「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県那覇市  「 沖縄セルラースタジアム那覇 」

2012-07-29 12:22:54 | 沖縄



建設中の沖縄セルラースタジアム那覇



































建設中の沖縄セルラースタジアム









沖縄県大会決勝 ( 興南高校 : 沖縄尚学 )の試合前練習






沖縄のモノレールの奥武山公園駅の近くに沖縄セルラースタジアム那覇がある。
最初に沖縄へ行っていたころは普通の運動公園だったのが、
大きな球場に変身してしまった。
その工事の途中と完成して沖縄県大会決勝前の動画を撮っているので、
興味のある方は、参考までに比較してもらいたい。


球場といえば、昨日は北九州市民球場で
高校野球の福岡県大会の決勝があったので飯塚高校を応援した。
効率の悪い攻めで “ あと1本 ” が出ない頼りなさもあったが、
なんとか凌ぎ切って甲子園の切符を手にしてくれた。

相手の福岡第一は、エースの楊が左太腿を故障したため二番手、三番手の投手が投げたが、
決勝戦の大一番では荷が重いというか、緊張で腕が振れてなかった。
それでも途中から登板した張投手は前日に続いて連投となったが、
飯塚打線を0点に抑えて味方の反撃を待った。
4-0から4-2とあと2点まで追い詰めたものの、
飯塚の2番手ピッチャーの西に抑えられ、同点にも及ばなかった。
高校生とはいえ、昨日の36度の気温の中でよく戦ったものである。
どちらの選手も 「 あっぱれ! 」 であった。




千疋屋のジュレとオリンピックの感想

2012-07-29 11:29:15 | スポーツ























昨日は、くまモンサプライズに続き千疋屋のジュレも届いた。
こんなに暑い日が続くと、こういった物はアリガタイものである。
ジュウレを冷やして食べたが、果汁がツルンとしてフルーツフルーツで美味しかった。

昨日はほとんどテレビの前に釘付けだった。
昼間は高校野球の福岡県大会の決勝があったので飯塚高校を応援し、
その後、競馬を観て
夕方から深夜にかけてオリンピック三昧というか、オリンピックの梯子だった。
午前2時まで起きて応援していたが、
なでしこ、福見選手、平岡選手、そして三宅選手の頑張りに興奮して
なかなか寝付かれなかった。
三宅宏実選手はバーベルを挙げるたびに輝いてカッコよくなって行った。
その表情は、自信の顔というかアスリートの顔だった。

福見選手はオリンピックに出れなかった浅見八瑠菜選手の分までと思ったが、
残念ながらメダルまで 「 あと一歩! 」 という結果に終わってしまった。
谷選手に勝ってからこれまで10年間、彼女は彼女なりによく頑張ったと思っている。
だからこそ何色でもいいからメダルを取って欲しかった。
そしてそのメダルを3歳から女手ひとつで育てて来たお母さんの首に架けて欲しかった。





沖縄県南城市  「 ヤハラヅカサ と 浜川御嶽 ( はまがーうたき ) 」

2012-07-29 10:50:46 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所







南城市玉城町百名にある百名(ひゃくな)ビーチの北端の海中に
琉球石灰岩で出来た柱をヤハラヅカサと呼んでいる。
干潮になると露出するが、満潮時には上部しか見えず、
その時は海中にある柱に向って遥拝する。
神名は、 「 ヤハラヅカツノ御イベ 」 と称する。

ヤハラヅカサは、沖縄の開闢の始祖といわれるアマミキヨ族が
ニライカナイ ( 理想郷 ) または、大東 ( うふあがり ) から上陸した場所であり、
船を着けた場所がヤハラヅカサの岩だと伝えられている。
したがってここはニライカナイや大東への遥拝所でもある。
ニライカナイとは理想郷を想定したものであるが、
具体的に久高島を指す人も多い。

ヤハラとは 「 穏やかな 」 とか、 「 和らぎ 」 の意味から
神の心を和らげる願いではないかと思われる。











浜川御嶽の写真は、参拝者が御願 ( うがみ ) を行なっていたので控えたため
写真はないが、御嶽にある説明板だけ撮らせてもらった。

浜川御嶽 ( はまがーうたき ) は、ヤハラヅカサの向かいの海岸にあり、
崖下にコンクリート造りの殿 ( どぅん ) がある。
イビは奥の方で、洞穴があるらしい。
浜川 ( はまがー ) とは、 「 浜辺にある泉 」 という意味で、
湧き水が溢れているといわれている。
神名は、 「 ヤハラヅカサ潮バナツカサノ御イベ 」 という。
潮バナは、潮の端にある拝所という意味か?
それとも潮花 ( 波しぶきが飛び散る様子 ) に神霊を感じて、
そう呼んだのかは定かではない。

アマミキヨはヤハラヅカサに上陸し、ミントングスクに定住するまで、
湧き水のある浜川の洞穴を仮住まいしていたという。
また、この場所は聞得大君 ( きこえおおきみ ) の首里の園比屋武御嶽から、
東御廻り ( あがりうまーい ) の拝所でもあった。
百名・中山の村人は旧暦1月、8月には 「 浜川御願 ( はまがーうがん )」 を行なっている。




熊本県天草市 「 宮田港浜田三号防波堤灯台 」

2012-07-29 10:40:31 | 熊本の灯台




































宮田港浜田三号防波堤灯台は、赤色塔形のプラスチック造の灯台である。
灯台の高さが5.66mで、平均水面から灯火までの高さは9.26mとなっている。
灯質は単閃赤光で、毎5秒に1閃光の割合で照らしている。
光達距離は4.5海里で、実効光度が61カンデラになっている。
現用灯器はLD管制器Ⅰ型を使用している。
初点は、平成8年2月9日と新しい。


宮田港浜田三号防波堤灯台へのアクセスは、
本渡上島側から国道266号線を北上し、
倉岳町の旧道を右側に入ると大えびすへの入り口がある。
そのえびすさんの右手に防波堤があり、そこに灯台が立っている。
灯台まで防波堤の上を歩いて行ける。

( 熊本県天草市倉岳町宮田 )