ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

彼らが支払った価格

2019-03-16 | アメリカ事情

John Trumbull's painting Declaration of Independece 

 

 

 

あなたはアメリカ合衆国独立宣言に署名した56人の男性に何が起こったのか疑問に思ったことはありませんか?

 

5人の署名者は売国奴として英国軍に捕らえられ、死ぬまで拷問を受けました。 12人が住む家を攻撃され、挙句に焼かれました。 2人は革命軍でそれぞれ息子を失い、もう1人は2人の息子が英国軍に捕らえられました。 56人のうち9人は独立戦争で戦い、受けた傷や苦難で亡くなりました。彼らは署名し、自分たちの生活、財産、そして神聖なる名誉を誓いました。

 

彼らはどのような人物だったのでしたか? 24人が弁護士と裁判官でした。 11人が商人、9人が農民と大規模プランテーションの所有者でした。おしなべて彼らの教育水準は高いものでした。しかし彼らは、もし英国軍に捕らえられれば、その罰は死になるだろうということを十分に知っていた上で、独立宣言に署名しました。

 

裕福な農園主で商人でもあったバージニアのカーター・ブラクストンは、彼の船がイギリス海軍によって海から一掃されたのをその目で見ました。彼は借金を返済するために家や財産を売却し、一文無しで亡くなりました。トーマス・マッキームは英国にしつこく嫌がらせをされ追跡され、絶えず家族を移すことを余儀なくされました。彼は無給で議会で奉仕し、彼の家族は隠れて過ごしました。彼の所持品は奪われ、貧困が彼の報酬でした。略奪者あるいは英国軍兵士、その両者が、エラリー、クライマー、ホール、ウオルトン、グイネット、ヘイワード、ラトレッジ、そしてミドルトンの財産を奪いました。

 

ヨークタウンの戦いで、トーマス・ネルソン・ジュニアは、英国軍のコーンウォリス将軍がネルソンの自宅を彼の本部として接収したことを指摘しました。そこの所有者は静かにジョージ・ワシントン将軍に発砲を始めるよう促しました。その家は破壊され、ネルソンは破産し死にました。さらに敵は彼の妻を投獄し、二、三ヶ月で、彼女は死にました。

 

ジョン・ハートは、瀕死の妻のベッドサイドから追いやられました。夫婦の13人の子供たちは命からがら逃げました。所有していた畑と製粉所は破壊され、何の役にも立たないほど荒らされました。 彼は森と洞窟に一年以上隠れ住んでいました。やっと帰宅すると、彼の妻息絶え、子供たちもいなくなったのを知りました。二、三週間後、彼は疲弊し、絶望のうちに亡くなりました。ノリスとリヴィングストンも同様の運命を辿ったのでした。

 

それがアメリカ独立戦争の物語と犠牲でした。 これらの人々は、野心的な、狂乱を招くようなならず者ではありませんでした。 彼らは静かに話す、富と高い教育を持っていました。彼らは独立運動や戦争に加わっていなければ、生活は保証されていたのですが、自由をもっと重要だとしていたのです。頭を高くあげ、まっすぐ立ち、強い揺るがず、彼らは誓約したのでした。

 

「この宣言を支持するために、神の摂理の擁護をしっかりと頼りに、私たちは互いに、私たちの生活、私たちの財産、そして私たちの神聖な名誉をかけて誓約します。」

 

多分あなたは今アメリカの父親たる創設者たちが、何故英国軍隊に対する憎しみを持ち、そしてすべての人が武装されることを第二条の改正を通して許可した理由を見ることができます。 率直に言って、アメリカ人は泣かずにこれを読むことはできません。 今アメリア人の中には、これらの自由を当然のことと考えている人もいます。 決してそう思うべきではありません。

 

「アメリカ人は軽薄だ」、「アメリカ人は自己主張ばかりする」、「アメリカ人は深く考えない」ということは、日本でも欧州でもその他の外国でも、耳にします。そしてそうした国々は有事には、何故アメリカは助けに来ないのか、と批判もします。そんな「薄いコーヒー」と言われるアメリカの、こうした歴史を鑑みると、この国は多くの人々の犠牲と献身によってできた国で、建国の月日が短くとも、非常に濃い時代を過ごしてきているのを感じ、一言で、軽い、などと形容できないのを知ります。

 

夫の祖先の一人は、ノースキャロライナ州に於いて、英国政府、役人、兵士に対して、反乱を起こした数名のうちの一人として、名を残しました。その祖先は、宗教の自由を求めて新天地へやってきて、アメリカ大陸での暮らしも、その努力と受けた高い教育のおかげで、豊かなものでしたが、独立への魁の一人となり、失うものは決して少なくはなかったのです。建国の精神は母国の締め付けで堅固なものとなり、命さえもその犠牲として捧げる決意がありました。彼の名前を私たち夫婦は、三男につけました。

 

 

http://score.rims.k12.ca.us

アメリカ合衆国の独立宣言書

 

 

 

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