つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町に見るプライスダウンと時代の変遷。

2012年09月30日 20時24分35秒 | これは昭和と言えるだろう。
「今日の一枚」は「めがねのアイビー 津幡店」。
右が店舗。 左奥には看板。
更に道を挟んだ最奥部には「津幡町文化会館シグナス」が写っている。
以前は、本津幡駅に近い県道沿いにあったが、
2005年12月に現在地へ移転した。

僕は、旧店舗で2度メガネを買った事がある。
かれこれ20年近く前の1度目は、レンズと合わせて8万円あまり。
それから10年近く後の2度目は、レンズと合わせて3万円あまり。
フレームは、同じ「ジョルジオ・アルマーニ」。
材質の違いやレンズの質など細かな事は思えていないが、
そのプライスダウンに驚いたものである。
バブルが弾けデフレが進むと、こんなにも変わるものなのかと…。
それが今や、店外ディスプレイにあるとおり、
レンズ+フレームセット価格「4800円より」!
いやはや、世の常識は激変したのだ。

僕が子供だった当時、眼鏡専門店はなく、
津幡中央銀座商店街でもスカールでも、宝石・時計と一緒に販売されていた。
明らかに高級品のカテゴリーに属していた事を考えると隔世の感がある。

宝石・時計・眼鏡、三位一体の理由は何だろう?
宝石と時計は分かる気がする。
どちらも欧米からの輸入が主だった時代、
元締めの商社などが一緒に仕切っていたのではないか。
ここに時計が加わるのは何故だろう?
…想像でしかないが、クォーツ誕生以前の「機械式時計」の取り扱いと、
眼鏡のレンズ交換やフレーム調整に共通したキーワードが思い当たる。
それは“精密”だ。
どちらも特殊な道具とそれを使いこなすテクニックが要求される。

平成の世ほど流通や販売が細分化されておらず、
個店での自己完結とオールマイティが要求された昭和期。
プライスには「技術料」も含まれていたのだろう。
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津幡の街角で見つめた70'Sの偶像達。

2012年09月29日 10時38分32秒 | これは昭和と言えるだろう。
2011年6月11日「津幡の街角で見つめたアイドル歴」と題し、
個人的なアイドル歴について投稿した。
記憶を手繰る糸口になったのは、
文房具店の店頭に張り出された「AKB48」の「カードシール」である。
未だに顔と名前が一致しないのは相変わらずだが、
彼女達の活躍の場が、以前に増して拡大しているのは実感。
その一例が「今日の一枚」…「ダスラー津幡店」傍で発見した幟だ。
今回は、これを端緒に個人的な記憶に残る、
日本の女性アイドル・グループ達を振り返ってみたい。

まずは「花の中三トリオ」。
 

左から「山口百恵」「森雅子」「桜田淳子」。
70年代初頭に「スター誕生」からデビューした若く可愛い少女達が、
それぞれ違った路線の作品をリリース。
「花の中三トリオ」は、正確にはグループではないが、一種のユニット。
ライバル同士でありながら、求めに応じて離散集合しながら活動するのは、
三羽烏、御三家、三人娘などの伝統を受け継ぐ形態である。
僕は、憂いを湛えた大人っぽい「山口百恵」が好きだった。

このトリオ編成で大成功したのが「キャンディーズ」である。
  

「スクールメイツ」「8時だョ!全員集合」のアシスタントとしての
下積みを経て昭和48年(1973年)にレコードデビュー。
「年下の男の子」「ハートのエースが出てこない」「春一番」。
「やさしい悪魔」「暑中お見舞い申し上げます」「微笑みがえし」など
残したヒット曲は多数。
人気絶頂時「普通の女の子に戻りたい」と解散を宣言し、
紙テープが乱れ飛ぶ舞台上で「本当に私たちは幸せでした」と終止符を打つ。
当時、津幡小学校の教室でも散々話題になった「事件」だった。

そして“真打”「ピンク・レディー」。
  

昭和51年(1976年)「ペッパー警部」でデビュー以降、
世の中を席巻したスーパーアイドルと言えるだろう。
ヒット記録・受賞歴は、前述の「キャンディーズ」を大きく凌駕。
更に、音楽界の枠を大きく飛び越えていったからだ。
当時、2人の姿をプリントしたキャラクター商品が幾つあったことか。
玩具・衣料・文房具・食品・食器・自転車等々…枚挙に暇がない。
「ピンク・レディー」という“市場”があったのだ。
また、作品に合わせた衣装を身にまとい、毎回違ったダンスを披露。
彼女達の歌や踊りを覚えようと練習するファンが大勢いた。
身近でいて巨大な存在だったのである。

…それは「AKB48」のプロトタイプと言えるかもしれない。


※追記:2012年9月29日

よくよく考えてみたところ、
「先に挙げた2つも影響を与えているのでは?」…と思い始める。
大所帯グループの中でメンバー同士による個別ユニットを組む手法は、
「中三トリオ」の例に倣う。
「前田敦子」(←さすがにこの人は知っている^_^;)の卒業公演は、
近い将来の幕引きを予め伝え、人気を更に盛り上げた点で、
「キャンディーズ」解散コンサートに重なるのである。
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津幡町で感じた政治との距離。~40years ago~

2012年09月28日 05時19分16秒 | これは昭和と言えるだろう。
おととい2012年9月26日、自由民主党総裁選挙が投開票され、
「安倍晋三」元首相が、第25代総裁に選出。
「今日の一枚」…ポスターの主役「谷垣禎一」氏は、その座を譲った。
4名で争われた今回の選挙、1回目の投票では当選に必要な過半数に届かず
上位2名による決選投票の末に決着した。

この展開は40年ぶり。
前回、昭和47年(1972年)の「第一次 角福戦争」当時、
僕はまだ小学生だったが、その喧騒を薄らと覚えている。
田中角栄。 福田赳夫。 大平正芳。 三木武夫。
いわゆる「三角大福」が、互いの派閥を率いて国会議事堂に陣取り、
目をギラつかせ鎬を削る姿は迫力があった。

また、僕たち子供の間でも、政治家のモノマネをしたものである。
扇子を仰ぐ仕草と共にダミ声で「まぁ~、このぉ~」。
心持ち目を細め頷きながら「ほー、ほー、ほぉー」。
顎を引き、何か言い澱みつつ「あぁ~…うぅ~…」云々。
それだけ政治との距離が近かったと言えるかもしれない。

さて「角福戦争」の勝者・「田中角栄」氏については、
やはり同じ40年前、印象に残る出来事があった。
ちょうど今頃、昭和47年(1972年)9月29日に締結された
「日中国交正常化」である。

政権発足3ヶ月にして成し遂げた快挙を伝えるニュースは、
津幡町に暮らすハナタレ小学生が、未知の国「中国」に触れた瞬間。
見慣ぬ人民服に身を包んだ中国の首相が、
共同宣言文に毛筆で署名する映像を、固唾を呑んで見守った。
そして、上野動物園にツートンカラーの「大熊猫」がやって来て、
日本中がパンダフィーバーに沸くのである。

  

    

あれから時は流れ、日本も中華人民共和国も変わった。
今、両国の関係は悪化の一途を辿っている。
日本政府の尖閣諸島国有化に抗議するデモが中国各都市で勃発。
日本企業や日系スーパーが襲撃されたり、デモ隊が武装警察隊員と衝突。
節目を祝う記念祭典・イベントが予定されていたが、
中止の憂き目にあっている。
彼の国の論調を耳にする度に溜息をついてしまうのは、
僕1人ではないはずだ。
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朝餉時 暮らしを偲ぶ 津幡かな。

2012年09月27日 07時43分33秒 | 日記
「今日の一枚」は、今朝の津幡町のとある住宅街。
ちょうど朝餉の支度時に散歩をしていると、
彼方此方の家々から、プ~ンといい香りが漂って来る。

程よく焦げ目が付いた魚の身と脂。
フライパンの上で炒りつく卵。
煮立つ味噌。
淹れたての珈琲。
こんがりと焼けたトースト…。

それぞれの画が浮かび、食卓の様子が偲ばれ、
食欲が刺激されて、心を惑わされる。
そして、幸せな気分にも浸れる。
つくづく、香りは雄弁だと思う。

一方、彼は他の香りを嗅ぐため懸命だ。

   

人間の何倍も嗅覚が鋭いと言われる犬。
こうした行為で、どんな情報を得ているのだろう?
脳裏にはクッキリと実像が浮かんでいるのかもしれない。
匂いを付けた物の姿形や年齢、体調・健康状態まで、
微に入り細にわたって。
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茄子紺、津幡町に実る。

2012年09月24日 23時59分27秒 | 自然
きのうは「新米」について投稿した。
末尾に新米と相性の良いおかずを列記した中に「焼きナス」を盛り込んだが、
茄子は今まさに旬。
散歩をしていても、畠のそこかしこで見かける。

およそ320年前。
日本各地へ旅をしながら歌を詠んだ「松尾芭蕉」が金沢で催された句会で、
目の前に出された新鮮な茄子を題材に、こんな一句を残した。
【秋涼し 手毎にむけや 瓜茄子】
「秋の初め、部屋には涼しさが溢れている。 
 さぁ、それぞれに瓜や茄子を剥いていただこうじゃないか。」
…という歌だが、猛暑が過ぎて心地良い季節になった喜びが伝わってくる。

昔から日本人に愛されてきた茄子は、インドが原産。
7世紀から8世紀にかけて伝来し、
現在、全国で栽培されていて、形は産地によって様々だ。
一般的な「長卵茄子」や、丸くて水分が多い「水茄子」。
一口サイズの「小茄子」。30センチを超す長さの「長茄子」。
バラエティ豊かな品種に共通しているのが、
光沢のあるツヤツヤの美しい肌と「茄子紺」。
独特で鮮やかな紫色だ。

そして、その茄子紺を目で味わいつついただくなら漬物がいい。
欠かせないのは「ビナス」。

   

祖母が使っていた「なす漬の素」。
昭和のロングセラーである。
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