つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

流鏑馬(やぶさめ)ターン。

2021年11月29日 23時59分00秒 | 賭けたり競ったり
                  
きのう(2021/11/28)多摩川競艇場に於いて、
SG「第24回 チャレンジカップ」優勝戦が行われた。
乗艇メンバーは以下の通り。

1号艇:辻 栄蔵(広島)
2号艇:瓜生正義(福岡)
3号艇:新田雄史(三重)
4号艇:桐生順平(埼玉)
5号艇:中島孝平(福井)
6号艇:山口 剛(広島)

トップでゴールを駆け抜けたのは、1号艇「辻 栄蔵(つじ・えいぞう)」。
素晴らしいレースだった。



「辻」のスタートは悪くなかったが、ファーストターンを失敗。
アクセルを握り過ぎて膨らんでしまう。
ぽっかり開いた内懐を2号艇「瓜生」と4号艇「桐生」が差し込んできて、
セカンドターン手前では3番手に甘んじてしまう。
絶体絶命!?
しかし「辻」は冷静だった。



“瓜生君との一騎打ちだと思ったが、その瞬間に桐生君が見えた。
もしかしていい展開になるのかなと思い、
2マークはあそこだけを狙った”

--- 優勝インタビューでそう語った通り、
「桐生」を制して先に回った「瓜生」の艇が勢い余って外へ流れたのを見逃さず、
狙い済ました旋回が突き刺さった。



一点突破、全面展開!
鮮やかに「辻」が艇団を割った時、僕は、日本の伝統武術を連想した。
疾駆する馬をコントロールしながら、揺れる不安定な状態で的を狙う。
グリップのない水上を疾走しつつ、近未来を思い描き正確に艇を操る。
コレって似ていなくもない?!
実に力強く緻密で美しい「流鏑馬(やぶさめ)ターン」である。
見応え充分、楽しませてもらった。



「辻」はグランプリ圏外から一気にジャンプアップ。
来月の大一番参戦へ名乗りを上げた。
おめでとう!
2着の「瓜生」も同様。
3着の「桐生」は一つ上のランク、ベスト6入りで二次予選からの参戦権を掴む。
皆、今節のタイトル通り、チャレンジを実らせた。
僅か2週間後(2021/12/14~)、日本一を争う戦いの火ぶたが切られる。
                                    
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賭けたり、競ったり、挑戦したり。

2021年11月28日 10時22分22秒 | 賭けたり競ったり
                     
競艇界のチャンピオンは、一年間で獲得した賞金額によって決まる。
その最終決戦は、12月に行われる「グランプリ」。
女子限定なら大晦日の「クイーンズ・クライマックス」だ。
参戦の基準は、単純明快。
11月末時点で、賞金ランク上位に入らなければならない。



本夕、東京都府中市・多摩川競艇場に於いて、
最終決戦のリングに上がる権利を賭けた男女それぞれの優勝戦が行われる。
まず、G2「第8回 レディースチャレンジカップ」優勝戦。
5日間の激戦を勝ち抜き舳先を進めた女子レーサーは以下のメンバー。



1号艇:遠藤 エミ(滋賀)
2号艇:平山 智加(香川)
3号艇:西村美智子(香川)
4号艇:鎌倉  涼(大阪)
5号艇:細川 裕子(愛知)
6号艇:大山 千広(福岡)

今節の機力上位は1、3、5。(りくすけ評)
大晦日決戦へボーダー下から逆転進出を狙う選手は4と6。
しかも2人共にほぼ「優勝絶対条件」。
注目は1号艇「遠藤」なのだが、
4号艇「鎌倉」と6号艇「大山」は機力劣勢、枠番不利なのだが、
穴で狙ってみたくなる組み合わせだ。

続いて、SG「第24回 チャレンジカップ」優勝戦。
5日間の激戦を勝ち抜き舳先を進めた男子レーサーは以下のメンバー。



1号艇:辻  栄蔵(広島)
2号艇:瓜生 正義(福岡)
3号艇:新田 雄史(三重)
4号艇:桐生 順平(埼玉)
5号艇:中島 考平(福井)
6号艇:山口  剛(広島)

今節機力上位は1、3、5。(りくすけ評)
グランプリへ逆転進出を狙うのが、1、2、3、5、6。
4号艇「桐生」以外は皆下克上組。
ならば、枠番有利な1号艇「辻」がV最有力だろう。
思惑を抱えたレーサーも多いだけに展開が気になるところ。
「辻」の相手探しだけに絞るわけにはいかないと考える。
対抗は3号艇「新田」。
「新田」の攻め方によっては、他にもつけ入る隙が生まれるかもしれない。
悩ましいのだ。

--- さて、同大会ディフェンディングチャンプは、
僕がエールを送る「毒島 誠」。
しかし、彼の名前はない。
予選敗退以上の惨敗、3日目にフライングを切り賞典除外となった。

競艇は、規定タイミング「1秒間」のうちにスタートラインを通過しなければならない。
速すぎても、遅すぎても違反。
その罪は相当に重い。
「毒島」はあっけなく戦線から離脱した。

一次予選からの参戦になるが、グランプリには行ける。
だがしかし、日本一への道のりは大変に険しい。
挑戦者は、自らの失敗によって厳しい戦いを強いられることになってしまった。
                       
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脱衣麻雀に花束を。

2021年11月27日 18時08分08秒 | 手すさびにて候。
                        
例外は「競艇」のみ。
他に、現在、僕の人生で「ゲーム」に費やす時間はない。

世の中で盛んな、スマホやPC、ゲーム機を使ったそれは皆無。
子供時代に興じた、将棋、双六、オセロ、人生ゲーム、トランプなども今は昔。
嗜好は人それぞれ。
きっと僕は、ゲームへの思い入れに欠けるのだろう。

自分の過去を振り返ってみたところ、
それなりの期間、それなりの情熱を傾けたのは---「麻雀」しかない。
主に、高校生~社会人初期にかけ遊んだ。
経験者はお分かりだろうけれども、一応そのあらましを簡単に記しておこう。

基本プレイヤーは4人。
横2センチくらい、縦3センチほどの「牌(パイ)」を使う。
牌は大別して4種類、34個づつ、計136個。
それぞれが無作為に混ぜた13個を所有してスタート。
136-52=84個を、種類が分からない状態で順番に1個づつ引き、
取捨選択しつつ14個で規定の組み合わせ「役(ヤク)」を作る。
誰か1人が役を完成させ上がったら対戦終了。
コレを何度か繰り返す。
役はカタチによって点数が定められていて、最も点を稼いだ人が勝利者となる。
まだ色々あるのだが、ざっとこんな感じだろうか?

目指す役の選択、アガリまでの駆け引き、運などが絡み合い、なかなか面白い。
実際に卓を囲むリアルゲームに加え、
珍しくコインを投入して遊ぶ「アーケードゲーム版」も嗜んだ。

--- 何故ならそこには「妖しい魅力」が漂っていたのである。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第百八十八弾「脱衣麻雀」。



ネットを介したオンラインゲームは影も形もない。
家庭用ゲーム機の普及は始まったばかり。
80年代半ばのゲームセンターは賑わっていた。

カップルの嬌声が飛び交うパンチングゲームやモグラたたき。
子供たちの歓声が心和ませるクレーンゲーム。
派手な音と光の明滅を振りまくピンボール。
デジタル炸裂音と共にレバーやボタンを操るシューティングゲーム。

それらに背を向けた、奥の一角。
「脱衣麻雀」は薄暗い吹き溜まりに鎮座していた。

集う人種もどこかアウトローな男たち。
ネクタイの首元をゆるめたサラリーマン。
ドカジャンを羽織った肉体労働者風。
僕と同じ、いかにも不真面目な学生。
咥え煙草で背中を丸め、独り平らなブラウン管を睨みながら麻雀を打っていた。

対戦はゲーム機との1対1。
「女性キャラクター」が相手だ。
キャラは、こちらがアガルたびに一枚づつ脱衣してゆく。
脱ぐものがなくなったら負けだ。
こちらは、持ち点が尽きたら負け。
真剣勝負である!(アホ)
序盤の1回、2回は、割合簡単に勝てた。

“あ~ん負けちゃったぁ--- 強いのねっ♡”

とか言いながら上着とシャツくらいは脱いでくれるのだが、そこからモードが変わった。
3巡目でリーチがかかり一発ツモ!
今度こそと思い臨む次戦は、ポン、ポン、チー、ロン!
たちまちクレジットを使い果たし、あんぐり呆然自失の僕。
すかさず挑発が始まる。

“ここでやめるなんて男らしくないわねっ!”
“意気地なしなんだからぁ!”
“ホラあと10秒よ、どーするのっ?!”


タイムリミットまでに課金しなければゲームオーバー。
一度終局すれば、最初からやり直しだ。
軽く舌打ちしながら100円硬貨を手に取ったのは言うまでもない。
勝ったり、負けたり、負けたり、負けたり、勝ったりするうち、
気が付くと20枚あまりが吸い込まれてしまっているのである。

彼女は強く、男たちは打ちのめされた。
散財したが、誰も戦いを諦めはしない。
倒れても、倒れても、立ち上がった。
「ビーナスの誕生」を目にするためだけに。(大アホ)



--- さて、そんな男のロマンを掻き立た「脱衣麻雀」。
90年代までは盛んだったようだが、僕は早くに情熱を失う。
その後、風紀上好ましくないと規制が入り駆逐されたと聞いたが、
末路は見届けていない。
果たしてゲーセンの片隅にでも、
前時代の生きる化石として残っていてくれるのだろうか。
20年ぶりくらいに足を踏み入れてみた。



初めて見る機種。
初めて知るメダルやカードを購入する常識に戸惑うばかり。
競艇シュミレーションゲームにも食指は動かず。
僕は「浦島太郎」だ。



当然ながら麻雀も様変わり。
4人打ちで「プロ雀士」(という設定のコンピュータ)が相手。
見知らぬ誰かともオンラインで打てるらしい。



レトロな初期型スタイルも見つけた。
しかし、彼女はもう何処にもいない。
あの蠱惑的な微笑みは、消えていた。
予想はしていた。
否、もう会えないだろうと確信していた。
でも、別れには、一抹の寂しさが付きまとった。
                        
コメント (4)
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津幡町、山間の里。

2021年11月23日 15時15分15秒 | 日記
                        
前回は、亡母との思い出として「牛首トンネル」での体験を投稿したが、
今回は、いわばその続編。
津幡町「河合谷(かわいだに)」を取り上げてみたい。

能登の最南部、津幡町の最北部に位置する「河合谷」。
木窪川(きのくぼがわ)と瓜生川(うりゅうがわ)、
二本の川が合流する地点を「河合」といい、地名になったと伝わる。



【河合谷村は「山五ヶ村」と称し独立性の強い地域であった】
--- とは「津幡町史」の記載。

津幡町に編入するまでは「羽咋郡 河合谷村」。
更にそれ以前は、大田村、下河合村、上河合村、牛首村、瓜生村に分かれていた。
能登、越中、加賀と境を接するだけに、3方向の干渉・交流はあっただろうし、
どこに接近するかは思惑が割れただろう。
また、山深い地域で豊富な森林資源を背景に自主性も高かったと推測する。



そんな河合谷には「禁酒の碑」なるものがある。

【大正15年(1926年)に当時の河合谷村長であった
 森山忠省(もりやま・ちゅうしょう)氏の提唱で、
 老朽化した河合谷小学校の改築費45,000円を捻出するため、
 村をあげての禁酒が実施され、それを知らせるために建てられたものです。
 村民が毎日酒を飲んだつもりで5銭以上貯金し、予定通り費用を工面しました。
 校舎の完成後も、禁酒は20年間にわたって続けられました。
 当時の新聞で報道されると、多くの激励と賛辞が寄せられ、
 海外からも取材がくるほど話題になりました。
 村の長老によると、当時どうしても飲みたい人は、
 村の外の集落まで行っていたそうです。
 また、村に8軒あった酒店は、禁酒によって自主廃業したそうです。】
       (※津幡町観光ガイドより引用、一部編集して記載)



地元の「意気込み」「気概」を感じる逸話に始まった小学校だが、
少子高齢化、過疎化の流れには逆らえず、平成20年(2008年)閉校。
133年の歴史に幕を下ろした。
その敷地に、新しい施設が誕生したのは今年、2021年の夏である。







令和3年(2021年)6月に完成した
河愛(かわい)の里 Kinschule(キンシューレ)」。
名称の由来はもちろん禁酒の美談だ。
外観は旧河合谷小の木造校舎をイメージし、外壁と内装の腰壁には河合谷産の杉を使用。
研修やスポーツ合宿などの利用を想定し、
いろりの間やプレールーム、ナイター照明付きグラウンドを備える。
しかし、グランドオープン直後、新型コロナステージ4、まん防適用に伴い臨時休業。
ようやく通常運営となった。



施設内のレストランで小休止。
「河合谷産はちみつ」のレモネードをいただく。
美味かった。
他にも、イワナ、アユ、ホンモロコ、真菰、猪肉などを使った地産メニューが並ぶ。
興味があり、時間と都合が許すなら足を運んでみてはいかがだろうか。
                
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亡母とくぐった、幽玄隧道。

2021年11月21日 18時18分18秒 | 不可思議な光景
                     
母親が亡くなったのは、平成30年(2018年)11月4日。
ちょうど丸3年が経過した。
今回は故人との思い出を投稿してみたい。

--- そんな考えに至ったのは、ちょうど節目の時期であることに加え、
ここ最近、あるホラー映画の予告情報を目にするようになったからだ。



「清水 崇(しみず・たかし)」監督、2022年公開「牛首村」。
実在の心霊スポットを舞台にした人気ホラー連作映画、
“村シリーズ”の第3弾で選ばれたのは「北陸」だという。
当初は、作品名から津幡町のアソコを連想したが、
程なく別の場所--- 富山県・魚津の「坪野鉱泉」だと明かになる。
僕は心霊・オカルトに疎く、あまり詳しくない。
だが、お陰で幼いころの怖い体験を思い出した。



亡母の出身地は、津幡町「河合谷 牛首(かわいだに・うしくび)」。
かつては「牛首村」だった。
地名は神社の祭神「牛頭大王」に由来する、とか。
古地図や平家物語にも記載されている、とか。
倶利伽羅源平合戦に敗れた平家の落人伝説が残る、とか。
数々の謂れ(いわれ)と古い歴史を持つ山深い里。
それが「牛首」である。

そしてそこに在る「牛首トンネル」は、有名な心霊スポットらしい。
隧道内に安置されている首なし地蔵が血の涙を流す、
焼身自殺をした男性の霊が出没する、などと噂されている。



トンネルへ向かう細い山道は、何やら妖しい雰囲気が漂う。
牛首の集落から、軽く息を切らして登ること15分あまり。
見えてきた!





牛首トンネルは石川県と隣接する富山県を結ぶ「県道74号線」の一部。
「宮島隧道(みやじま・ずいどう)」が正式な名称だ。
全長55m、中心部から石川県と富山県に分かれる。
道幅はおよそ3m、自動車のすれ違いはNG。
内部に照明はなく気持ちのいい感じはしない。



確か、僕が幼稚園に通っていたか、小学校に上がって間もない頃の話。
母親と連れ立って「牛首トンネル」を通り抜けなければならない局面があった。
山菜やキノコでも採りに行った帰りだったのか?
理由は記憶の底に埋もれ定かではないが、
ぽっかりと口を開けたこの暗い道を前に立ち竦んだことはよく覚えている。

湿った天井、壁面、路面。
全てを覆いつくす無数の百足(むかで)が這い回っていたのだ。

僕は恐ろしくて泣いたはずだ。
こんな所など歩きたくないと抗議したはずだ。
しかし、このトンネルを通らなくては彼女の生家に辿りつけない。
意を決し、ついに2人手を取り合って突進した。
走っている間、両目は固く閉じていたが足元の嫌な感触は避けられない。
生きた心地がしなかった。
無事に抜けた後、僕は涙と汗と恐怖で、得も言われぬ顔になっていただろう。





当時、随分長く感じた逃避行。
きのうの道行きは1分とかからなかった。
途中、花や供え物でいっぱいの首なし地蔵も見かけたが恐怖は感じない。
百足の大群の方が余程おっかない。

ゆっくり歩いてトンネルを抜けた僕は、木々と空を見上げ、
あの時の小刻みに震え汗ばんだ母の掌の感触を思い出した。
                    
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