電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

身近なところにウィルス被害が~Linux機は大丈夫

2009年11月30日 06時02分16秒 | コンピュータ
つい先日、映画でも見ようかと思い、ブラウザ Firefox のブックマークから、フォーラム山形のサイトを表示させたら、いきなり「攻撃サイト」認定の表示が出ました。



おやおや、乗っ取られたのかな、と思い、Google でフォーラム山形を検索すると、どうやら別サイトで運用されているみたい。注意を促すメッセージが出ておりました。



それによれば、どうやら11月15日(日)11:30頃から27日(火)1:30頃にかけて、Web サーバが不正アクセスをうけ、サイトが改竄され、閲覧しただけでウィルスに感染した可能性があるとのこと。このウィルスは、どうやら Gumblar という種類の仲間のようで、Windows パソコンがターゲットになるものらしい。

感染のしくみは、WEB サイトの管理者が使っているファイル転送用の FTP パスワードを盗みだし、正規サイトに悪意の javascript 等を埋め込み、有害サイトに誘導して、普通の善意の閲覧者にも感染させてしまう、というもののようです。この期間に、一度でも旧フォーラム山形サイトを閲覧した人は、このウィルスに感染している可能性がある、ということになります。

やれやれ。
当方は、基本的に WEB 閲覧とメールは Linux 機で行っておりますので、ウィルスの心配とはほぼ無縁の生活ですが、念のため妻の Windows PC の点検と、Adobe Acrobat Reader / Flash player の更新、及び Windows XP の Update、ブックマークの旧フォーラム山形のサイトは削除しておく必要がありそうです。
こうした心配を激減させるためには、パソコンを二台使い、一台は非 Windows マシンとし、WEB 閲覧とメール等に使い、もう一台は Windows でないと困る仕事関連に区分してしまうことだと思います。
#そういえば、自宅の Windows 機は、ここ半年ほど電源が入っていないような気がする (^o^;)>poripori

ところで、本来の目的であったフォーラム山形の上映情報によれば、「クララ・シューマン~愛の協奏曲」はなんと11月27日(金)で上映終了とのこと。エ~ッ、そんな~(T-T)
近頃なんとも間が悪い事件の第三弾でした orz
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じっくり音楽を聴く時間が

2009年11月29日 06時37分30秒 | Weblog
このところ、じっくり音楽を聴く時間がなかなか取れません。出張続きで通勤の音楽は中断しがちですし、飛行機の中ではデジタル機器は制限されます。週末は短く、不在時に溜ってしまった用件を片付けるほか、老母の依頼で、写真のように青菜の収穫もしなければなりません。青菜は陽に当てて乾かし、青菜漬として漬け込みますので、11月の晴天は貴重です。愚痴を言っている暇はありません。



そんなわけで、週末農業従事者は、じっくり音楽に耳を傾ける時間を持ちたいものだと願っております。今、聴いてみたい音楽は:

(1)シューマン「ピアノ三重奏曲第2番」
(2)ベートーヴェン「ピアノ三重奏曲第1番」
(3)プロコフィエフ「弦楽四重奏曲」
(4)マルティヌー「交響曲第6番」
(5)ブラームス「ピアノ協奏曲第1番」

などでしょうか。もちろん、(3)は来年1月、文翔館での山形弦楽四重奏団第34回定期演奏会にむけた事前予習です。ほんとにほんとに、今度こそ、千難万難を排して、演奏会を満喫したいものです(^o^;)>poripori
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室内楽と演奏家の役割

2009年11月28日 06時05分00秒 | クラシック音楽
室内楽には、オペラやオーケストラ音楽の世界とはまた別な、魅力的な世界が広がっています。現在、CD等を通して様々な室内楽に触れることができるとはいえ、室内楽に親しむきっかけはあまり多くはないと思います。良いガイドブックも少ないですし、雑誌などでも、特集の頻度は少ないようです。ブログ記事でも、室内楽の記事となると決して多くはありません。

室内楽の場合、ニックネームが付いた有名曲だからといって、必ずしも親しまれるとは限らないようです。むしろ、実演に触れることでその魅力を知る、ということが多いのでは。そして、演奏家への親近感も大きな要素のように思えます。海外の有名演奏団体の来日も事件ではありますが、日常的に室内楽に親しむ環境があるということにまさるものではありません。

その意味で、地方に、オーケストラとともに常設の室内楽の団体が存在するというのは、まさに稀有な幸福と言うべきでしょう。山形の音楽ファン、室内楽ファンの場合、田舎であることはハンディキャップではありません。山形交響楽団(*1)とともに、山形弦楽四重奏団(*2)が存在し、意欲的に活動しているからです。新シーズン(*3)も、ポピュラリティの要素と音楽的なテーマ性の要素と、そして諸々の現実的な要素のバランスが図られた意欲的なプログラミングが見られることでしょう。楽しみです。

(*1):山形交響楽団ホームページ
(*2):山形弦楽四重奏団ホームページ
(*3):山形Q 2010/11年度プログラム熟考中~らびおがゆくVol.3
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モンゴメリ『アンの愛情』を読む(4)

2009年11月27日 06時20分35秒 | -外国文学
モンゴメリ作『赤毛のアン』シリーズ第三作『アンの愛情』、物語はいよいよ大詰めです。

第31章「アンからフィルへ」、第32章「ダグラス夫人のお茶」。夏休みの間じゅう、東部のバレー・ロードの学校で教えることを頼まれたアンは、ミス・ジャネット・スウィート家に下宿します。そんな状況を、アンからフィルへ宛てた手紙という形で説明したのは、作者の工夫なのでしょう。ジャネットはダグラス氏を愛しているのですが、彼は結婚を申し込もうとしないのです。

第33章「通いつづけた二十年」、第34章「ジョン・ダグラスついに語る」。そしてその理由は、母親にあったことが判明します。アレックの言葉「猫(意地悪女)は猫らしくしているのが好きだ。人間の皮をかぶった猫なんか嫌いだ」のとおりでした。ジャネットの寛大な赦しは、アンにも強い印象を与えたことでしょう。そして、誤解のもたらす悲しみと苦しみも。

第35章「レドモンドの最後の年」、第36章「ガードナー夫人とその娘たち」。夏休みが終わって、パティの家で四年生の生活が始まります。フィルはジョーを家族に認めさせ、ステラは古典の勉強に頭が痛く、アンは昔の物語クラブの原稿を読みながら笑い出します。でも、中には素材となる一篇が見付かったようです。そして、『青年の友』誌に採用となり、編集長は他の原稿も見せてくれというのです。文学への野心が芽生えているとき、ロイの母娘の訪問は必ずしも歓迎ではなかったはずなのに、なぜ承知したのか。こんなふうに、物事は既成事実の積み重ねの上に転がり進んで行くものなのでしょう。ロイの家族の中で、妹のドロシーだけは好きになれそうだという発見は幸いでした。

第37章「学士たち」、第38章「偽装した愛情」。最後の試験を前に、女子学生たちは呻きますが、ジェムシーナ伯母さんの温かく厳しい批判に背筋を伸ばして立ち向かいます。

「あんた方はレドモンドで今では通用しない古語だの幾何だの、なんだのというくだらないもののほかに、なにか学びましたかね?」
とジェムシーナ伯母さんは追求した。
「ええ、学びましたとも。学んだと思いますね、伯母さん」
とアンが抗議した。
「あたしたちはこの前の研究会でウドレイ教授のおっしゃったことが真実だということを学んだわ」とフィルが言った。
「教授はね、『ユーモアは人生の饗宴においての最も風味に富んだ調味料である。自分の失敗を笑い、そしてそこから学べ。自分の苦労を笑い草にしつつ、それから勇気をかきあつめよ。困難を笑い飛ばしながら、それに打ち勝て」っておっしゃったの。これは学ぶ価値があるでしょう、ジェムシーナ伯母さん?」
「ええ、ありますよ、フィル。笑うべきことを笑い、笑ってはならないものを笑わないことをおぼえた時、あんた方は知恵と理解力を会得したわけなのですよ」

そして卒業式の日、アンはロイに贈られたすみれの花ではなく、ギルバートに贈られたすずらんの花を身につけます。宿願達成の日、古くからの友であり同志であったギルバートとのつながりが、より深く感じられたからでしょう。様々な噂や憶測は誤解のもとでしかありません。
仲間たちが「パティの家」を去り、別々の道を歩もうとする頃、アンはロイの求婚を受けて、突然に閃光のように悟るのです。自分はロイを愛しているつもりだったが実は愛しているのではない。「あたしはあたしの生活に属している人がほしいのよ。あの人はそうではないの」。そうなんです。外見やほめ言葉の上手さではなくて、生活を共にする相手でなければ、一緒にはやっていけないのです。教会で、牧師さんが言うではありませんか----あなたはこの人を、富める時も病める時も、変わらず愛しますか----と。愛情は意志を伴うものなのですから。

第39章「結婚式さまざま」、第40章「黙示録」。ジェーンは四十年配で背が低くやせて白髪まじりの億万長者と結婚し、フィル・ゴードンは貧しい牧師と結婚して貧民窟に赴き、ダイアナは男の子を産んで夢中になっており、アラン牧師夫人は母親のただ一つの思い出を語りますが、アンはそのいずれも持ち合わせず、人生を空虚に感じるのでした。そして山彦荘に帰ってきたラヴェンダー夫妻に再会します。シャーロッタ四世は相変わらずアンの崇拝者ですが、デイヴィの知らせは思わず蒼白になるほどの衝撃でした。五年間、誰も取る者がなかったクーパー奨学金をかちえる程に勉学に打ち込んだギルバートは、やせて体力も衰えているところを腸チフスにかかり、もう望みはないと言うのです。自分がいかに盲目で愚かであったか、ギルバートがいかにかけがえのない存在であるかを瞬時に悟るのです。

第41章「真実の愛」。最後の章は、駄文は割愛しましょう。夜は明け、朝がやってきます。映画「赤毛のアン」でも、とても美しく印象的な場面でした。

(*):モンゴメリ『アンの愛情』を読む(1),(2),(3)~「電網郊外散歩道」より
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モンゴメリ『アンの愛情』を読む(3)

2009年11月26日 06時17分54秒 | -外国文学
モンゴメリ作の『赤毛のアン』シリーズ第三巻、『アンの愛情』を読んでいます。物語は中盤をすぎ、いよいよ佳境に入ってきました。

第21章「きのうのばら」、第22章「アン、グリン・ゲイブルスに帰る」。アンは、フィルと一緒に彼女の帰省先であるポーリングブロークを訪れ、滞在中に自分の生家を訪ねます。訪ねあてたその家で、アンは両親の若い日の話を聞き、古い手紙の束をもらいます。アンの赤ん坊時代、父と母が綴った愛情と信頼に満ちた書簡が12通。これは貴重な、まさに「昨日のバラのように」よみがえる、何物にも代えがたい「時の贈り物」でした。アヴォンリーに帰ったアンを迎えるマリラは、双子を育てているうちに、ずいぶん柔和になったようです。

第23章「山彦荘の人びと」、第24章「ジョナス登場」。ギルバートの求愛を拒絶したものの、空虚感は消し去ることができません。しばらくぶりに山彦荘に帰ってきたラヴェンダー夫妻とポール、シャーロッタ四世との再会に喜びますが、ギルバートの不在はこたえます。ましてやあのフィルが牧師の卵ジョナスを真剣に愛し始めているときに。アンの心は揺らぎます。

第25章「美しの王子登場」、第26章「クリスチン登場」。アンの前には絵に描いたように立派な青年ロイが、ギルバートの前にはクリスチンが登場、アンはロイの洗練に心をときめかせますが、ギルバートとクリスチンの姿に心が波立つものを感じます。

第27章「打明け話」、第28章「六月のたそがれ」。若い娘たちの、いわゆる無意識のコケットリーもなくはないのでしょうから、アンとギルバートは、それぞれにそのときは楽しかったのではないかな。ただし、ロイとギルバートとの違い=それはユーモアを解するかどうかという点です。美辞麗句が好きなアンにロイの洗練と真面目さは似合うのでしょうが、ロイにはギルバートの明るいユーモアはないのですね。フィルはジョナスとの結婚を決意、そしてダイアナももうすぐフレッドと結婚するのです。このあたりも、アンには無意識のうちにプレッシャーになっていたかもしれません。

第29章「ダイアナの結婚式」、第30章「スキナー夫人のロマンス」。ダイアナの結婚式のはずなのに、描写はギルバートとの関係が中心です。求愛を拒絶されたギルバートは、それでもアンとペアで出席したのですね。ギルバート君、立派です。古い友人の結婚式を、欠席などしてはいけません。
そして、スキナー夫人のロマンスの章の主題は、幸福について。幸福は必ずしもお金や立派な家にはないことを、素朴な形で示しているのでしょうか。実際、お金がないのは生活上困るけれど、お金がたくさんあるから幸福とは限らない、というのは正しいと思いますね。どちらかといえば、ないよりはあったほうがいいとは言えますが(^o^)/

(*):モンゴメリ『アンの愛情』を読む(1),(2),(4)~「電網郊外散歩道」より

写真は、黄花の食用菊です。
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モンゴメリ『アンの愛情』を読む(2)

2009年11月25日 06時17分39秒 | -外国文学
モンゴメリ原作『赤毛のアン』シリーズ第3巻、『アンの愛情』の続きです。引用及び表記は、村岡花子訳の新潮文庫によります。なに、訳文がどうこうという理由ではなく、文字のポイントが大きくて読みやすいからという、実に単純な理由です(^o^)/

第11章「人生の移り変わり」、第12章「アビリルのあがない」。レドモンド大学の一年目は、ソーバーン奨学金の栄誉を手にして終わり、アンはアヴォンリーに帰ります。ダイアナは喜びますが、ルビー・ギリスが肺結核で死にかかっているのでした。長い夏休みの間、アンは物語を書き、雑誌社に送ります。ハリソン氏の忠告、

わしだったら、自分の知っている人たちや場所を題材にするよ。それと、わしは自分の人物には日常語をしゃべらせるね。それから太陽だって騒ぎ立てずに平生どおりしずかに昇らせたり沈ませたりするね。もし悪漢がどうしても要るなら、わしは彼に機会をあたえてやるね、アン

は、実に示唆的です。ですが、アンは小説の方は断念したようです。

第13章「不真実な者たちの道」、第14章「去りゆく友」。双子のデイヴィーとドーラが、二人だけで日曜学校に行けるかって?そりゃあ事件勃発は火を見るより明らかでしょう。私だって、50年以上前に、だんだん赤くなるサクランボが待ちきれず、裏の畑の中でお弁当開きをした、という実績が残っていますから(^o^)/
しかし、ルビー・ギリスの言葉は真実です。

「天国は、たいへん美しいに違いないわ。聖書にそう書いてあるんですもの---でもね、アン、天国ってところはあたしが今まで馴れ親しんできたところじゃないわ。」
「あたしは死ななくちゃならないの---大切に思うものをみんなうしろに残して」

大切に思うものをみんなうしろに残して、今まで馴れ親しんできたところじゃないところへ行かなければならない。それは、宿命として受け入れることになったとしても、たとえようもなく寂しいことなのでしょう。アンがそうしたように、手をつなぎ、彼女の寂しさを受け入れてくれる人こそが、去りゆく人を慰めることができるのだろうと思います。

第15章「愛のゆくえ」、第16章「『パティの家』の住人」。ベーキングパウダー会社の宣伝のための懸賞小説募集に、なんとダイアナが、封印したはずの小説の写を送り、アンの名前で応募していました。しかも、ほんの数語、商品名を書き加えて。それが当選し、25ドルの賞金を手にします。気持ちは嬉しいのですが、本当はアンは、あの小説は封印したつもりだったのです。ダイアナは、著作権意識はまるでないですね(^o^)/
そして新学期が始まり、二年生になったアン、プリシラ、フィルとステラの四人の女子大生は、ジェムシーナ伯母さんと共に「パティの家」で共同生活を始めます。一緒に暮らすことになった三匹の猫の行状も愉快です。我が家のアホ猫のように、獲物を主人のために持ってきて見せてくれたりはしないようですが(^o^)/

第17章「デイヴィ-の手紙」、第18章「ミス・ジョゼフィンの遺言」。たしかに、知りたがりやのデイヴィーの手紙は傑作です。「どうして○○なの。ぼく、知りたいな」という子どもの質問は、ときにズバリと本質をついています。理系人間は、思わず共感してしまいます。「悪魔のお父さんは誰なの?ぼく、知りたいな。」それは、私だって知りたい(^o^)/
二年生のクリスマス休暇におけるアンの悩みは、学費の問題でした。マリラの貯金を使う気にはなれず、奨学金は小額のため、来年は再び田舎の小学校で教えて学費を稼ぐ必要がありました。救いの手は思いがけないところから差し伸べられます。昔、ダイアナと一緒にベッドに飛び込んで驚かせた、ミス・ジョゼフィン・バーリーさんが亡くなり、遺言の中で、アンのために千ドルものお金を遺してくれたのです。

第19章「幕あい」、第20章「ギルバート、口をひらく」。アンは二十歳になりました。フィルとアンとジェムシーナ伯母さんの幕間劇は、結婚について。もし彼がお金持ちだったら、結婚したいのはギルバートだ、というフィル。なるほど、財産家の娘さんは、相手を少数のお金持ちの青年からしか選ぶことができないという難問をかかえている、ということでしょうか。ある意味、それもたいへんな事ではありますね。
そのアンは、ギルバートをやや避けていました。ギルバートはついに愛を告白しますが、アンはそれを拒絶します。うーん、若いころならば、アンは恋を夢見て愛を知らない、と思ったことでしょうが、今は必ずしもそうとばかりは思わない。苦労して送っている大学生活を、とにかく、ひたすらに、全うしたいのでしょう。愛よりも恋よりも、今は無意識のうちに、学生生活をおえて自立する道を模索しているのでは、と思います。婚約や結婚という形式に縛られたくないというよりも、自分の意識が、違うものに奪われてしまわないように、必死でガードしている状態。友情と支えを求めるアンは、実に正しいのです。ギルバートのいない世界、それでも今のアンは、自立を求めてやまないのでしょう。娘を育てた父親の立場からは、まことに立派だと感じます。

(*1):モンゴメリ『アンの愛情』を読む(1)~「電網郊外散歩道」より
(*2):モンゴメリ『アンの愛情』を読む(3)~「電網郊外散歩道」より
(*3):モンゴメリ『アンの愛情』を読む(4)~「電網郊外散歩道」より
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大音量で聴く音楽の楽しみ

2009年11月24日 06時15分15秒 | クラシック音楽
ふだんは単身赴任アパート暮らしですので、隣室の迷惑を考え、あまりミニコンポの音量を上げることはできません。また、車の中で聴く通勤の音楽も、冬タイヤのロードノイズのために、あまり条件の良い季節ではありません。本当に楽しみにしていた山形交響楽団の第200回定期演奏会も葬儀やら初七日やらのために聴き逃してしまい、連休の3日間はつぶれてしまいましたし、週末のお楽しみN響アワーも、葬儀の後のお酒でバタンキュー状態でした。

こうなると、音楽の禁断症状が出てきます。近所迷惑などほとんどない「超ど田舎」の自宅環境を生かし、まずは思い切りヴォリュームを上げて、大音量でベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番と第5番を聴きました。フリードリヒ・グルダのピアノ、ホルスト・シュタイン指揮ウィーン・フィルハーモニーの演奏です。ロマン性と古典性とがバランスした、実に良い演奏(*1)です。
続いて、ドヴォルザークのピアノ三重奏曲第1番と第2番。スーク・トリオの演奏(*2,*3)、こちらも実に素晴らしい。
さらに、リヒャルト・シュトラウスの「ドン・キホーテ」。ピエール・フルニエのチェロ、エイブラハム・スカーニックのヴィオラ、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の、極めつけに素晴らしい演奏(*4)です。
大好きな音楽の五連発。うーむ、満足したぞ!

写真のうち、LPはグルダのベートーヴェンの協奏曲4番、CDは4番と5番の2つ協奏曲をカップリングしたもので、ブックオフ入手のもの。そういえば第5番の記事(*5)では、グルダの演奏にもヤン・パネンカ(Pf)とヴァーツラフ・スメターチェク指揮チェコフィルとの録音にも触れていなかったなぁ。

(*1):ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」を聴く~電網郊外散歩道
(*2):ドヴォルザーク「ピアノ三重奏曲第1番」を聴く~電網郊外散歩道
(*3):ドヴォルザーク「ピアノ三重奏曲第2番」を聴く~電網郊外散歩道<
(*4):セル指揮フルニエ(Vc)のR.シュトラウス「ドン・キホーテ」を聴く~電網郊外散歩道
(*5):ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番を聴く~電網郊外散歩道
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モンゴメリ『アンの愛情』を読む(1)

2009年11月23日 06時28分35秒 | -外国文学
モンゴメリ『赤毛のアン』シリーズ第3巻、『アンの愛情』を読みました。原題"Anne of the Island"、実は松本侑子訳の集英社文庫と、村岡花子訳の新潮文庫と、両方を読んでみたという、なんとも物好きな読者です(^o^)/

第1章「変化のきざし」、第2章「秋の花飾り」。レドモンド大学に入学することになったアンとギルバートは、仲間たちの祝福を受けますが、この二人はまだ互いの愛情の育て方を知らないようです。特に、アン。でも、二人ともリンゴを食べましたからね。エデンの園では、禁断の果実を食べた者は恋をするのですよ。

第3章「出発」、第4章「四月の淑女」。アヴォンリーを離れたアンは、汽船連絡列車に乗り、シャーロットタウン港から島を出て、ギルバートとチャーリーとともにキングスポートに到着します。プリシラ・グラントと再会し、大学にほど近い住宅街で下宿生活を始めます。大学での登録を済ませ、古い街のオールド・セント・ジョン墓地を探訪し、フィリッパ・ゴードンと仲良しになります。たしかに、大学では色々と変わった友人ができるものですが、フィルもまた、大した個性です(^o^)/

第5章「故郷からの便り」、第6章「公園で」。最初にフィルが注目しただけではなくて、ギルバートは一躍注目の的になります。アンとプリシラも、名士の娘フィルを通して、レドモンドの社交生活に入っていきます。でも、故郷からの手紙は健全で温かな素朴さを心に届けてくれるものでした。とりわけ双子の一人、いたずらっ子のデイヴィーの手紙には、笑ってしまいます。プリシラとフィルがチャーリーをからかっている間に、アンとギルバートは公園の散歩を楽しみますが、帰りに立派な住宅街であるスポフォード街で「パティの家」を見つけます。

第7章「帰省」、第8章「初めての結婚申込み」。初秋に始まるカナダの学期は、クリスマスでいったん終わります。一年生の首席は、例によってアンとギルバート、そしてフィルの間を逡巡します。フィルは頭がいいのですね。クリスマス休暇でアヴォンリーに帰ったアンは、家族とダイアナに歓迎され、故郷を満喫します。ただし、ジェーンの兄ビリーからの、人づての結婚申込みを除いては。

第9章「不愉快な求婚者とうれしい友人」、第10章「パティの家」。不愉快な求婚第2弾は、チャーリー・スローンでした。それは身近なところに同郷の女性がいれば、そんな気になるのかもしれませんが、ギルバートをさておいて、というところがいかにも鈍感です。かわりに届いたのが、クイーン学院時代の友人ステラ・メイナードからの手紙です。ステラがレドモンド大学に来る。そしてアンとプリシラと一緒に、一軒家を借りて住もう、という提案です。家事の世話をしてくれる伯母さんも一緒に、偶然にもパティの家を借りることができました。すると、フィルも一緒に住みたいと懇願します。うーん、社交界の取り巻きに囲まれた生活にも飽きて、ほどよい制約のある生活の幸福に憧れるようになったのでしょうか。

全部で41章からなる物語の、最初の10章を駆け足で振り返りました。『アンの愛情』、面白いです。

【追記】
『アンの愛情』の記事の自己リンクです。

(*1):モンゴメリ『アンの愛情』を読む(2)~「電網郊外散歩道」より
(*2):モンゴメリ『アンの愛情』を読む(3)~「電網郊外散歩道」より
(*3):モンゴメリ『アンの愛情』を読む(4)~「電網郊外散歩道」より
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祝!山響第200回定期演奏会~報道の視点

2009年11月22日 18時39分41秒 | クラシック音楽
山形交響楽団の第200回定期演奏会は、感動の中で行われたようです。当方、妻と二人分のチケットを用意し、万全の体制で臨んだつもりでしたが、急に思いがけない葬儀が入り、二人して葬儀等に出席することとなりましたので、涙をのんで某氏夫妻にチケットを提供しました。報道各紙の記事を読み、さぞや素晴らしい体験となったであろうと、想像しております。



その報道各紙の記事について、ネット上で読める限りで、まとめてみました。先日の山形新聞の連載記事(*1)は、残念ながらネット上では読めないようです。おそらく、何らかの形で特集としてまとめられるのではないかと思います。たぶん、そのほかの記事にも掲載期限があると思いますので、ずっと読めるとは保証の限りにあらずですが、当面はこれで様子を推測することができるものと思います。

(*1):山形新聞に山響の連載記事が~「電網郊外散歩道」
(*2):五線譜に乗せて「山響200回」~朝日新聞山形版
(*3):飯盛範親音楽監督に聞く~朝日新聞山形版
(*4):山響定演200回歴代4指揮者次々タクト~朝日新聞山形版
(*5):地元に誇れるオーケストラがあることの幸せ~河北新報コラム
(*6):山響「200回定演」盛り上げ 曲の世界観アートに~河北新報
(*7):東北芸術工科大:学生がオブジェ 21、22日の山響200回公演を彩る~毎日新聞山形版

こうしてみると読売新聞の沈黙が目立ちますが、さて、明日の紙面はどうでしょうか。
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冬タイヤに交換すると通勤の音楽は

2009年11月21日 08時56分57秒 | クラシック音楽
過去記事を「冬タイヤ」で検索してみると、昨年は11月下旬に連日の雪降りに見舞われていることがわかりましたので、今のうちにと、15日の日曜日に冬タイヤに交換しました。
スタッドレス・タイヤにはきかえると、これでいつ雪が降っても大丈夫と安心感はあるのですが、一つだけ困ったことがあります。いえ、雪道が滑るのが当り前で、スリップやのろのろ運転のことではありませんで、「通勤の音楽に制約が出てくること」なのです。
以前の記事(*)でもちょこっとだけ触れたことがあるのですが、「ピアニシモが連続する場面ではロードノイズに遮られ、ほとんど聞き取れない。あまりに能天気な爆演もどうかと思うが、ほどよく聞き取れるようでないと、通勤の音楽には向かない」ようなのです。ヴィヴァルディの「四季」のように、ダイナミックレンジがあまり広くない音楽の方が向いていることはわかるのですが、まさかヴィヴァルディを冬中ずっと聴いているわけにもいきません。曲の選定に、ときどき困ってしまう季節です。

(*):レスピーギ「ローマの松」を聞く~「電網郊外散歩道」
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北原亞以子『再会~慶次郎縁側日記(2)』を読む

2009年11月20日 18時36分07秒 | 読書
単身赴任のアパートへ、妻から緊急連絡あり。親戚に不幸があり、21日の夜に入棺、22日の午後に葬儀とのことです。たいへん高齢で、ずっと寝たきりのおばあちゃんでした。ご本人も介護する家族も、ずっと苦労が続きましたので、正直に言って、やすらかな眠りを感謝すべきところでしょう。

それはそうと、山響の第200回定期に2日間ともかぶっています(T-T)
幸いにチケットの行く先は決まり、せっかくの200回定期演奏会で空席にならずにすみましたが、先の山形弦楽四重奏団の定期演奏会といい、最近、なんとも間が悪い(^_^;)>poripori

しかたがないので、図書館から借りてきた、北原亞以子著『再会~慶次郎縁側日記(2)』を読みました。本書は、

恩返し/八百屋お七/花の露/最良の日/日々是転寝/やがてくる日/お見舞/晩秋/あかり/再会(一)秘密/再会(二)卯の花の雨/再会(三)恋する人達

の12編からなっています。

元定町回り同心・森口慶次郎は、酒問屋・山口屋の寮番を勤めています。風邪で寝ていたところから物語は始まります。たしかに面白いのですが、なんだか後味はあまりよろしいとはいえないようで。うーん、NHK の連続時代劇に取り上げられるくらいですから、人気のあるシリーズなのだろうとは思いますが、当方は藤沢周平『風の果て』に出てくる類さんを宇宙人だと思ってしまうような唐変木です(^o^)/
本書に登場するしたたかな女性たちは、もう宇宙人が大挙して押し寄せてきたかと思うほど。

第1巻を飛ばして第2巻から読みはじめたせいかなあ。それとも、山響の定期演奏会断念のがっかりが影響したのかなあ。本作品の魅力に開眼するのはもう少し後になりそうです。
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重複投稿を防ぐため、カテゴリー別の記事一覧を作る

2009年11月19日 06時10分14秒 | コンピュータ
ブログを長く続けていると、同じような記事ネタがまた出てくることは避けられません。とくに、「クラシック音楽」や「読書」、あるいは「コンピュータ」のように、雑多な内容を突っ込んだカテゴリーでは、同じ記事ネタを二度も三度も使ってしまうおそれは十分にあります。

このネタは以前使ったかな、というのを探すには、検索ボックスでキーワードをあたってみればよいのですが、やはりカテゴリー別に記事一覧があると、なにかと便利です。そこで、労少なくカテゴリー別の記事一覧を作成する方法を試みてみました。



(1) goo-blog の管理画面の記事一覧を表示する。
(2) カテゴリーを選び、記事を「昇順」で並べ替える。
(3) 状態、チェックボックス、タイトル、投稿日時、カテゴリー、ジャンル、公開コメント、公開TBのらんをマウスで反転させ、コピーする。
(4) 表計算ソフトを起動し、「形式を選択して貼り付け」「テキスト形式」でペースト。
(5) 再び goo-blog の記事一覧の「次頁」を表示→コピー→表計算にペースト。これを繰り返す。
(6) 列幅を調節したり、投稿日時の表示形式を変えたり、ジャンル列を非表示とするなどして、見やすく調整する。
(7) 別のタブをクリックして、新しいワークシートに他のカテゴリーの記事一覧を copy & paste して、カテゴリー別の一覧を作成。
(8) 「ファイル」「名前を付けて保存」(blog-title.xlsなど)する。



こんなふうにすれば、記事一覧の取得は比較的容易に可能となります。「昇順」としたのは、あとで下の方にデータを追加する場合を想定したためです。
なお、この作業は、Ubuntu-Linux 上の Firefox と OpenOffice.org の calc で確認しました。たぶん、Windows 上でも同様の操作は可能なはずです。
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山形新聞に山響の連載記事が

2009年11月18日 06時05分14秒 | クラシック音楽
この11月21・22日の山形交響楽団第200回定期演奏会を前に、地元紙・山形新聞で、11月15日から「迎える定演第200回~山響4人の思い」と題する記事を掲載しております。最初の回は、創立名誉指揮者の村川千秋さん。「成功は運命的、奇跡的」「注いだ情熱、支えた聴衆」という見出しのもと、「ふるさとにオーケストラを」という情熱で始まった、東北初のプロ・オーケストラの誕生からの軌跡が紹介されます。

昭和47(1972)年の設立以来、各地の学校を回るスクールコンサートを積み重ねた草創期、当方はまだ学生で、故郷にプロ・オーケストラが誕生したことに喜んだものでした。そして創立から7年後に隣の宮城県にもプロ・オーケストラができ、楽団員の3分の1が抜けるという危機もあったとか。この頃、当方は関東に就職しており、仕事と生活とに弧軍奮闘しておりました。

記事は語ります。

定演だけでなく、スクールコンサートを続けてきたことが大きかったという。「地味だけれど子供の情操をはぐくみ、地域文化推進の基にもなる。地方のオーケストラは、そんな使命を持っている」。実際、子供時代に山響を聞いた人たちが、今や親になった。「そろそろ実りの時期に入っている。聞く人と演奏家が一緒になって、山形の音楽を育ててほしい」

いいなあ、この言葉!

報道部の鈴木雅史記者の署名記事です。地元オーケストラや弦楽四重奏団等の定期演奏会について、毎回きちんとした演奏会評等を掲載する地方紙がどれだけあるかを考えると、山形新聞の記事掲載の姿勢は立派だと思います。企画を形にするデスクや記者の方々の見識と努力も、見事だと思います。

11月16日は、名誉指揮者の黒岩英臣さん、17日は酒田市出身の常任指揮者、工藤俊幸さんの記事が掲載されました。このペースでいくと、たぶん18日に音楽監督の飯森範親さんが登場するのかな。当方、妻と二人で、22日のマチネに行く予定。今からワクワクです。
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新調したカバンの使用感

2009年11月17日 06時06分40秒 | 手帳文具書斎
過日の出張前に、旅行カバンの肩掛けベルトの金具が壊れてしまい、修理もきかないので、仕方なくカバンを新調しました。条件は、機内持込できるサイズであること、衣類とともに小型のネットブックと若干の書類が入ること、肩掛けベルトの金具が耐久性があること、などです。某カバン専門店であれこれ比べてみて、いくつかの候補を選定しました。その結果、写真のような、スイスの Victorinox 製の WebManager という製品を購入。ナイロン製ですが、全体的につくりがしっかりしていて、安心感があります。ブランドやネームバリューなどは全く不案内ですけれど、店員さんの、壊れたら修理します、との一言で決定。43×30×14~20cm、税込26,250 円也。

使ってみて気づいた点は、次のとおりです。

(1) サイズの表示でわかるように、中央部分にあるマチのファスナーを全開にすることで、カバンの深さを増やすことができます。これは、衣類などを少し余分に持っていきたいときなどに便利です。
(2) ノートPC用の仕切り板が二重に入っており、両側から圧迫されても保護される仕組みになっています。
(3) 手帳やCDプレイヤー、文庫本、筆記具などを入れるスペースが専用のファスナーになっています。取り出すにもしまうにも便利です。
(4) 肩掛けベルトの金具は、かなり厚みのある金属製で、丈夫そうです。
(5) 肩当てパッドがしっかりしており、重い荷物のときも負担が分散されるようです。
(6) 破損時に修理がきくというのはありがたい。安心感があります。

今回は使いませんでしたが、ペットボトル用の網状のポケットもあります。キャリーに固定するスリットや、カード等を区分して入れるスペースなどもあり、細かな配慮があるのも嬉しい(^o^)/
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吉村昭『暁の旅人』を読む

2009年11月16日 06時49分37秒 | -吉村昭
講談社文庫で、吉村昭著『暁の旅人』を読みました。順天堂病院の創始者・佐藤泰然の次男で、幕府奥医師の松本良甫の養嗣子となった松本良順の生涯を描いた、評伝風の作品です。作者の医家ものは定評がありますが、本書もまた、幕末の動乱を背景にした、重厚な物語です。

松本良順は、長崎の海軍伝習所にオランダから派遣された医師ポンペについて医学を学ぶことを、ようやく許されます。それは、オランダ語の医学書を解釈し知識を吸収するという、従来の蘭方医とは異なり、物理・化学、解剖学、病理学、薬学、内科、外科、眼科などを実地で学ばせる、体系的かつ実証的なものでした。

松本良順は、オランダ語会話を学ぶかたわら、熱心に医学を修得します。さらに、長崎において病院兼医学校を設立し、ポンペのもとで多くの蘭方医を育てます。やがて良順は江戸に戻り、幕府医学所の頭取として、医療と後進の育成に努めます。

しかし、時代の大きな変化は、大政奉還、明治維新と、それをよしとしない奥羽列藩同盟との戦争の方向に流れていきます。徳川幕府への忠節を願った良順は、家族を逃し、江戸から会津に逃れ、そこで戊辰戦争の傷病者の治療にあたります。銃砲による負傷に対する漢方医の誤った治療を正し、弾丸の摘出と消毒を教え、多くの命を救います。会津藩主・松平容保は、幕府医学所の頭取を勤めた良順の才能を惜しみ、会津落城の前に脱出を勧めます。米沢を経て庄内に至る経路は、東北南部をほぼ縦横断するものです。



庄内に到着し、湯田川温泉でリューマチを治療した良順は、榎本武揚ら旧幕府高官から誘いを受け、仙台に向かいます。そこで、幕府の軍艦とともに函館に同行を求められますが、尋ねてきた土方歳三のすすめで、ひそかに江戸に戻ることにします。横浜に潜伏するところを捕えられ、ほぼ一年半の禁固生活を送りますが、ようやく釈放され、家族のもとに帰ることができます。多くの資金提供を受けて、東京に洋式病院を建設するのですが、この一連の流れに登場する人物は、松平容保、近藤勇・土方歳三らの新選組や、榎本武揚、山縣有朋、陸奥宗光など多彩で、幕末の物語としても第一級の読みものです。

後年、陸軍の軍医部の前身に奉職しますが、脚気病には手が出ない場面も描かれ、これは後の高木兼寛を描く『白い航跡』(*1,2)に連なるところでしょう。また、榎本武揚に誘われる場面から、フランス医学を修めた外科医・高松凌雲(*3)と混同しそうになりますが、こちらは『夜明けの雷鳴』のほうです。

(*1):吉村昭『白い航跡』上巻を読む~「電網郊外散歩道」より
(*2):吉村昭『白い航跡』下巻を読む~「電網郊外散歩道」より
(*3):吉村昭『夜明けの雷鳴~医師 高松凌雲』を読む~「電網郊外散歩道」より
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