つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町で見つけた、前世紀の遺物。

2013年03月29日 19時33分41秒 | 日記
「今日の一枚」は、今年2月、津幡中央銀座商店街にて撮影したスナップ。
おそらく廃品回収に出されたのだろうが、今となっては希少なアイテムを見つけ、
小さく驚きの声すら漏らしつつシャッターを切った。
オープンリール式の「テープレコーダー」である。

1877年(明治10年)…「トーマス・エジソン」が発明した蓄音機は、
銀箔を巻き付けた銅製の円筒に、音の強さに応じて深さを変化した溝を刻み、音を記録した。
程なく、記録媒体は円盤のアナログレコードへと変化し、同じ頃、磁気テープも開発される。
やがて、第二次大戦中、磁気テープに関する技術は飛躍的に進化を遂げた。

音質優秀。
30分以上連続の長時間録音に対応。
持ち運びが容易。
別の音をダビングしたり編集が可能。
便利で汎用性の高い磁気テープは、音楽制作・放送現場のみならず、
一般家庭にも導入される。
…が、それも今は昔。
カセットテープが生まれ、HDレコーダー、MDレコーダー、ICレコーダーが登場し、
磁気テープが主役の座を譲って久しい。

津幡町の路上で最期の時を待つテープ・レコーダー。
本体内部のテープに音声を録音し、テープに記録した音を再生する。
テープの回転ピッチを(おそらく二段階で)変化させる。
ただそれだけの機能を備えているだけなのだが、
実に堂々としたサイズ、かつ昭和の香り漂う質実剛健で重厚なデザイン。
哀愁と哀惜を誘うのである。
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津幡町の路地裏。

2013年03月28日 23時58分31秒 | 日記
先日、FMラジオを聞いていて次のような話題を耳にした。

『犬にとって、散歩とは“社会勉強”である。
 運動するだけが目的ではない。
 通り過ぎる自動車の音。 すれ違う雑多な人々や犬達。
 道端に咲く野の花の香り。 工事現場の雑踏。風や雨。
 そうした外界を見聞し、刺激を受け、世界を知り学ぶ。
 やや大袈裟に言うなら一種の“旅”とも言えるかもしれない。』

…なるほど。
納得である。
散歩中の愛犬の様子は、周囲に対して興味津々。
散歩に対する意欲満々ぶりが伝わってくる。
きっと彼は、心から楽しんでいるのだろう。
僕だって同じだ。
特に「今日の一枚」…「路地裏」を歩くのは、幾つになってもワクワクする。

国道・県道・町道などの幹線は言うに及ばず、
住宅街を縫う街路の更に脇に出来た、名もなき薄暗い裏道。
家々の窓からは、食事の調理をする物音や香りが漂い、
話し声やTVの音声が漏れ聞こえてくる。
勿論、足を止めて聞き耳を立てたり、覗きこんだりは決してしない。
歩を進めながら、伝わってくる諸々を感じ、散歩を楽しんでいる。
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津幡町・実生保育園、新規竣工。

2013年03月27日 23時18分31秒 | 日記
実生と書いて「みおい」と読む。
津幡川沿いの「実生保育園」が新しくなった。
画面左手に写る甍の屋根は「鳥越 弘願寺」である。

実生の“実”は一人ひとりの子どもを指す。
大きい実 小さい実 いろいろな実があるが、
一人ひとりを大切にし、生き生きと輝くことを願って保育しているのだとか。
大正11年、津幡町最初の保育園として設立された。
歴史のある保育園なのである。

先月末、ここに関わる記事が発表された。

『ジェーンは、1927(昭和2)年に米国から贈られた友情人形、12,739体の1つです。
 おなじみの童謡「青い目の人形」に出てくる人形たちで、
 日米親善の証として贈られた人形ですが、
 戦時中には「敵国のスパイ」とみなされて
 多くが廃棄されたり燃やされたりして、現存するものはわずか330体、
 県内には3体しかありません。
 (※白山市鶴来博物館・輪島市西保小学校・津幡町実生保育園)
 ジェーンは戦争中、保育園職員たちが大切にされてきた人形を思いやり、
 かくまったことで破壊から逃れることができました。
 その後は、実生保育園で毎年ひな祭りの日にひな人形とともに飾られ、
 園児たちにその歴史が伝えられてきました。
 今後は町教育委員会で保管管理され、終戦記念日などに展示をしていく予定です。
 数奇な運命を経て、指定に至ったジェーン・オルフ。
 これからも親善の使者として平和の大切さを私たちに教えてくれることでしょう。
 青い眼の人形「ジェーン・オルフ」が、歴史的・教育的価値が高いとして、
 2月1日に町の有形文化財に指定されました。』  (※津幡町HPより転載)
         
…『これからも親善の使者として平和の大切さを私たちに教えてくれる』為には、
当時の日米関係を把握しなければならない。

20世紀初頭、日本からは大勢の移民がアメリカに渡り働いていた。
低い賃金でも真面目に勤しんだ結果、白人の仕事を奪い社会問題化。
米国人からすれば、言葉も生活習慣も違う“奇妙な集団”とも思えた。
また、日清・日露の戦役に勝利し、頭角を現す様を脅威に感じたとしても不思議ではない。

そんな中、来日経験を持ち、親日家の宣教師が、人形を通した日米親善を計画。
「お雛祭り」の際、アメリカから贈った人形を一緒に飾って楽しんでもらおうと…。
宣教師の呼びかけに応えて贈られた人形は、一体一体に名前を与え、
手作りの服を着せ、パスポートを持たせて海を渡った。
そして、日米関係は修復困難となり、やがてハワイ真珠湾で戦端が開かれる。

その後の運命は、上記のとおり。
彼女…「ジェーン」は、長い道のりを経て我が町にやって来て、
長い苦難を乗り越えてここに在るのだ。
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津幡町がエコだった昭和。

2013年03月25日 22時27分15秒 | これは昭和と言えるだろう。
「今日の一枚」は、ヤマト運輸の「自転車便」。
ファミリーマート津幡加賀爪店前で撮影した。

運搬にあたってCO2を排出しないようにと導入されたアイテムは、
企業の環境保護活動の一端。
よく見れば、電動自転車だ。
引っ張るリヤカーには、最大100kgまで積載可能。
中には、クール便に対応した保冷ケースまでセットされている。
こうした取り組みは、同社のキャラクターにかけて
「ネコロジー」と呼ばれているらしい。

思い返してみれば、僕が子供の頃は、今で言うエコが日常だった。
涼を取るのはクーラーよりも、団扇や扇子。
冷蔵庫の主役は、氷を使って冷やすアイスボックス。
夏のスイカは、縄で縛って井戸水に漬け、
ビールは桶や「タライ」に水を張って冷やした。
その「タライ」は、洗濯に行水にと大活躍。
使い捨てとは無縁のキャリーバッグ「風呂敷」。
エネルギーがいらない部分暖房「湯たんぽ」。
天然素材100%の炊事道具「ヘチマ」等々…。
エネルギーの消費量が少なく、自然との距離が近い世の中だった。

平成は、昭和に比べ便利になった代わりに失くしたモノも沢山あるはず。
例えば、時間と空間にあった「余白」や「ゆとり」がそれ。 
過去には戻れないし、戻る必要もない。
しかし、昔から学ぶことは少なくない。
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津幡町の春、綻ぶ。

2013年03月24日 19時57分50秒 | 草花
「冒頭の一枚」は、昨日の朝の散歩中に出逢った「桜と鶯」。

鳥を被写体に定めた場合、近づきすぎてはダメだ。
警戒距離に足を踏み入れると、途端に飛び立ってしまう。
しかし、接近限界を見極めるのは難しい。
しかも、手にしているのはカメラ専用機ではなく、スマートフォン。
ズーム機能のスペックは、カメラ専用機のそれに遠く及ばず、
僕自身の撮影に関する技術も、まるで低い。
故に、少々写りが悪くなってしまった。
そこで、鶯を「赤丸」で囲ってみたのだが…お分かりになるだろうか??

…さて、気象庁によれば、金沢での染井吉野の開花予想は4月1日。
昨年より9日早く、平年に比べ3日早い。
また、日本列島各地から一足早く「開花」・「満開」の報せが届いている。
そんな空気に刺激されてか、津幡町のあちこちで春の花が綻び始めた。

津幡川沿いの「杏」。

  

  

今年も、桜狂想曲の季節がやって来る。
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