つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡川は、鴨天国カモ?!

2011年12月31日 13時24分51秒 | 日記
津幡町の「町の鳥」は白鳥だが、街中ではまず遭遇しない。
そもそもが渡り鳥であり定住している訳ではないし、飛来地は河北潟だ。
日常的に見掛ける主な鳥は、雀、烏、鳩、鳶、鷺、カルガモなど。
そして冬になると「マガモ」の姿が目立つ。

津幡川の下流域は、殆どが整備されたコンクリート護岸。
川岸の自然は豊かとはいえないが、おやど橋から白鳥橋の間、
川が大きく蛇行している辺りは、泥や砂が堆積し、葦が繁茂。
そのエリアは、鯉や鮒、亀、蛙など動物の種類も豊富。
植生も盛んで鴨の餌場になり、川面を群れ飛ぶ光景を目に出来る。
「今日の一枚」のように。

季節によって、また時刻によって違った表情を浮かべる津幡川は、
散歩の大きな楽しみの1つ。
2012年も、滔々と流れ続けてください。
どうかよろしく。

そして今年、このブログをご覧いただいた皆様へ。
お付き合いいただき、多謝!
来年も、ちょくちょく覗きに来てやってください。
どうぞよしなに。

よいお年を。

 
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2011、年の瀬の津幡町

2011年12月30日 20時27分55秒 | 日記
大掃除のタイミングで、調子の悪いドアノブを取換えようと、
午前中に「コメリパワー津幡店」へ足を運んだ。
去年・8月29日に投稿したとおり、ここはペット同伴OK。
短い晴れ間、散歩を兼ねて「りくすけ」を帯同してのショッピングである。
店内は、正月飾りや日用雑貨を求める人が詰めかけ、なかなか盛況。
やはり年の瀬は気ぜわしいものだ。

…さて「今日の一枚」は、そんなホームセンターで撮影した「練炭」。
スペースを割いて、山積みになっていたという事は需要があるのだろう。
更に画面からは見切れているが、右隣りには「豆炭」がドッサリ。
10キロ単位の大袋で販売されていた。
これも2011年の冬だからだろうか?
東日本大震災による原発事故以降、日本国内の炉の火が軒並み消え、
電力の不足が懸念されている。
夏と同様に「節電」が叫ばれる中、
化石燃料…石油系だけでなく石炭系にもスポットが当たった。

しかし、業務用ならばともかく、家庭に於いてはいかがなものだろう。
使えるお宅は多くないのではないだろうか?
何しろ、練炭や豆炭が、暖を取る熱源の主役の座から降りて随分と経つ。

僕が幼い頃、生家の居間には「練炭掘りゴタツ」が鎮座。
冬になると、台所の地下収納から黒い塊を取り出し、コタツの中に入れ、
マッチを擦って火を付けるのが毎朝の日課だった。
燃え始めると独特の匂いがし、時折、一酸化炭素の影響なのか、
軽い頭痛に見舞われたのものである。
昔の家は気密性が低く、隙間風は当たり前。
自然と換気が行われていたお陰で中毒には至らなかった。

電気ゴタツに変わったのは、小学校高学年くらいの事。
やがてファンヒーターが登場し、
練炭が活躍するシーンは過去のものになって、早や20年近くが過ぎている。
しかも、ここ10年来、自殺の道具として使われるケースも報道され、
すっかり「悪役」のイメージが定着していた感が強い。
なのに今、堂々と練炭が並ぶ。
「今日の一枚」は、世相を反映しているのかもしれない。

…あ、話の発端になったドアノブは、無事付け替え完了。
気持ちよく新年を迎えられそうだ。
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津幡町の景色が気付かせた、記憶と現実の違い。

2011年12月29日 22時51分06秒 | 日記
「今日の一枚」は、ファミリーデパート「ムラサ」址に出来た住宅展示場。
今年9月13日の投稿で、様変わりした様子については掲載したが、
既に上物が完成し、建売販売中である。
その真新しい棟に「万国旗」が掲げられていた。

旗の種類は、スウェーデン、日本、イギリス、カナダ、フランス、
オーストラリア、ブラジル、スイス、ドイツ、韓国、アメリカ、
イタリア、中国など、総勢20ヶ国あまり。

国連やサミット、博覧会などのインターナショナルな催しの際、
各国の国旗が並び、はためく画は壮観に感じるが、
それを模して始まったと言われる「万国旗」は、やはり賑々しい。
イベントやお祭り会場ではお馴染みのアイテムである。
小学生時代、運動会のグラウンド上空を飾る万国旗を眺めては、
何となくウキウキしたものだ。

しかし、当時の記憶とズレがある事に気付く。
まず、真っ赤な布地に黄色の鎌と鎚を染め抜いた「ソ連」の旗がない。
津幡町の小学生でも意識した大国の印象的なビジュアルが欠けている。
チェコスロバキア、東ドイツ、ユーゴスラビアなど、
80年代末~90年代初頭の民主化革命によりなくなってしまった国。
北朝鮮に代表される「大人の配慮」で削除されたであろう国。
世界情勢につれて変貌した訳だ。

2011年は、ソ連崩壊から20周年。
ミハイル・ゴルバチョフ大統領辞任は、確かクリスマスの出来事だった。

<追記:2011年12月31日>
大晦日、散歩でムラサ址の前を訪れたところ、万国旗は消えていた。
 
代わって、人の暮らしの気配がした。
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津幡町の遺跡。

2011年12月28日 21時24分58秒 | 日記
「今日の一枚」の撮影場所は、
津幡の中心街から5キロあまり北上した「中山地区」。
富山県・小矢部市方面へ向かう山間の集落である。
散歩中、こうした古い看板と出会うのは、
何故か、特定の民家や納屋の壁面に掲載してある事が多い。
…思うに、これらの看板達が掛けられたのは、平成以前だと思う。

文字・図柄が判別できる4枚のうち、最も大きな一枚。
「なべおさみ」氏をキャラクターに起用した消費者金融のブリキ看板には、
問合せ先としてフリーダイヤルの番号が案内されている。
この着信課金サービス開始は1985年。
率先して取り入れたであろう業態だけに、四半世紀は経っていると思われる。

 

次に「ハイアース」のホーロー製看板。
殺虫剤を手にする「水原弘」氏は、
昭和34年「黒い花びら」で第1回日本レコード大賞を受賞した
昭和歌謡界を代表する歌い手。
その後も数々のヒット曲を出すが、昭和53年、肝硬変で他界されている。
この看板は、40年ほど前に盛んに制作されたスタイルらしい。
「浪速千栄子」氏の「オロナイン軟膏」。
「松山容子」氏の「ボンカレー」。
「大村崑」氏の「オロナミンC」。
「由美かおる」氏の「アース渦巻」と同様に、
大塚グループの懐かし看板の代表格である。

 

他「二宮内科医院」は、津幡町潟端の町医者。
「川金」は、富山県・砺波市の老舗旅館。
いずれも歴史あるスポットだ。
…以上の理由から、津幡町・中山の看板群は
「昭和の遺跡」と推測できるのである。
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津幡町で、一頭の馬と一人の「馬」の思い出を記す。

2011年12月27日 21時55分51秒 | 追悼。
2011年もいよいよ大詰め。
何かにつけ一年を振り返る時期になった。
新語流行語年間大賞は「なでしこジャパン」。
今年の漢字に「絆」。
どちらも3・11後の日本人の「気分」を反映した選出である。
仮にあの災害がなかったとしても
「サッカー女子日本代表」の快挙は、国民の心を高揚させただろう。
しかし、結果としてあの悲劇は彼女達の活躍をより際立たせた。
仮にあの災害がなかったとしたら「絆」という言葉は、
これ程にも心に響かなかったかもしれない。
前回の投稿にも書いたように、他にも色んな事があった。
文字通り「激動の年」だったと思う。

…さて、変わって今回は個人的な2011年の思い出を2つ記してみる。
1つは「冒頭の一枚」。
縁あって、秋に「金沢乗馬倶楽部」へ足を運び、生まれて初めて鞍に跨った。
乗馬時の目線の高さ。
馬体から伝わる体温に独特の揺れ。
これまでに味わった事のない貴重な体験だった。
そして、サラブレッドの美しさに目を見張った。
よく発達した臀部と後ろ脚の筋肉。
脂肪など欠片もない堂々とした腹部。
太い頸に支えられた流線型の顔。
全てを支える、脆弱な足先。
速く走るために品種改良を繰り返した果ての「美術品」なのである。

…続いては遺影。
上田「馬」之助氏の死去だ。

 

「まだら狼」「金髪の悪魔」などと呼ばれ、悪役レスラーとして活躍した、
元プロレスラーの上田馬之助さん(本名・上田裕司)は12月21日、
自宅のある大分県臼杵市内で急死。
71年の生涯だった。
1960年(昭35年)に相撲界から日本プロレス入り。
1970年代から国際、新日本、全日本などを渡り歩き、
凶悪ファイトで、アントニオ猪木らと名勝負を繰り広げた。
70年代に「タイガー・ジェット・シン」と凶悪タッグを結成。
現役時代はファンの憎悪を一身に追い「どうやったら嫌われるか」を
常に考えていた素敵なプロ…希代の悪役が天国のリングへ召された。

三途の川の向こうで、閻魔大王をビビらせて下さい。
合掌…。
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