つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町の穏やかな週末。

2013年04月28日 20時49分03秒 | 日記
2013年の黄金週間が始まった。
カレンダー通りのスケジュールの人。
飛び石の合間も含めて長期休暇の人。
世間が休みの時こそ忙しい人。
…GWの過ごし方はそれぞれの事情によって変わるだろうが、
津幡町内の空気はいつにも増して「のんびり」としている気がする。
かく言う僕は、仕事である(・。・;

「今日の一枚」…横浜中交差点から望む南の空は、初夏の装い。
碧い空と山の稜線に浮かぶ、積乱雲の白が眩しい。
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朝霧や 見えつ隠れつ 津幡町。

2013年04月25日 23時42分54秒 | 日記
今朝、目覚めてみると町は濃い朝霧の中。
いつもなら見渡せるはずの景色は、空気中を漂う微小な水滴によって遮られた。

樹木。
電柱。
家屋。
視界。

皆、白い霞の向こうに隠れてしまった。
…しかし、そんな中で、逆にクッキリと浮き上がったものもある。

  

  

むせ返る湿気の水滴を纏った「蜘蛛の巣」。
露わになった家に主はいない。
本来なら、朝の光にまぎれて獲物を捕らえるはずの罠が、
体を成していないが故に。
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津幡町の大きな水鏡。

2013年04月24日 18時00分40秒 | 自然
「今日の一枚」は、4月末の田圃。
稲を迎える前の水を張ったそこは、空と辺りの風景を映す「水鏡」だ。

ちょうど今、津幡町内のあちこちで目にする機会が多く、
春から初夏へと、季節の移ろいを感じさせてくれる。
これから代搔きが行われ、GWに田植えが済めば、早苗が緑の点描となって並び、
やがて若葉が茂って、田圃は、実りの秋へ向かって刻々とその姿を変えてゆくだろう。
そして、刈取りが終わるまで、様々な生き物が生活する場にもなるのだ。

春、最初に訪れるのはドジョウやメダカ。
冬眠していたザリガニやタニシも活動を開始。
水面には浮草が茂る。
夏になると、鯰、鮒、鯉、オタマジャクシなどが行き交い賑やかだ。
豊年海老をはじめとする甲殻類や、
蜻蛉が産み落とした卵から孵ったヤゴが泳ぐ姿も見かける。

暑さが盛りを迎え、水を抜いてヒビが入るまで乾かす「中干し」が行われる頃には、
稚魚たちは川や水路へ旅立ち、オタマジャクシはカエルに成長。
再び水が入った後は、賑やかなカエル達のステージへと姿を変えるのだ。

田圃は、人が生活に必要な恵みを得るために手を加え、整備してきた環境。
いわば長い時間をかけて人と自然が一緒に創り上げた「共同作品」。
これからも大切に護ってゆきたい景観である。
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津幡町の道に、問題と発見アリ。

2013年04月23日 21時39分05秒 | 日記
「今日の一枚」は、近所の側道。
真新しいアスファルトが敷かれているのを見ても分かるとおり、
ごく最近まで工事が行われていた。
工事以前…「りくすけ」が匂いを嗅いでいる電柱の辺りから左側は側溝だったのだが、
下水道の普及によって役目を終え「暗渠化」。
蓋をした分だけ、道路が拡張したのである。

しかし、ドライバーにとっては、道が広がり便利になったという実感が薄い。
何故なら、電柱の位置が狭かった頃のままだからだ。
注意を促すためのコーンが並び、車同士がすれ違う場合は障害になる。
せっかくお金も労力もかけて工事をしたのに、これじゃ片手落ちだ。
どうせなら、電柱の移動や電線埋設まで行って欲しい。
更に、夜間にコーンの上の警告灯が点滅する様子を目撃するにつけ、
電気を浪費していてもったいないなぁと感じていた。

が、しかし…今朝の散歩で僕の見解の誤りを発見。
コーンの警告灯のエネルギー源は「ソーラー」だったのである。

  

赤いカバーの天辺には、太陽電池。
同じく赤いカバー内には、変換された電気エネルギーによって動くICチップを内蔵。
御見それしました。

<追記:2013年5月25日>

5月の声を聞いた頃、電柱は無事に撤去された。
とても通り易くなりました。
   
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津幡川の葦と津幡町の往昔。

2013年04月22日 23時20分36秒 | 日記
最近、「落語」にハマっている。
笑いを誘う話芸の妙もさることながら、
噺に盛り込まれた江戸の風俗・エピソードが興味深い。
ジャンルとしては「古典」が好みだ。
先日聞いたのは「吉原」を舞台にした「紺屋高尾(こうや・たかお)」。
あらすじは以下の通りである。

神田紺屋町、染物屋の職人「久蔵」が寝付いてしまった。
原因は「岡惚れ」。
兄弟子に連れられ初めて足を踏み入れた「吉原」で花魁道中に出くわし、
恋患いしたらしい。
相手は、飛ぶ鳥落とす勢いの大店「三浦屋」の「高尾太夫」だ。

当時、花魁は江戸の大スター。
雲の上の存在で、実際に遊ぶ事など出来る物ではなかった。
しかも「太夫」となれば、見識があり美貌が良く、教養があり、
吉原の遊女3,000人のNo.1。
文が立ち、筆が立ち、茶道、花道、碁、将棋が出来て、三味線、琴を嗜み、
歌が唄えて、和歌、俳諧に通じる万能選手。
豪商、大名がお相手で、庶民は浮世絵を眺めてため息を突くのが関の山。
つまりは“身分違い”なのだ。

しかし、理屈で割り切れないのが人の心。
久蔵は、頭で分かっているのだが、どうにも諦めきれない。
何もかも全て高尾太夫に見え、飯は喉を通らず、夜も眠れず…。
見るに見かねて、親方はこう言った。
『十五両だ。 十五両貯めたら、高尾に会える!』
久蔵は、働いた。
寝る間も惜しんで、働いた。
3年間働き、十八両と二朱貯めた。
そして、染物職人の身分を隠し、醤油問屋の若旦那と偽って、
近所のお医者様に連れられ、憧れの高尾の前へ…。

共に一夜を明かし、思いを遂げて迎えた朝。
高尾は一幅つけながら久蔵に聞いた。
『こんどは何時来てくんなます?』
久蔵は、両の目に溢れる涙と一緒に声を絞り出すように言った。
『…3年経たないとこれないのです…。』
そして、何もかも告白した。
自分が何者で、どんな思いを抱えて、今ここにいるかを。

男の一途な気持ちに感動した高尾は決心した。
『来年の3月15日、年季が明けたら、わちきを女房にしてくんなますか?』
そして約束の日。
高尾は久蔵の前に現れ、めでたく夫婦になった…。 

噺家さんによって細部の組み立てが異なるようだが、概ね、こんな感じ。
お話しの舞台になった「吉原」は、元々、人の住まない湿地帯で、
葦ばかりが生え、強盗が出るような荒れ地だったそうだ。
それで売春エリアにでもすれば少しはマシになるだろうと考え造成。
葦原は「悪(あ)し」に通じるので、吉の字を充て「吉(よし)はら」になった。



…という事で「今日の一枚」は、津幡川の小さな葦原である。
北国街道の小さな宿場町だった津幡町が「廓」だったとは思えないが、
遊女屋の一つや二つはあったのかもしれない。
そこでは、男と女のドラマが繰り広げられたのだろう。
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