電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」を聴く

2010年09月30日 06時02分07秒 | -オーケストラ
最近の通勤の音楽は、メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」Op.56でした。イ短調のこの交響曲は、初期の作品をのぞき全部で5曲ある中では最後に作曲されたものだそうで、第3番と言うのは出版の順序によるものだそうです。

Wikipediaによれば、20歳のメンデルスゾーンは、1829年の3月にバッハの「マタイ受難曲」を蘇演します。そして5月にはスコットランド旅行に出かけ、7月末にエディンバラのメアリ・スチュアートゆかりの宮殿そばにある修道院の跡で、序奏部の楽想を書き留めているそうです。ところが全曲が完成したのは13年後の1842年1月でした。メンデルスゾーンにしてはじっくりと構想を練った力作と言えるのかも。そして3月に、作曲者自身の指揮で、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団により初演されたとか。うーむ、今もなお連綿と続く伝統の同楽団の演奏で聴いてみたいものですが、今回はジェームス・レヴァイン指揮のベルリンフィルの演奏です。



楽器編成は、Fl(2),Ob(2),Cl(2),Fg(2),Hrn(4),Tp(2),Timp.と弦楽五部。

第1楽章:アンダンテ・コン・モト、イ短調、4分の3拍子~アレグロ・ウン・ポコ・アジタート、イ短調、8分の6拍子。廃墟にたたずむような無常な気分で始まります。幻想的で悲劇的な序奏。途中の嵐の場面も、激しさを感じさせます。
第2楽章:ヴィヴァーチェ・ノン・トロッポ、ヘ長調、4分の2拍子、ソナタ形式。短い序奏に続く木管の旋律が、まるでドヴォルザークの音楽のようで、スコットランド民謡風のスケルツォ楽章でしょうか。短いですが、軽快で、好きですね~、こういう感じ(^o^)/
第3楽章:アダージョ、イ長調、4分の2拍子。伸びやかで歌謡的な第1主題と比較すると、第2主題は、なんだか葬送行進曲みたいですね。やっぱり悲劇的な気分が横溢しますが、しだいに平安が戻ります。
第4楽章:アレグロ・ヴィヴァチッシモ、イ短調、2分の2拍子~アレグロ・マエストーソ・アッサイ、イ長調、8分の6拍子、ソナタ形式。低弦がリズムを刻む上で、ヴァイオリン群が上下に動く激しさ。続いてリズムを刻む役割が高弦に移行し、木管がリズミカルな旋律を奏でます。なんだか追い立てられるような気分にもなりますが、しだいに静まっていき、コーダの全休止のあとの曲調は一転します。まさに朗々としたホルンの雄叫び。そして堂々たる高揚感のうちに終結。ここは、実にロマン派です!

メトロポリタン歌劇場で、オペラの劇的な場面を描くことにかけては定評のある、レヴァインが振ったメンデルスゾーンの音楽。聴いた後に満足感が残る、いい演奏です。1988年11月、ベルリンのイエス・キリスト教会にてデジタル録音されたもので、響きがよくとらえられた好録音だと思います。グラモフォン・スーパーベスト101シリーズより、POCG-50008 です。

■レヴァイン指揮ベルリンフィル
I=16'30" II=4'33" III=10'17" IV=10'06" total=41'26"
コメント (2)

モノクロ・レーザープリンタの使用感

2010年09月29日 06時02分13秒 | コンピュータ
過日、導入(*)したばかりの小型モノクロ・レーザープリンタ、ブラザー社の HL-5380DN は、たいへん快調に動作しております。OpenOffice.org の presentation で作成したプレゼン資料やら依頼原稿の下書きやら、通常の用途には充分な快適さです。

これまで使っていたキヤノンの複合機 MP55 は、カラー印刷ができたわけですが、なぜモノクロ・レーザープリンタに戻したかというと、それには理由がありました。

(1) UbuntuLinux からも印刷できるように。MP55 は、Windows からは印刷できたものの、Linux 用にはドライバが提供されていません。Ubuntu からも日常的に印刷できるようにしたい、ということでした。
(2) 大量に印刷するときもインク切れが起こりにくく、一枚あたりの印刷コストが安価であること。
(3) ポイントをカラーマーカーで強調しても、印刷がにじまないこと。これはインクジェット方式の弱点です。

使ってみて、(1)は当然のこととして、(3)がとくに便利に感じます。出力スピードも充分に速いですし、年賀状印刷などにはカラーインクジェットが便利ですが、それ以外の通常用途には、モノクロ・レーザープリンタの活躍が顕著です。実用的で、良い買い物でした。



(*):モノクロ・レーザープリンタが届き、印刷設定をする~「電網郊外散歩道」2010年9月
コメント

ネタ切れには備忘録の落ち穂拾いで

2010年09月28日 06時03分37秒 | ブログ運営
長くブログの更新を続けていると、どうにもネタ切れで困ることがあります。そんなときには、「秘技Wikipediaの術」と称して、Wikipediaのユニークかつ優れた記事を紹介して切り抜ける(*1,2)ことがあります。

もう一つ、当方には「備忘録の落ち穂拾い」という技もありました。ほとんどブログのネタ帳と化しておりますが、折々に記録している備忘録の目次のチェック欄(□)に、まだチェックがついていない項目を探すと、案外タイムリーな記事になる場合もあります。最近では、「身体から見た手帳のサイズについて」の記事がそれでしょう。元ネタの日付を見ると今年の三月中旬で、記憶では、たしか野口悠紀雄著『「超」手帳法』を読んでの感想から派生したものでした。

(*1):これはすごい~Wikipediaの「トゥーランドット」の解説~「電網郊外散歩道」
(*2):Wikipediaで「卵かけご飯」を引いてみると~「電網郊外散歩道」

「暑さ・寒さも彼岸まで」という言葉がありますが、お彼岸を過ぎたらとたんに秋らしくなり、涼しさを通りすぎてここ数日は寒さを感じるほどです。果樹園の管理で、来年のために肥料を散布する必要があり、草刈りをしています。おかげで、ちょいと風邪気味かな。くしゃみが出ます。これは、暖かくして充分に睡眠を取るに限ります。一昨日は、夜九時に寝ました(^o^;)>poripori
コメント

秋の定番、山形の芋煮を作りました

2010年09月27日 06時02分05秒 | 料理住居衣服
次第に秋の色が濃くなり、涼しさに鍋物が恋しい季節です。最近、当「電網郊外散歩道」を訪れる方々も、検索で「山形芋煮の作り方」という記事(*1)のレシピがお目当て、というケースも多いようです。一昨日などは、なんとトップページをしのぐ人数!驚きました。

という理由からではありませんが、日曜の朝は芋煮から。久々の台所で、妻が里芋をむき、こんにゃくを下ゆでしてくれました。私ならこんにゃくなど手でちぎって豪快に煮込むだけですが、さすがにプロは芸が細かいと感心。作り方は例の記事にまかせて、途中経過の実況中継です。トップの写真は畑の里芋。次は掘り出して塊茎から切り離し、皮をむく前の里芋です。このへんの写真があるのは、生産農家だからでしょうね(^o^)/



レシピにしたがい、ぐつぐつ煮ております。



「あれ、ネギがないよ!」の声に、裏の畑に走りました。いえ、私ではなくて、妻が(^o^;)>sumankotte



芋もやわらかくなったところで、ネギをどばっと入れて、できあがり。



これが、山形の芋煮です。



今朝の食卓は、こんな具合でした。



右上が老母のご自慢、色が変わらないナス漬、中央が昨日の残りの肉じゃが、左が海草を練って作る「エゴ」という食べ物(*2)を辛子味噌で。これは、なんでも九州地方の一部で食べられているものだそうですが、村山市の某寺の和尚さんが当地に伝えたのだとか。なんとも不思議なご縁です。

(*1):山形芋煮の作り方~「電網郊外散歩道」2005年9月
(*2):エゴ練りの作り方~「よく遊び、よく働く。」より
コメント (2)

平岩弓枝『はやぶさ新八御用帳』第10巻「幽霊屋敷の女」を読む

2010年09月26日 06時04分13秒 | -平岩弓技
講談社文庫で、平岩弓枝著『はやぶさ新八御用帳』シリーズ第10巻「幽霊屋敷の女」を読みました。これで、「御用帳」シリーズ既刊の文庫は全部読み終えたことになるのでしょうか。著者の持ち味である安定感、言い換えるとマンネリズムを感じさせない手腕が、いかにも老練です。

第1話:「江戸の盆踊り」。当方の若い頃、故郷に帰って盆踊りに参加すると、なぜか切ない気分になったりしたものでした。南町奉行・根岸肥前守も、きっと佐渡奉行時代の、昔を思い出したかったのでしょう。
第2話:「郁江の危機」。危ういところでした。郁江さんがそんな気分になったのは、新八氏にも責任があるのでは。隙間風とはそういうことではないのかい。でも、小さな仏像が夫婦の隙間をうめてくれたようで、なによりでした。
第3話:「大口屋の三姉妹」。うーん、呆れ果てたる三姉妹。この姉妹と比べたら、うちの娘たちのほうがはるかに真っ当、健康的です(^o^)/ ・・・って、比べるもんじゃないけれど(^o^;)>poripori
第4話:表題作「幽霊屋敷の女」。幽霊など出ようもない屋敷に幽霊話が出たのですから、きっと裏には何かある、というお鯉さんの推理が当たっていましたね。
第5話:「江戸の狼」。狼と犬の混血種で、頭がよく勇敢とくれば、なにやら「白い牙」を思い出しますが、こちらは江戸の物語です。
第6話:「小町踊り」。お鯉さんがいないと、お奉行様もご機嫌うるわしくないようです。根岸肥前守が愛されているのは、お鯉さんの容姿容貌ではなさそうで、何事にもそつがない家政の才と、控えめながらきらりと光る聡明さなのかな、と思います。

幽霊と言えば、小学生の頃、幽霊が怖かった時期がありました。田舎の農家で、昔は便所が外にありましたので、夜は実に怖かったものです。で、真剣に考えました。幽霊が直接に手を下して人を死なせた例はないようだ。たいていは、恐怖のあまり「自滅」している。すると、幽霊の本当の怖さは、自分の恐怖心の中にあるのではないか。そう自分に言い聞かせて用を足しました。毎日のことですから、そのうち慣れっこになり、以後、幽霊が怖いとは思わなくなってしまいました。良かったのか悪かったのか(^o^)/
コメント

身体から見た手帳のサイズについて

2010年09月25日 06時03分01秒 | 手帳文具書斎
だいぶ昔のことですが、高校の英語の時間に、おもしろい話を聞きました。それは、フィートという長さの単位が、身体(足)を基準にしている(*1)、というものです。足といっても、靴をはいた時のものらしいのですが、なるほど納得です。1フィートが12インチで、1インチ(2.54cm)というのも、実は男性の親指の幅というように、やはり身体尺らしい。

そういえば、日本の尺貫法も、身体との対応は合理的です。「起きて半畳、寝て一畳」という言葉がありますが、6尺が1間で3尺×6尺が畳一枚、標準的な大人が一人、寝たり出入りしたりするのにちょうど必要なサイズです。

ご飯茶わんや汁わんも、片手にすっぽりとおさまるサイズであって、ちょうど適量になっていると感じます。洗顔タオルの幅は、両手に持ったときにちょうど良いサイズに作られていますし、ペンや携帯電話のサイズも、口と耳の間隔と持ち運びの便を考えたものになっているのでしょう。

そういう、モノの大きさと身体性という観点から見れば、手帳もまた日常的に使われる道具としての制約を免れることはできません。多くの手帳が、手のサイズやポケットのサイズを元に作られていると感じます。

ただし、A4判文書のホルダーとしての本質を持つ「超」整理手帳は、手帳サイズの身体性よりも、文書サイズを最優先にしたものなのでは。では、その文書のサイズは身体尺を考慮したものなのか。これは、たぶん紙を片手で持って平面を保ち、全体を一覧できる面積からくるものであって、ポケットに入れて持ち運ぶことを考慮したものではないのでしょう。季節は秋、そろそろ来年の手帳選びのシーズンに入ります。あまり大柄ではない私にとって、「超」整理手帳はいささか大きすぎると感じられるのですけれど。

(*1):Wikipedia「フィート」の項
コメント

平岩弓枝『はやぶさ新八御用帳』第9巻「王子稲荷の女」を読む

2010年09月24日 06時01分57秒 | -平岩弓技
講談社文庫で、平岩弓枝著『はやぶさ新八御用帳』シリーズ第9巻、「王子稲荷の女」を読みました。四年前に一度読んでいたのですが、地球に帰還した「はやぶさ」のニュースに、「そういえば『はやぶさ新八』シリーズが途中だったな」と思い出した、というのはナイショです(^o^)/
読んでいるうちに、当時の印象を漠然と思い出しました。

第1話:表題作「王子稲荷の女」です。お稲荷さんと狐火という背景が怪しさを増幅していますが、真相はちょいと芝居がかっております。
第2話:「寒紅梅」。落合清四郎の姉君の烈女ぶりがきわだちますが、なにも殺さなくっても、とやっぱり思いましたですよ(^o^;)。四年前にこのシリーズから離れたきっかけが、たしかこのお話でした(*)。
第3話:「里神楽の殺人」。里神楽の役者が殺された事件の解決ですが、お奉行・根岸肥前守のほうが役者が数段上でした。
第4話:「柳と蛙」。小野道風が出てくるほど風流なお話ではありません。
第5話:「夕顔観音堂」。川舟で尼さんが何度も往復していれば、もっと巷の噂になりそうなものですけれど。
第6話:「あやかし舟」。街宣車みたいな「あやかし舟」ネタは、佐伯泰英『居眠り磐音江戸双紙』シリーズでも使っていました。
第7話:「虫売りの男」。同じ境遇で育てられた兄弟がこんなに違うとは、ちょいと信じられない話です。

(*):平岩弓枝さんの剛腕~「電網郊外散歩道」2009年8月
コメント

J.S.バッハ「ヴァイオリン協奏曲第1番」を聴く

2010年09月23日 06時03分52秒 | -協奏曲
急に涼しくなった初秋の休日の朝、J.S.バッハのヴァイオリン協奏曲のCDを流すと、幸せな気分になります。現在は3曲残されている中から、第1番イ短調BWV.1041をじっくりと聴きました。演奏は西崎崇子(Vn)、オリヴェル・ドホナーニ指揮カペラ・イストポリターナで、NAXOS の 8.550194 というCDです。

第1楽章:アレグロ、第2楽章:アンダンテ、第3楽章:アレグロ・アッサイ。添付のリーフレットでは、イ短調のこの曲について、こんなふうに解説をしています。

The Concerto in A minor opens with a characteristic figure, which forms a repeated elements in the movement. There is a fine-spun melody over a repeated bass figure in the slow movement and a final gigue movement which includes brief moments of technical display by the soloist.

例によって「超訳」(^o^;)してみると、こんな感じでしょうか。

イ短調の協奏曲は、第1楽章において特徴的な音型で開始し、反復される要素を形作る。緩徐楽章においては、繰り返される低音域の音型の上に、見事に紡がれた旋律があり、最終楽章ジーグには、瞬時、独奏者の技巧的な見せ場が置かれている。

訳はヘタですが、なるほど、簡潔で納得できる内容です。

新潮文庫「カラー版作曲家の生涯」シリーズの、樋口隆一著『バッハ』によれば、1717~23年頃とされています。バッハは30代半ば、ワイマール宮廷楽団の楽師長を辞任しケーテン候レオポルトの宮廷楽長に就任しようとしたら、ワイマール公がバッハの身柄を拘留したという例の事件を経て、晴れてケーテンに移って活躍した、いわばバッハ最良の日々。幸福な世俗音楽の充実期で、ブランデンブルク協奏曲や管弦楽組曲第1番・第4番などを作曲した同時期らしい。

ヴィヴァルディの音楽を吸収し、自分のものとした独奏ヴァイオリンのための協奏曲は、バッハの刻印を刻んで明らかな作品です。CDのジャケットには、小さいですがバッハの家族の絵が用いられ、子沢山で賑やかな様子で音楽を楽しむ姿が描かれています。さぞや賑やかだろうと想像しながら、この美しく幸福な音楽を聴いているところです。

1989年の5月から6月にかけて、スロヴァキアの首都ブラティスラヴァにある、スロヴァキア・フィルハーモニックのコンサートホールでデジタル録音されています。録音は良好で、PCオーディオの小型スピーカでも聴きやすいものです。

参考までに演奏データを示します。
■西崎崇子(Vn)盤
I=3'52" II=6'55" III=3'45" total=14'32"
コメント

PCオーディオ用アンプを小型(ミニコンポ)に交換する

2010年09月22日 06時03分26秒 | クラシック音楽
パソコンの音声出力を使わずに、USB端子に接続したUSBオーディオプロセッサを用いて音声信号に変換し増幅する形(*1)で、いわゆるPCオーディオを便利に使っています。最近は、メインのステレオよりも稼働率が高いほどです。スピーカは、お嫁に行った娘が高校生の頃に一緒に作った、Fostex の FF125N を用いた(黄色の)自作スピーカ。これを鳴らすアンプとして Pioneer の A-01 を使っていましたが、もっとコンパクトにまとめられないものかと考え、退役していた ONKYO のミニコンポの CDチューナーアンプ CR-185II を引っ張り出しました。子供たちが酷使し、すでに CD ドライブは不調、FM/AM ラジオとしてなら辛うじて使える程度かと思っていましたが、Line 入力に USB オーディオプロセッサから RCA ピンプラグで接続してやると、けっこうな音で鳴り出しました。これなら、電源の ON/OFF や音量のリモートコントロールが可能なコンパクト・アンプとして、充分に使えそうです。



思いがけない落とし穴もありました。ヘッドホン端子が標準プラグではなくてステレオミニプラグです。愛用の SONY のヘッドホン(*2)が使えず、イヤホンになってしまいます。まあ、そう頻繁にヘッドホンを使って音楽を聴くわけではありませんので、もう少しケーブルの長いイヤホンか、1m くらいの延長ケーブルを探してみることにしましょう。

(*1):ONKYOのUSBオーディオ製品を試す~「電網郊外散歩道」2009年2月
(*2):ヘッドホンとイヤホン~「電網郊外散歩道」2009年3月
コメント

平岩弓枝『はやぶさ新八御用帳』第8巻「春怨 根津権現」を読む

2010年09月21日 06時02分33秒 | -平岩弓技
ずいぶん久しぶりに、平岩弓枝著『はやぶさ新八御用帳』第8巻「春怨 根津権現」を読みました。今から四年前、このシリーズを読んでいた頃からみると、我が家の家族の状況は大きく様変わりしておりますが、はやぶさ新八氏はまったく変わっておりません(^o^)/
せっかくのお話ですので、ネタバレしない程度にぼかしてコメントすることといたしましょう。

第1話:「聖天宮の殺人」。婿養子の持参金を期待するなど、まったくしょうもない旗本家です。
第2話:「梅屋敷の女」。心優しい兄は、武家社会で生きるのは難しいようで、結局は出家ですか。
第3話は表題作「春怨 根津権現」。鰻と梅干しの食べ合わせと毒殺未遂では、話がだいぶ違います。「事情は事情、罪は罪」とのことですが、裁くのはまた別でしょうに。本書での出家は二人目。
第4話:「世間の噂」。新米同心の調べにお奉行殿は納得せず、別途、裏付け捜査を命じます。真相はまるで違っていました。新米同心さん、クサらないといいけれど(^o^)/
第5話:「牛天神の女」。お鯉さんに頼まれた筆と料紙を買い忘れた新八氏のうっかりに、当方も思わず心当たりがありまする(^o^)/
第6話:「秋風の門」。神谷鹿之助とともに狼藉者から助けた老人は、とっさのことで嘘の名前は思いつかなかったのでしょう。牛久藩の内紛は、結局は双子の弟の出家で決着。出家三人目です。
第7話:「老武士」。紫組などと称する未熟な若侍の一団は、江戸の愚連隊といったところでしょうか。武器を手にした阿呆は、いつの世も困った存在です。



しかし、一冊の文庫本の中で出家率43%というのは、ちょいと高すぎるのではないでしょうかね~どうなんでしょ(^o^)/
コメント (2)

ドナルド・キーン『私の大事な場所』を読む

2010年09月20日 06時03分17秒 | 読書
理系の石頭である当方は、日本文学史などには高校の国語から縁がなく、ましてや「奥の細道」だとか「源氏物語」を原文で読むなどという風流とは無縁の生活です。当然のごとく、ドナルド・キーン氏という日本文学の研究家(*)のことは、あまりよく存じ上げません。でも、中公文庫『音楽の出会いとよろこび』の著者としてなら記憶にあります。

本書は、82歳になった著者が、これまで訪れ滞在した世界の街を振り返る文章や、各地で行った講演の原稿、多くの友人の逝去を悼む文章などを収録するとともに、例によってメトロポリタン歌劇場でのオペラの話を、実に楽しそうに、懐かしく語っています。八十翁の懐旧談だけではなくて、ジョージ・セルのもとで副指揮者をつとめ、メトの音楽監督となったジェームズ・レヴァインの功績についても、「ヴォツェック」や「ルル」などの新しい演目を積極的に加え、かつそれが成功している点などを評価しています。

地元意識の観点で言えば、第18回国民文化祭2003(山形)で講演した際の原稿「東北に対する私の偏見」が興味深かった。「山寺から鳴子を通って象潟に向かいました。汽車の窓から月山の姿が見えました」(p.149)とありますが、山寺から宮城県に戻り、鳴子へ向かったのなら、奥羽山脈に遮られて月山は見えません。月山が見えるのなら、奥羽線経由のはず。これは鳴子ではなく新庄の誤りでしょう。

(*):Wikipedia「ドナルド・キーン」の項

コメント

シリーズものの記事の続きを書くには

2010年09月19日 06時08分42秒 | ブログ運営
当「電網郊外散歩道」では、シリーズものの本の感想を何種類か記事にしています。比較的長いのは、たぶん佐伯泰英さんの「居眠り磐音江戸双紙」シリーズと、平岩弓枝さんの「御宿かわせみ」シリーズあたりでしょうか。そういえば、「はやぶさ新八御用帳」というシリーズもありました。だいぶ前のことなので、第何巻でストップしたのか、とんと記憶にありません。そこで、goo ブログのバックアップデータから作成していたタイトル一覧(*)から、「はやぶさ新八」で検索してみました。

$ grep "はやぶさ新八" gootitle.txt
05/03/2006 平岩弓枝『はやぶさ新八御用旅』(1)を読む
05/04/2006 平岩弓枝『はやぶさ新八御用旅』(2)を読む
06/14/2006 平岩弓技『はやぶさ新八御用帳』第1巻「大奥の恋人」を読む
06/25/2006 平岩弓技『はやぶさ新八御用帳』第2巻「江戸の海賊」を読む
07/01/2006 平岩弓技『はやぶさ新八御用帳』第3巻「又右衛門の女房」を読む
07/07/2006 平岩弓技『はやぶさ新八御用帳』第4巻「鬼勘の娘」を読む
07/09/2006 平岩弓枝『はやぶさ新八御用帳』(第5巻)「御守殿おたき」を読む
08/05/2006 平岩弓枝『はやぶさ新八御用帳』(第6巻)「春月の雛」を読む
08/18/2006 「はやぶさ新八」氏はなぜあんなにモテモテなのか
08/19/2006 平岩弓枝『はやぶさ新八御用帳』(第7巻)「寒椿の寺」を読む

なるほど、第7巻「寒椿の寺」で中断しているようです。
たしか、続きがだいぶあるはず。機会を見て、また記事にしてみたいものです。

そういえば、パトリシア・コーンウェルの「検屍官」シリーズでは、第5巻『死体農場』までで、第6巻以降は未了。先はまだだいぶ長いようです。

(*):バックアップデータから日付と記事タイトル一覧を抽出する~「電網郊外散歩道」
コメント

山崎武也『一流の仕事術』を読む

2010年09月18日 06時04分44秒 | -ノンフィクション
先のプレゼンの関係で、山崎武也著『一流の仕事術』(PHP文庫)というビジネス書を読みました。「仕事を極めるための100の法則」という副題のついた、コンパクトな本です。残念ながら、著者の仕事については存じ上げませんので、ビジネス・コンサルタントとしてどのような仕事をされてきたのかは不明ですが、帯には「ミスがなく、効率的で信頼される仕事をするには、"基本を身につけることがすべて"と言っても過言ではない。基本が徹底的に身につけば、それを応用するだけで仕事を極めることはできるのだ」とあります。では、仕事の基本として、著者はどんなことを挙げているのかに興味を持ちました。いわば、100の法則の「中身」です。

第1章 仕事って何だ なぜ働いているのか/つまらない仕事はない、等
第2章 「明窓浄机」が仕事の基本 机の上を清潔に/机と椅子の高さ、等
第3章 挨拶を侮るなかれ 朝晩の挨拶は一人ひとりに/会釈をする、等
第4章 「報告・連絡・相談」は信頼の基 秘密にすると漏れる/休むときは自分自身で連絡、等
第5章 「時間がない」は「知恵がない」 思い悩む前に着手する/締め切りまで待たない、等
第6章 情報とのつきあい方 情報源を限定する/情報は出し惜しみしない、等
第7章 創造力の磨き方 創造力の必要性/周囲を入念に観察する、等
第8章 スランプだと思ったら スランプとは/毎日の習慣を変えてみる、等
第9章 自分を助けてくれるビジネスツール 手帳/筆記用具/鞄は軽く、等
第10章 「この人なら」と思われる「超・一流の仕事」 無邪気に働く/時間に遅れない、等

2003年の2月に刊行された文庫本ですが、もともとは1998年の6月に単行本として発行されているようです。たとえば第9章「自分を助けてくれるビジネスツール」の「8.パソコンとつきあう」では、パソコンを使いこなそうと思っているから難しいと拒否反応を起こすのであり、必要な部分だけを使ってコンピュータの「主人」になるという意識が重要だと書いていて、なんとなく一時代前のオジサン上司を見るようです。

そしてその利用法は、電子メール、スケジュール管理、クライアント別に使った時間の記録、住所や電話のリスト、ワープロといった具合です。なるほど、交流の範囲を広げ、これはと思った人との関係を保ち、適合する相手を紹介するなど、業務に費やした時間の記録に基づいて収入を得るという、コンサルタント業とはこのような仕事なのだな、とあらためて思いました。そうであればこそ、ちょっと気の利く営業系ビジネスマンを指南する本書のような内容が出来上がってくるのでしょう。少なくとも、表計算を駆使する理工系エンジニア等の仕事術とはかなり落差があるように思います。

もちろん、共通な面も少なくなく、「机は物置ではない」などは、実に耳が痛い(^o^;)>poripori
少々時代を感じさせる内容も多く含まれていますが、今風の「仕事術」の本ならいくらでもあるわけで、本書は中堅以上の年代の人には「そういえば自分の時もそうだったなぁ」と懐かしく感じることがあることでしょう。いささか古風になってしまってはいるけれど、よく選んで吟味すれば、現在も有益な心がけがかなり含まれていると思います。

ただ、タイトルはいかにも通俗です。ブックカバーなしでは、とても人前で読める題名ではありません(^o^)/
コメント

秋の空はどうして高く感じるのだろう~通勤時にふと思うこと

2010年09月17日 06時03分37秒 | 季節と行事
九月も中旬となり、少しずつ秋の気配が漂ってきています。朝晩はすでに20度を切り、昨日から長袖のワイシャツに着替えました。日中はさすがに上着を脱ぎますが、ここ数日、朝晩は上着が必要になっています。

さて、ほとんど信号のない郊外の通勤路を走るとき、秋の空はどうして高く感じるのだろうと不思議に思います。もしかしたら、断続的に降る秋雨に空気中のチリやホコリが洗い流されてしまい、空気が澄んでいるからでしょうか。それとも、晴天時には、山ぎわの低い雲と中層のやや灰色の雲が重なった遥か上方に、いかにも秋らしい純白のすじ雲が見えて、それらが構成する位置関係や明るさの対比などから、心理的な高度感を感じるのでしょうか。いずれにしろ、大気圏の厚さが季節によって変動するのではなさそうです(^o^;)>poripori

最近の通勤の音楽は、メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」を、J.レヴァインの指揮、ベルリンフィルの演奏で。裕福な銀行家の息子に生まれたメンデルスゾーンの悩みは、かなり根深かったのかもしれないと感じます。必ずしも才能豊かで幸福な御曹司というだけではなさそう。当時の改宗ユダヤ人の地位やドイツ社会での具体的な状況などについて、意外に知らないからかもしれません。
コメント

OpenOffice.orgのpresentationでプレゼンを試みる

2010年09月16日 06時04分07秒 | コンピュータ
Dell の赤いネットブック Inspiron Mini10v に入っていた OpenOffice.org の presentation で、頼まれていたプレゼンを試みました。これまでは、某社の有名ソフトでやっていましたが、他人のプレゼンを流用する必要もないし、素材も内容もオリジナルですので、別に何を使ってもかまわないわけです。

依頼されたプレゼンの対象は、なんと大学生!初挑戦でしたが、出来はともかく、なんとか無事に終えることができました。よかった。正直言って、ほっとしました(^o^)/

やってみて感じたこと。
(1) 機能的には OpenOffice.org-Presentation で不足は感じないが、背景デザインや挿入するカット素材の量などに、某社製品はさすがの蓄積があります。ただし、シンプルに、オリジナル素材を中心に構成するのであれば、問題にはなりません。
(2) スライドショーの実演の際、ネットブックの画面では下の方が切れて見えませんが、液晶プロジェクタで投影した画面の方には、ちゃんと下の方も映っています。
(3) 配布資料を印刷してみると、A4横サイズに上下2段に3画面ずつレイアウトされ、文字の内容が読みやすくなっています。

なかなかよかった。音声やビデオを入れたらどうなのか、そのあたりも試してみたいところです。
コメント