篭にリンゴを収穫するという、まことに篤農家に怒られそうなスタイルです。自然の音が素晴らしいというのは都会の人々の美しい誤解でして、リンゴをつつくムクドリの声など、思わずむっとしてしまいます(^o^)/

むしろ、ヴィヴァルディの協奏曲集など気楽なバロック音楽を聴きながら、また「どれがうまそうかなぁ」と赤くて美味しそうなのを探しながら収穫をするあたりが、一番よろしいようです。

下の写真は、「ふじ」ではなく10月の「紅将軍」ですが、野鳥の食害はこんな感じ。ただし、畑で食べるには、この食害リンゴがいちばんおいしいのですね。さすがに敵もさるもの、一番おいしいのを見つけるのは天才的です(^o^)/



空のコンテナを逆さにして椅子がわりとし、畑に腰をおろしてリンゴの皮をむいて食べると、みずみずしいリンゴの香りと甘さに、思わず感激!

今の時期、「ふじ」リンゴはたっぷり「みつ」(*)が入り、いちばん美味しい季節です。だいぶ前に、老父の知人に送ったところ、中が腐っていたとお叱りの電話がありました。腐っていたのではなく、「みつ」がたっぷり入っていたのですが…(^o^)/
以後、その方へは二度とお送りしないようですが、みなさま、11月の「みつ」入りリンゴ「ふじ」は、腐っているのではありませんぞ!

わりに長く保存がきく「ふじ」リンゴですが、お正月を過ぎる頃には、代謝により「みつ」もしだいに消失してしまいます。

(*):リンゴの「みつ」の成分ソルビトール~ Wikipedia の解説
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電網郊外散歩道流「ブログ文章構成法」

2007年11月27日 06時45分33秒 | ブログ運営
日が本当に短くなりました。最近、寒さがやけに身にしみます。通勤の音楽は、プロコフィエフのチェロソナタを聴いております。

さて、電網郊外散歩道流「ブログ文章構成法」について、ちょいと考えてみました。文章構成法として、特にブログ向けの方法があるのかどうかわかりませんが、私の場合はこんなふうにしています。ちょいと理系っぽいのは御容赦ください(^o^)/

(1) まず、あるテーマを決めたら、思い付くままに短文(素材文)を書いていきます。文はできるだけ短く簡潔に、場合によっては単語だけでもいいと思います。
(2) 次に、素材文の順番を入れ換えて、内容面で関連のあるものを同じ段落に入れるようにまとめます。一つの段落には一つのキー・センテンスが入るようにします。段落と段落の間には、空行を入れます。
(3) 段落の順番を入れ換えて、内容面で筋道が通るようにします。テキストエディタで、範囲指定してカット(CTRL+X)・アンド・ペースト(CTRL+V)を使うと、思い切った編集ができます。時間的な流れを追う方が良い場合もありますし、最初に疑問を投げかけて、意外性をねらう場合もあるかも。ブログの場合、あまり奇をてらうと不自然になるような気がします。
(4) 文中の接続関係や、語尾の表現などを考え、自然な文章にしていきます。特に、同じ表現を重複して使わないことや、漢字の頻度、呼吸に合わせた自然なリズムなどを注意します。句読点の打ち方で、文の明瞭さがずいぶん変わるようです。
(5) 誤解を招きやすい表現や言い過ぎを探し、表現を和らげたり削除したり、文章を刈り込みます。フェイスマークを使ったりするのも効果的です。違う話題だと感じたり、言い足りないことは、次回に回すようにします。

全体的に、まずたくさん書いて、次にばっさり削るのがいいみたいです。

ちなみに、今回の記事を書く上で素材にした文は、下のようなものでした。

【素材文】
あるテーマを決めたら、思いつくままに短文を書いていく。
文はできるだけ短くする。単語だけでもよい。
梅棹忠夫さんの「こざね法」
関連するものをホチキスで留める。
エディタで cut and paste
関連のあるひとまとまりが段落になる。
段落どうしの順番を入れ替えて、文章の構成を変える。
ニュアンスや言い過ぎに注意し、表現を整える。
ブログでは、フェイスマークなども、表現をやわらげる効果がある。
パラグラフ・ライティングに近い。
かつて井上ひさしさんが激賞した『理科系の作文技術』
一つの段落に、一つのキー・センテンス
句読点は、明瞭になるように入れる。
たくさん書いて、ばっさり削る。
違う話題だと感じたり、言い足りないことは、次回に回す。
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山形交響楽団第184回定期演奏会を聴く

2007年11月26日 06時53分37秒 | -オーケストラ
11月24日の土曜日、夜7時から、山形テルサホールにて、山形交響楽団第184回定期演奏会を聴きました。恒例の指揮者プレトークは、音楽監督の飯森範親さん。今日のプログラムについて、解説を加えました。1曲目のブラームスのセレナード第2番は、ヴァイオリンのない楽器編成。R.シューマンの死後、クララ・シューマンに献呈された曲だそうです。
2番目の曲、クララ・シューマンのピアノ協奏曲は14歳の時の作品だそうです。3番目の曲目は、R.シューマンの交響曲第3番「ライン」ですが、これは4曲あるシューマンの最後の交響曲。実は2番目の交響曲を改訂したものが交響曲第4番となったためです。R.シューマンは、きっと若きブラームスの才能を意識したにちがいない、少なくとも特別な接し方をしている、とのことでした。

指揮者プレトークが終わって、飯森さんも一度は舞台袖に引っ込んだのでしたが、マイクを持って再び登場。実は駐車場が混んでいて、入場にもう少し時間がかかりそうだとのこと、もう少し話せと言われたと客席を笑わせます。このあたりのユーモアとサービス精神が、飯森さんの魅力の一つなのかも。で、予定外に追加された話の内容は、
(1) 作曲家のことをネット等で調べると、時代背景や作曲家の周辺を知ることができて面白いですよ、という提案。
(2) 山形市報の元旦号に、タマキ(?)くんと一緒に掲載予定。もう1つ、「のだめカンタービレ」のスペシャルが放送されるのだそうです。どうも、飯森さんがこの指揮を指導しているらしいのです。へ~、知らなかった(*)。

さて1曲目、25歳のブラームスによるセレナード第2番。ステージ中央の指揮者の前には、左にチェロ、右にヴィオラ。チェロの後方にはコントラバス、ヴィオラの後方にはピッコロ、フルート、オーボエ、さらにクラリネットとファゴット、そしてホルンという楽器配置。なんと、ヴァイオリンがありません。
第1楽章がフルートに導かれて開始。木管と中低弦による質朴な響きが印象的。第2楽章、ヴィヴァーチェ。文字通り生き生きとしたスケルツォ楽章です。第3楽章、低弦から始まるパッサカリア。そういえば、後の交響曲第4番の第4楽章もパッサカリアでした。第4楽章、クワジ・メヌエット。第5楽章、アレグロ。ひなびた味わいのある明るさです。

続いてステージ中央にピアノが据えられ、その左右に、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが対向配置されます。ほぼニ管編成のオーケストラが、セレナードの時と比べて、ずいぶんおおぜいに見えます。コンサートマスターは高木和弘さん、ピアノは三浦友理枝さん、ラヴェンダー色というのでしょうか、ごくうすい藤色のドレスです。曲目はクララ・シューマンのピアノ協奏曲イ短調作品7。3つの楽章が切れ目なしに演奏されます。冒頭のオーケストラによるテーマの後にピアノが入りますが、けっこう巨匠風です。第2楽章、ロマンティックな音楽で、ピアノとチェロの2人だけが寄り添うように歌います。ピアノは当然クララで、チェロはロベルトでしょうね。なぜなら、ロベルトは若い頃チェロをひいてましたから。さしずめ、二人の愛の歌でしょうか。第3楽章、静かにティンパニが入った後、トランペットによりがらりと曲想が変わり、フィナーレに。ピアノも主役として大活躍します。

聴衆の拍手に応えて、アンコールを2曲、R.シューマンの幻想小曲集から「なぜに」、続いて「子供の情景」から、冒頭の「知らない国々」でした。クララ・シューマンの協奏曲の後に、夢見るようなローベルト・シューマンのピアノ曲。そしてそれが後半のシンフォニーの予告編になっているという、粋なアンコールでした。

休憩後、いよいよ私の大好きな(*2,*3)、ローベルト・シューマンの交響曲第3番「ライン」。飯森さんも、歩き方で気合が入っているのがわかります。第1楽章、やや粘りのある熱演です。ホルンの斉奏も見事に決まります。トロンボーンは「出番はまだかなー」とじっとお休み。今回は、実はこのトロンボーンに注目していました。
チューニングの後、第2楽章、パストラール風の穏やかなスケルツォです。ゆったりしたテンポで、楽器間の受け渡しが見事です。第3楽章、ヴィオラの響きがすてきな箇所があります。第4楽章、いよいよトロンボーンの参加です。弦のピツィカートに乗って、管楽器がユニゾンで。重々しく厳粛な雰囲気です。音色がいい!終楽章はすぐに始まりました。いきいきと、盛り上がる場面でトロンボーンも参加。祝祭的な気分に、やっぱりよく似合います。

かなりの数のブラボーと盛大な拍手。健闘した5名のホルンと3名のトロンボーンに、惜しみない拍手がおくられました。そして、弦楽器の音色!第2ヴァイオリンのトップに、なんだか見慣れない若い人が座っているなぁと思ったら、なんと館野泉さんの息子さんなのだそうです。驚きました。山響は今日も成長しているんだなぁと、あらためて実感した演奏会でした。

(*):芸能スポーツにうとい「電網郊外散歩道」唯一の「のだめ」ネタ
(*2):シューマンの交響曲第3番「ライン」を聴く
(*3):セルとクリーヴランド管でシューマンの交響曲第3番「ライン」を聴く
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ようやく光になったものの

2007年11月25日 17時32分10秒 | コンピュータ
今まで不安定なADSLに泣かされた当地にも、最近ようやく「光がさしてきた」ようで、いつのまにかフレッツ光のサービス区域になっておりました。電話で案内を受け、この説明担当の方がめっぽう情報ネットワーク技術に強い女性で、当方の質問に的確に答えてくれます。で、めでたく契約となり、先日工事の業者が来て、光が開通いたしました。以前のADSLよりは速いし安定しているので喜んでいたら、好事魔多し!ですね。

開通の翌々日の午前10時頃、電話が通じない、と家族がトラブル発見。見ると、光回線が通じていません。もちろん、インターネット接続もだめです。今までは、ADSLが不調でも電話回線はつながっていましたので、不具合を連絡できましたが、今回は不具合を連絡しようにも、電話そのものが通じません。携帯電話で故障受付に連絡し、症状(AUTH消灯、PON/TEST消灯)を伝えたところ、明日調べるとのこと。まる一日、電話もネットもない静かな生活をいたしました。もし重要な連絡が届かないことがあったら大変ですので、念のため子どもと親戚には携帯のメールで連絡。

結局、本日の昼になって業者が到着、調べた結果、隣々家でも光にしたさいに、工事の業者が誤ってわが家の回線を切断してしまったのだそうで。やれやれです。ようやく回復して、夕方にネット再開。この投稿が本日初の接続となります。

ところで先日の業者さん、下請けらしく昼食もとらずに働いておりました。あまりに気の毒なので、熱いコーヒーと薄皮まんじゅうとリンゴをあげたら、喜んでおりましたが、たぶん相当にノルマがきついのかもしれません。少し同情しております。
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H.G.ウェルズ『宇宙戦争』を読む

2007年11月24日 09時35分00秒 | -外国文学
SFの古典、H.G.ウェルズの『宇宙戦争』を読みました。角川文庫で、小田麻紀さんの訳です。おもしろい名前ですね、訳者「おだまき」さん。

むかし、子ども向けの物語全集にこのお話も入っており、火星人が触手を伸ばして地下室の中を探る場面などは、まるで自分もそこに隠れているかのように、息をひそめてドキドキしながら読んだものでした。中年になって読み返す物語は、なんとも陰鬱な、黙示録のような廃墟のイメージでした。



火星の表面で、奇妙な爆発が観測され、地球に流れ星が到達します。しかしそれは隕石ではなくて、金属製の円筒形をしたミサイルのようなものでした。中から不気味な生物が現れ、熱線を放射し、圧倒的な力で周囲を制圧し始めます。大砲など軍隊の力も役立ちません。火星人が組み立てた工作機械のような乗物は、無慈悲に町を廃墟にして行きますが、その意図はまだ明らかになりません。主人公は、借りた馬車で妻とともにいちはやく町を脱出し、少し離れた別の町に避難しますが、借りた馬車を返すために単身で町に戻ります。そうしてそこから、偶然にも火星人の間近に隠れ潜み、その挙動を観察する破目におちいるのです。



進化の果ては脳と手だけになる、という奇妙なイメージは、まさに機械的な推理で、遺伝子と生態的進化の知見を得ている現代の私たちのイメージとはだいぶ異なるようです。火星人あらわるという報は電報で伝えられ、確認のために打電された問い合わせに答えるはずの人はすでに死亡していたため、ロンドン市民は全くのんびりと休日を楽しんでいるという想定も、携帯電話や写メールといった手段を持つ現代人にはぴんと来ません。

しかし、ふと気づきましたが、『宇宙戦争』という邦題はあまり正確ではないようです。原題は "The War of the World" 直訳すれば『世界戦争』です。このほうが実際の物語ー圧倒的な機械力に蹂躙される一般市民の混乱と絶望を描いた物語に近いと思いますが、さすがにそれは生々し過ぎると思ったのでしょうか。市街地を襲う破壊のイメージは、まさに戦争そのものでしょう。おそるべき物語です。
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木曜時代劇「風の果て」第6回を観る

2007年11月23日 07時09分41秒 | -藤沢周平
NHKの木曜時代劇「風の果て」も、いよいよ第6回となりました。愛読している藤沢周平原作『風の果て』との、若干の相違点を承知しながらも、コマーシャルの入らない連続テレビドラマの良さを感じております。

桑山隼人改め桑山又左衛門は、太蔵ヶ原の開墾に成功し、視察に見えた殿の信頼を得て、出世の階段をのぼり始めます。まず郡代にすすみます。開墾の成功を祝い、藩政の旧弊だった藩士からの借り上げの扶持米を五石だけ本来の石高に戻すようになり、又左衛門の評価は高まります。又左衛門は次に中老に進み、執政会議の一角を担うようになりますが、このとき次の郡代の推挙をしなければなりません。又左衛門は、自分より前に郡代に登ると評価の高かった花岡郷助を推挙しますが、このときの感触を、原作ではこんなふうに表現しています。

「花岡郷助が適任でござりましょう。」
と又左衛門は言った。郷方勤めではなく藩主の側近にいたら、あるいは用人、側用人まで登りつめたかも知れないと言われる不運な花岡郷助は、まだ郡奉行の職にとどまっていた。
「代官から郡奉行と歴任する間に、花岡は領内の農事なら掌を指すごとく諳んじるに至っております。また、花岡の農政の処理が剃刀の切れ味を示すことはどなたさまもご承知のとおり。かの男にまかせれば、藩の農事は小ゆるぎもせぬことは請け合います」
そう言ったとき、又左衛門はたった今踏み込んだ場所から、はやくも自分に附与された権力を行使したような気分を味わったのだった。その気分は心をくすぐった。

この気分は、藤沢周平が実際に味わったことのあるものでしょうか。私は、作家となる前に、小さいながらも、日本食品加工新聞という業界紙の編集長をしていた時分の経験が反映されていると考えます。殿が経営者にあたるとすれば、編集長に与えられる権限の大きさは、いわば執政のそれでありましょう。

さて、首席家老となっている杉山忠兵衛は、又左衛門の出世が面白くありません。又左衛門の執政入りに陰で反対しますが、殿の意志で役目が決まると、恩に着せて又左衛門の自派への取り込みを図ります。しかし、すでに忠兵衛を見る殿の目は冷やかになっており、藩の用人を通じてそれを知った又左衛門は、忠兵衛につかず離れずの姿勢を貫きます。そして飢饉時の年貢を遡って取り立てると言う忠兵衛の案に真向から反対し、案の評議を執政以下の役職を含む、大評定の席に持ち込みます。

忠兵衛は、最大の政敵となった又左衛門を葬るべく、羽太屋と又左衛門の結託を暴こうと帳面を押収しますが、又左衛門は前の大目付から、小黒家老を追い落とした先の政変が、杉山忠兵衛の罠にはまったものであることを聞き出します。また、藩の御金蔵にあった30個の鉛銀が、借金のかたに消えて今やわずかに二個しか残らない事実もつかみます。

殿の御前において、ふきに出してやった料亭のことや、ふきとの関係まで中傷されるにおよび、又左衛門は先の政変時の証拠の再吟味を提案し、鉛銀の無断流用を批判し、杉山家老の責任を問います。旧友相争う緊迫した場面です。

友人の引きで出世することをこばみ、自分には普請組が合っていると、貧乏の中で地道に働く兵六の姿は、「蝉しぐれ」の牧文四郎の不遇時代の姿でもありましょう。原作にはなくいかにもとってつけたような、夫の出世よりも平和な家庭生活を願う妻たちの茶飲み交流場面よりも、隼太、鹿之助、市之丞、一蔵らの変貌・対照の基準点となっているようです。

さて、来週の第7回は野瀬市之丞との果し合いの場面です。はて、すると第8回は何が主題となるのだろう?出世したあとの家庭生活や藩政の虚しさが描かれたりするのなら、それはちょいと違うような気がする。原作と大きく変えた妻の役割など、脚本家の意図が最終回では明確になることでしょう。楽しみです。

■『風の果て』関連記事リンク
(*1):藤沢周平『風の果て』上巻を読む
(*2):藤沢周平『風の果て』下巻を読む
(*3):「ながい坂」と「風の果て」
(*4):NHK木曜時代劇「風の果て」公式WEBサイト
(*5):木曜時代劇「風の果て」第1回を観る
(*6):木曜時代劇「風の果て」第2回を観る
(*7):先週の木曜時代劇「風の果て」第3回
(*8):木曜時代劇「風の果て」第4回を観る
(*9):木曜時代劇「風の果て」第5回を観る
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山形国際ドキュメンタリー映画祭が23日午前9時半NHK-TVに

2007年11月22日 22時50分57秒 | Weblog
某ルートからの情報によれば、11月23日(金)勤労感謝の日の午前9時半から、NHK総合テレビで、山形国際ドキュメンタリー映画祭の番組(*)が放映されるそうです。30分の番組ですが、10月に行われた、山形国際ドキュメンタリー映画祭のことを取り上げたもののようです。番組表によれば、

▽10月に開かれた山形国際ドキュメンタリー映画祭。世界の現実をカメラで切り取った作品や監督たちのメッセージ、それを間近に感じ取る市民の姿を伝える。

だそうです。人口20万の小さな地方都市に、なぜたくさんの映画館が存続し得たのか、そして、隔年とはいえ、国際的なドキュメンタリー映画の祭典を開催するようになったのか、そのへんの事情をどんな風に紹介するのか、楽しみです。

(*):世界を見つめる8日間~山形国際ドキュメンタリー映画祭~
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シューマン「チェロ協奏曲」を聴く

2007年11月22日 06時37分05秒 | -協奏曲
このところ、通勤の音楽としてずっと聴いていたシューマンのチェロ協奏曲、地味ですが、なかなかすてきな音楽です。

R.シューマンは、交響曲第3番「ライン」の作曲と同時期、1850年に、作品129のイ短調のチェロ協奏曲を完成しています。初演の時期は不明で、どうやら作曲者の生前には演奏されなかったらしい、とのこと。全体にチェロの高音が多く用いられ、技巧的にも難しいのだそうです。オーケストラが爆発的に盛り上がる協奏曲の派手さに欠けるばかりでなく、独奏チェロが休みなく奏され、三つの楽章が切れ目なく演奏されるなど、当時の協奏曲のイメージからはやや異色の作品かもしれません。

第1楽章、Nicht zu schnell あまり速くなく、と訳せばよいのでしょうか、冒頭のチェロの第1主題は、たくさんの思いがいっぱいにつまっているような旋律です。低い音から高い音まで、楽器の音域をいっぱいに使った独奏チェロが活躍します。
第2楽章、Langsam ゆるやかに。ひたすら陶酔的にうたう独奏チェロに、オーケストラはもっぱら寄り添うように演奏されます。
第3楽章、Sehr lebhaft きわめて溌剌と。独奏チェロが、目ざめたように溌剌とした動きを見せると、オーケストラも充実した響きで活発に応えます。この楽章は、聴くほうもかなり元気が出てきます(^o^)/

全体に、昔を懐かしむような雰囲気を持った音楽です。ドレスデンからデュッセルドルフに移り、心機一転で創作に熱中した時期。移住にあたり、地図で見るデュッセルドルフには精神病院があることを懸念したというローベルト・シューマン。母親宛に、ピアノ演奏は全然だめになったこと、昔演奏していたチェロならば、自由な左手を用いて、右手の指の不自由さをカバーできることなどを、手紙にしたためています。チェロの音に、若い日のことを思い出し、懐かしむような雰囲気を感じるのは、そのせいかもしれません。
楽器編成は、独奏チェロ、フルート・オーボエ・クラリネット・ファゴット・ホルン・トランペット各2、ティンパニ、弦五部からなっています。

1968年、ロンドンのアビーロード・スタジオでのアナログ録音、もともとはEMIの録音でしょうか、FECC-30441という型番が付された、The CD Club という通販の頒布ディスクで、ドヴォルザークのチェロ協奏曲が併録されています。解説は三浦淳史さんで、

デュ・プレはこの録音が殊のほか気に入っていて、見舞客がくると、必ずそのレコードを掛けさせたそうである。

というエピソードを紹介しています。過ぎた昔を懐かしむような気配は、そんなところからも感じられるのかもしれません。



参考までに、演奏データを示します。
■ジャクリーヌ・デュプレ(Vc)、バレンボイム指揮ニューフィルハーモニア管
I=12'19" II=4'38" III=8'23" total=25'20"
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「没後10年 藤沢周平の魅力を語る」聴講券が届く

2007年11月21日 06時45分55秒 | -藤沢周平
来る12月9日の日曜日、午後1時半から、山形市七日町の通称「アズ七日町」こと山形市中央公民館6Fホールにて、『蝉しぐれ』が連載されていた山形新聞が主催する、「没後10年 藤沢周平の魅力を語る」というシンポジウムが開かれる予定です。
パネリストは、作家の高橋義夫さん、早稲田大学名誉教授の中村明さん、宮城学院女子大学名誉教授の蒲生芳郎さんの三名。それにコーディネータとして、山形新聞取締役編集局長の寒河江浩二さんという顔ぶれです。
先日、参加希望を葉書きで申し込んでいたところ、聴講券が届きました。妻と二人で出かける予定、楽しみです。

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真っ黒な顔料インク「極黒」

2007年11月20日 06時05分22秒 | 手帳文具書斎
少し前まで、年賀状の季節には「プリントゴッコ」の出番でした。ぴかっと光って製版できるためには、下絵がカーボンで書かれていることが必要でした。光のエネルギーでカーボン粒子が熱振動し、その熱で原紙に穴があいて、そこから下の用紙にインクがのる、孔版印刷のしくみです。

で、ふつうのブルーブラックのインクではだめで、カーボン入りの製図用黒インクを重宝しておりました。ところがこのインクは、目づまりしやすいという欠点があり、安価なデスクペンならともかく、高価な万年筆で用いるにはちょいと不便なものでした。昔とは違い、毎日かなりの量を万年筆で書く習慣はなくなりました。ペン先が乾燥してしまい、目づまりしやすい条件がそろっています。

ところが、先日の某新聞に、目づまりしにくいカーボン入りインク「極黒」(きわぐろ)という製品があることが掲載(*1)されました。セーラー万年筆の製品だそうですが、すでに2004年に発売されているというのに、なんと同社の公式WEBサイト(*2)にはどこにも情報がないのです!このことにもびっくりですが、お値段も50mlで税込で1,575円ほどする高級インクらしい。なんとなく興味がわきます。いきつけの文具店で、入手できるかな?

(*1):朝日新聞be~技あり「色あせない万年筆インク」
(*2):セーラー万年筆の公式サイト

そういえば、そろそろ年賀状の心配をしなければいけません(^o^;)>poripori
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常夜鍋はいかが?

2007年11月19日 06時22分45秒 | 料理住居衣服
昨晩は初雪。寒くなると、あったかい鍋料理が恋しくなります。今頃ですと、ホウレンソウが出回る時期ですので、常夜鍋がおいしい。よろしければ、いかが?

鍋にお湯を沸かし、お酒とショウガで薄く下味をつけた中に、ホウレンソウと豚肉を入れます。要するにそれだけなのですが、大根おろしにポン酢とお醤油でたれを作り、熱々のうちに食べると、実においしいです。お好みで唐辛子等を加えてもよいでしょう。Wikipediaによれば(*)、常夜鍋は様々なヴァリエーションがあるようで、昆布だしや白菜を用いる場合もあるのだとか。

(*):常夜鍋~Wikipedia より

食べた後、残った大根おろしのたれに、ホウレンソウと豚肉のスープを適量入れて飲むと、体がぽかぽかあったまります。これからの寒い夜にはありがたい、簡単鍋料理です。なぜ常夜鍋というのかと老母に聞いたら、毎晩食べても飽きないから、だとのこと。単身赴任時にも重宝したメニューでした。

なお、鍋の右手前にある黄色のものは、食用菊のおひたしです。下の写真のように、わが家ではこのくらいの量を一気にゆでておひたしにしたり、きゅうりの一夜漬に加えたり、様々な用途に用います。見事な花弁が美味しそうです。


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今井信子『憧れ~ヴィオラとともに』を読む

2007年11月18日 06時36分57秒 | 読書
春秋社から出ている、今井信子著『憧れ~ヴィオラとともに』を読みました。今井信子さんの名前は、昔、コンサートホールというLPレコード通販のカタログで、初めて知りました。日本人の女性で、地味なヴィオラと言う楽器の世界的な名手、という趣旨の紹介が書かれており、たしかブラームスのヴィオラ・ソナタやシューマンの「おとぎの絵本」などを録音していたと思います。

書店でふと手にしたこの本、今井信子さんの自伝的な内容と、ヴィオラに対する情熱を語ったものです。

序章 シオンの奇跡
第1章 すべては桐朋から始まった
第2章 ヴィオラ発見
第3章 室内楽の真髄
第4章 デビュー
第5章 カルテットの日々
第6章 ソリストへの挑戦
第7章 ヒンデミット・フェスティバル
第8章 ヴィオラという楽器
第9章 受け継がれるもの
終章 ノー・リスク、ノー・グローリー

たいへん興味深い内容です。特に、今井信子という音楽家の激しい生き方に驚かされましたし、世界的な演奏家が持つ、子育てや家庭的な悩みも理解できました。たしかに、親は世界をまたにかけて飛び回る日々、子どもは一緒について世界中のホテルを回るのか、それともたまにしか戻れない自宅に置き去りにされるのか、いずれにしろ親として悩むことでしょう。

また、ヴィオラという楽器や室内楽に関心を持つ人であれば、バロックや近現代の作品が中心となり、ロマン派のレパートリーに乏しいという面と、弦楽四重奏などの室内楽においては、内声部の要となるパートだけに、重要な役割を演じなければならないことがよくわかります。カルテットにおける人間関係の距離感の大切さなども、なるほどと思います。

楽器が大きいだけに、支える姿勢の点から子どもには負担が大きく、成人してから自発的に選ぶべき楽器であること、子ども時代はヴァイオリンで基礎を学び、ヴィオラの魅力に目覚める自発性の大切さなど、第一人者としての発言だけに、興味深いものがあります。

その他にも、はっとするような言葉がたくさんあります。「受け継がれるもの」の章(p.217)に、音楽家の人格について、こんな記述がありました。

人格を養うということは、人それぞれ、日々の些細な身のまわりのことから始まるのだと私は思う。仕事の密度を高めること、家族のために心を砕くこと、日々生きることのすべてを高め、積み重ねていくことで、一個の人格ができあがる。日々ぶつかる出来事を自分の中で消化し、記憶して、その体験を将来につなげていくことが大事だ。

現状に安住し、手を抜きがちな日常に、思わず襟を正しました(^_^;)>poripori

もう一つ、この本には小さなCDが付録としてついています。これには、細川俊夫編曲による、ヘンデルの「私を泣かせてください」が収録されております。ヴィオラ・ソロの表現力に、思わず感動!ヘンデルの原曲の力はもちろんですが、細川俊夫さん、素晴らしい作曲家のようです。
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A.マルチェルロのオーボエ協奏曲ニ短調を聴く

2007年11月17日 06時59分48秒 | -協奏曲
葦笛のような音のオーボエという楽器は、オーケストラの中でもくっきりと浮かびあがる音です。それだけに、オーボエの協奏曲はたくさんの作曲家が書いています。私もこれまでモーツァルトのオーボエ協奏曲を記事(*)に書いていますが、本日は A.マルチェッロのニ短調のオーボエ協奏曲を聴きました。演奏は、ハンスイェルク・シェレンベルガーという名手、イタリア合奏団がバックをつとめています。

第1楽章、アンダンテ・エ・スピカート。弦の豊かなユニゾンで入る、いかにもバロック音楽らしい始まり。音域を軽やかに駆け回るオーボエの音が魅力的です。ただし、オーボエそのものはスピカートで奏されるわけではありません。
第2楽章、アダージョ。静かな弦楽合奏と、時折はいるチェンバロをバックに、葦笛のようなオーボエが息の長い旋律を歌います。やや哀愁をおびた旋律が、たいへん美しい楽章です。観たことはありませんが、1970年の映画「ベニスの愛」に用いられたそうな。
第3楽章、プレスト。この楽章では、たいへん速いテンポながら、イタリア合奏団の素晴らしい演奏と響きを楽しむことができます。歯切れ良い弦のピツィカートとチェンバロの音に乗って、シェレンベルガーのオーボエが縦横無尽に活躍。バロック協奏曲の快感と言ってよいでしょう。

1987年の夏に、イタリアのコンタリーニ宮でデジタル録音されたもので、DENON COCO-70465という、クレスト1000シリーズの中の一枚です。他には、ヴィヴァルディやアルビノーニ、サンマルティーニなどのオーボエ協奏曲が収録されています。

もう一枚、Brilliant の廉価2枚組CD「Romantic Oboe Concertos」(99525)に収録された、Juditha Heberlin というオーボエ奏者、Sir Alexander Gibson 指揮 Scotish Chamber Orchestra による演奏も聴きました。こちらは、第1楽章のオーボエも、まるで弦のスピカートのように演奏しています。全曲を通じて、緩急の変化はあまり際立たせず、落ち着いたテンポですが、独奏者のほうはかなり装飾音を使いながら、オーボエの妙技をふんだんに盛りこみ、華麗な演奏になっているようです。

■シェレンベルガー(Ob)、イタリア合奏団
I=2'58" II=4'18" III=2'20" total=9'36"
■Heberlin(Ob), Alexander Gibson指揮, Scotish Chamber Orchestra
I=3'07" II=3'42" III=3'09" total=9'58"

(*):モーツァルトのオーボエ協奏曲を聴く

写真は、もう落葉しているブナの若木です。昨日は蔵王に雪が降りました。冬はもうすぐです。
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