つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

久方の光のどけき秋の日に しず心なく花の散るらむ。

2023年03月26日 22時00分00秒 | 手すさびにて候。
                          
きのう(2023/03/25)は、わが津幡町の桜について投稿した。
花の好みは人それぞれだが、日本では総じて桜の人気が高く、
日本人が桜を特別視しているのは異論のないところだろう。
それは「言葉」からも窺える。

花が咲く頃の薄ぼんやり霞む空は「花曇り」。
同じ時期に訪れる一時的な寒さを「花冷え」。
お花見用の敷物は「花筵(はなむしろ)」。
満開の時期は「花盛り」。 
盛りを過ぎ、ハラハラと舞い散るさまは「花吹雪」。
花びらが吹き寄せられ川面を流れてゆくのは「花筏(はないかだ)」。

--- これだけ多彩なバリエーションを与えられた花は、桜だけ。
また、パッと咲き、パッと散る桜にはどこか“死の影”が付きまとう。
今回は、そんな観点から一つの物語を取り上げてみたい。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第二百二十二弾「花時に佇む八雲とセツ」。



嘘のよな 十六櫻 咲きにけり

伊予の国の和気郡に、十六櫻と呼ばれる有名な老木がある。
そう呼ばれるのは、陰暦の正月十六日になると花が咲くからで、
しかもその日にしか咲かないからである。
桜が咲くのは普通、春が来るのを待ってからだが、これは大寒の最中に花が咲く。
しかし十六櫻は自分の命の力で咲くのではない。
自分のものではない(少なくとも元は別の命の)カで花を開かせる。
この木には、ある人の霊が宿っているのだ。

その人は伊予の侍であった。
櫻は侍の家に生えていて、他と同様、三月末か四月の初めに花をつけた。
侍は子供のころその木の下で遊んだ。
百年以上、花の季節になると父母も祖父母も、またその親も先祖代々、
櫻を讃える漢詩や和歌を色とりどりの短冊に記しては、満開の枝に結んできたのだ。
だが、今は侍もたいそう年老いて、子供たちには皆先立たれ、
この世に男が慈しむものとて、もはやこの木を於て他にない。
--- ところが何と、ある年の夏、櫻は枯れてしまったのである。

老人の落胆ぶりは尋常ではなかった。
見かねた近所の人が、せめてもの慰みにと美しい桜の若木を庭に植えてくれた。
老人は礼を言い、嬉しそうな素振りをしてみせた。
しかしその実、胸は嘆きと悲しみに溢れていた。
あれほど心にかけた櫻の代わりになるものなどなかったのである。

ついに妙案が浮かんだ。
あるいは枯れゆく木を救えるかもしれぬ術を思いついた。
正月十六日のことだった。
老人はひとりで庭へ出て、しおれた木の前で一礼し話しかけた。

「お願いです。いま一度花を咲かせて下さい。私があなたの代わりに死にます」。
(神明の加護により、人は自分の命を他の人、動物、樹木にさえ、
 譲り渡すことが出来ると信じられている。
 魂を他へ転移することを日本語で“身代わりに立つ”と言う)

侍は桜の下に白布や敷物を広げて正座すると、武家の作法にのっとって腹を切った。
彼の霊は樹に乗り移り、即座に老樹に花を咲かせた。
それからというもの、櫻は毎年の正月十六日、雪の時節に花を咲かせるのである。


※原典『十六櫻』 - ラフカディオ・ハーン/小泉八雲 著「怪談」より引用

「十六桜」は、ヤマザクラの早咲き品種。
旧暦小正月頃(新暦2月中旬)に開花することからこの名が付いた。
辺りがまだ冬枯れに沈み、小雪舞い散る中で孤高の美を醸す桜は、幾つかの伝承を生む。
前述の物語は、その言い伝えを基にしている。
作者「ラフカディオ・ハーン」は、この奇譚に日本人の自然観を見い出し、死生観を加えた。
実は、愛する桜の身代わりとなる切腹は創作、演出なのだ。

彼が、西欧の文化・宗教・倫理と大きくかけ離れた日本的な思考を受け容れ、
自己犠牲を旧き日本---武士階級特有の美徳として理解したのは、
本人の気質・好奇心に因る(よる)だろう。
そして「伴侶」の存在あればこそと思うのだ。

その女性---「小泉セツ」は、松江藩家臣の娘。
生後僅か数ヶ月、世は江戸から明治になったが、
大人たちは髷を結い、家の奥には鎧兜・槍刀が仕舞われていた。
まだ昔ながらの武家の営みが息づく中で暮らす童女は、
周囲に昔話や民話、伝説などが聞きたいとせがんだという。
しかし、幸せな日々は長く続かず、維新を機に家禄を失った士族は軒並み困窮。
彼女の境遇も例外ではない。
成績は優秀だったが義務教育を終えると進学を断念。
11歳から織子となり家計を支える。
やがて一度結婚するもうまくいかず、生家に復籍した。

一方「ラフカディオ・ハーン」は、ギリシャに生まれ、アイルランドで育つ。
複雑な家庭の事情から実父母と離別。
不幸な事故で隻眼となってしばらく後、養育者が破産。
学業を中途で諦め、遠縁を頼りに渡米。
赤貧に洗われながら勉強を続け、新聞記者の職に就き生活の安定を得る。
また、移り住んだアメリカ南部の港町・ニューオーリンズで大いに刺激を受けた。
そこは、黒人奴隷たちのルーツ・アフリカ、かつての宗主国フランスやスペイン、
イギリスに端を発するアメリカなど、多文化が同居する混沌とした土地柄。
彼の中で、オープンマインド(開かれた精神性)が熟成してゆく。
更に、当地で開催された博覧会に於いて日本に強く惹かれる。
英訳版『古事記』を読んで、いよいよ興味が募り来日を決意。
太平洋を渡り、横浜に降り立つ。
明治23年(1890年)のことだった。

--- 山あり谷ありの前半生を送った男と女が巡り合ったのは、出雲神話の舞台。
島根県・松江に英語教師として赴任した「ハーン」は身の回りの世話役を探していた。
読み書きができる「セツ」に白羽の矢が立ち、彼女は住み込みで働くことになる。
「セツ」は英語を解さない。
「ハーン」も日本語を話せない。
だが2人は馬が合った。
根気よく言葉の意味を辞書で確かめながら意思疎通を図り、
心を通わせ共に暮らす道を選んだ。
「ハーン」は日本に帰化し小泉家に入夫。
『古事記』にある和歌から引用した名前「八雲」を名乗るようになった。

では、ここからは「小泉セツ」自身が綴った『思い出の記』から抜粋/引用して、
2人の間柄の一端を紹介したい。
【    】内の太字が原典。
尚「八雲」はファミリーネームの愛称「ヘルン」で登場する。

【怪談は大層好きでありまして「怪談の書物は私の宝です」と云っていました。
 私は古本屋をそれからそれへと大分探しました。
 淋しそうな夜、ランプの心を下げて怪談を致しました。
 ヘルンは私に物を聞くにも、その時には殊に声を低くして息を殺して恐ろしそうにして、
 私の話を聞いて居るのです。
 その聞いて居る風が又如何にも恐ろしくてならぬ様子ですから、
 自然と私の話にも力がこもるのです】


【気に入った話があると、その喜びは一方ではございませんでした。
 私が昔話をヘルンに致します時には、いつも始めにその話の筋を大体申します。
 面白いとなると、その筋を書いて置きます。
 それから委しく(くわしく)話せと申します。
 それから幾度となく話させます。
 私が本を見ながら話しますと
 「本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、
  あなたの考えでなければ、いけません」と申します】

【書斎の竹籔で、夜、笹の葉ずれがサラサラと致しますと
 「あれ、平家が亡びて行きます」とか、
 風の音を聞いて「壇の浦の波の音です」と真面目に耳をすましていました。】

「八雲」は、結婚を機に作家として飛躍を遂げる。
数々の著作の中でも、各地に残る民間伝説・異聞・言い伝えに独自の解釈を加え、
文学作品に昇華させた『怪談』は広く知られるところ。
そのペンに欠かせないピースが「セツ」だった。
彼女のストーリーテリングが「八雲」を物語の世界へ導き、
創作の源泉となった意味で共著者同然なのである。

冒頭では、その代表作から『十六櫻』を取り上げたが、
「八雲」が死出の旅に出る間際、やはり桜が前触れとなった。

【亡くなります二三日前の事でありました。
 書斎の庭にある桜の一枝が返り咲きを致しました。
 日本では、返り咲きは不吉の知らせ、と申しますから、ちょっと気にかかりました。
 けれどもヘルンに申しますと、いつものように『有難う』と喜びまして、
 縁の端近くに出かけまして『ハロー』と申しまして、花を眺めました。
 「春のように暖いから、桜思いました、
  あゝ、今私の世界となりました、で咲きました、しかし…」
 と云って少し考えていましたが
 「可哀相です、今に寒くなります、驚いて凋み(しぼみ)ましょう」と申しました。
 花は二十七日
(※)一日だけ咲いて、夕方にはらはらと淋しく散ってしまいました。
 この桜は年々ヘルンに可愛がられて、賞められていましたから、
 それを思って御暇乞を申しに咲いたのだと思われます。】


明治37年(1904年)9月19日、「八雲」は心臓発作を起こす。
狭心症だった。
突如秋に桜が咲き、散った。
それを合図に、同26日、再び発作に見舞われる。
小さな声で「ママさん、先日の病気また帰りました」と告げ、床に入り間もなく亡くなった。
享年54。
口の端に少し笑みを浮かべた安らかな死に顔と伝えられている。
                         
(※亡日9月26日と辻褄が合わないが「セツ」さんの勘違いかもしれない)
                      
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津幡町、さんざめく春の一齣(こま)。

2023年03月25日 21時00分00秒 | 草花
                          
今年も「桜の季節」がやって来た。
2023年の開花テンポは統計開始以来、記録に残る早さだという。
わが津幡町のそれは、今投稿の2日前・3月23日に開花宣言。
現状はまだチラホラといったところだ。





東京、京都、高知あたりでは既に満開と聞くが、
拙ブログをご覧の皆さまがお住まいの地域はいかがだろうか?

春の到来を告げる桜はエンターテイメントの要素もある。
「お花見」だ。
その始まりとされるのは、花の咲き方で豊作を占っていた奈良時代の農耕行事。
最初は梅の花が主流だったが、梅は大陸から渡来した外来種。
平安時代になると日本の固有種・桜を愛でるようになる。
江戸末期に“桜界のスーパースター”「染井吉野」が登場。
園芸家が人為的に造り出したとも、自然交配によって生まれたとも言われるが定かではない。
ともかく、花だけが先行する華やかさがウケ、明治時代に花見の主役となった。
以来、各所で観桜会が催されているのはご存じの通りである。



津幡町・能瀬(のせ)では、4月9日(日)に「桜まつり」を予定。
僕はまだ観覧したことがない。
今年こそはと思っている。





能瀬から場所を移したところで、一足早く咲き誇る桜を発見。
これも染井吉野。
花の色は淡紅より白に近く、年月を経たベテランさんかもしれない。
早咲きな理由は分からないが、ともかくお陰で楽しませてもらった。

染井吉野の花芽は、真冬の寒さに一定期間さらされることで休眠から目覚め、
その後の気温上昇につれて開花する。
今年の開花時期が早まったのは、地球温暖化の影響もあるとかないとか。
温暖化が進み、目覚めに必要な寒冷が不足すると花の営みも変化するかもしれない。



そんな事を考えながら目を落とすと、大地から土筆が伸びる。
跪いてシャッターを切っていると、上空から鳴き声が聞こえた。



「グワッ、グワッ」
「カァン」
体の上面、翼の上面はうすく黒味のある灰色、下面が白っぽい。
アオサギのようだ。

大きな鳥が空を往く。
花が咲き、草萌えいずる。
まだ少しだけ肌寒いが物静かな冬に比べ、春は賑やかなのである。
                        
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もう一つのClassic。<追記>

2023年03月21日 19時19分19秒 | 賭けたり競ったり
                        
※以下本文:3月21日7時投稿 末尾に追記アリ

今、世間の耳目を集めているのは「World Baseball Classic」だろう。
僕もこの後の準決勝(2023/03/21 8:00am~)での日本勝利を願っている。
また個人的に関心を寄せているのが、もう一つの「C」。
今夕(2023/03/21 4:38pm~)東京・平和島競艇場で行われる「Boat Race Classic」優勝戦だ。



艇界最上位の格付けSGレースの1つ。
2023年最初のビッグレースだ。
今年58回目の開催で、正式名称は「鳳凰賞」。
第23回大会より総理大臣杯と呼ばれ、第49回大会からボートレースクラシックが通称になる。

出場資格は以下のとおり。
同大会前年優勝者、前年グランプリ優出6名。
前年のグレードレース優勝者、他優勝戦回数進出上位者。
2023年の各地区戦優勝者6名。
--- つまりウイナーたちの競演なのである。

そして、52名の強者により繰り広げられた5日間の熱戦を経て、
最後のピットへ舳先を進めるメンバーが決まった。

1号艇:土屋智則(群馬)
2号艇:羽野直也(福岡)
3号艇:池田浩二(愛知)
4号艇:篠崎元志(福岡)
5号艇:石野貴之(大阪)
6号艇:茅原悠紀(岡山)



2~6号艇は百戦錬磨のSG常連組がズラリ。
ポールポジション1号艇に陣取る「土屋」は、
失礼ながら--- この中で最も地味な印象を拭えない。

選手養成学校時代は優秀な成績を残し、2005年デビュー。
初出走で初勝利の快挙を記録したが、初優勝はそれから3年半後。
トップカテゴリーA1級を維持しているものの、グレードレースで目立った活躍はない。
非凡な選手が平凡に甘んじている格好だ。

しかし、今日優勝を飾ればデビュー18年目でSG初制覇である。
容易な戦いにはならないだろう。
容赦ない攻めが襲い掛かるだろう。
プレッシャーもさぞや大きいだろう。
だがしかし、悲願達成まであと一勝だ。

冒頭画像の幟にある今節のキャッチは『新たな時代の幕開けだ。』
新たな一歩を踏み出せ!
ガンバレ!ツチヤ!!   

※以下追記:3月21日19時投稿

<颯爽たる38歳のルーキー>

「World Baseball Classic」日本代表が劇的なサヨナラ勝ちを収めた数時間後、
「Boat Race Classic」で優勝を飾ったのは「土屋智則」だった。





デビューから18年余りを経たSG初戴冠。
ピットに上がった彼は祝福に包まれた。
ファン、マスコミ、本場関係者、競艇学校同期生、所属する群馬支部の先輩後輩。
皆、知っているのだ。
勝者がここに辿り着くまで歩んできたロング&ワインディングロードを。



優勝戦も決して楽な戦いではなかった。
トップスタートを決めた直後のファーストターン。
外から襲い掛かった4号艇がみるみるうち同体に持ち込み、1号艇を呑み込もうとした。
更に、最内から6号艇も突っ込んできた。
「土屋」にすれば、内外サンドイッチ攻撃に遭った格好だ。

しかし、これを何とか耐え忍ぶと、
向こう正面の直線で舳先をのぞかせセカンドターンで2艇を抜き去る。
丁寧な、まことに丁寧な旋回を重ね、後続を寄せ付けず真っ先にゴールを駆け抜けた。



新たなSGウイナー誕生を確信した時、僕は背中がゾクゾクした。
そして、38歳のSGルーキーへ拍手を贈りながら、意外にも滲んできた涙を拭った。

おめでとう、ツチヤ!!
                             
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風光る津幡町散歩。

2023年03月19日 21時53分00秒 | 日記
                           
本日(2023/03/19)は、よく晴れ渡った。
冬に比べるとずいぶん日も長くなり、
日中の力強い日差しに包まれた景色は生き生きと映る。
つまり「風光る」。
風も光輝くような陽気に包まれたのだ。
大西山・忠魂碑バックの空の青も濃い。



一般的に--- 春は上空の高気圧が「フタ」をすることで、
地上付近にあるチリやホコリ・水滴が低位置に留まったり、
大陸から飛来する黄砂などの影響で「霞がち」になるケースが多い。
だが、今朝の津幡町は気持ちよくスカッとキレイに晴れた印象である。



きのうの投稿では花咲く山桜を取り上げたが、
染井吉野のつぼみも随分膨らんできた。
やがて先端に桜色が混ざれば、綻び、開花と営みが進むだろう。
もう少しだ。



カキーン! バシッ!
「もっと前に突っ込んで! 次、ゴロ行くぞ!」
「ハイッ!!」

撮影ポイント傍では、球春らしい音が聞こえる。
青い帽子の子供たちは「中条(ちゅうじょう)ブルーインパルス」のメンバー。
このチームは2022年8月、全日本学童軟式野球大会に於いて頂点に立った。
“小学生の甲子園”日本一なのである。
能力が突出した選手を集めるわけでもなく、練習時間が長いわけでもない。
レギュラーを特別扱いしない指導方針で競争意識、チーム力を高め、
1つのアウト、1つのヒットを積み重ねることを大切にした結果だと聞く。
暫く見学させてもらったが、確かにプレーが「ひたむき」なのだ。

きっと白球を追う少年たちは、WBC日本代表の戦いに視線を注いでいるだろう。
「侍ジャパン」の準決勝は日本時間21日、対メキシコ戦。
どうか彼らの希望や憧れとなって欲しいと願う。



大西山を降りた帰り道「蚊柱」に遭遇した。
眉をしかめる方もいるだろうが、大した害はない。
蚊柱を構成する「ユスリカ」は「蚊」とよく似た大きさや姿をしているが、
人や動物を刺したり、血を吸うことはないのだ。
成虫は口や消化器が退化しているため、餌を食べられず寿命は長くても4~5日程度。
群飛行動は、春到来を告げる一つである。



とある車庫で、KAWASAKIのバイク「エストレヤ(ESTRELLA)」を発見。
車種名はスペイン語で「星」を意味する。
1992年にデビューし、2017年に生産終了した。
革シートにキャブトンマフラー、スポークホイール。
空冷4ストローク単気筒SOHC2バルブ249cc。
往年の英国車や、前身の「メグロ」を彷彿とさせるモーターサイクルだ。

嗚呼、春の陽気に誘われて久しぶりにツーリングがしたくなった。
                     
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春・津幡町、山間の駅にて。

2023年03月18日 22時22分22秒 | 日記
                    
本日(2023/03/18)は、朝早めから仕事に従事。
勤めを終えて津幡町に戻ってきたのは、日が暮れかかり始めた頃。
帰宅前に「倶利伽羅駅(くりからえき)」を訪問しようと思い立ち、
ハンドルを切ったのは午後5時を小半時ほど過ぎていた。







倶利伽羅駅は山の中の小さな無人駅。
平成27年(2015年)3月、北陸新幹線・長野駅⇔金沢駅間の延伸開業に伴い、
JR西日本から経営分離された「IRいしかわ鉄道(株)」に所属。
元々は、富山県・石動(いするぎ)-石川県・津幡間の信号所として、
明治41年(1908年)に開設。
以来、一世紀以上の歴史を積み重ねてきた。



また、この駅がある「倶利伽羅峠」は「治承・寿永の乱」の舞台でもある。

<石川県と富山県にまたがる歴史国道「北陸道」が走る倶利伽羅峠は、
 1183(寿永2)年の源氏と平家が興亡の明暗を分けた
 倶利伽羅源平合戦の舞台となったところです。
 中でも、『源平盛衰記(げんぺいせいすいき)』に記された
 木曽義仲(きそ・よしなか)による「火牛の計(かぎゅうのけい)」はあまりにも有名です。
 1183(寿永2)年5月11日、平家軍の総大将、
 平維盛(たいらのこれもり=清盛の嫡男重盛の長男)は、
 倶利伽羅山中の猿ヶ馬場(さるがばば)に本陣を敷いて、
 7万余騎の軍勢とともに木曽義仲率いる源氏軍を待ち構えていました。
 一方、義仲は埴生八幡宮(はにゅうはちまんぐう)で戦勝祈願を行った後、
 平家の動きに合わせて味方の軍を7手に分け配置させ、夜が更けるのを待っていました。
 夜半に北側の黒谷の方角から、400から500頭もの牛の角に松明(たいまつ)を付け、
 4万余騎の軍勢とともに平家の陣に突入しました。
 昼間の進軍で疲れ切っていた平家軍1万8千余騎は、源氏軍の奇襲に混乱し、
 何もできずに追い詰められ、人馬もろとも地獄谷に突き落とされました。>

(※津幡町観光ガイドより引用抜粋)





駅構内には、ご当地ならではの倶利伽羅源平合戦モニュメント。
『源平盛衰記』や『平家物語』などに基づく合戦「火牛の計」は、
中国の春秋戦国時代の「田単の火牛の計」を参考にしたフィクションとも言われる。
--- まあしかし、わが津幡町の歴史ロマンとして許容したいもの。
それが、町民の偽らざる心情だ。

さて、ひとしきり倶利伽羅駅を鑑賞した後、
駅の傍で、染井吉野より一足早く花を咲かせた山桜の老木に出会った。



俳聖「松尾芭蕉」の句にこうある。

さまざまの 事おもひ出す 桜かな

旅からふるさとに帰り昔と変わらず咲いている桜を見ると、
この桜の下で過ごした若かりし自分など様々なことが思い出されてならない。
そんな哀惜を詠んだとされる一句だ。

山桜は、桜の中では長寿とされ2~300年くらいが標準。
さすがに源平合戦は目撃はしていないだろうが、
倶利伽羅駅の変遷と乗降客の悲喜交々を見つめ続けてきたと考えれば、
言い知れぬ感慨が湧きあがってくるのだ。


                        
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