つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

賭けたり、競ったり、決戦を迎えたり。

2021年10月31日 10時10分10秒 | 賭けたり競ったり
                        
先ほど、第49回 衆議院議員選挙の投票を終えた。
投票会場は「津幡町役場」。
新庁舎内へ初めて入る。
色々見学できたらとも考えたが、滞在できたのは指定エリア限定。
当然だが残念。
建物外で撮影したスナップを掲載する。



・庁舎の地盤は周囲より約1メートル高く、重要設備を屋上に設置し、水害に対応。
・72時間連続運転による電力供給が可能な自家発電設備。
・庁舎内全職員が7日間使用可能な給水設備。
 また、その使用量に合わせた災害用地下汚水槽を設置。
・給水能力を保持するため、飲料水以外の用途に使用する雑用水槽を設置。



・新北口玄関から職員玄関 ( 時間外受付 )まで、約 76メートルの歩道屋根を設置。
 一部の駐車場からは、直接歩道屋根の下へ。



駐車場から段差なく庁舎内へ入り、投票を済ませた。

今衆院選は、長期政権を築いてきた自民、公明の与党に対し、
立憲、共産、国民民主、れいわ新選組、社民が217選挙区で候補者を一本化。
これは全体の75%にあたり、多くで接戦にもつれ込むとの予想も聞く。
新型コロナの爪痕も生々しいタイミング。
有権者の関心は高い --- と思う。
投票率はどれほどになるのか。
どんな結果が待ち受けているのだろうか。

--- そして、個人的にはコチラの結果も大いに気になるところ。
「SG 第68回ボートレースダービー」優勝戦である。



今夕、東京の平和島競艇場にて行われる優勝戦。
5日間に亘る激闘を勝ち抜き、最終決戦に舳先を進めたのは、以下の6名。

1号艇:平本真之(愛知)
2号艇:辻 栄蔵(広島)
3号艇:白井英治(山口)
4号艇:峰 竜太(佐賀)
5号艇:秦 英悟(大阪)
6号艇:深谷知博(静岡)



きのうの準優勝戦3つのレースは、なかなか珍しい結果になった。
すべて最も有利な枠番の1コースが逃げられず、
すべて2コースが一着。
その展開の綾はそれぞれにあったのだが、
全国の競艇場で“イン最弱”の平和島らしいと言えるかもしれない。

モーター機力の見立ては、1、3、5が上位。
順当なら「平本」がダービーキング最有力となるが、
「白井」の仕掛け次第では波乱も有り得る。
何しろ前述の通り、舞台は“イン最弱”水面なのだ。
悩みは尽きず、投票先を決めかねている。
果たしてどんな結果が待ち受けているのか?
衆院選同様、未来はまだ深い霧の中だ。

僕がエールを送る「毒島 誠」は予選突破ならず。
残念無念だが致し方ない。
このリアルがすべてだ。
まずは今日の勝利を獲得して、次の栄冠を目指して欲しい。
但し、今年もあと2ヶ月余り。
残る戦いも少なくなってきた。
年間ランキング争いも佳境を迎えつつある。
一層の奮起を期待してやまない。
                      
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津幡町、深秋の候。

2021年10月30日 14時31分31秒 | 自然
                         
時の経過を「深まる」と表現する季節は「秋」くらいのものだろう。
気温が下がり、光が弱まり、葉が色づく。
そうした変化が、割合ゆるやかなテンポで進むせいかもしれない。
気が付けば只中。
秋をそんな季節に思うのは僕だけだろうか。



街中でアキアカネを見かけるようになった。
ツイッ、ツイッと空中を行き交う目的はパートナー探し。
梅雨直前に田んぼや沼地などで羽化したトンボは、
夏の訪れと共に避暑のため高地へ移動。
秋雨前線が通過したのを合図に大挙して山を降り、産卵に励む。
彼らにとって、秋は恋の季節なのである。



津幡小学校でアサガオの実を見かけた。
この子房の中に6個程度の種が入っているのは、ご存じのとおり。
僕が小学生だった当時から教材植物である。
その理由の一つは「育てやすい」から。
また「典型的な被子植物」である点も大きい。
土に種を植え、芽が出て、葉が広がり、ツルが伸び、花が咲く。
成長観察の入門編には、もってこいだ。



それにしてもツルを這わせる支柱は、随分変わった。
僕の記憶にあるそれは、自前で調達した細い竹。
何だかパンタグラフみたいでカッコいいのである。



近代俳句の偉人「正岡子規(まさおか・しき)」が、
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」と詠んだのは、明治28年(1895年)10月26日。
柿は、日本の秋を象徴するフルーツだ。

柿は甘柿と渋柿に大別されるが、前者の登場は鎌倉時代。
それ以前から、先人たちは渋柿の皮をむいて干し、
渋み成分・タンニンを甘く変化させて食べてきた。
水分が抜け、表面にブドウ糖の結晶がて浮き出てきたら食べごろ。
この吊るし柿もまた、長い歴史の中で受け継がれてきた秋の景色である。
               
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ドッペルゲンガー。~ 李香蘭と山口淑子。

2021年10月24日 10時00分00秒 | 手すさびにて候。
                          
「ドッペルゲンガー(Doppelgänger)」。
自分の生き写しを目撃すること、または、その分身のこと。
古くからヨーロッパで民間伝承されてきた幻覚の一種で、
「幽体離脱」に端を発する「いるはずのないもう1人の自分」。
禁忌に触れた者には、死が訪れるともいわれている。

今回は生まれ落ちた時から、
そのドッペルゲンガーと共に人生を歩んだ美女のハナシだ。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第百八十五弾「李香蘭(山口淑子)」。



「血」は日本。
「地」は中国。
彼女は二つの縁を持っていた。
大正9年(1920年)中国東北部・遼寧省で、
佐賀県出身の父と、福岡県出身の母の間に生を享けた。

「山口淑子(やまぐち・よしこ)」。
「李香蘭(り・こうらん)」。
彼女は二つの名前を持っていた。
中国では、伝統的に親しい家同士が義理の血縁関係を結ぶ習慣があるという。
「李家」と親交の深かった「山口家」の娘に、別名「李香蘭」が与えられた。
実際に籍を動かしたわけではなく、形だけの養子縁組。
ニックネームのようなものと、付いた当初は気軽に考えていた。
--- 運命の歯車が回り始めるまでは。

語学師範の父の手解きにより身に着けた正調・北京語。
オペラ歌手に基礎を叩き込まれた美声。
大きな瞳のエキゾチックな美貌。
“五族協和”を体現した理想的な素材に、
日本の国策映画会社「満州映画協会」が目を付けたのは必然かもしれない。

“中国人スター”「李香蘭」の誕生である。



盧溝橋で銃弾が交錯した翌年、昭和13年(1938年)。
「李香蘭」は、娯楽映画「蜜月快車」主演で銀幕デビュー。
自らが歌った主題歌もヒットメイク。
以降、女優として、歌手としてトップへの階段を駆け上がってゆく。

『やがて一九三八年(昭和十三年)ごろから東宝とご縁ができまして、
 長谷川一夫さん
(※戦前から日本映画界を代表した二枚目)とご一緒して
 「白蘭の涙」「支那の夜」「熱砂の誓い」という三本の映画を撮りました。
 これらの映画は“大陸三部作”と呼ばれていました。
 これが、のちに私が中国から「漢奸(かんかん)」---
 裏切り者と言われる原因となった作品です。』


「大陸三部作」は、日本でのみ大ヒットした。
どれも演じた役は、日本男子を慕う純情可憐な満州姑娘。
どれも当時の日本人が抱いていた大陸へのロマンや憧れを描いたメロドラマ。
すべてプロパガンダだった。
日本の観客には「李香蘭」は、夢への懸け橋。
中国の観客には、侵略者の手先と映った。

『私は、兵隊さんの慰問に最前線へも行きました。
 李香蘭が中国人なら日本の兵隊さんの慰問に行くことは絶対にしません。
 私はやはり日本人ですから、最前線の日本軍の慰問にも行ったのです。
 そして、最前線で死と隣り合わせの状況にある兵隊さんたちを目の当たりにしました。
 そのように、良いことも悪いことも嫌なことも、
 戦争という状況下で、吹きだまりになっていた世界に生きていた。
 それが、私の青春時代でした。』

(※『   』内太字、天理教道友社刊「次代に伝えたいこと 歴史の語り部 李香蘭の半生」より抜粋/引用)

本人も思い悩んでいた。
偽りの経歴は、母国を欺き、生まれ故郷を裏切ることになる。
カミングアウトして解放されたいと願っていたが、
次第に混迷を深める戦局が、その機会を与えなかった。

昭和20年(1945年)、戦争が終わった。
同時に、彼女の苦闘が始まった。

「李香蘭」は軟禁され、当局の監視下に置かれる。
罪状は「漢奸とスパイ」。
前述の「大陸三部作」により、祖国を冒とくしたとして国家反逆を問われた。
また、交友関係を利用してスパイ活動に従事したとも疑われた。
取調べでは『自分は日本人だから、漢奸には該当しない』と主張。
多くの関係者も異口同音に証言し、真実は明らかにされつつあった。
しかし、いずれも状況証拠ばかり。
事実を証明する物的証拠がない。
決定打に欠けた。

“上海国際競馬場で銃殺刑”---との新聞記事も出て不安を募らせていたある日、
彼女の元に古びた藤娘の人形が届く。
それは、子供の頃からのお気に入りで、北京の家に置いてあるはずものだった。
荷を手配したのは、幼馴染のロシア人女性。
実は密かに「日本の戸籍抄本」を入手するよう依頼していた。
人形の帯に隠された公式文書により、罪は晴れた。

判決から一ヶ月後、彼女は上海の港に立つ。
ドラが鳴り、汽笛と共に錨が上がり、引き揚げ船「雲仙丸」が岸壁を離れた。
その時、思いがけず船内ラジオから自分の大ヒットナンバー、
「夜来香(イエライシャン)」が流れてきた。

那南風吹來清涼 那夜鶯啼聲輕唱
(あわれ春風に 嘆くうぐいすよ)
月下的花兒都入夢 只有那夜來香
(月に切なくも 匂う夜来香)
吐露著芬芳
(この香りよ)
我愛這夜色茫茫 也愛著夜鶯歌唱
(長き夜の泪 唄ううぐいすよ)
更愛那花一般的夢 擁抱著夜來香
(恋の夢消えて 残る夜来香)
吻著夜來香
(この夜来香)
夜來香 我為你歌唱
(夜来香 白い花)
夜來香 我為你思量
(夜来香 恋の花)
啊…   我為你歌唱
(あゝ 胸痛く 唄かなし)

彼女は、ようやく別れを告げた。
眩い栄光も、暗い奈落も共にした“もう一人の自分”ドッペルゲンガーに。

『さようなら、李香蘭』

デッキの手すりを握り、風に髪を解かれ「山口淑子」は、そう呟いていた。

<後記>
「李香蘭」の半生は、度々ドラマ化、舞台化されてきた。
ご覧になった方も多いだろう。

戦後「山口淑子」氏は日本人女優として再出発。
ハリウッド作品にも出演した。
2度目の結婚に際し専業主婦となり一線から身を引いたが、
TVワイドショー「3時のあなた」の司会進行で芸能界に復帰。
ジャーナリストとしてもブラウン管に登場するようになった。
昭和49年(1974年)政界へ転身。
参議院議員を3期務め、平成4年(1992年)に引退。

今(2021年)から7年前、
平成26年(2014年)心不全のため自宅で息を引き取った。
94年の生涯だった。

僕に、故人の歌手・女優の記憶はない。
報道と国政の現場でのご活躍を知るのみである。
                 
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河北潟 葦原鳴らす 秋の風。

2021年10月23日 08時29分29秒 | 自然
                   
さほど遠くない過去のある日。
それまで空を覆っていた雲が途切れ、
晴れ間が広がってきた遅い午後のことである。
アクセルを緩め側道に停車した僕は、空へ向けシャッターを切った。



巻雲(けんうん)。
層積雲(そうせきうん)。
層雲(そううん)。
積雲(せきうん)。

高度10,000m~2,000m以下まで、
肉眼で視認できるだけでも4つある。
地上に比べ余程強いであろう風に吹かれ、姿を変えながら流れる「雲の宮」。
しばし、自然が描く豪放磊落(ごうほうらいらく)な空の景色を楽しんだ。

--- さて、車を走らせていたのは、かつて水底だったところ。
「河北潟(かほくがた)干拓地」内である。

拙ブログに度々登場している「河北潟」は、
かほく市~津幡町~内灘町~金沢市にまたがる水辺。
南北に長い石川県のほぼ中央に位置している。
昭和38年(1963年)に着工した国の干拓事業以前は、
現在の3倍、23平方キロの広大な汽水湖だった。

当時、周辺は多様な水域を有する水郷地帯。
漁業が盛んで、フナ、ナマズ、スズキ、ボラ、ライギョ、コイ、キスなどが捕れた。
舟を収容する小屋、家屋も「葦葺き(ヨシブキ)」の屋根が主流。
また、雪囲い、日除けなどの材料として、湖岸に生えるヨシは大切な生活資源。
人が手を入れて管理する葦場(ヨシバ)があったという。



上掲画像の撮影場所は「石川県津幡漕艇(そうてい)競技場」。
1,500mのコースを6つ確保できる。
今も競技会が行われるそこは、
地元・津幡高校ボート部や金沢大学漕艇部などの練習場所。
各種合宿も行われている。









しばらく湖面を眺めていたら、4人漕ぎの「シェル艇」を担いだ一団がやって来た。
水面に艇を下ろし、人が乗り込み、桟橋を離れる。
水音はまったく聞こえない。
葦の穂先が風に鳴っている。
西に傾き始めた陽に照らされ、艇は静かに滑り出した。
まるで、それ自体が生きているように。



明日(2021/10/24)午前9時から、河北潟自然再生まつり2021が開催される。
(※下線部、赤文字リンク有り)
興味があり、時間と都合が許すなら足を運んでみてはいかがだろうか。     
                
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津幡短信vol.94 ~ 令和参年 神無月。

2021年10月17日 18時00分00秒 | 津幡短信。
                           
津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回の話題は以下の3本。

【グランドオープン。】

令和3年10月1日「役場新庁舎・福祉センター」がグランドオープンした。
既に表側はお色直しが終わり新庁舎での業務は始まっていたが、
着工から2年3ヶ月あまり、全て完了した。



庁舎裏側、旧庁舎の跡地に整備した駐車場は、随分利用しやすくなった印象。
計112台が停められるスペースには、障害者専用3台を確保。
出入口は段差のないフラットで、歩道屋根が設置された。
僕が直近で利用するのは「投票」になるだろう。



まだ候補者のポスターは掲示されていないが、事実上の選挙戦に突入。
各党の公約では、コロナショックからの再生として、
“バラマキ”がクローズアップされている気がする。
しかし、それは税金。
つまり、やがて我々国民が負担することになる。
事は慎重に見極めねばならない。

【ウォークラリー。】

最近、新しい幟旗を見かけるようになった。
それは「津幡地区ウォークラリー」のチェックポイント。
津幡地区町民運動会代替行事として、11月14日(日)まで開催中である。



町内15ヶ所に設置されたポイントを回り、それぞれのスタンプを専用台紙に押す。
期間内にスタンプを全部集め「津幡公民館」に提出すると“景品”を進呈。
期間後、提出者の中から抽選で10名に“すてきなプレゼント”を進呈。
概要確認、台紙ダウンロードはここから
(※景品、すてきなプレゼント、共に詳細不明)

【ハロウィン仕様。】



津幡中央銀座商店街「パピィ1」のワンコディスプレイは、
ハロウィンの仮装に変わった。
気温がぐっと下がり、季節は秋本番。
寒暖の差が激しく、これからは寒さがいや増す。
拙ブログをご覧の皆さま、どうかご自愛くださいませ。
新型コロナの脅威も消えたわけではない。
用心は怠りなく。
ちなみにここも前述のウォークラリーのポイントである。

<津幡短信 vol.94>
                   
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