つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡短信vol.12

2016年01月31日 15時58分08秒 | 津幡短信。
自分の目で見た、津幡町に関するごく短いニュースの不定期通信。
今回はこちら。

【寒明け間近の津幡町。】

平成28年1月24日、津幡町は寒波の支配下にあった。
市街地の積雪は40センチに達し、交通を大いに妨げ、
除雪に時間を割かねばならず、日常生活に支障をきたした。
…あれから一週間、冬将軍は虎視眈々と南下を狙っているが、
今のところシベリアに留まったまま。
お蔭で1月最終日の本日、久しぶりに散歩に出かけた。

名残の雪に行く手を阻まれながらも、人犬共に歩行快調。
つい長時間の遠出になり、2時間近くウロウロしてしまう。
途中、津幡川では、渡りの途中に羽を休める鴨たちが並んで日向ぼっこ。

商店街へ足を向けると「みたにや呉服店」のショーウインドウには、
春を見越して町内・小中学校の制服がズラリ。

ガラスに光が反射して少々見づらいが、一通り揃っている。
また、同店では「富士ヨット学生服」の「ワンピース」タイアップキャンペーンを開催中。
先着&抽選でノベルティグッズがもらえるらしい。

僕はまったく詳しくないが、大変ヒットしている作品だけに起用も頷ける。
それにしても女性キャラクターがセクシーだ。
これも寒さを忘れるビジュアルである。

天気予報によれば、今夜遅くから再び雪模様。
明日から数日間は冷え込みも厳しくなりそうだ。
これから列島上空には、大陸から低気圧と高気圧が交互にやって来る。
低気圧が通過し寒気が流れ込んで寒くなり、
次は高気圧に覆われて暖かくなり、周期的な気温の変化を繰り返す。
俗に言う「三寒四温」だ。
本来は、中国東北部~朝鮮半島の真冬時期に使われていたが、
日本では、晩冬から早春を指す。
言葉は、時代や地域によって変わりゆくものなのである。

<津幡短信vol.12>
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日米比較~成功例と失敗例。

2016年01月30日 16時16分40秒 | 日記
四度目の【gooブログ「お題」投稿】参加。
テーマは「印象に残っているキャッチコピーは?」を選んだ。
正直、枚挙に暇がないほど沢山ある。
…悩んだ末、コレを推したい。

「YES, WE CAN」
近年、最も有名になり、成功したキャッチコピーの1つではないだろうか。
様々な商品やイベント、エンターテイメントの広告に欠かせない宣伝文句は、
政治においても重要な位置を占める。
即ち、2008年米大統領選挙における「CHANGE」と「YES, WE CAN」。
アメリカ史上初のアフリカ系指導者誕生に、言葉が貢献した割合は決して低くない。
今や茨の道を歩み任期満了を迎えようとしている「バラク・オバマ」だが、
名コピーを引っ提げてのデビューは鮮烈だった。

さて、続いては散歩中に撮影した、我が日本の現職指導者のポスターである。

キャッチコピーは「経済で、結果を出す。」
前述の簡潔さ力強さに比べると、冗長で曖昧な印象。
最終的にGOODでもBADでも結果には違いないのだが…と、揚げ足を取りたくなる。
努力をしている事は認めるし、様々な数字の上の成果も分かる。
しかし、どうも腑に落ちない。
僕には、ABENOMICSでデフレを脱却し果実とやらを手にした実感は、未だない。

そして問題は、政党名の上に書いてあるもう一つのコピーだ。
「一億総活躍社会へ。」
少子高齢化に歯止めをかけて人口一億を維持し、
老若男女が家庭で、職場で、地域で、活躍する場所を創り、
将来の夢や希望に向けて取り組む社会が、それなのだという。
だから2020年頃を目途に、GDP600兆円、出生率1.8、介護離職ゼロを目指すのだという。
言わんとしていることは分かるし、目標は大切だとも理解するが、
素直に受け容れ難い一因は、言葉にあるのかもしれない。
「一億玉砕」とか「進め一億火の玉」とか「国家総動員」とか、
70年前の大本営スローガンを連想してしまうのがいただけない。
失敗作として印象に残るキャッチフレーズではないだろうか。
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荒天と荒展。

2016年01月24日 10時44分48秒 | 自然
本日、列島上空には非常に強い寒気が流れ込み、強い冬型の気圧配置。
北海道から九州にかけて日本海側は広く雪。
ここ、北陸や西日本では大雪となる所もある。
風も強まるため、大雪に加え、暴風雪や高波などにも警戒が必要。
…いわゆる「荒天」だ。
外では、吹き荒れる横殴りの強い風に乗って雪が舞い踊っている。

7:30頃コンビニへ出かけた折は、まだ晴れていた。
その道すがらに撮影したのが、この一枚。

冬の北陸ではよく見かける光景「ワイパーブレードを立てた駐車車両」。
雪の日や寒さの厳しい日、ワイパーをそのままにしておくと、
フロントガラスに積もった雪の重みがワイパーにのしかかり、
内部のリンク機構を壊してしまう事がある。
また、フロントガラスの着雪や着氷が車の余熱で一旦溶け、再び凍ると、
ワイパーが張り付いてしまう事もある。
こうしたトラブルを防ぐための措置だ。
2台並んだ車両…手前の車のワイパーは立っているが、奥は寝かせたまま。
後で動かす際に難儀するかもしれない。

現在は「寒の内」しかも「大寒」にあたる。
確かに冷え込みも激しく、寒さが厳しい。
昨年末から1月半ばまで暖かな日が続いていた。
しかし、ちょっと遅刻気味ながら、冬将軍はやはり勤勉だったのである。

さて、そんな大寒の真ん中、ちょうど今頃はこう例えられるそうだ。
「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」。
あまりの寒さに、沢に流れる水さえも凍るという訳だ。
果たして、全国の競艇場の水面は如何ばかりか。
フリーズとはならないかもしれないが、薄氷くらいは浮かぶかもしれない。
そして、強風が曲者だ。
天気が荒れると、レース展開も荒れる。
今日は穴狙いだな(笑)。
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黒い誘惑。

2016年01月23日 18時37分53秒 | これは昭和と言えるだろう。
三度目の【gooブログ「お題」投稿】参加。
テーマは「好きなカレーの種類は?」を選んだ。

肉、タマネギ、ジャガイモ、ニンジンを煮込み、
スパイシーなカレー粉で味を付けたトロみのある「日本式カレー」のルーツは、
故郷・インドのそれではなく、ブリティッシュ・スタイルだろう。

イギリスの食の代表的なメニューの1つ「シチュー」。
日本人にとっての味噌汁同様、英国庶民には欠かせない存在だが、
昔の「船乗り」にとっては、高嶺の花だった。
味付けに使う牛乳が長持しないため、航海の間はあきらめざるを得なかったが、
そのお蔭で生まれたのが、イギリス式カレーである。
当時、植民地だったインドから輸入した香辛料を使い、
シチューと同じ食材を調理したカレーは、日保ちがした。
長い航海を日常にするイギリス海軍の「軍隊食」として定着する。
やがて、イギリス海軍を模範としていた明治の頃の日本海軍でも、
栄養バランスがよく、調理が簡単な点に目を付け、献立に取り入れた。
初期はイギリスに倣いパンにつけて食べていたが、どうも力がでない。
そこで小麦粉を加え、とろみをつけて、白飯にかけてみたところ、大正解。
以来「カレーライス」は、日本海軍の定番メニューになり、
除隊した水兵達が家庭に持ち込んで、全国に広がっていった。
やがて、即席カレー粉が開発され、食卓のスタンダードになったそうな。

…カレーライスが日本の国民食に至るまでの一説である。
国民食故にバリエーションは豊富。
ビーフ、ポーク、チキン、シーフード、フルーツ入りなどルーの具材は様々。
トンカツ、ビフカツ、ウインナーソーセージにカキフライなどトッピングも多彩。
更に、家庭毎のこだわりもある。
日本におけるカレーは百花繚乱の趣でなかなか的を絞りにくい。
そこで一捻り。
少年時代に「憧れたカレー」について書いてみよう。
それは「包丁人 味平」の「ブラックカレー」だ。

昭和48年(1973年)~昭和52年(1977年)にかけ
「週刊少年ジャンプ」に連載された、料理漫画の走り「包丁人 味平」。
主人公は、築地の伝説的包丁人「塩見松造」の息子「味平」。
中学卒業後、日本一の料理人を目指す修行の途上に行った、数々の料理勝負の一つが
「東京・ひばりヶ丘 カレー戦争」。
ひばりヶ丘駅前に開店した2つのデパートの一方が、人気のカレーチェーン店「インド屋」を。
もう一方は、無名のカレーショップ「アジヘイ」を出店。
どちらのカレーが美味いか、どちらのカレーが客を呼ぶのか!?
単なる味勝負に留まらない、デパートの売り上げを左右する経済戦争の要素も盛り込んだ、
連載の中でも異色のシリーズだったと言える。

そのカレー戦争で中核をなすキャラクターこそ、ブラックカレーの生みの親「鼻田香作」。
モヒカン刈りで、6,000種類のスパイスを嗅ぎ分ける大きな鼻には、黒い鼻マスク。
名前はイカニモ、容姿も個性的で強烈な自称「カレー将軍」が
究極と断言するブラックカレーのルーは、名前の通り真っ黒。
一度食べた者は虜になり、何度も何度も足を運ばずにいられない。
まるで、悪魔に魅入られたように…。

「鼻田香作」勝利。
「味平」敗れる。
カレー戦争に決着がついたと思った矢先、意外な事実が発覚する。
実は、ブラックカレーは、料理ではなかった。
麻薬同然のスパイスが大量に含まれた「ドラッグメニュー」だったのだ…。
今や、黒いカレールーは珍しくない。 近年、知名度が上がった「金沢カレー」も黒っぽい。
しかし、ターメリックの黄色が一般的だった当時はインパクトがあった。
しかも、少年漫画におけるブラックは、悪い奴らの代名詞。
不良少年「花形満」は「ブラック・シャドーズ」のリーダー。
「ブラック・ジャック」は無免許医。
「鉄人28号」を追い詰めた「ブラック・オックス」。
「仮面ライダー」の戦闘員「ブラック・スカル」。
悪役・敵役のネガティブなイメージを連想させるネーミングが、不気味さを煽った。

僕は、妖しくも美しい隠花植物のような「ブラックカレー」を食べてみたくて仕方がなかった。
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津幡町のアスリート。

2016年01月17日 14時15分18秒 | 賭けたり競ったり
今年・2016年は、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで
「第31回 オリンピック夏季競技大会」が行われる予定。
期間は、8月5日~8月21日の17日間。
実施は、28競技306種目。
その舞台に、わが津幡町出身のアスリートが上がる。

【レスリング世界選手権(2015年9月/米ラスベガス)の女子63キロ級で、
第2位に入賞した津幡町出身で津幡中学校OGの
川井梨紗子(かわい・りさこ)さん(現 至学館大学3年)が
2015年)12月21日(月)に行われた全日本選手権60キロ級で
見事優勝を果たしました。
決勝では姉妹対決となり、妹 友香子さん(現 至学館高校3年)を下し
優勝しました。
また、日本レスリング協会の規程で、世界選手権のメダリストが
全日本選手権へ出場すればオリンピック代表に決定するとのことで、
今回正式に川井選手の2016年開催のリオデジャネイロオリンピック出場が決定しました。
津幡町からのオリンピック出場は競歩の斎藤和夫さん、ボートの長谷 等さんに次いで
3人目の快挙となります。】
(※津幡町HPより引用・原文ママ但し(赤文字)加筆)

「川井選手」は、町立太白台小学校、津幡中学校を経て、現在は愛知県の至学館大3年生。
今朝の散歩中に見掛けた、祝福と応援の懸垂幕からも町をあげての期待感が伝わってくる。

父母共にトップクラスのレスラーで、三姉妹も皆レスラー。
才能と環境に恵まれた面はあるだろうが、
ここに至るまでの労苦と努力は並大抵ではなかったはず。
女子レスリング競技における日本の力量は、世界屈指だ。
難関を突破して臨むリオで、大輪の花が開く事を願っている。

さて、僕が愛する「競艇」にも、津幡町出身のレーサーがいる。
「高倉 孝太(たかくら・こうた)」選手だ。

昭和62年(1987年)生まれ、現在28歳。
福井支部所属。103期登録、今期のクラスはB1級。

ちなみに競艇のレーサー階級は、勝率によって4段階に分けられている。
A1級=全体の20%⇒A2級=20%⇒B1級=50%⇒B2級=10%。
つまり、1,600人余りいるボートレーサーの中で、彼の実力は平均レベル。
但し前期はA2級だったから、中堅上位と言ったところか。

直接の面識はないが、
何度かレース前のインタビューを耳にした印象は、物静かでマジメ。
レース観戦を通じて受ける印象は、しぶとく粘り強い。
甚だ勝手ながら、そんなイメージを抱いている。
もう少し、スタートを改善すれば上を狙えるのではないかと思う。
言うは易し行うは難しだが、結果を求められる職業だ。 
是非とも頑張って欲しい。

今日は、桐生競艇1Rの1号艇、9Rの4号艇で発走!
賭け事に私情は禁物と言われるが、承知の上で応援舟券を買った。
一走目は2連単1着流し。
二走目は1-3-4の3連単BОX。
行け!「考ちゃん」!!

(※2015年11月、三国競艇場にて撮影した「高倉選手」。対岸民家前の柵に横断幕アリ。)
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