いよいよ2015年も大詰め。
一つの節目を迎えた今回は、改めて、僕が暮らす「津幡町」について紹介したい。
以下に、町HPに掲載されている都市区域要覧を引用しながら、少々の補足を加えていこうと思う。
まずは「町の位置」だ。
【津幡町は石川県のほぼ中央に位置し、北陸の中核都市金沢市からは、
北陸本線、七尾線で約10分、車なら国道8号で約20分、
北陸自動車道金沢東インター、森本インターからは10分足らずという距離にあります。
加賀地方、能登地方、富山県への分岐点として重要な役割を果たしています。】
(※津幡町「町の紹介」より引用、原文ママ)
町役場の所在地は、東経136°43′56″、北緯36°39′56″。
地図上で町の位置を見てみると、下のようになる。
続いて「町の様相」。
【町の面積は110.44平方キロメートルで、東部には低い丘陵性山地が連なり
谷間の土地が枝状に発達、西部には幅2~3キロメートルの平坦地が広がり、
県内最大の潟、河北潟に続いています。
町の中央には本州有数の規模を誇る石川県森林公園、
西南部には日本海側最大級の規模を誇る石川県津幡漕艇競技場や
ひまわり村で有名な河北潟、富山県との県境には木曾義仲が「火牛の計」を用いたとされる
源平倶利伽羅合戦の舞台となった倶利伽羅峠があります。】
(※津幡町「町の紹介」より引用、原文ママ)
総面積を国内の他地域(自治体)と比較すれば、1,762中の970位。
可住地面積およそ54平方キロメートル。 耕地面積は19平方キロメートル。
町の範囲は、東西14.2キロ、南北17.1キロ。
山林・水辺が占める割合が高く、自然豊かながら、目だった観光スポットに欠けるのが現状だ。
但し、今年3月には北陸新幹線開通に伴い「新幹線の見える丘公園」を、
旧・津幡小学校跡地に「歴史資料館」を整備し、
文化会館「シグナス」にて各種催しを行うなど、努力を続けている。
<イメージ:大西山から市街地中心部を望む>
続いて「町の人々と暮らし」。
【町の人口は約3万7千人で、昭和45年以降毎年1%前後の緩やかな人口増を
続けてきましたが、平成に入ってから増加傾向が加速、平成12年の国勢調査では、
人口増加数・人口増加率ともに県内で最も高くなっています。】
(※津幡町「町の紹介」より引用、原文ママ)
また、同じ年(平成12年)の国勢調査による、産業別の就業人口は、
第一次産業就業 : 554人。第二次産業就業 : 5,880人。第三次産業就業 : 11,115人。
そして、2015年11月30日現在の人口と世帯数は、
世帯数が13,495。 人口は37,804人(男性18,422人/女性19,382人)。
これらから推測するに、津幡町には自前の資本で運営する突出した産業はなく、
人口推移は、右肩上がりの勢いはなくなったものの、目減りもせず横這い。
尚、今年「北陸農政局」が新潟を含む北陸4県の80の市町村を対象に、
地域定住、生活環境、農林業生産、経済活動の4項目を数値化した、
「地域活性度」を試算した結果、津幡町が4位にランクインした。
果たして、この番付がどれほど正確で実態を表しているのかは分からないが、
好評価と得たと言っていいと思う。悪くないという事だ。
<イメージ:町福祉センターに集う人々>
…とまぁ、僕はそんな(どんな?)津幡町で暮らしている。
これからも、散歩を通して見つめた、時代と町の移り変わりや四季の変化を綴り、
時折、愛する競艇について語ったり、旅日記なども認めてゆこうと思っています。
今年は、2年近く中断していた拙ブログを再開し、思い出深い年になりました。
縁あってご覧になった皆さま、どうかよいお年をお迎えください。
来年もお暇があれば覗いてやってください。
北陸の片田舎・津幡町より、書を致す。
りくすけ。
一つの節目を迎えた今回は、改めて、僕が暮らす「津幡町」について紹介したい。
以下に、町HPに掲載されている都市区域要覧を引用しながら、少々の補足を加えていこうと思う。
まずは「町の位置」だ。
【津幡町は石川県のほぼ中央に位置し、北陸の中核都市金沢市からは、
北陸本線、七尾線で約10分、車なら国道8号で約20分、
北陸自動車道金沢東インター、森本インターからは10分足らずという距離にあります。
加賀地方、能登地方、富山県への分岐点として重要な役割を果たしています。】
(※津幡町「町の紹介」より引用、原文ママ)
町役場の所在地は、東経136°43′56″、北緯36°39′56″。
地図上で町の位置を見てみると、下のようになる。
続いて「町の様相」。
【町の面積は110.44平方キロメートルで、東部には低い丘陵性山地が連なり
谷間の土地が枝状に発達、西部には幅2~3キロメートルの平坦地が広がり、
県内最大の潟、河北潟に続いています。
町の中央には本州有数の規模を誇る石川県森林公園、
西南部には日本海側最大級の規模を誇る石川県津幡漕艇競技場や
ひまわり村で有名な河北潟、富山県との県境には木曾義仲が「火牛の計」を用いたとされる
源平倶利伽羅合戦の舞台となった倶利伽羅峠があります。】
(※津幡町「町の紹介」より引用、原文ママ)
総面積を国内の他地域(自治体)と比較すれば、1,762中の970位。
可住地面積およそ54平方キロメートル。 耕地面積は19平方キロメートル。
町の範囲は、東西14.2キロ、南北17.1キロ。
山林・水辺が占める割合が高く、自然豊かながら、目だった観光スポットに欠けるのが現状だ。
但し、今年3月には北陸新幹線開通に伴い「新幹線の見える丘公園」を、
旧・津幡小学校跡地に「歴史資料館」を整備し、
文化会館「シグナス」にて各種催しを行うなど、努力を続けている。
<イメージ:大西山から市街地中心部を望む>
続いて「町の人々と暮らし」。
【町の人口は約3万7千人で、昭和45年以降毎年1%前後の緩やかな人口増を
続けてきましたが、平成に入ってから増加傾向が加速、平成12年の国勢調査では、
人口増加数・人口増加率ともに県内で最も高くなっています。】
(※津幡町「町の紹介」より引用、原文ママ)
また、同じ年(平成12年)の国勢調査による、産業別の就業人口は、
第一次産業就業 : 554人。第二次産業就業 : 5,880人。第三次産業就業 : 11,115人。
そして、2015年11月30日現在の人口と世帯数は、
世帯数が13,495。 人口は37,804人(男性18,422人/女性19,382人)。
これらから推測するに、津幡町には自前の資本で運営する突出した産業はなく、
人口推移は、右肩上がりの勢いはなくなったものの、目減りもせず横這い。
尚、今年「北陸農政局」が新潟を含む北陸4県の80の市町村を対象に、
地域定住、生活環境、農林業生産、経済活動の4項目を数値化した、
「地域活性度」を試算した結果、津幡町が4位にランクインした。
果たして、この番付がどれほど正確で実態を表しているのかは分からないが、
好評価と得たと言っていいと思う。悪くないという事だ。
<イメージ:町福祉センターに集う人々>
…とまぁ、僕はそんな(どんな?)津幡町で暮らしている。
これからも、散歩を通して見つめた、時代と町の移り変わりや四季の変化を綴り、
時折、愛する競艇について語ったり、旅日記なども認めてゆこうと思っています。
今年は、2年近く中断していた拙ブログを再開し、思い出深い年になりました。
縁あってご覧になった皆さま、どうかよいお年をお迎えください。
来年もお暇があれば覗いてやってください。
北陸の片田舎・津幡町より、書を致す。
りくすけ。