つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

さらば、母校よ。~旧・津幡小学校校舎その2。

2011年04月30日 14時15分09秒 | さらば、母校よ。
シリーズ母校への惜別。
「今日の一枚」は「日時計」越しに撮影した校庭である。
画面奥、左手には体育館。 右手にはプール。
画面手前、石の台座上にある鍵状の金属板が、日時計だ。

よく「太陽の恵み」という言葉を耳にするが、
3000~4000年の歴史を持つ日時計は、
人が太陽を熱源エネルギー以外でも活用してきた証。
台座の上には、放射状に時間の目盛りが刻まれていて、
晴天に恵まれれば、鍵から落ちた影が時刻の目安となる。

僕が小学生だった30年以上昔から、ずっと校庭の隅に佇んでいた日時計。
決まった場所を動かず、ひっそりと時を報せていた。
在るべき場所に在る。
授業や運動会の合間、ふと目をやると、何だか安心したものだ。

そして、日時計の影が一際濃くなる暑い夏の日。
体を動かした後、喉を潤してくれたのは、
体育館前に設置してあった水道である。
 
息せき切って走り寄ると、急いでハンドルを回し、
蛇口から溢れる水に口を近付ける。
ゴクゴクゴク。
渇きが止まるまで一心不乱に飲む。
スポーツ飲料やイオン飲料などなかった時代。
また、運動中は水分補給厳禁だった時代。
水道水は美味かった。

ところで、2枚目の写真には何かが欠けている。それは…
 
ネットに入った「レモン石鹸」だ。
3枚目の写真は、先月、旧・校舎内で撮影した洗面所の風景。
昭和のアイテムは未だ元気で現役だった。
果たして、現在の新しい校舎でも使われているのだろうか??
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津幡町・加賀から江戸へ、夢を託したおやど橋。

2011年04月29日 22時47分19秒 | 日記
黄金週間である。
石川県内で「他県ナンバー」を見かけるようになった。
姫路、京都、多摩、飛騨など、僕が目撃しただけでも10種類はくだらない。
自家用車・単車だけではない。
JR、飛行機、バスなど、様々な手段と文明の利器を駆使して、
色んな地域から、多くの旅行者がやって来るだろう。

しかし、エンジンのなかった頃はそうは手軽にいかない。
人は自らの足で歩き、時間と労力と財力を費やして旅をした。
天下に泰平が訪れ、五街道をはじめインフラが整った江戸時代。
旅とはレジャーに留まらない、一大イベントであった。
特に、世界でもインカ帝国の他は類を見ない「参勤交代」。
加賀藩のそれは、数千人が移動し、
片道・数億円余りを費したグレートジャーニー。
それはそれは大変なものだったであろうと察する。

「今日の一枚」は、
そんな江戸期の津幡町を偲ぶお菓子…「おやど煎餅」である。
典型的な甘食煎餅だ。

大名行列の到着を周囲に知らせる毛槍を持った「髭奴」と
橋の欄干が描かれ、何やら唄らしき言葉が踊る。
『桜ちらちら 毛ヤリが踊る
 江戸へいき来れ おやど橋
 ホイトコ オヤンサ ヤットコセ
 トコ おやど橋』
ちょうど今頃…春の終わりから初夏にかけてが参勤交代の実施時期。
金沢を立った前田家の行列は、唄のように津幡を通り、
江戸までの長い道のりを進んでいったのだろう。

津幡は参勤交代の際の第一の宿。
殿様と側近には立派な本陣・脇本陣が用意され、
その他の供人たちは町家に分宿した。
津幡宿はさぞ賑わった事だろう。

それから400年余りが経った2011年の初夏。
 
津幡町とおやど橋の上には静かな時間が流れている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さらば、母校よ。~旧・津幡小学校校舎その1。

2011年04月28日 02時06分51秒 | さらば、母校よ。
これまでにも投稿してきたとおり、僕の母校「津幡小学校」は、新校舎が完成。
この春から、新しい歴史が始まった。
そして、旧くなった学び舎は刻々と姿を消しつつあり、面影は失われつつある。

先日撮影した「今日の一枚」。
校庭沿いの桜並木の向こうに見えるのは、解体途中の様子だ。
距離に違いはあるののの、
似たアングルから撮った写真と比べれば一目瞭然。

 

あと1ヶ月もすれば、跡形も無くなっているのではないだろうか?

そこで、以降は『さらば、母校よ。~旧・津幡小学校校舎』と題し、
毎回の掲載ではないが、シリーズで在りし日の思い出を綴ってみたい。
何枚か撮り貯めた写真がある。
それらを軸に「海馬」の奥から引っ張り出した記憶を文にしながら
往時を偲ぶ構成になればと考えている。

同じ時間、同じ空間を共有した方々。
是非、ご意見・ご感想をお待ちしています。
どうぞお付き合いください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津幡のガキと選挙。

2011年04月24日 10時46分23秒 | 日記
「今日の一枚」は、津幡町役場の壁面に掲げられた、
「第17回統一地方選挙」後半戦の投票日を告げる垂れ幕。
僕も一票を投じてきた。
きのうまで、候補者のスローガンや名前を連呼する選挙カーが走り回り、
騒がしかった町内も打って変って、静かな日曜日である。

概して、選挙戦とは規模が小さくなるのに比例して激しさを増す。
それは、政治と有権者の距離が心理的にも物理的にも近付くからだ。
国政<県政<市町村政。
立候補者はより身近な存在になり、選挙区エリアも狭くなって、
生活の中で選挙運動に接する機会が増える。

僕が小学生だった頃、友人の父親が選挙に打って出た事があった。

「ともだちのお父さん」でしかなかった人が、
急に自分の名前を印刷した襷を掛けて、
自分の名前を書いた大看板を載せた車に乗り込み、盛んに手を振る。
白い手袋をした両手でマイクを握り、
時折、感情を露にしながら何やら難しい話をする。
「ありがとうございます」
「がんばります」
「男にしてやってください」
何度も同じ言葉が飛び交っている様子を見て、奇妙に感じたものだ。
知り合いが舞台に上がって芝居を演じているような、
面映ゆい気持ちが拭えなかった。

学校内でも「○○○さんは当選する」「×××さんは落ちる」など
勝手な予想をしたりして、ひとしきり話題になった後、いよいよ投開票。
…残念ながら「ともだちのお父さん」は落ちてしまった。
後でその友人から聞いたのだが、父親が落選した翌日の朝、
彼は母親からこう告げられたそうだ。

『お父さん、頑張ったけど落ちちゃったの。
 もしかしたら○○(友人の名前)も、
 学校で嫌な事を言われたりするかもしれないけど、
 負けないで頑張るのよ。』

ガキだった僕には分からなかったのだが、
当人も家族も色んな思いを抱えて戦っていたのである。

やがて、人々の記憶から選挙戦の興奮が薄れていった頃、
彼の家へ遊びに行くと「ともだちのお父さん」は、いつもの笑顔で迎えてくれた。
とてもホッとした僕は、精一杯明るく大きな声で挨拶を返した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

賑やかな津幡の春。

2011年04月23日 10時08分37秒 | 鉄道
「今日の一枚」は、通勤通学のお客を乗せた七尾線の普通電車。
撮影時刻は午前7時過ぎ。 
金沢への道行きを見送るように、満開の山桜が風に揺れていた。
画面下、線路の手前は田園。
間近に迫った田植えに備え、水が張られている。

線路からは規則正しいレール音。…カタンカタン、カタンカタン…。
水田からは嬉しそうな蛙の鳴声。…グワワッ、グワッ、グワワッ…。
背後の山々から響く今年初の鶯。…ホーホケキョ、ケキョケキョ…。

様々な音が共演し、なかなか賑やかな春の朝。
既に初夏の空気も漂っている。

つい先頃まで咲き誇っていた染井吉野は、
ハラハラと散り、路上を飾り始めた。

最近の「りくすけ」は、盛んに辺りを嗅ぎ回りながら歩いている。
きっと香りも賑やかになっているのだろう。
人間より鋭い嗅覚を備えた彼の脳裏に映る春は、
僕たち人間が感じるそれとは、別の世界なのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする