つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

石川県河北郡津幡町より。

2015年12月31日 13時44分56秒 | 日記
いよいよ2015年も大詰め。
一つの節目を迎えた今回は、改めて、僕が暮らす「津幡町」について紹介したい。
以下に、町HPに掲載されている都市区域要覧を引用しながら、少々の補足を加えていこうと思う。

まずは「町の位置」だ。
【津幡町は石川県のほぼ中央に位置し、北陸の中核都市金沢市からは、
 北陸本線、七尾線で約10分、車なら国道8号で約20分、
 北陸自動車道金沢東インター、森本インターからは10分足らずという距離にあります。
 加賀地方、能登地方、富山県への分岐点として重要な役割を果たしています。】

(※津幡町「町の紹介」より引用、原文ママ)

町役場の所在地は、東経136°43′56″、北緯36°39′56″。
地図上で町の位置を見てみると、下のようになる。


続いて「町の様相」。
【町の面積は110.44平方キロメートルで、東部には低い丘陵性山地が連なり
 谷間の土地が枝状に発達、西部には幅2~3キロメートルの平坦地が広がり、
 県内最大の潟、河北潟に続いています。
 町の中央には本州有数の規模を誇る石川県森林公園、
 西南部には日本海側最大級の規模を誇る石川県津幡漕艇競技場や
 ひまわり村で有名な河北潟、富山県との県境には木曾義仲が「火牛の計」を用いたとされる
 源平倶利伽羅合戦の舞台となった倶利伽羅峠があります。】

(※津幡町「町の紹介」より引用、原文ママ)

総面積を国内の他地域(自治体)と比較すれば、1,762中の970位。
可住地面積およそ54平方キロメートル。 耕地面積は19平方キロメートル。
町の範囲は、東西14.2キロ、南北17.1キロ。
山林・水辺が占める割合が高く、自然豊かながら、目だった観光スポットに欠けるのが現状だ。
但し、今年3月には北陸新幹線開通に伴い「新幹線の見える丘公園」を、
旧・津幡小学校跡地に「歴史資料館」を整備し、
文化会館「シグナス」にて各種催しを行うなど、努力を続けている。

<イメージ:大西山から市街地中心部を望む>

続いて「町の人々と暮らし」。
【町の人口は約3万7千人で、昭和45年以降毎年1%前後の緩やかな人口増を
 続けてきましたが、平成に入ってから増加傾向が加速、平成12年の国勢調査では、
 人口増加数・人口増加率ともに県内で最も高くなっています。】

(※津幡町「町の紹介」より引用、原文ママ)

また、同じ年(平成12年)の国勢調査による、産業別の就業人口は、
第一次産業就業 : 554人。第二次産業就業 : 5,880人。第三次産業就業 : 11,115人。
そして、2015年11月30日現在の人口と世帯数は、
世帯数が13,495。 人口は37,804人(男性18,422人/女性19,382人)。
これらから推測するに、津幡町には自前の資本で運営する突出した産業はなく、
人口推移は、右肩上がりの勢いはなくなったものの、目減りもせず横這い。
尚、今年「北陸農政局」が新潟を含む北陸4県の80の市町村を対象に、
地域定住、生活環境、農林業生産、経済活動の4項目を数値化した、
「地域活性度」を試算した結果、津幡町が4位にランクインした。
果たして、この番付がどれほど正確で実態を表しているのかは分からないが、
好評価と得たと言っていいと思う。悪くないという事だ。

<イメージ:町福祉センターに集う人々>

…とまぁ、僕はそんな(どんな?)津幡町で暮らしている。
これからも、散歩を通して見つめた、時代と町の移り変わりや四季の変化を綴り、
時折、愛する競艇について語ったり、旅日記なども認めてゆこうと思っています。
今年は、2年近く中断していた拙ブログを再開し、思い出深い年になりました。
縁あってご覧になった皆さま、どうかよいお年をお迎えください。
来年もお暇があれば覗いてやってください。

北陸の片田舎・津幡町より、書を致す。
りくすけ。
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津幡年末通信2015。

2015年12月30日 14時32分02秒 | 日記
月の終わりの一日は「晦日(みそか)」。
月を重ねた年の終わりの一日は「大晦日(おおみそか)」。
大きなエンディングを控えた12月30日は、
「小」の字と「晦」の別の読みをあてて「小晦日(こつごもり)」。
…平成27年・小晦日の北陸上空は冬型の気圧配置が緩み、晴れ間の覗く朝。
お蔭で久しぶりに散歩を楽しめた。
 
朝日に照り映える雲の美しさを眺めつつ歩く事数分、濛々と立ち昇る水蒸気を発見。
少々見づらいが、画面中央のやや下…黒い瓦屋根の上。
奥のビルがスチームで隠れている。
 
そこは、津幡町唯一の造り酒屋「久世(くぜ)酒造」の酒蔵。
近付くと、辺りには酒米を蒸し上げる時の甘い香りが漂っている。
寒仕込みだ。
気温が低く、空気が澄み、雑菌が繁殖しにくい冬場は、
昔から、雑味のない良酒を醸すのに最適とされている。
これもまた師走の風景なのだ。

拙ブログでは以前にも紹介したが、改めて「久世酒造」のあらましを。
創業は、1786年(天明6年)。
間もなく230年目を迎える老舗である。
現在、全国的に広く普及している酒米…「五百万石」や「山田錦」ではなく、
自社の田んぼで独自の銘柄「長生米(ちょうせいまい)」を育て、
米作りから酒作りまで一貫生産を実践する日本で唯一の造り酒屋。
機会があれば、銘酒「長生舞」をお試しください。
通販も行っている。

さて、今朝の散歩…続いては津幡町・横浜の「野田八幡神社」へ。
小さな社の立派な門松飾りを見て、年の変わり目を実感する。
 
明後日には、この松を依白(よりしろ)に「年神様」が降りてくるだろう。
ひとつ、年の納めにお参りでもと思い、鳥居をくぐると立札が目に入った。
 
【盤持石(力石と呼ぶ)
 横浜の在所に 昔から盤持ちという力比べがあった
 (天保7年頃から昭和十五年頃まで)
 盤持石は 米五斗俵 約八十五キロを担ぐと一人前と認められ
 大人の仲間入りができたという
 若衆が力比べに用いた盤持石はガメ石などと呼ばれ
 重さは四十から八十五キロまであり 集落文化の歴史の証となっている
                        平成二十六年九月吉日 横浜区】

(※【 】内、立札原文ママ)

こうした民俗行事は、日本各地、世界各国に存在する。
写真の場所から徒歩圏内の他の神社に同じ展示があるほどだから、
わが町でも、盛んに行われていたと推測するのは難くない。
(※2013年1月15日投稿参照)
「盤持ち」は、グループ内の通過儀礼であり、
盂蘭盆会や豊年祭り、お花見など、人が集う際のアトラクション要素もあったはず。
もしかすると今頃、正月は絶好の機会だったのではないだろうか?

以上、散歩を通して眺めた津幡町の年末の風景と連想徒然でした。
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孤独な愉悦。

2015年12月27日 14時12分18秒 | 日記
きのう【gooブログ「お題」投稿】に参加し、
「10代に夢中になっていたことは?」について書いたところ、
過去の自分を振り返る機会が持てた。

当時は、お絵描きの他に何をしていたのだろうと考えるうち、
ふと、このブログの「自己紹介欄」に目が留まる。
好みは、散歩と音楽とラジオ、映画と漫画と読書、
珈琲と酒と粉モノ、そして競艇。
「何だ、あまり変わっていないじゃないか」と気付く。

酒と競艇以外は、どれも10代から続く趣味嗜好。
言い換えれば、酒と競艇の他は、どれも10代に好きになったものばかりだ。
年齢を重ねても、性格や本質は30~40年前と同じなのかもしれない。
また、好みのジャンルはそれぞれ異なる。
長年付き合っているからには、根底に僕なりの共通項があるはずだ。
思い当たったのは「独りよがり」である。

行先も費やす時間も自分勝手な散歩の連れ合いは、人ではなく一匹の犬。
音楽もラジオも映画も漫画も読書も、単独の楽しみ。
珈琲も酒も粉モノも、じっくり味わい嗜むのは、独りがいい。
競艇(賭け事)は、やはり独断専行。
お絵描きだって独り遊びだ。

確かに、独りぼっちは嫌いじゃない。
どこかで妥協しなければならない団体行動より、
独りで責任を背負った自由を選びたい。
たとえ、集団の中に身を置いていても、自分は自分。
経営者には不向きな性格だ。
器が小さいのである。 
僕は、孤独に死ぬことはあっても、孤独で死ぬことはないだろう。
 
…さて、きのうから、北陸は大気の状態が不安定。
シベリアから年末のあいさつにやってきた冬将軍が居座り、空は一面の鉛色。
風が強く、雨、霰、雷が落ちてきている。
水鳥達も寒そうに見える。
悪天候では、リアル散歩が叶わないため、今回は、自分探しの脳内散歩。
「孤独な愉悦」の巻となった。
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手すさびにて候。

2015年12月26日 09時59分03秒 | 日記
今回は、2度目の【gooブログ「お題」投稿】に参加。
テーマは「10代に夢中になっていたことは?」を選んだ。
僕のそれは「お絵描き」である。

小学生の頃は「戦車」を描くのが好きだった。
世界で初めて戦場に現れたイギリス軍の「マークI」。
第二次大戦でのアメリカ軍主力M4中戦車「シャーマン」。
独ソ戦でソ連軍の窮地を救った「T34」。
スターリンを追い詰めたドイツ軍の「タイガーI」や「キングタイガー」。
旧・日本軍の軽戦車「九十五式」などの側面図を、
図鑑と首っ引きでチラシやカレンダーの裏面に描き写し、
性能諸元(全長・重量・武装・発動機出力といったスペック)を添えて悦に入っていた。

やがて「宇宙戦艦ヤマト」の放映が始まり、興味の対象は艦船類に移行。
果敢にチャレンジするも、複雑な構造を正しく描写できず早々に断念。
代わって「ヤマト」登場人物の模写に情熱を傾けた。
中学校の美術の授業で制作したパネルには「ヤマト」第一作のラストシーンで、
赤い地球を前に涙を流す「沖田十三」のドアップを描いたはずだ。
やはり悦に入りながら(笑)。
「若気の至りか。何もかもみな懐かしい。」(笑)

ともかく、こうしてお絵描きの面白さに目覚めた僕は、
毎日、色んなモノを描き散らかした。
10代の一時期、それこそ無我夢中になって。

今や50代になり、ここ十数年は、すっかりご無沙汰していたが、
この投稿をするにあたりペンを取った。
 
ほんの手すさびにて、失礼仕り候。
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最後のパーティーが、終わった。

2015年12月23日 23時58分55秒 | 賭けたり競ったり
行ってきました。住之江競艇場へ。
金沢駅から朝イチのサンダーバードに乗って大阪駅へ。
西梅田駅から市営地下鉄・四つ橋線に揺られて住之江公園駅へ。
「本日は競艇開催日の為、お帰りが大変込み合います。
 お帰りの乗車券は今のうちにお買い求めください。」
とのアナウンスに素直に従い帰りの切符を購入してから、2番出口より地上へ。
場の入口に向かう道すがら、最後のパーティの告知物を目にして早くも心が躍る。
「おお!ブスだ!」嬉々としてシャッターを切った。

続々と人波が吸い込まれて行く場内は、華やかなお祭りの雰囲気。
「あっ!モンスター野中のゴールデンボートだ!」

「ムムッ、ボートニャーの記念撮影用パネルだな。」

「うわっっ!飛沫がかかりそうになるほど水面が近い!迫力満点だっ!!」

…どうやら、自分もお祭り気分♪
独り静かにはしゃいでいたら空腹を覚えてきたため、
住之江名物の焼そばを食べようと「ライフク」へ向かうが、そこは長蛇の列!

しかもなかなか前進しない。
「これではお目当てのレースを見逃してしまうかもしれない」と思い直し、
泣く泣くあきらめ、他の店で焼きそばとお結びで腹ごしらえ。
落ち着いたところで、立て続けに4レースほど張ってみたが、芳しくない。
5コース、6コースが着に絡んで、やや荒れ気味なのだ。
仕切り直しである。
新聞を広げ、出走表に目を落とし、コーヒー片手に熟考を重ね、
終盤3レースの的を絞り、再び競争水面へ。
いつの間にか辺りは薄闇が忍び寄っていた。
灯された照明が映えて美しい。

頭を切り替えて臨んだお蔭か?
「グランプリ順位決定戦」の10Rと「シリーズ優勝戦」11R、連チャンで的中を得る。
リズムは悪くない。
さぁ、いよいよ大戦(おおいくさ)のスタート展示が始まった。
ここで異変が起きた。
大外6号艇の前付け2コース進入。
どよめきが沸き起こり場内騒然。
ただならぬ気配が充満する。
ヒートアップした観客の熱を冷ますように雨が落ちてきた。
しかし、焼け石に水。
皆、声を枯らして、思い思いのレーサーへ声援を送った。

「ブスゥ~ッッ!突き抜けろォォォッ!!」
「カヤァァ、行けェェッ!」
「イシノォ!頼むでぇ!」
「ヤマザキさぁぁんん!逃げてぇぇ~!」
「イケダ!イケダ!イケダァァ!」
「シ~ノ~ザ~キ~!捲り差せぇ~!」
沸点は、すぐそこに迫っていた。

ピットアウト。
1号艇・山崎がインを主張。
展示通り、連覇を狙う6号艇・茅原が2コースへ。
地元大阪の2号艇・石野は3コース。
ダッシュ勢は3号艇・毒島。4号艇・池田。5号艇・篠崎。
大時計が回り始める。
スタートっ!

凄え!昼の一般戦とは次元が違う!
目の前に残像を置き去りにして、文字通り「飛ぶ」ように走り抜けていった!
山崎はインから「負けないスタート」を踏み込む。
3コースの石野がトップスタートから捲ろうとするが、2コースの茅原がブロック。
茅原を壁に、山崎がイン逃げを敢行したその時!
間隙を突いて「赤い彗星のブス」が飛び込んできた!
夢中でシャッターを押し切り取った画像は、色目からかろうじて3号艇と分かる。
いかにトップスピードが速いか窺い知れるのではないだろうか。

…結果は…
【住之江グランプリ】山崎智也が制覇、愛娘に捧ぐSG10冠
1着・山崎、2着は毒島。
途中、何度も追いすがり、2周2マークではあわや逆転か!?と思わせる
切れ味鋭いターンや差しハンドルも、一歩及ばず!
群馬支部のワンツーフィニッシュ!
石野は見せ場を作ったが3着だった。
いやぁ~チカラが入った。
見たかった!ブスの一着…。

出場したレーサー達にとって、この6日間は、
積み重ねてきた日々の涯に辿り着いたラストシーン。
長い長い「最後のパーティ」が、終わった。
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