つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

2023.3.11 /14時46分18秒の投稿。

2023年03月11日 14時46分18秒 | 追悼。
                    
地震名 :平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震
発生日時:平成23年3月11日(金)午後2時46分
震源地 :三陸沖130km付近 深さ24km
地震規模:マグニチュード9.0
最大震度:7(宮城県・栗原市)

あの驚天動地から、ちょうど12年の時間が流れた。
あの日、あの時に受けた衝撃と戸惑いは覚えている。
正直に言えば、時が経つにつれ次第に薄らいではゆく。
しかし、完全に忘れ去ってしまうことはできないのだ。
2万名余りの命と共に町を呑み込む津波を思い出すと、
やり切れない気持ちが蘇ってしまうのは、今も同じだ。

幸いと言うべきだろう。
歴史を紐解いても、わが津幡町に於ける地震の被害は少ない。
だが、それは未来永劫に約束されている訳ではない。
今日と同じ明日が来るとは限らない。
大自然の猛威を前にした時、人間は常に非力で脆弱だ。


<津幡町役場前にて弔意を表す半旗掲揚:本日2023/03/11撮影>

更に、地震・津波に伴う原子力発電所事故では、
広大な地域が放射能で汚染され、多くの住民が避難生活を強いられた。
あれを境に世界は反原発、脱原発へと舵を切ったはずが、
昨今のエネルギー価格高騰などから回帰へ切り直している。
背に腹は代えられないのは分かるが、多角的に再考の余地アリと思う。

そして、エネルギー不足の一因となっている「戦争」は止めるべきだ。
資金、資源、人身、人心、時間などの盛大な無駄遣い以外の何物でもない。


<津幡町ふるさと歴史館「れきしる」前にて喪章付き日の丸:本日2023/03/11撮影>
                       
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

闘魂が燃え尽きた日。

2022年10月01日 20時00分00秒 | 追悼。
                            
「ついに、その時が来てしまったか」

今朝の訃報に接し、きっと多くのファンはそう思ったに違いない。
元プロレスラーで元参院議員の「アントニオ猪木(本名・猪木寛至)」氏が、
本日(2022/10/01)、都内の自宅で亡くなった。
79歳だった。

故人はおよそ2年前、難病に侵された事を公表して以降、
ご自身のyoutubeチャンネルで闘病の様子を発信してきた。
そこに映っていたのは「変わり果てた姿」だった。

かつて、眩いスポットライトと大歓声を浴びていた彼ではない。
かつて、全身からエゴイズムの妖気を発散して仁王立ちしていた彼ではない。
かつて、満場の観客全員を虜にした色気の塊のような彼ではない。
かつて、僕が憧れを抱いたギリシャ彫刻のような肉体ではない。
自力では歩くことすらできない「アントニオ猪木」の今が映っていた。

賛否両論はあったと思うが、僕は観ていた。
人生の一時期「英雄視」していた“燃える闘魂”が、
病魔と相対する姿から目を逸らす気にならなかったのだ。
その病み衰えた状態から、終わりは遠くない未来だろうと覚悟していた。
今日、ついにその時が来てしまった。

リングの巨人の一生は波乱万丈だ。
見方・捉え方によって「功」も「罪」も、「清」も「濁」もある。
ここで故人の歩みについて語るのは、控えたい。
既に、様々な報道がなされているから、そちらへ譲ろうと思う。
代わって、僕の些細な思い出を紹介したい。

僕が中学~高校生だった頃、
「新日本プロレスリング」が石川県に来るのは年に1回のみ。
夏巡業「サマーファイト・シリーズ」の一環だった。
会場は、金沢市の「卯辰山(うたつやま)相撲場」が主。
土俵を囲んですり鉢型の観客席があり、屋根や小さな照明も常設。
会場設営費が抑えられる利点があったから選ばれていたと推測する。

ある年の「金沢大会」を観に出かけた僕は、随分早く会場に着いてしまい、
相撲場の隅に座って、ひたすら試合開始のゴングを待っていた。
やがて機材を積んだトラックが到着し、リングの組み立てが始まった。
その工程を眺めていると、背後から声がかかった。
『アンちゃん、プロレス観に来たんか?』
声の主は、石川県出身のレスラー「永源遥(えいげん・はるか)」氏。
更に、こう続けた。
『ヒマなら、リング作るの手伝ってみるか』
異論などあるはずもない。
僕は、若手選手と一緒に嬉々としてリングに敷く板などを運んだ。
汗だくになったギャラはもらえなかったが、
「永源」氏は金銭以上の素晴らしいご褒美をくれた。

『社長、今日はこのアンちゃんに手伝ってもらいました』
『ああそう。キミ、ありがとう』



何と控室替わりのテントの中で「アントニオ猪木」氏と握手させてくれたのだ。
緊張し固まってしまった僕は、言葉が出ない。
目の前に差し出された彼の手を、ただ無言で握り返した。
掌は、大きくて、分厚くて、温かくて、意外と柔らかだった---。

結びに万感を込めてひと言。

「アントン、ありがとう。さようなら」
                        
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

So long !~ 大林宣彦さんへ。

2020年04月12日 09時54分12秒 | 追悼。
2020年4月10日19時23分。
映画監督「大林宣彦(おおばやし・のぶひこ)」さんが、
東京・世田谷の自宅で死去したことがわかった。
享年82。
4年前にステージ4の肺ガンで余命宣告を受けながら、
“ガンと仲良くする”スタンスで治療を続け、現場を離れなかった。

晩年の様子をTVドキュメンタリーで何度か見たことがある。
ディレクターズチェアを車椅子に代えてキャメラの横に陣取る姿は、
痩せ衰えてはいたが、実に生き生きとしていた。
映画を創ることが、好きで好きでしょうがない。
-----そんな風に思えた。

故人はよく「映像の魔術師」と称される。
これは、故人の幻想的な映像手法を指す。
現在のようなデジタル技術のないフィルム時代。
複雑な合成・着色を駆使して、
時に過剰とも思えるほど加工した世界を銀幕に映し出してみせた。
また、日本では珍しいドイツ製「アグファ・フィルム」で全編を撮り、
見慣れない、だが美しい映像美を世に送り出したりもした。

「大林宣彦」の名前を一躍有名にしたのは、
『転校生』(1982年)
『時をかける少女』(1983年)
『さびしんぼう』(1985年)
いわゆる“尾道三部作”だろう。

山の傾斜に建つ家々の間をぬって、縦横無尽に走る小道。
川と見紛う瀬戸内海(尾道水道)。
郷愁に満ちた街の佇まい。
そんな映画の中の風景を求めて訪れるファンが、今も途絶えないと聞く。
随分昔になるが、僕もロケ地を巡り感激した一人だ。

思えば、故人が映画監督としてブレイクする前から、
僕は「大林作品」が好きだった。
「チャールズ・ブロンソン」を起用した男性化粧品「マンダム」。
「ソフィア・ローレン」の「ホンダ ロードパル」。
「カトリーヌ・ドヌーブ」の「ラックス化粧品」。
「高峰三枝子・上原謙」の「フルムーン旅行」。
「山口百恵・三浦友和」の「グリコ アーモンドチョコレート」。
少年時代、ブラウン管には、彼の手掛けたCMが溢れていた。

監督、ありがとうございました。
お陰で楽しい時間を過ごすことが出来ました。
これからも、度々、貴方の遺してくれた作品に接すると思います。

最後に、キャリア中では数少ないミュージックビデオの1つをモチーフに、
「AKB48」と(勝手に)共演した拙作イラストを捧げ、手向けと致します。

So long ! 微笑んで
So long ! じゃあ またね

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小春日に たらちね見遣る 碧き空。

2019年11月02日 19時22分11秒 | 追悼。

今日(2019年11月2日)は、よく晴れた一日だった。

母親が亡くなって、ちょうど一年が経つ。
津幡町・舟橋の「京武蔵 津幡店」に於いて、一周忌の法要が営れた。

この施設の本店は、お隣・金沢市吉原町。
昭和34年(1959年)「武蔵屋食堂」として創業し、
結婚式場、法要専門館へと、業態を変化させ現在に至る。
津幡町には、平成18年(2006年)に進出。
「津幡店」は、常時人を置かない予約営業。
維持経費・人件費を抑え、なかなかの利益を上げていると聞く。
頻繁に足を運ぶ店ではない。
僕は初めて足を踏み入れた。

キレイな館内の様子。
用を足したトイレはバリアフリーだった。

法要室として、イス席の仏間が2部屋ある。
こじんまりとしたサイズ感も、ちょうどいい。
お経をあげてもらったら、会食だ。

小広間に座っていただいた料理は八寸から、
茶蕎麦、寿司、お造り、天麩羅、炊き合わせ、蒸し物、ご飯、椀、香の物など。

お腹いっぱいである。
こちそう様でした。

縁者が集い、ひとしきり話に花が咲いて、故人を偲んで会はお開き。
外に出て見上げた空は、美しい碧。
母親が死んだ時の空は、漆黒で星が瞬いていたっけ。
などと過日を思い起こしていたら、視界の隅から音もなく一筋の雲が生まれ出て、
見る間に天空を横断してゆくではないか。

・・・頭の中で、ピアノのイントロが鳴り始めた。

♪白い坂道が空まで続いていた
 ゆらゆらかげろうがあの子を包む
 誰も気づかずただひとり あの子は昇っていく
 何もおそれない そして舞い上がる

 空に憧れて空をかけてゆく あの子の命はひこうき雲

 高いあの窓であの子は死ぬ前も
 空を見ていたの 今はわからない
 ほかの人にはわからない あまりにも若すぎたと
 ただ思うだけ けれどしあわせ

 空に憧れて空をかけてゆく あの子の命はひこうき雲

 空に憧れて空をかけてゆく あの子の命はひこうき雲
             
            <作詞作曲:荒井由実>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さようなら、唯一無二のふたり。ー4月23日追記。

2019年04月21日 17時10分57秒 | 追悼。
訃報は、立て続けだった。

モンキー・パンチさん、ペンネーム由来は「西遊記」好きで「パンチ」があるのがいいと…

小池一夫さん訃報から一夜 令和楽しみにしていた…「3時代を生きられるかなあ」

漫画家「モンキー・パンチさん」-本名=「加藤一彦さん」が、
今月11日に亡くなった。
81年の生涯だった。
言わずと知れた「ルパン三世」の生みの親。
北海道出身。 昭和40年(1965年)にプロデビュー。 
「週刊漫画アクション」で連載した代表作は、
何度もテレビアニメ、劇場アニメ、実写映画化された。
世代を超え、海を越えて多くのファンを獲得している。

漫画原作者「小池一夫さん」-本名=「俵屋星舟さん」が、
今月17日に亡くなった。
享年82だった。
秋田県出身。 さいとうプロダクションに原作者として参加。
「ゴルゴ13」などの原作に関わり、昭和45年(1970年)に独立。
代表作は「子連れ狼」「修羅雪姫」「クライング・フリーマン」等々。
後進育成を目的に主宰した「劇画村塾」からは、
高橋留美子、中村真理子、原哲也、山本直樹、板垣恵介、狩撫麻礼・・・
数多の才能を輩出している。

昭和から平成を股にかけ輝く漫画界の星が、
令和に至る直前、2つも燃え尽きてしまった。
「峰不二子(ルパン三世)」と「鹿島小夜(修羅雪姫)」を描いてみました。
拙作を捧げ、手向けとします。
楽しい時間をありがとうございました。
さようなら。

<※4月23日 追記>
拙作イラスト、粗が目立ち気になる。
描き直してみた。
色使いは単純に。
表情は躍動的に。
改めて掲載します。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする