つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

前略、津幡の道の上から。

2010年08月31日 07時49分30秒 | 日記
「今日の一枚」は、先日、散歩途中で見かけた少女の後姿。
彼女の手にはラジオ体操の出席簿。
独り、道の彼方を見つめていた。
津幡の路上で何かを待ちわびる様子が、妙に印象的に映り、
「井上陽水」の歌が思い浮かんだ。

『夏が過ぎ 風あざみ
 誰のあこがれにさまよう
 青空に残された 私の心は夏模様
 目が覚めて 夢のあと
 永い影が夜にのびて星屑の空へ
 夢はつまり 思い出のあとさき
 夏祭り 宵かがり
 胸の高鳴りにあわせて
 八月は夢花火 私の心は夏模様。』(少年時代)

美しい言葉の並びだなと思う。
「井上陽水」は「作詞に関してある決まりを設けている」と、以前ラジオで聞いた。
①まず「思いついた言葉を書きつづる」。
②次に「その言葉がどんな意味なのかを、辞書で調べる」。
③そして「自分のイメ-ジと、言葉本来の意味に差があるかどうかを確認する」。
…この一連の作業を繰り返し、自分が伝えたい最適な言葉・表現は何かを探し出す。
つまり「感性」と「知性」…両方で磨き上げるからこそ、心に響くのかもしれない。
更に、ここじへ美しいメロディが加わるのだから、これはもうタマらない。
そして、名曲「少年時代」の場合は、聞き手の脳裏に「美しい映像」までリンクする。
主題歌に起用された同名の映画だ。

さて、その後…写真の彼女の待人は、無事現れたのだろうか?
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物悲しき残暑の置き土産~抜け殻と訃報。

2010年08月30日 06時23分09秒 | 追悼。
8月が終わろうとしている。
しかし、夏の気配は、まだしぶとく居座っている。
そろそろ、2010年の夏の状況が発表されると思うが、
真夏日・猛暑日の日数、熱中症の被害もかなりの記録になりそうだ。

以前にも書いたとおり、朝晩こそ静かになったものの、日中は蝉時雨が鳴りやまない。
「今日の一枚」は、先日、津幡町・加賀爪の「弘願寺」の境内で見つけた「蝉の抜け殻」。
例年なら夏も終わりになろうという頃なのに、新たに羽化する個体がいるらしい。
これは、まだ暑さが続く前触れかもしれない。
そして、このタイミングで目にする抜け殻は、何となく寂しい感じがするが、
きのう「山本小鉄さん」の訃報に接し、一層、物悲しさを掻きたてられる。

「力道山」最後の弟子として「日本プロレス」に入門し、
「星野勘太郎」とのタッグチーム「ヤマハブラザース」として
アメリカ・テキサスのマットを中心に活躍。
その後、「新日本プロレス」の旗揚げに参加。
現役引退後は、「新日」でレフェリー、コーチを務める傍ら
「ワールドプロレスリング」の解説者としてマイクの前に座った。

僕にとって「小鉄さん」は、正直レスラーとしてより、解説者としての印象の方が強い。
常人離れした体格のレスラー達が、常人離れしたトレーニングで鍛え上げた力や技が、
いかに凄いかを分かりやすく教えてくれた名調子。
「古舘伊知郎」との息の合った名コンビぶりを楽しみに中継を見ていたものだ。
決してスマートではないが、リング上での小気味いいレフェリングも忘れられない。

また、僕が高校一年の夏、
金沢の卯辰山相撲場にやって来た「新日」の夏巡業を思い出す。
当時の地方興行は、ファンが若手に混じって設営を手伝うなど、ずい分と和やかムード。
汗をかきつつリングの床板を運ぶ僕に、「小鉄さん」が笑顔で声をかけてくれた。
試合開始前には、組み上がったリングの上で若手が基礎練習をするのだが、
その横には、先ほどとは打って変わって厳しい形相の「小鉄さん」。
竹刀片手に指導する様子を見て、なるほど、噂通りの鬼軍曹なのだなと実感した。

「山本小鉄」、低酸素脳症のため逝去。 享年68。
昭和の思い出が、また1つ消えた。
合掌。
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りくすけ不安気、コメリPW津幡店。

2010年08月29日 09時43分15秒 | りくすけ
昨夜、キッチンの水道の蛇口カバーが壊れたため、
交換の部品を求めて津幡町庄の「コメリパワー津幡店」へ出かけた。
ここは、ペットショップを併設しているためか、
近隣では数少ない「ペット同伴OK」の店舗である。
…と、行っても自由に連れ歩けるわけではなく、
専用のカートに乗せて、一緒に買い物ができる仕組みだ。
そこで、散歩の延長で店内へと向かう。
「今日の一枚」は、その専用カートに入った「りくすけ」のスナップだ。

もう随分以前、彼は同じカートに乗った事がある。
その時、言い知れぬ不安に駆られ外へ飛び出してしまった。
「あっ!」と思った時点で時既に遅し。
仔犬にとってはかなりの高さ。
人間に例えるなら、幼稚園児が塀の上から飛び降りたようなもの。
うまく着地できず、床に体を打ちつけてしまった。
さぞ痛かっただろうと思うが、幸い怪我はなくホッとした。

それから1年余り。
不安気なのは相変わらずだ。
普段、乗物に乗る事など滅多にないせいか、身を乗り出しそわそわしている。
しかし、昔のように突飛な行動は取らない。
自分が今どこにいて、何をしているのか。
置かれた場所から自力で安全に降りる事ができるのか否か。
状況を把握できるようになった証拠だ。

飼い主としては、成長した様子が伺えて頼もしい限りである。
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晩夏と初秋、2つの季節が交わる津幡。

2010年08月28日 12時37分17秒 | 草花
『早稲の香や 分け入る右は有磯海。』

元禄2年(1689年)の旧暦7月15日。
つまり現在の8月末~9月初め頃、
奥の細道を行く「松尾芭蕉」が詠んだ歌である。

早稲の香りが漂う一面の稲田を分け入ってゆくと
右手からは磯の香りを含んだ風が吹き、紺碧に輝く有磯海が見えてくる。
越中と加賀を隔てる国境…砺波山か倶利伽羅峠から、
遠く富山伏木の富山湾を遠望して景色を楽しむ様子が伝わってくる。

ちょうど、今はそんな歌の季節だ。
つい1ヶ月前まで一面緑の草原が広がっていた津幡町の田園に
稲が実りを結び、田んぼ全体が色づき始めた。
品種によっては刈り取りが始まったとのニュースも聞く。
暦通り「初秋」の訪れを実感する。
一方、まだまだ夏の気配が去らないのも2010年の特徴だ。
「晩夏」の残暑はなかなか厳しい。

「今日の一枚」は、秋と夏…2つの季節を象徴する2つの黄金色の共演である。

『日輪の花にはにかむ 稲穂かな。』
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印象・津幡の日の出。

2010年08月27日 13時42分46秒 | 日記
僕は、19世紀末から20世紀初頭にかけての「印象派」と呼ばれる絵画が好きだ。

印象派以前、絵画界の大きな潮流は「写実主義」。
つまり、被写体をいかに正確に写し取るかに主眼が置かれていた。
注文⇒発注⇒制作まで、肖像画や風景画、宗教画などは、
一貫生産システムが形成されていた。
ところが、真実をそのまま写す「写真」が登場し、それまでの絵画産業は崩壊。
…と同時に、絵画は芸術になった。

写実の呪縛を逃れ、最初に試みたのが「印象」である。
それが人物なら、目に映らない内面や一瞬の動きまで…
それが風景・静物なら、周囲の空気や刻々と変わる光の変化までを捉え、
「被写体のイメージ」をキャンバスの上に表した。

「今日の一枚」…津幡町の稜線から昇る、円く紅い朝日を見ていたら、
印象派の名前のキッカケになった作品…「クロード・モネ」の「印象・日の出」を思い出した。
実物の被写体は、水平線から昇る赤い朝日に照らされた港の景色。
淡い筆致でその場の空気を切り取った名品である。
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