つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町で、師走を告げるもの。

2011年11月30日 07時51分19秒 | 日記
「今日の一枚」は、津幡中央銀座商店街の一角…
「岩井守商店」前にて撮影。
「おせち」予約販売受付中の告知ディスプレイである。

明日から12月。
あと2週間もすれば、新年の準備に取り掛かる日「正月事始め」。
書いて字の如く、駆け足でやってくる師走。
続くお正月に欠かせないのが「おせち料理」である。

【おせち】の語源は、季節の変わり目とされる【節句】。
今も、3月3日の「桃の節句」や、
5月5日の「端午の節句」を祝う習慣が残っているが
「おせち料理」は、元々、節句に神様にお供えをしていた料理のことだ。
現在では、その習慣は少なくなったものの、
一年の最初の節句…お正月の料理を表す言葉だけが残り
「おせち料理」となった。
お正月に迎える「年神様」は、火や大きな音が苦手なため、
保存が効き且つ豪華な料理を事前に作って、もてなしていたらしい。

昔と比べ、デパートやスーパー、ネット通販など
外注購入が多くなった「おせち」。
ここ数年は、景気低迷によって節約志向が高まり、
年末年始を自宅で過ごす方が増え、こうした傾向が強まっているそうである。

さて、撮影場所となった「岩井守商店」。
ギフトショップ「シャディ サラダ館 津幡店」として門戸を開いているが、
かつて河北郡では最大規模の酒蔵だった。
生産銘柄の1つは「兼六」。
子供のころ、父親の使いで近所の酒屋へ買いに出かけた。
しかし、現在「兼六」は津幡町から離れ、松任の「金谷酒造」で醸されている。
まだ町内には、電柱広告などが残っているが、
時の流れと共に姿を消しつつあるのが寂しい。

 
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津幡町の秋の落し物。

2011年11月29日 07時12分52秒 | 自然
季節は、迷いながら進んでいる。
冷たい雨に濡れたかと思えば眩しい日差しが辺りを包み、
日によって寒暖の差が激しい。
冬へと進むか、それとも秋に戻るか、まるで決めかねているようだ。
しかし、時の流れは常に一方通行。決して止まらず後退を頑なに拒む。

空から白き使者が舞い降りて来る前の今、
散歩中に、秋が落していった風物と出会った。

 
<毬栗ホールインワン>

 
<銀杏の実と葉>

 
<水底に留まる柿の実>

いずれも地に伏し、冬の訪れを待っている。
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津幡町の罠。

2011年11月27日 11時27分38秒 | 自然
「今日の一枚」は「プラント3津幡店」近くの倉庫前で撮影した「箱罠」。
イノシシ、シカなどの中型~大型獣専用捕獲檻である。
獲物が、檻の奥にぶら下げたエサを目指して入ってきて
仕掛けワイヤーに触れると、瞬時に作動板が動き、シャッターが閉じる。
ロック機能によって、暴れてもシャッターを持ち上げる事が出来ない仕組みだ。
サイズは、縦・横1メートル、奥行き2メートルあまり。
大きな鉄の檻が7台ほど並んだ様子は、なかなか物々しい。

農林水産省のHPによると、
平成21年度に野生の鳥獣が引き起こした農作物被害額は、およそ213億円。 前年度に比べ14億円アップした。
被害のうち、全体の7割がイノシシ、シカ、サルによるものになるそうだ。
また、若木や樹木の皮をはぐなどの森林被害も深刻化していると聞く。
津幡町にとってもこうした状況が同じだからこそ、「箱罠」が必要なのであろう。
野生鳥獣による被害は、平成に入って増大した。
その理由の1つは、山のすそ野から田畑が広がる一帯…
「里山」が減ったためだと言われている。

かつて、暮らしと「農」がより身近だった頃、
人々は森の中に分け入って生活や産業で使う薪を取り、炭を焼くなどしていた。
つまり、定期的な手入れを行っていたのである。
若く細い木が中心の林の中では、小型のほ乳類は住めても、
身を隠す場所のない中型~大型にとっては不自由な環境。
「里山」は、人里と奥山の緩衝地帯…クッションとして機能していたのだが、
人と「農」との距離が離れると、山が荒れ、
人と野生鳥獣とのテリトリーが重なるようになった。

鳥獣被害の根絶は、補殺ではなく、
残された貴重な里山の保全と、新たな里山創出、
整備された自然林復元によって成し遂げるのが理想である。

ところで、津幡町・杉瀬の丘陵には『猪塚』という場所があったらしい。
安永五年(1776年)、大雪に乗じて数千頭の猪を狩取り、
その尾を集めて供養したという石碑が建立されていた。
昭和五十九年(1984年)、道路敷設のために移転する事になり
調査が行われたのだが、目立った出土品はなかったそうである。
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着々と雪に備えし津幡町。

2011年11月26日 08時32分30秒 | 日記
今日は久しぶりに晴れの予報だが、きのうまで日本列島上空の気圧配置は西高東低。
典型的な冬型だった。
夜には、ハンドルを握っている時に、霰と遭遇。
タイヤの履き替えを考えなければと実感する。

そんな、白くなった路面を走った今週火曜日・11月22日、
二十四節季で言うところの「小雪(ショウセツ)」を迎えた。
小雪は、立冬を過ぎ冷え込みが厳しくなり、僅かながら雪が降り始める頃を指す。
次の暦は「大雪(タイセツ)」。
いよいよ雪が降り積ってくる頃を指し、来月・12月7日に迎える。
各地の平年の初雪は、北海道や東北地方は小雪の前。
東北の南部から北陸、そして山陰にかけては、小雪と大雪の間が多い。
そろそろ石川県でも初雪が降る可能性が高いという事だろう。
散歩中に、あちらこちらで雪への備えを目にする機会が増えた。

「冒頭の一枚」は、津幡駅に停車中のラッセル車。
雪を掻き分けるブレード(排雪板)を装着する前の整備段階ではないかと思う。
11月に入り、日本海側から「ラッセル車点検始まる」とのニュースが届いていたが、
津幡町も同様だ。
積雪量は減少傾向とはいえ、有事への対応は怠りない。

「次の一枚」は、勾配のある橋に備え付けられた融雪剤。

 

雲の多い空。
少し錆が浮いた欄干。
看板。
融雪剤の周辺の景色は、2010年12月4日に撮影・投稿した時と同じ。
ただ、前回は背景に写っていた津幡小学校の旧校舎が消えたのが寂しい。

「次の一枚」は、雪吊り作業。

 

ちょうど枝葉の陰になってしまい分かりにくいが、
腕を伸ばした植木職人さんが、縄を張っているところである。

落葉樹が葉を落とし固い芽を結ぶように。
動物たちが命をつなぐために眠るように。
人間も冬特有の営みがあるのだ。
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生まれ変わった津幡町の集い。

2011年11月25日 23時25分35秒 | 日記
このブログを立ち上げて間もない2010年5月25日。
『店屋物』のタイトルで、生家の近所にあった「本多食堂」について投稿した。
既に食堂としての幕は閉じていたが、今年9月、ついに解体工事が始まる。
その時に撮影したのが「冒頭の一枚」。
窓ガラス、出入り口の扉、据え付けのショーケースも外され、
建物の中を風が吹き抜けていた。
細かなガラス片やコンクリート片を踏みしめ足を踏み入れると物哀しさが募る。

 

営業当時に活躍したであろうガス台址と階段である。
注文を捌く声や油の跳ねる音が響き、グラグラと煮えた鍋から上がる湯気など、
活気に満ちていたであろう面影はない。

 

やがて瓦礫の山となった2ヶ月後、新たな姿が現れてきた。

 

そして更に2か月が経った本日、

 

 

我が家に最も近いコンビニエンスストアが開店。
再び人々が集う場所…「堂」となった。
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