つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町で枇杷たわわ…ベベン!ベン!ベン!

2012年06月30日 20時44分47秒 | 日記
「今日の一枚」は、民家の前庭の枇杷の木。
最近は、散歩中にこうした光景をよく見かける。
津幡町内も枇杷の旬なのである。

“桃栗三年 柿八年 枇杷は早くて十三年。”と言われ、
成長が遅い事の例えとして用いられる果実…「枇杷」。
その実りは短く、5月から7月中旬にかけて。
かなり季節性の強いフルーツであり、長期保存が難しいため、
希少価値は高い。
淡い橙色した果実の表面には細かな産毛が生え、皮は固め。
上品な甘みが何とも美味い。

ちなみに命名の由来は、形状が楽器の「琵琶」と似ているから。
そして「琵琶」と聞くと、個人的には、中学校の古文の授業で習った
「平家物語」が脳裏に浮かぶ。

『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
 沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。
 奢れる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。
 猛き者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。』

このリズミカルな文体を琵琶の調べにのせて語った
盲目僧体の芸人が「琵琶法師」。
後に鎌倉時代と呼ばれる事になる当時、諸国を巡りながら、
辻々で平家物語を奏で、民草の耳を楽しませたのだという。
一方、中世のヨーロッパにも「吟遊詩人」という職業があった。
彼等はハープ片手に諸国を巡り、行き着く先々で歌を披露し糧を得る。
ある時は涙を誘うラブソングが、
ある時は心が浮き立つ冒険物語が題材になった。
…洋の東西で旋律や音階に違いはあれど、
いずれも今とは比べ物にならないほど、音楽に接する機会が少なかった頃、
きっと、その歌声は、聞き手の心の奥深くに染みいっていっただろう。

さて、前述の「平家物語」、りくすけ的現代語訳を掲載する

“お釈迦様が説法をした天竺の祇園寺の鐘の音は、
 全ては流転する理を説いている。
 つまり「諸行無常」だ。
 お釈迦様がお亡くなりになる時に枯れたという沙羅双樹の花の色は、
 どれだけ栄えたとしても、いつかは必ず滅びる定めを表す。
 つまり「盛者必衰」だ。
 わがままは長く続かず、春の夜の夢のように儚い。
 勢いにまかせ、いかに隆盛しようと永遠などない。
 時の流れの前では、風に吹かれて消えてゆく塵のようなものだ。”

※筆者注:タイトルのベベン!ベン!ベン!は、琵琶の音の擬音です(笑)
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津幡町での記憶と記録。

2012年06月28日 23時57分16秒 | 音とアート。
平成になって四半世紀余りが経つと、
津幡町内で「昭和の面影」を探すのは、案外難しい。
まだしも往時の姿を留めているのは「今日の一枚」…
「津幡中央銀座商店街」だろうか。
かつての賑やかさはなくなったが、
その界隈を散歩しながら其処此処を見やると、
稀に、古い記憶と景色が蘇ってくる。

一方、昭和の「記録物」…取り分け「音楽」は、
忽ちのうちに忘我の彼方から記憶を引き出す。
主旋律はおろか、イントロを耳にしただけで僕の脳は刺激され、
一足飛びに少年時代へと誘ってくれるのだ。

その1つが「ザ・ビートルズ」である。

     

…今日、民放FMラジオの番組で「ビ-トルズ初来日」の話題を耳にした。
曰く、昭和41年(1966年)6月末のそれは、
世界的なアイドルの上陸ではなく、未知との遭遇。
日韓共催ワールドカップ時を引き合いに出しての例えは
分かり易く斬新だった。

音楽評論家氏の話を要約してみると…

『騒音のような音楽を叫び、
 かき鳴らす4人組が世界中を回って騒動を起こしている。
 女みたいな長髪をした男4人組は若者文化の教祖的存在で、
 音楽会なのに観客は席にも座らずに立ったまま
 ギャアギャアわめいたり放心状態になっているらしい。
 コンサート後の会場の周りは興奮がさめやらない若者が
 警官隊とすったもんだの大騒ぎ。
 それが、ついに日本にも来るらしい。
 日本の大人社会は動揺して物凄い厳戒態勢をとった。
 これさえ分かれば、なぜビートルズは交通規制された首都高を
 パトカーの先導で一気にホテルへ入ったか、
 なぜ来日中の警備は国を挙げて行われたか、
 学校は「ビートルズ公演を見に行ったら処分する」と通達を出したか、
 一気に理解できる。
 警視庁が「ビートルズ特別補導週間」を展開し、
 都内をふらつく若者に職務質問や補導を行う。
 まるで「若者をたぶらかしている国際的カルトがついに我が国にも上陸」
 不穏な空気でいっぱいだった。』

…といった感じ。

なるほどと思う。
今やポップミュージックの教科書の1つであり、
堂々の存在感を漂わせるビートルズ。
それは、近代文化史を「彼等以前と以後」に分類できる程の変革を与え、
衝撃を与えたからこそ備わった評価だ。

ビートルタイフーン上陸当時、僕はと言えば物心付く前。
明確な記憶はないが、騒乱の様子…不穏な空気は感じていたのだろうと思う。
長じて、彼等のレコードを手に取り聴きほれた。
ビートルズナンバーは、僕にとって「昭和導入剤」。
しかし、単なる懐メロではなく、未だに新鮮に聞こえるのが凄い!

(※2010年8月25日、2011年1月20日に関連記載アリ)
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倫敦と王様。~津幡町より後ればせながら追悼~

2012年06月27日 07時43分09秒 | 音とアート。
「今日の一枚」は、コカ・コーラの自動販売機に取り付けられた「POP」。
「第30回オリンピック競技会」-「ロンドン五輪」の
観戦・関連グッズ抽選キャンペーンのお報せだ。

…開幕まで、ちょうどあと1ヶ月。
各国各競技の代表選手の動向について、英国内を走る聖火リレーについて、
オープニングセレモニーでのパフォーマンスについて。
その話題がメディアを賑わせている。
日本選手に目を向けると、メダルに期待がかかる競技としては、
柔道、男子体操や水泳などが常連。
しかし、かつてお家芸と呼ばれた程の圧倒的な強さは影を潜めた感がある。
代わって、陸上ハンマー投げやサッカー、女子レスリングなどが
脚光を浴びるのは、昭和の記憶と隔世の感を禁じ得ない。

…また、極めて個人的な思い入れで、
女子体操代表「田中理恵」選手に注目している。
様々な記事から推測するに、その力量は入賞に手が届くかどうからしいが、
その美しさは上位レベル。
低年齢化が進む同競技の世界において一石を投じる25歳という点もいい。
大人の女性の魅力で活躍して欲しいものだ。

     
(※2011年11月14日に関連記載アリ)

…さて、話はガラリと変わるが、彼の地・倫敦と言えば、
「KING OF POP」が最後のコンサートを行う予定だった町。
一昨日の命日を迎え、後ればせながら追悼の意を表したい。

果たして幻のステージが本物だったのかどうかは、
死の直前まで行われていたリハーサルを映画化した
「This is It」で明らかになった。
答えは、紛れのない本物。
スクリーンの中の彼は、少々痩せてはいたものの、
歌も、ダンスも、表現力も、全てが絵になる舞台の王様だった。
当時、その映像を見て、驚いた方も多いだろう。
そして、復活を疑った人たちは、心の中で彼に謝罪したかもしれない。
何を隠そう、僕もその1人だ。

冥福を祈る。

  
(※2010年6月25日に関連記載アリ)
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旅の途中、津幡町にて小休止。

2012年06月24日 22時53分30秒 | 旅行
「今日の一枚」は、サークルK本津幡駅前店にて撮影した、2台の「ロードバイク」。
何処からやって来て、何処まで行くのか?
ペダルを漕ぐ足は何時止まるのか?
持ち主の旅のスケールは不明ながら、かなりの長旅と察する。
フロント、荷台、後輪の両サイド、それぞれにサイクルバッグ。
ダウンチューブにペットボトル。
なかなかの重装備である。

…と、ふと甦る記憶。
時を遡る事、四半世紀以上昔、同じ様な旅の途上にいた自分を思い出した。

大学二年当時、県外で暮らす僕は、
『自転車による列島縦断』を胸に秘めてアルバイトの日々。
資金を貯めると、3万円余りを叩いてロードバイクを購入し、
クロネコヤマトの一番南の営業所止めで発送。
夜行列車に乗って鹿児島駅へと向かった。
路線バスを乗り継ぎ辿りついた先でサドルに跨り、目指すは「佐多岬」。
ようやく旅の第一歩を踏み出す。

旅程は、まず鹿児島⇒熊本⇒佐賀⇒福岡。
九州を縦断して本州へ。
次に、山口⇒島根⇒鳥取⇒京都⇒福井⇒石川・津幡町。
およそ1ヶ月をかけ、ようやく半ばに差し掛かった。
後半は、石川・津幡町から始まり、富山⇒新潟⇒山形⇒青森。
本州を駆け抜けて北海道へ。
青函連絡船に揺られて、函館⇒森町⇒長万部⇒ニセコ⇒札幌。
石狩⇒羽幌⇒天塩⇒稚内・宗谷岬。
ひたすら日本海側を北上した。

途中、忘れ難い思い出が出来た。
嬉しい出逢いあった。
トラブルもラッキーもあった。
そうした出来事は、後日、旅日記の文章を通じ、改めて記したいと思う。
今日は津幡町で束の間の休息を得た旅人にエールを送り、結びとする。

…ガンバレ!
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津幡町の宮にて例祭開催。

2012年06月23日 21時32分45秒 | 日記
本日の「冒頭の一枚」は、今朝、津幡銀座中央商店街にて撮影。
「太白山神社例大祭」のため、店頭に赤地白抜き文字の紙を掲示する様子だ。
「太白山神社」は、JR七尾線・中津幡駅近くにある社。
そのプロフィールについては、お宮前に建つ石碑より引用する。

『御祭神 大禍津日神(おおまがつひのかみ)
 御神徳 生命の修理固成を司り、万物を生かす霊威を包合し、
     殊更に罪穢を忌嫌われ罪穢を浄化し給う霊力のある神なり。
 由 来 当社は、現在の清水八幡神社(延喜式内笠野神社と言われる)が
     慶長元年(西暦一五九六年)まで大白山に鎮座せし跡地を
     聖地として神祠を建立し、清水八幡神社の末社大白山社として
     創祀したに始まる。
     明治二年風災により神祠損壊し、同二十四年社殿新築竣工まで
     本社清水八幡神社御神輿渡御の神事は、この由縁に基づくものなり。
     昭和三年十月八日指定村社に列格、神饌幣帛料供進神社となる。
     昭和八年六月三十日本殿新築、慶賀祭斎行。
     昭和十五年年六月二十一日社殿創建五十年慶賀祭斎行。
     昭和五十五年六月二十一日社殿創建九十年祭斎行。
     右縁起如件
     昭和六十三年 六月吉日』

つまり、平成二十四年の今月で
社殿創建一二二年を迎えた社の周囲は、歩行者天国。
普段は決して人通りの多くない路上に夜店が並び、獅子が舞う。

  

  
『通称「けんか獅子」と呼ばれ、6月21日に近い日曜日と
 9月15日に獅子を出している。
 現在の獅子頭は、昭和35年(1960)に富山県井波の
 野村清太郎氏によって造られたもので、
 表面には白鹿の皮が張られている。
 蚊帳は、昭和52年(1977)に作られたもので、
 麻布で牡丹を左右上部の中央にあしらい、巻毛模様が施されている。
 ホネを3本入れ蚊帳の内側で縛り、
 尾は3.4mの竹に2mの赤く染めた麻をつける。
 衣装は、頭持ちが黒の腹がけにパッチ、
 黒地に白で「つ」と染め抜かれた錦帯、
 太白会と書かれた紺の法被を着、豆絞りの鉢巻に白足袋、
 雪駄または女物の下駄を履く。
 一方、棒振りは法被、錦帯を脱ぎ、
 白か黒のシャグワン(赤熊冠)をかぶり、棒を振る。
 棒振りの流技は、竹橋の故角尾伝蔵氏より伝わるもので、
 金沢市大樋町の流れを汲むものといわれている。
 「波自加弥神社誌」には、津幡に半右衛門流という
 流派があったとされているが、
 角尾伝蔵の広めた流派であることかは定かではない。
 現在、長刀・太刀が行われているが、以前はチキリキ、鎖鎌があった。
 囃子は、演技をするときは「舞バヤシ」、
 行進をするときは「ノーエ節」「豊年満作」などを演奏する。
 以前は蚊帳の中で演奏したが、
 現在は蚊帳の外にいて獅子の後方に位置する。
 獅子舞の道具一式は、祭礼日の3日前に神社の拝殿に飾る。
 家々からの花(祝儀)には
 「目録一ツ金貨一封御酒肴ハ沢山、右ハ御当町○○様御贔屓トアッテ、
  津幡太白会獅子若連中ヘ下サル」と言上する。』
                      (※津幡町HPより引用、原文ママ)

耳馴染みの賑やかな祭囃子が響く一方、
沖縄囃子に誘われてお宮の境内へと足を運ぶと、そこには華やかな一団が。

  

昨年に続き登場した「琉球楽団 太陽人(てぃーだんちゅう)」のステージ。
やんやの喝采を浴びて盛り上がっていた。
天幕と提灯と紅白幕。
これぞ村の祭りの寿ぎである。
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