小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



小田原にもいろいろな言い伝えのある石や岩がある。浜町の北条稲荷にある蛙石は凶事の前に鳴きだすとの伝承があり、また曽我兄弟にまつわる石も各所に点在している。早川の真福寺には目を病む人の信仰をあつめてきた石があると知り出かけた。小田原市早川の真福寺は真言宗東寺派のお寺。創建は万寿元年(1024年)と伝わる古刹。かつては早川山如意輪寺・大王山宗臨寺と称したが天文21年(1552年)に現在の名に改まった。比較的新しい山門をくぐり境内へ。本堂は重厚なコンクリート造り。右手は崖地になっている。その本堂の右手から崖に小さな小道が続いている。境内には目石の案内看板は無いが、事前に調べたところでは2ヶ所に目石があるとのこと。小道を進むと崖の斜面に小さな階段が作られている。斜面に作られた階段を5mほど上ると崖の途中に巨石があって行き止まりとなった。傍らには小さな賽銭箱も設置されている。その巨石の下部にスパっと切り込みを入れたような眼形の窪みがあった。これが真福寺の目石で良く見ると笑顔の時の目の形に見える。目石の窪みは横30cm高さは10cmほど。入口部分に賽銭が置かれている。かなり奥行きがあり50cm近くはありそうだった。内部にはノミの跡も無いので自然に出来た窪みのようである。真福寺のもう一ヶ所の目石は本堂から早川観音に向かう途中の参道脇から崖にあがった場所にある。目石へ続く階段の入口には、箱根山崎の戦いで剣豪伊庭八郎の左手を斬った小田原藩士で鏡信一刀流の使い手であった高橋藤太郎の墓所があった。もう一ヶ所の目石も崖に作られた階段を5mほど上がった場所にあった。こっちの目石は崖の巨石の上部に眼形の窪みがある。先ほどの目石と比べると一回りほど小さい。真福寺の目石には諸説あるようだが、昔から目を患った人々の信仰をあつめてきたとのこと。最近疲れ眼気味なので視力が悪くならないことを目石にお願いして帰路についた。

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