電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

「捨てる生活」と「捨てない生活」〜いずれも大切な日常性では

2022年04月30日 06時00分05秒 | Weblog
単身赴任の頃、引っ越し荷物を少なくするために、モノを少なくしてシンプルな生活をしようと心がけていました。ところが、数ヶ月で生活に潤いがないことに我慢できず、結局は「音楽を聴きたい、しかもタイマーで音楽を聴きながら目覚めたり眠りについたりするような便利な機能も、という具合」(*1)に、ミニコンポを購入する羽目になりましたし、筆記具は最低限必要な本数を越えて増え続けています。

自宅に戻って生活するようになると、若い頃から集めた様々なものが集積し、身の回りに溢れています。今は、昔の仕事上の資料などを少しずつ処分し、書棚のスペースをあけるように心がけていますが、書籍の増加のほうがはやいようで、書棚はいつもいっぱいです。最近は音楽CDの増加に歯止めがかかり、増えるのはハードディスク内のパブリックドメインとなった音楽ファイルくらいかも。

断捨離という言葉が流行し、シンプルライフに憧れる人も多いようで、モノを捨てられない自分に嫌気が差して落ち込む人も少なくないのだとか。禅僧が喝破した

「もっとシンプルな部屋で暮らしたい」そんな人が永遠に"思い通りの暮らし"ができない根本原因
  シンプルすぎる部屋もゴミ屋敷も、その本質は変わらない

という記事(*2)には共感するところがありましたし、最近話題の五木寛之さんの「捨てない生活も悪くない」という対談(*3)も興味深く、父を残し、ウクライナから避難した人たちは、モノだけでなく生活そのものを捨てさせられたという指摘はまったくそのとおりだと感じました。自分の思い通りにならないどころか、できていた生活がある日を境にできなくなっている現実。

その意味では、身の回りにあふれかえるモノの断捨離に悩んだりすることも、大切な日常性なのでしょう。あるいはそれ自体が幸福の一つの姿なのかもしれません。

(*1):筆記具はお気に入りが数本あれば良いのか?〜「電網郊外散歩道」2012年6月
(*2):「もっとシンプルな部屋で暮らしたい」そんな人が永遠に"思い通りの暮らし"ができない根本原因〜President online より
(*3):「捨てない生活も悪くない」五木寛之さん〜Science & Culture ジャーナル by NHK より


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春の盛りにブラームスの交響曲第2番を聴く

2022年04月29日 06時00分23秒 | -オーケストラ
桜も桃もすっかり花が散ってしまい、今はサクランボの白い花が満開、もうすぐリンゴの花が咲く季節です。「天皇誕生日」から「みどりの日」となり令和の今は「昭和の日」となった4月29日は、例年ですとからりと晴れた好天となることが多いのですが、今年はなんだかぱっとしないお天気です。それでも春の盛りに何も不都合はなし。最近の通勤の音楽は、ブラームスの「田園」こと「交響曲第2番」でした。ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の120周年で公開された太っ腹なMP3ファイルの中から、ヤンソンス指揮の演奏を聴いていましたが、自宅でゆっくりと聴くときは、昔なつかしいCBS-SONYの廉価盤LPから、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏を聴きました。CDでも持っているし、すでにパブリック・ドメインになっておりネット上でいくらでも聴くことができるのに、何をいまさら川端柳、いや、LPレコードなのか。それは単純にワタクシのノスタルジーですね(^o^)/



この曲については、すでに記事に取り上げています(*1)が、ブラームスの交響曲第2番、セル指揮クリーヴランド管をはじめ、いろいろな演奏を聴いてみました。

▼まずは私の愛聴盤、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管(1967年)
Brahms: Symphony No. 2, Szell & ClevelandO (1967) ブラームス 交響曲第2番 セル


▼ピエール・モントゥー指揮ロンドン響(1962年)
Brahms: Symphony No. 2, Monteux & LSO (1962) ブラームス 交響曲第2番 モントゥー


▼ブルーノ・ワルター指揮コロムビア響(1960年)
Brahms: Symphony No. 2, Walter & ColumbiaSO (1960) ブラームス 交響曲第2番 ワルター


▼カラヤン指揮フィルハーモニア管(1955年)
Brahms: Symphony No. 2, Karajan & The Phil (1955) ブラームス 交響曲第2番 カラヤン


こんなふうに自由に聴き比べをすることができるなんて、パブリック・ドメインの恩恵を感じます。同時に、山響をはじめ現代の息吹を体現するナマの演奏会に接する機会が大切に感じられます。

(*1): ブラームス「交響曲第2番」を聴く〜「電網郊外散歩道」2009年1月

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老母の依頼でトイレ内にも手すりを取り付ける

2022年04月28日 06時00分31秒 | 料理住居衣服
先日、老母から依頼がありました。トイレの中にも手すりを取り付けてほしいとのことです。今年95歳の老母、歩行器を使って段差のない屋内の歩行はなんとかできるのですが、トイレで便座から立ち上がるときに、手すりがあると助かるのだそうです。足が弱ってくると、腕の力の助けを借りないと何かと不自由なのは確かでしょう。さっそくホームセンターで部材と金具を購入、木ねじでしっかりと固定できるように壁材の裏側の様子を確かめ、90cmの手すりを取り付けました。出来上がりは、まずは合格点をもらえたようで、感謝されました。

そういえば、我が家の場合、祖母が全盲だったために、居住部の改築時や母屋のリフォーム以前から、動線に沿って手すりを取り付けていましたし、亡父の晩年にも役立っていました(*1)。祖母や亡父のために設置した既存の手すりとリフォーム時に新たに取り付けてもらった手すり(*2)が、現在は老母のために役立っています。おそらくは、私たち夫婦があちこち不自由になったときに、こんどは自分たちに役立つことでしょう。そんな視点から見たときに、車イスでも入れるようにと広めに作ったトイレ内に手すりがなかったのは、たしかに盲点でした。こんどは死角のない形になれたでしょうか。



(*1): 老父母のために手すりをつける〜「電網郊外散歩道」2008年6月
(*2): リビングと玄関に再び絵を飾る〜「電網郊外散歩道」2016年7月

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噛む回数

2022年04月27日 06時00分15秒 | 健康
子供の頃から食べるのが遅かったほうなのか不明ですが、私は学生時代に自分が食べるのが遅いと感じました。同級生と学生食堂で食べていると、みんな食べ終わっているのに、私だけ遅くて取り残されるのです。たぶん虫歯治療で奥歯を1本抜かれていたために、噛む能率が悪かったせいだろうと思うのですが、大人になってもやっぱり食べるのが遅いのです。

最近、もう一つの理由は噛む回数にあるということに気づきました。何かで「食事はよく噛んで、30回以上は噛んで食べるように」というアドバイスを読んだことがありますが、はたして自分は何回くらい噛んでいるのだろうと、数えてみました。

食べるものにもよりますが、30回などというレベルではありません。スパゲッティのようなコシのあるものだと80回〜100回は噛んでいるようです。ゆっくり何度も噛んでいると、美味しいものはより美味しく、味がよくわかるように感じます。なるほど、それで食べるのが遅かったんだ。健康の面からは、よく噛んで食べるのが良いそうですが、長く健康診断オール◯を続けて来れた理由の一つに、「よく噛んで食べる」習慣があったのかもしれません。

写真は、東根市の「七兵衛そば」。ここも美味しいそば店です。

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芽が出てしまった玉ネギを使ってピリ辛のペンネを作る

2022年04月26日 06時00分50秒 | 料理住居衣服
冬を越した昨年の玉ネギが残り少なくなってきましたが、紫玉ネギがまだ数個あります。芽が出てもうだいぶ伸びてきており、待ったなしに処分する必要がありますが、捨てるのももったいない。そこで、芽が出てしまった玉ネギを使ってピリ辛のペンネを作りました。



まず、玉ネギの芽の部分を、付け根のところで親玉ネギから切り離します。玉ネギは下半分(根が出る方)を残し、フニャッとなった上半分を切り取って捨てます。玉ネギの下半分を使い、スライスした他に、芽の部分も適当に(5mm〜1cm長さ)切り、取り分けておきます。



お湯を沸かし、適量の塩を加えてペンネを茹でている間に、低温のオリーブ油にニンニクと赤唐辛子を加えて香りと辛味を移し、玉ネギ、切れ目を入れたウィンナを炒めて火から離し、トマト缶と茹で汁を加えてから再び加熱、フライパンを揺すって乳化させます。ここに刻んだ玉ネギの芽を加えて少し火を通し、チーズを加えて塩コショウで味を整え、茹で上がったペンネを入れて混ぜ合わせます。




うん、なかなか美味しい。芽が出てしまった玉ネギの有効な処分のしかたとして、なかなか良い方法ではなかろうか。妻にも好評でした(^o^)/
昨年、植え付けた玉ネギはぶじに冬を越し、順調に生育しているようです。マルチの上にパラパラと追肥をしておきましたので、雨が降るごとにまた大きくなるでしょう。この夏の収穫が楽しみです。

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桃の摘花のしかたは〜最近の私の流儀

2022年04月25日 06時00分51秒 | 週末農業・定年農業
このところ、合間を見て桃の摘花作業を進めています。摘花というのは、要するにたくさん咲いた花を摘んで間隔をあけ、成長した桃がぶつかり合うことを防ぐとともに、光合成で蓄える栄養を少ない実に集めて大玉を確保するためのものです。亡父の生前に大きな原則を聞き、手伝いをした経験はあったのですが、毎年シーズン初めは正直に言って途方に暮れるのです。やっているうちにしだいに思い出してくるのですが、最近の流儀はこんなふうにしています。


  1. まず、枝が二股になっているところは、実が成長する余地がないので、全部の花を摘んでしまいます。
  2. 次に、枝に付いた花のうち鉛直上方に向いている花は、実が枝の上に寝てしまい実の肌にくぼみができてしまいますので、ぜんぶ摘んでしまいます。

  3. 残った花を、枝の先端部は摘花し、残りをおよそ20cmくらいの間隔に間引きます。

  4. その結果、この程度にすかすかになります。

他の枝についても、同様に摘花します。


このくらいスカスカにしておくと収穫個数は減ってしまいますが、そのかわり大玉の比率が高くなります(*1)ので、収穫の作業が楽になり、出荷単価=収益性も向上します。



お天気の良い日の摘花作業は、ラジオを聞きながらのんびりとやれますので、なかなか気持ちの良いものです。訪花昆虫が訪れる様子も観察でき、その点からも興味深いものです。




時間はかかりますが、花見をしながらやっていると思えばそれはそれで風流な作業なのかも。後に残る花のあとは、しっかり働いた証です。




(*1): 桃の樹1本あたりの収穫個数を概算してみると〜「電網郊外散歩道」2021年9月

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某演奏会はあきらめて妻の誕生日を祝う

2022年04月24日 06時00分51秒 | 季節と行事
土曜日、午前中は雨降りのお天気で、午後から晴れた良いお天気になりました。耕運機で耕した畑のうちホウレンソウの予定区画に消石灰をたっぷりと振り、クワで土をかき混ぜてならし、妻の種まきの準備をしました。また、軽トラックの後輪のタイヤが一つパンクしているのを発見しましたので、予備タイヤに交換しました。空気圧が不足しているようですので、これからエア・コンプレッサーで規定値まで入れておく必要があります。

ところで、昨晩は本来であれば某演奏会に出かけているところですが、実は妻の誕生日でしたので早くから断念、家庭サービスの日といたしました。某山形弦楽四重奏団のヴァイオリニスト氏は、ブログの中で家庭サービスの記事を「危機管理」としてカテゴライズしていますが、当方も妻の誕生日を忘れて自分だけ演奏会などに出かけようものなら、しばらく口をきいてもらえない事態が発生する可能性が大です。そのようなオソロシイ失敗は全力で回避しなければいけません(^o^)/

夕刻、お寿司とお刺し身、残りご飯でいなり寿司、白菜漬とミョウガのシソ漬という順和風の献立に白ワインで乾杯しました。また、ステーキ用の牛もも肉も買ってきたのですが、お腹が一杯になりましたので、今日の食材に回す予定です。そういえば、私が列車通学をしていた高校生の頃、学校・学年は違いましたが妻も同じ列車に乗っており、見かけることがありました。おさげ髪の少女が、半世紀後には長く連れ添っている配偶者となっているのですから、人生はまことに不思議なもの、また味なものです。



サクランボの花はだいぶ咲いてきましたがまだ満開とまではいかず、つぼみもたくさん見られます。あと数日で満開となるでしょう。今のうちにできる分の桃の摘花を進めておきたいところです。今日も晴天になる予定。

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またまた購入した本のことなど

2022年04月23日 06時01分50秒 | 散歩外出ドライブ
先日のお出かけの際に新書を持参し、読みながら待ち時間をつぶしました。ついでにいつもと違う書店に立ち寄り、文庫本を購入してきました。持参したのと新たに選んだのは次の二冊。

  • 武部健一『道路の日本史〜古代駅路から高速道路へ』(中公新書)
  • 渡辺尚志『百姓たちの幕末維新』(草思社文庫)

引き続き『道路の日本史』を読んでいますが、古代、7世紀後半に全国展開されていた駅路は道幅12m、両側に溝を持つものだったとあります。現代で言えば高速道路にあたるものかと思わずびっくり! では集落間を結ぶ「生活道路」の実態はどうだったのか、また中世の道路はどうだったのか? たいへん興味深いものです。
購入した『百姓たちの幕末維新』のほうは、現在の山形盆地にある村を取り上げていますが、どうやら登場する人物の中に我が家と御縁のある人の先祖がいるみたい。日本史で幕末維新期というと、武士の意識や活躍だけが注目されますが、大多数は百姓だったわけで、彼らの営みに注目しなければ時代の姿は語れないはず。古文書を読み解いて判明した内容もたいへん興味深いものです。

最近、歴史づいています。特に私が一番苦手とする中世の日本の姿が興味深いです。

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サクランボと桃の今年の開花日

2022年04月22日 06時00分36秒 | 週末農業・定年農業
果樹園農業には、開花日を記録しておくことが大切になります。例えばサクランボの「佐藤錦」の場合、開花からおよそ60日前後あたりが収穫適期とされていますので、この時期を目安に応援の人たちにあらかじめ依頼しておく必要がありますし、出荷資材の準備や点検を済ませておく必要があります。最近は雇い人の人たちの都合もあり、少し前倒しの収穫・出荷となっています。桃の場合は規模が小さいので人の手配の心配はありませんが、こちらも事前に出荷資材等の手配が必要です。

さて、我が家の場合、今年の開花日は、

  • 桃 「あかつき」は4月18日、「川中島白桃」は4月21日

  • サクランボ 自宅裏の「佐藤錦」は4月20日(平年は4月24日頃)、少し離れた園地では2〜3日遅れることが多い。「南陽」は4月18日


あたりでしょう。温暖化の影響でしょうか、近年は全体的に開花日が早まってきているような印象を受けています。

「南陽」は晩生種なのに「佐藤錦」よりも開花が早いのが不思議で、これは同じく晩生種の「紅秀峰」も同傾向です。開花後、収穫適期までの日数が60日よりもだいぶ長くなるのが特徴です。多産系なので摘果が必須となりますが、おかげで粒が大きく肉質が締まっている実が収穫できます。

当地の桃の収穫期は、「あかつき」が8月初旬、「川中島白桃」が8月末〜9月初旬となります。桃の花を眺めながら、およそ 20cm くらいの間隔になるように摘花していきますが、気候もよいし、収穫を除いては一番愉しい農作業かもしれません。

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「車のキー洗濯事件」無事解決の真相

2022年04月21日 06時00分34秒 | 散歩外出ドライブ
先週、出掛けに車のキーがないことに気づき、洗濯して乾かしていたズボンのポケットに入っていたのを発見しました。幸いにズボンもすっかり乾いていましたので、恐る恐るスイッチを入れてみたら、なんとか無事にドアロックを解除し、エンジンをスタートすることができました。このとき、スペアキーの電池がなくなっていて本来の役目を果たせなかったため、先日マツダの販売店に行き、スペアキー電池の交換をお願いするとともに、「車のキー洗濯事件」無事解決の理由を尋ねてみました。それによると、完全防水というわけではないそうで、ズボンのポケットも乾いた状態だったことから、水分がすっかり乾いている状態で電子回路が作動したのが良かったのではないかということでした。なるほど! 

二度あることは三度あるともいいますし、同様のうっかり事件を起こしてしまったら、まず完全に乾かすことを優先し、当座はスペアキーを使用して間に合わせるようにしたいと思います。ちなみに、愛車はマツダのデミオXDです。夏タイヤに交換してから、郊外路の通勤を主とする現在の燃費表示は 23.6km/L を示しており、通年でも 21km/L を超えていますので、このガソリン高のご時世にはたいへんありがたいものです。

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メガネのくもり防止の工夫は果樹園の防除作業でも役立つ

2022年04月20日 06時00分27秒 | 週末農業・定年農業
新型コロナウィルス禍でマスク生活になったとき、老眼鏡のくもり対策をいろいろ工夫しました。その結果、最も有効だったのが市販の「メガネのくもり止めジェル」でした。寒さが和らぎ、老眼鏡が曇ることもなくなったとき、逆に「防除メガネが汗で曇る」のを防止できることに気が付きました。

果樹園の防除作業では、完全防水の防除衣を着て防除マスクをつけ、防除メガネをして帽子の上からすっぽりとフードをかぶり、長靴・ゴム手袋スタイルで果樹園の広い園地を動き回りますので、かなりの汗をかきます。訪花昆虫がまだ飛ばない早朝の涼しい時間帯をねらって実施しますが、晩春から夏場にかけての防除作業は、まさに汗との戦い。足場の悪い園地で一本一本の枝を確認して噴霧する必要がありますから、クリアな視界を確保する意味は大きいです。そこで、私の工夫は:

  • 額から汗が流れ落ちて防除メガネがくもりますので、日本手ぬぐいで額にはちまきをして汗が流れ落ちるのを防ぎます。
  • 防除メガネの内と外に、「メガネのくもり止めジェル」を塗りつけ、作業します。
  • 長時間の作業で効果が落ちてきたときは、作業を中断して休憩を入れ、ティッシュペーパーでよく湿気を拭き取った後でもう一度「くもり止めジェル」を塗り、再開します。

だいたいこんな感じでうまくやれるようです。この件、すでに何度か記事にしていますが、今年も役立っていますので、実用記事として早々と再掲載したところです。


 (▲桃の花が咲きました。)

昨日の早朝は桃、リンゴ、スモモ、プルーン等の防除を行いました。今朝は、実は現在サクランボの防除を実施しています。「しています」というのは、この記事は予約更新にセットしていて、実際にはただいま防除作業中だからです(^o^)/

防除作業が終わったら、シャワーを浴びてFM放送でも聴きながら昼寝かな。時間が自由になるのが定年農業のいいところです(^o^)/

【追記】
開花直前期の防除作業を終えて、まずは一段落です。今朝の寒さで、サクランボ果樹園にはかなり霜が降りていました。ちょうど今頃が雄しべの長さが6mm前後で一番寒さに弱い時期でもあり、影響が懸念されます。ぽかぽかお天気はありがたいが、放射冷却が怖い時期です。おそらく影響は避けられませんが、はたしてどの程度になるかが問題か。

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ジャガイモの植え付けと果樹園の花芽の様子

2022年04月19日 06時01分07秒 | 週末農業・定年農業
晴天に恵まれた日曜日は、山響第300回記念定期演奏会に出かける前に、午前中にジャガイモの植え付けを済ませました。



うーむ、少しばかり高畝にしすぎたかな?

果樹園の花芽の様子も気になります。



スモモはもう開花していますが、



桃(あかつき)はまだこれから咲き出すところ。開花前日といったところでしょうか。川中島白桃の花芽は、まだここまで進んでいません。



サクランボ(佐藤錦)はこんな状況で、あと数日で風船状になり、それから咲き始めるでしょう。
開花直前の防除の準備をしておく必要があります。何かと気ぜわしい春です。

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山響第300回定期演奏会でシベリウス、R.シュトラウスを聴く

2022年04月18日 06時01分13秒 | -オーケストラ
よく晴れた日曜日、午前中にジャガイモの植え付けをしてから、午後に山形テルサホールに向かいました。山形交響楽団の創立50周年記念イヤーのシーズンが始まるとともに、第300回記念の定期演奏会でもあります。そんなわけで演奏会パンフレットも気合が入っており、タイトルが金文字で表示されているだけでなく、これまでの定期演奏会の記録が収録されています。これはもう永久保存版ですね。



さて、本日のプログラムは、20世紀の音楽の中から、

  1. シベリウス 交響詩「フィンランディア」Op.26
  2. シベリウス カレリア組曲 Op.11
       指揮: 村川千秋、コンサートマスター:犬伏亜里、山形交響楽団
  3. R.シュトラウス 楽劇「ばらの騎士」Op.59 (抜粋)
       指揮: 阪哲朗、林正子(Sp) 小林由佳(MS) 石橋栄実(Sp)
       コンサートマスター:髙橋和貴、山形交響楽団

というものです。

ホールに入り、ステージ上を眺めると、ざっと見たところでもいつもよりだいぶ編成が大きいみたい。最初のシベリウスでは、ステージ左から第1ヴァイオリン(10)、チェロ(6)、ヴィオラ(6)、第2ヴァイオリン(8)、左後方にコントラバス(4)の弦楽5部に、木管はフルート(2)、オーボエ(2)、クラリネット(2)、ファゴット(2)という普通の二管編成と同様ですが、金管はホルン(4)、トランペット(3)、トロンボーン(2)、テューバと強力で、これにティンパニとシンバル、トライアングル、バスドラムが加わります。団員の皆さんはいつもの黒一色ではなくて、以前のモーツァルト定期のようにカラフルなドレスで華やかさが加わります。指揮の村川千秋さんは現在89歳、創立名誉指揮者の称号からもわかるように山響の生みの親です。1972年に東北地方で初めてのプロ・オーケストラを立ち上げ、およそ30年間、心血を注いで育ててきました。特に、1995年から2001年まで、毎年冬の定期演奏会でシベリウスの交響曲を取り上げ、全曲演奏を行ったのが印象に残ります。聞くところでは米国留学中にシベリウスの甥が同期だったそうで、取り組みの熱意も格別のものがあったのでしょう。客席は満席、完売だそうです。

そんなわけで、これまで合唱つきバージョン、合唱なしバージョンとも、何度か聴いている村川千秋指揮のシベリウス「フィンランディア」、帝政ロシアの圧政に苦しんだ祖国フィンランドの独立の象徴とされたこともあった曲だけに、ロシアの侵攻に苦しむウクライナの人々のことを考えてしまいますが、堂々たるスケールの大きな演奏で、勇気づけられる思いがします。

次の「カレリア組曲」は、今はロシア領となっているカレリア地方を旅した際に作曲したものだそうで、カレリアのかつての首都サンクトペテルブルグは、ソビエト連邦時代にはレニングラードと呼ばれた街のはずで、ずっと昔から続くロシアの古都というわけではない、複雑な歴史があるのだなと認識を新たにしました。楽器編成は、10-8-6-6-4 の弦楽5部に Fl(3)-Ob(3)-Cl(2)-Fg(2)-Hrn(4)-Tp(3)-Tb(3)-Tuba-Timp.-Percussions となっています。Fl(3)のうち1はピッコロ持ち替え、Ob(3)のうち1はイングリッシュホルン持ち替え、パーカッションの内訳はトライアングル、タンバリン、シンバル、バスドラムとなっています。第1曲:間奏曲、ホルンの重奏主題を繰り返す短いけれど魅力的な音楽。第2曲:バラード、弦のピツィカートをバックにイングリッシュホルンの旋律が印象的です。第3曲:行進曲調で、と指示されていますが、2つ目の主題によるところが特にお気に入りです。

ここで15分の休憩です。後半は、いよいよR.シュトラウスの「ばらの騎士」です。

ステージ上には、10-8-6-6-4 の弦楽5部が対向配置、木管が Fl(3)-Ob(3)-Cl(4)-Fg(3)、ただしFl(1)はピッコロ持ち替え、Ob(1)はイングリッシュホルン持ち替え、Cl(1)はバス・クラリネットでバセットホルン持ち替えだそうで、さらに Fg(1)はコントラファゴット持ち替えとなっており、正面奥に並びます。金管の編成は Hrn(5)-Tp(3)-Tb(3)-Tuba というもので、Hrn(5)が左後方に、Tp-Tb-Tuba が右後方に順に並び、その奥に Timp、右側方にスネアドラム、シンバル、タンバリン、グロッケンシュピール、カスタネット、鐘、バスドラムと賑やかに。反対側の右側方には Harp(2) とチェレスタという具合で、やや横に変形したような配置になっています。その理由は正面最奥部の高い位置に歌手席が設けられているからのようで、抜粋とはいえコロナ禍の中で開催される演奏会形式のオペラ公演を意識したためでしょう。

今回の配役は、元帥夫人を林正子さん、オクタヴィアンを小林由佳さん、ゾフィーを石橋栄実さんというものです。ゾフィー役の石橋さんは娘らしい淡い緑色を含む明るいドレスで清純さを、オクタヴィアン役の小林さんは白いロングコート姿で若い青年貴族を表し、元帥夫人役の林さんは黒いドレスで年上の落ち着いた女性という印象を与える姿です。

指揮の阪哲朗さんによれば、「ばらの騎士」の抜粋を構想する際に、第3幕の三重唱を中心としてそれ以前の幕から三人の歌手が登場する場面を選び、オックス男爵のワルツはオーケストラだけで演奏する、という形を考えたのだそうです。その結果、選ばれたのが次のような各シーン。

Act1: 序奏〜元帥夫人とオクタヴィアンの朝のシーンと元帥夫人のモノローグ。字幕が出るとはいえベッドなどの舞台装置も演技もない歌だけですので、元帥夫人と若いツバメの濡れ場の後という印象は弱まります。でも、愛しているとはいうもののけっこう自己チューな若者に対する元帥夫人の独白は、年配者にはけっこうぐっとくるものがあります(^o^)/
Act2: バラの騎士の到着、銀のバラの献呈、オックス男爵のワルツ、そして幕切れ。オクタヴィアンとゾフィーの場面ですが、オーケストラで演奏されたオックス男爵のワルツが実に良かった〜。軽やかでフッと力を抜くような小粋なところも出ている演奏で、阪さんの本領発揮という印象です。
Act3: オックス男爵退場シーンのワルツ、元帥夫人・ゾフィー・オクタヴィアンの三重唱、ゾフィーとオクタヴィアンの二重唱、幕切れ、という構成。やっぱりこの三重唱はいいですね〜! ポーッとなっている若い二人に対し、諦めようとする元帥夫人の胸のうちが歌われます。それぞれがそれぞれの心情を歌いながら、それが一つの音楽になるという、まさにオペラの醍醐味です。オクタヴィアンは、元帥夫人にちょいと心を残しながらも、やっぱり若いお嬢さんを選ぶのですね。彼らの人生としてはそれが正解ですが、正しい愛し方をしようと決意し身を引く元帥夫人はやっぱり寂しい。でも、若いツバメを選んだ時点でそんな結末はわかっていることでしょう、などと辛口の批評をするのは野暮というものかも。R.シュトラウスの音楽は、世紀末ウィーンの空気を感じさせながら終わります。

ふだんよりもだいぶ増強されたオーケストラはテルサホールの容量を越えるほどのパワフルさで、なおかつ繊細な弱音の部分もしみじみと聴かせ、R.シュトラウスの大編成の音楽を存分に楽しみました。内部で少し異動もあったようで、いつもの顔ぶれがいつもの席というわけではなかったのも新鮮。また、楽員がドレスアップした姿での演奏は飯森範親さんとのモーツァルト定期でおなじみですが、R.シュトラウスでというのは初めてです。新境地かもしれません(^o^)/


 (ヒッチコック監督風に、ちらりと出演)

なお、前日の土曜日の夜の演奏が、5月28日(土)、16:00〜16:55 にYBC(山形放送)テレビで放送予定だそうです。これも楽しみです。

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香月美夜『本好きの下剋上』第5部「女神の化身」8巻を読む

2022年04月17日 06時00分42秒 | -香月美夜
年甲斐もなくライトノベルにハマって、などと恥ずかしがりながらも、たいへん面白く読んでいる香月美夜著『本好きの下剋上』第5部「女神の化身」8巻を読みました。前巻では、王命により敵地アーレンスバッハのアホ娘ディートリンデと婚約させられ、アーレンスバッハに赴いたフェルディナンドが毒に倒れ、それを察知したローゼマインが救出のために暴走を始め、抜きん出た武力を誇る大領地ダンケルフェルガーを巻き込んで臨戦態勢を整えるところで終わっていましたが、本巻はまさにその続きです。

プロローグは、フェルディナンドの危急をエーレンフェストに急報する名捧げ臣下のユスクトスとエックハルトの心情と行動を描きます。自らの死を覚悟していたところ、ローゼマインの救出作戦に加わることになり、絶望が希望に変わっていきますが、そうであれば主の延命や敵地の情報提供など、役に立てる場面は多くあることでしょう。同行するダンケルフェルガーの側でも、大領地アーレンスバッハに武力で侵攻するわけですから、脳筋思考だけでは済まされない。立派な建前と現実的な根回しと王族の承認が必要ですが、何よりもローゼマインがすでに得ているグルトリスハイトの存在がものをいいます。

これまでにも、王族がグルトリスハイトを失ってしまったことを嘆く場面は多くありましたが、要するに歴代の王族自身がメスティオノーラの書の正式な承継を歪めてきただけの話です。それにしてもグルトリスハイト、死者の記憶と智慧の集積だというのですからスゴイ。ペタッとくっつけるだけで国境門が開き、検索するだけで魔法陣が示され、コピペすらできてしまうというのですから、充電も不要な超強力ツールではないですか。私も一つほしいくらいです(^o^)/

ふんわりお嬢さん的な位置づけだったハンネローレを筆頭に、脳筋突進派ハイスヒッツェが指揮するダンケルフェルガー有志部隊の協力を得て、ローゼマインがアーレンスバッハの礎を奪い、フェルディナンドを救出するあたりはWEB本編(*)ですでに承知しているところですが、本書では書き下ろしの形で「エーレンフェスト防衛戦」の内容が充実しており、単行本を購入した価値を感じて満足、満足(^o^)/



この物語では中心的な悪役となるゲオルギーネ。毒親に育てられたのだから、あんなふうになるのは仕方がないという見方もあるでしょうが、ふつう毒親に育てられたからと言って幼い弟を毒殺しようとしたりはしないはず。ゲオルギーネはやはりゲオルギーネでした。栴檀は双葉より芳し、いや、トリカブトは若芽でも毒草と言うべきか。同情する気にはなれません。

(*): 本好きの下剋上〜司書になるには手段を選んでいられません〜「小説家になろう」より、完結済

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最近、購入した本は

2022年04月16日 06時02分05秒 | Weblog
ようやく体調が回復傾向です。風邪を引いて寝ているときは、音楽を聴くか本を読むくらいしかすることがないのですが、そういえば最近になって購入した書籍は何だったかなあと思い出してみたら、たぶん次の三冊。

  • 香月美夜『本好きの下剋上』第5部「女神の化身」8巻(TOブックス)
  • 今村翔吾『塞王の楯』(集英社)
  • NHK『きょうの料理ビギナーズ』5月号

このうち、『きょうの料理ビギナーズ』は新タマネギを特集しています。さっそく新タマネギを輪切りにしてオリーブ油で焼き、カツオブシと醤油で食べてみたら、ホカホカで美味しかった。シンプルな調理法ですが、素材の味を活かした食べ方ということなのでしょう。

読みたい本、読む予定の本がたまってきていますが、香月美夜『本好きの下剋上』第5部8巻はようやく読み終えたところです。後日、記事にする予定。年齢とともにモノを買いたいという欲求が低下してきていますが、何度も読み返したい本はやはり手元におきたいものですから、自分で買っておきたい。二度と読まない本もあるけれど、何度も読み返す楽しみというのが確かにあります。

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