ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

決して遅すぎではない

2018-07-09 | アメリカ事情

 

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その日は、いつにまして、病院六階のスタッフにとっては忙しい一日だった。 10人の新しい患者が入院し、看護師のスーザンが、朝と午後に新しい患者を受け入れていた。

 

彼女の友人で、看護助士のシャロンは患者のために10室の部屋を用意し、患者達が快適であるように確認した。二人がそれらの仕事を終了した時、彼女はシャロンの腕を掴み、「お休みを取りましょうよ、食べに行きましょう。」と言った。

 

騒々しい食堂でお互いに向き合って座ると、スーザンは、シャロンが虚ろ気に彼女の親指で眼鏡の外側に着いた曇りを拭き取ろうとしているのに気づいた。彼女の顔は、多忙な一日の疲労以上に疲れ切っていた。


「あなたはずいぶんと寡黙ね。疲れすぎ、それともどこか悪いの?」とスーザンは尋ねた。


シャロンは最初は躊躇した。しかし、彼女の友人の顔が誠実に心配しているのを見て、彼女は告白した。「私は一生この仕事をすることができないの、スーザン。私は家族のために高給を取れる仕事を見つけなければならないの。私たちは生活にあえいでいるのよ。もし私の両親が私の子供達を見てくれていなければ、生活できないのよ。」


スーザンはシャロンの手首の打ち身傷が彼女のジャケットの下から覗いていることに気づいた。

「あなたの夫はどう?」

「彼には頼れないわ。彼は定職につけないの。彼には問題が。。。あるの。」

「シャロン、あなたは患者さんにとてもよくしているし、ここで働くの、あなたは好きでしょう? 学校に通って看護師になれるようにしたらどうかしら? 奨学金があるし、あなたがクラスを取る間、あなたの御両親だって子供達を見ることに同意すると思うわよ。」


「私には遅すぎるのよ、スーザン。私は学校に行くにはあまりにも年取りすぎたし。いつも看護師になりたかったので、私はこの看護助士の仕事をしているの。少なくとも私は患者のお世話をすることができるでしょう。」


「あなたは何歳だったけ?」とスーザンは尋ねた。

「そうね、30歳プラス、としましょう。」


スーザンはシャロンの手首の打撲傷を指した。 「私はこんな『問題』に精通しているのよ。あなたが夢見てきたことを今するのに、決して遅すぎることはないの。私が知っていることを話させて。」


スーザンは他人がほとんど知らない彼女の人生の一面を語り始めた。それは彼女が他の人を助けたい時のみに限り、話すことだった。

「私が最初に結婚したのは、13歳で、8年生だったの。」

シャロンは、思わず息をのんだ。


「私の夫は22歳だった。私は当初彼が暴力的に虐待を受けて育っていることは知らなかったわ。私たちは6年間結婚し、3人の息子がいたの。ある夜、私の夫は、私を野獣のごとくに殴り、私の前歯すべてをへし折ってくれたわ。私は息子達を抱いて逃げたの。」


「離婚裁判の際、裁判官は私の息子達の親権を私の夫に与えたわ。私は19歳だったので、私に息子を養うことはできないと裁判官は感じたのね。あの夫に私の大切な子供達が奪われたというショックに私は息もつけなかったの。物事をさらに悪くするために、元夫は息子達を連れ去ったばかりか、私とのすべての連絡を断ち切ったの。」


「裁判官が危惧したように、私は生活のために、ものすごく苦労したわ。ウェイトレスの仕事を見つけ、ティップのためだけに働いていたの。その頃の私の食事は、ミルクとクラッカーだけだったわ。最も苦しかったのは、私の魂の中にできた空洞だった。小さな一部屋のアパートに住んでいて、孤独は私を押しつぶすかのようだったの。息子達と一緒に遊ぶことを切望し、その笑いを聞きたいと、どれほど願ったことか。」


彼女は少しの間話をやめた。 40年後でさえ、その記憶は依然として痛いものだったのだ。シャロンは涙をたくさん湛えた目で、スーザンを慰めるために手を伸ばした。シャロンの目は涙で満ち、今では隠していた腕の打撲傷が見えようが、それを気にしなかった。


スーザンは続けた。「二コリともしないウェイトレスは、ティップを少しも貰えないと、気づいたので、笑顔のマスクを被り、前進することにしたのよ。やがて私は再婚し、娘ができたの。その娘が大学に通うまで私の生きがいだったわ。」


「私は結局元の木阿弥で、自分自身が何をするべきかを知らずにきてしまったの。それは私の母親が手術を受けた日まで、ね。私は看護師が彼女の世話をしているのを見て、私もそれをすることができるかも、と考えたの。問題は、私は8年生までの教育しか受けていないということだったわ。高校に戻ることは、征服しなきゃいけない巨大な山のようだったわ。それでも私は自分の目標に向かって少しずつ歩くことにしたの。最初のステップは私のGED(General Educational Development: 5教科の試験に合格し後期中等教育=高校の課程修了者と同等か同等以上の学力を有することを証明する試験)を取得することだったわ。私の娘は娘と私がその役割を、どのように逆転したかをいつも笑っていたものよ。今度は私が始終真夜中まで勉強しては、彼女に質問をよくする番だったの。」


スーザンはしばし話を止めて、シャロンの目をまっすぐに見た。「私が卒業証書を受け取ったのは、46歳の時だったの。」 


涙がシャロンの頬を伝った。ここにいる人は彼女に暗い人生からの扉を開ける鍵を申し出ているのだった。 


「次のステップは、看護学校に入学することだったの。長い2年間、私は勉強し、泣き、何度辞めようと思ったか。けれど私の家族がそれをさせてくれなかったの。娘に電話をかけては、『人間の体には一体いくつの骨があるかわかっている?それなのに、私はそれを全て知らなきゃならないの。こんなこと私にできるわけがないのよ、私は、46歳なのよ!」と叫んだことだったわ。でもね、私はやり遂げたのよ、シャロン。私がキャップ(卒業式で被る)とピン(卒業式でつける)を受け取った時、それがどれだけ素晴らしいことか、とても十分にあなたに伝えられないわ。」


それまでにシャロンのランチは冷え、アイスティーの氷は溶けていた。スーザンは話を終え、テーブルの向こうに座るシャロンの手をとって言った。「虐待にあなたは耐える必要はないの。犠牲者になってはならないのよ。あなたは今自分の世話をすることよ。あなたは優秀な看護師になるわ。私たちは一緒にこの山を登りましょうよ。」


シャロンはマスカラが汚れた顔をナプキンで拭った。「私はあなたがそんなに多くの痛みに悩んだとは想像もつかなかったわ。あなたはいつも全てを把握して自信を持って行動する方に見えるのですもの。」


「私は自分の人生の苦難に感謝しなくては、と思うわ。」とスーザンは答えた。 「もし私が他の人を助けるためにその経験を使うなら、私は本当に何も失ってはいないのよね。 シャロン、学校に行って看護師になると約束してちょうだい。 あなたの経験を他の人と共有してその人を助けてちょうだい。」


シャロンは約束した。 数年後、彼女は登録された看護師になり、スーザンが引退するまで大親友の彼女と一緒に働いた。 シャロンは同僚であった彼女や彼女との約束を忘れはしなかった。


現在シャロンはテーブルのあちら側に座る体と魂に打撲傷を負っている人の手を取って、その人に言うのだった。「決して遅すぎることはないの。 私たちは一緒にこの山に登るのよ。」

 

 「チキン・スープをどうぞー夢に生きる」よりリンダ・キャロル・アップルによる話。

 

http://nursection.com

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