「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

北九州市小倉北区 「 砂津導灯 ( 前灯 ) 」

2014-10-16 06:15:41 | 福岡の灯台



関門海峡から砂津港へと導く導灯










船上から見た石油タンク前の導灯









薄暮時に少しではあるが緑に灯る色が確認できる








緑のライトで方向を知らせる








剣先イカのような形で突っ立っている導灯








立ち入り禁止のため手前からの撮影となった








石油タンクに横付けされた船の間に導灯が見える








砂津防波堤灯台からの眺望








以前は目印となった 「 浅野セメント工場 」













灯台表番号 / 5452
ふりがな / すなつどうとう ( ぜんとう )
標識名称 / 砂津導灯 ( 前灯 )
所在地 / 福岡県北九州市小倉北区砂津
北緯 / 33-53-32 ( 31.6 )
東経 / 130-53-41 ( 40.9 )
塗色 / 白色
頭標 / 白色三角形頭標付
灯質 / 不動緑光
光度 / 1400カンデラ
光達距離 / 10.0海里
地上~頂部の高さ / 8.73m
平均水面上~灯火の高さ / 9.0m 
地上~灯火の高さ / 7.0m
業務開始年月日 / 昭和36年4月1日
現用灯器 / 蛍光灯



砂津導灯(前灯)は、小倉から門司港へ向かう海岸沿いの
国道199号線近くの石油タンク群の中に立っている。
この場所は危険物のため外部からの立ち入りを禁止している関係から
近景は撮れなかったが、海側から前後して遠望を撮影することが出来た。

その姿はイカのお菓子の 「 よっちゃん? 」 を思わせるようなユニークな形をしてる。
そんな導灯は、周りのタンクが大きいので小さく見えるが、
高さは8.8mもあり、初点が昭和36年と古い。


砂津導灯(前灯)へのアクセス
砂津導灯(前灯)へは小倉駅裏の国道199号線を門司方面に進み、
砂津大橋を渡ってすぐの信号機から左折して
ラブホテルの前を抜けて廃屋になった「浅野セメント」工場へ行き、
そこから海岸に沿って歩くと石油タンクの後ろまで行ける。
また、遠望であれば砂津防波堤灯台からでもその姿を確認することができる。
駐車は、浅野セメント工場の空き地に駐車できる。


宇佐三十六士 ・ 時枝氏一族鬼木氏の城 「 鬼木 ( おにのき ) 城 」

2014-10-16 06:14:41 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )



いびつな木瘤の大楠が立つ一帯が城跡になる









大楠の下には「鬼木伝説」の説明版がある








鬼木氏の入り口に立つ 「 故鬼木柳緑氏の記念碑 」






福岡県豊前市鬼木集落の東、
鬼木氏宅および鬼木伝説公園一帯が城跡だといわれている。
鬼木氏の邸から東にかけて掃部屋敷、南に門田の地名が残り、
「 故鬼木柳緑氏の記念碑 」 などが当時をしのばせる。
鬼木伝説公園には樹齢五百年を越すと思われる大楠があるが、
城跡遺構は遺っていない。

鬼木氏は宇佐三十六士のひとり、時枝氏より出た家柄である。
大内氏が豊前守護の時、宇佐神宮に千六百町歩を寄進し、
そのうち六百町を城州八幡の慶安寺住職の子が跡を継ぎ、
寺務時枝大和守を名乗った。
これが時枝氏の祖で、時枝、猿渡と鬼木を領し、
宇佐三十六士のひとりとして勢力を振るった。

弘治二年 ( 1556年 ) に時枝平太夫は大友氏に属し、
時枝氏の支流が鬼木に移り鬼木氏を名乗った。
天正十五年 ( 1587年 ) に鬼木掃部惟宗 ( これむね ) は、
観音原で黒田長政の軍と戦い、黒田の家臣・上原新左衛門に討たれた。

鬼木伝説については、鬼塚ともども後日紹介したいと思っているので、
楽しみに待っていてください。


10月16日 「 寒い朝 」

2014-10-16 06:13:41 | 朝の風景とその他の風景














毎週のように
週末になるとやって来る台風
その台風が去った後
その度に
気温が下がり
気候が変わる