つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町役場で、巨大な捕獲網を見た!

2013年02月27日 22時46分16秒 | 日記
「今日の一枚」は、タイトルにあるとおり津幡町役場で発見した巨大な捕獲網。
比較材料がないため、画像だけではピンとこなかもしれないが、
網の長さは1mあまり。幅40cm強。
ビッグザイズだ。
これで捕らえるのは、やはり「害獣」だろうか。
(「害}と呼ばれる基準は、人間の視点で定めたに過ぎない)

日本で狩猟が許されている動物と言えば…
タヌキ、キツネ、ノイヌ、ノネコ、テン、イタチ、ミンク、アナグマ、
アライグマ、ヒグマ、ツキノワグマ、ハクビシン、イノシシ、ニホンジカ、
タイワンリス、シマリス、ヌートリア、ユキウサギ、ノウサギ等々。
しかし、こと網でとなれば…
スズメ、カモ類、ウズラ、キジバト、キジ、ノウサギといった鳥類や小型獣が多い。
しかも、これらの猟に使われるのは。投げ網、掬い網、伏せ網、張り網など、
仕掛けて待つタイプが主流。
自然環境の中で捕獲網で捕まえるのは、なかなか難しい。
捕獲網は人間の生活環境でこそ、有効だ。

振り返ってみれば、僕は捕獲網でコウモリを捕まえた記憶がある。
何を間違ったのか、生家の2階へ迷い込んできたコウモリを見つけ、
行く手を壁に阻まれた限られた空間に彼を追い込み、捕獲した。
網の中で暴れる小さな野生。
強い獣臭。
しばらく観察した後、僕は薄暮の空に解き放つ。
一目散に飛び去る姿を見て、得体の知れない「罪」を犯してしまったように感じた。
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津幡町で、春の訪れを祝う祭典。

2013年02月26日 23時36分55秒 | 日記
「今日の一枚」は、中央銀座商店街に立つ予告看板。
「つばた健勝マラソン大会」の案内である。

「つばた健勝マラソン」は、津幡町の合併を記念して行われていた町内一周駅伝が原型。
参加のハードルを低くしようと考えた行政が、
平成4年から、名称コース等を変えて開催している。
今年は、サンライフ津幡前をスタート~ゴールとする津幡市街地周回コース。
最長でも5キロの規模で設定されており、確かに手軽だ。
かつての100キロコンペを彷彿とさせる。
主な進行は以下の通り…。

8:00 サンライフ津幡にて開会式。
8:30スタート 継走1部~5部。
9:20スタート ロード10部~11部。
9:25スタート ロード8部~9部。
10:00スタート 継走6部~7部。
10:40スタート ロード12部。
10:50スタート ロード13部。
11:30 サンライフ津幡にて閉会式。

…となるらしい。

開催日は、二十四節季の一つ「春分の日」。
例年、九州や四国などでは桜が開花する時期にあたり、タンポポも咲き始める。
庭や道ばたなど、身近な所で春を感じる頃。
「暑さ寒さも彼岸まで」とは、よく言ったものだ。

一方「春分の日」は「昼と夜の長さが同じになる」と言われるが、
コレは、少々事実と異なる。
実際は、昼の時間の方が長い。
「日の出」は、太陽の上の端が地平線から顔を出した時。
「日の入り」は、太陽の姿が地平線に完全に隠れた時が基準。
つまり、昼は、太陽の中心が現れる前に始まり、
夜は、太陽の中心が沈んだ後もまだ始まらない。
その分だけ、日照時間が長く「昼が長い」という訳だ。

…話がズレたが、健勝マラソンを走るランナーの皆さんには、
春を楽しみながら走ってもらいたい。
コメント (2)
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街道夢幻、津幡宿。

2013年02月25日 22時34分35秒 | 日記
「冒頭の一枚」…「八尾屋」については「津幡町観光ガイド」HPに詳しい。

『かつての宿場町、津幡宿があった旧北陸道沿いのおやど商店街には、
 河合見風(かわい・けんぷう)宅跡「長寿庵」以外に、
 商家「八尾屋(やつおや)」の古民家も残っています。
 八尾屋安太郎は津幡中橋村出身の商人で、明治初期には大地主となり、
 金融業も営んで財を成しました。
 屋号「八尾屋」は越中八尾町と 油・和紙を商っていたことから、こう呼ばれていました。
 八尾屋の家屋は、1875(明治8)年に今浜宿(現押水町今浜)にあった
 近岡屋の建物を現在地に移築したもので、間口は9間(約16.4メートル)もあります。』
                     (※津幡町観光ガイドHPより抜粋・引用、原文ママ)

そして、民家の入口には
『津幡多 我楽多堂 茶房 馬来亭(ばらえてい)』と、看板が掲げられている。
八尾屋のある場所は、津幡町・加賀爪。
以前、ビッグママがあった建物の奥だ。
確かに、此の地でスーパーマーケットが営業していた当時は、
喫茶を提供していたように記憶しているが、今は客人の姿は見かけない。

八尾屋の前を離れ、県道215号線を南へ歩く。
ここは、旧・北国街道である。
江戸時代の初め、加賀藩の参勤交代や家臣の江戸往来の為に整備された道のりは、
金沢-津幡-竹橋-倶利伽藍-今石動-福岡-芹川-岡-木舟-古戸出-中田-水戸田-
富山-水橋-滑川-魚津-三日市-入善-泊-境の順で越後に至る。
要所に宿駅を置き、道沿いには距離の目安となる一里塚が設けられ、
往還松が、夏の緑陰、冬の積雪防止の役割を果たした。

…散歩中に、ふと過日を偲ぶ。

  

この道を行き交った多くの旅人は、今は幻。
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過去と今が交錯する津幡の街角。

2013年02月23日 12時02分19秒 | 日記
「今日の一枚」は、中央銀座商店街側道のスナップ。
ここには3つの時代が同居している。

画面左手は「平成」。
かつて、衣料品を販売していた「ファミリーデパート ムラサ」は跡形もなく、
代わって、真新しい住宅が立ち並んでいる。
画面右手は「昭和」。
僕が子供の頃からある住宅が、姿を変えずに残されている。
その角に建つ石碑は「江戸」の名残り。
「延喜式内 清水八幡神社」と刻まれているのは、
側道を進んだ奥に鎮座する社の入口を意味している。
「津幡町観光ガイド」に次の記載を見つけた。

『津幡城跡の東方裏手に、
 歌人冷泉為広(れいぜい・ためひろ)の墓があったとされる清水八幡神社があります。
 古くは清水八幡宮と称し、旧北陸道に面した参道入口に
 赤戸室石(あかとむろいし)の鳥居が建っていましたが、
 パピィ1通り(津幡中央銀座商店街)の道路拡幅に伴い、
 鳥居は同神社境内の入口に移されました。
 鳥居と並んで建っていた社号標は、今でも旧北陸道沿いに建っています。
 参道入口付近には、昭和時代までお茶屋が残っていましたが、
 今は民家の格子戸だけが当時の面影を留めています。』
 (※津幡町観光ガイド「清水八幡神社」より抜粋・引用、原文ママ)

赤戸室石とは、金沢市の郊外に連なる戸室山周辺から産出する石材。
氷河期の火山活動によって地表に露呈した。
噴出の時の酸化作用で赤色を呈しているため「赤戸室」と呼ばれる。
確かに、境内入り口の鳥居は赤褐色だ。

         
         

ガイド記事には鳥居建立の時期が明記されていなかったが、
神社は、神亀元年(724年)創立との伝承もあるくらいだから、年代物だろう。

『もしも時間旅行ができるなら、
 街道沿いに鳥居が立ち、茶屋が暖簾を掲げていた当時に行ってみたいものだ…。』
僕は、心からそう思ってシャッターを切った。
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津幡町、春の売り出し。

2013年02月22日 20時21分07秒 | 日記
「今日の一枚」は、津幡町・清水、銀座中央商店街にある「みたにや呉服店」。
ご覧のとおり「新入学おめでとうセール」を開催中である。
津幡町の公立中学校の制服や備品を取り扱うのは、伝統的に「町の商店」だ。
記録の意味で、その概要を挙げてみよう。

おやど商店街の「やまもとカバン店」では、
通学カバン(@11,000円)、自転車通学・安全ベストなど。

中央銀座商店街の「みたにや呉服店」と「高森呉服店」では、
男子学生服(@上下37,000円前後⇒サイズによって金額が異なる)、
女子セーラー服(@上下31,500円)、体操服、制服名札、ボタンなど。

四ツ角交差点角の「オクガワ靴・鞄店」、おやど商店街の「高森はきもの店」、
中津幡駅西交差点近く「岡部はきもの店」では、
外履きズック(@3,500円)、内履きズック(@3,300円)など。

…主立ったアイテムには値段を入れてみた。
受け取り方は人によってそれぞれだろうが、
僕は、安くはないものの正当なプライスに思える。
狭い地域・少ない人数を対象にしたローカル販売であるから、
大量生産の全国流通と比べ少々の割高は仕方ない。
また、育ち盛りの年頃が毎日のように使うのだから、
どの製品も仕上がりがしっかりしている故に、それなりの価格になるのだろう。
何より、地元で「金銭」と「物品」が動くのは歓迎したい。
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