つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

退屈な明日ならいらない。 ~ ボニー・エリザベス・パーカー。

2021年04月29日 07時07分07秒 | 手すさびにて候。
           
アウトローの物語「悪漢譚(あっかんたん)」には、一種独特の趣(おもむき)がある。
リアルでお近づきになるなら、断然、正義の味方だが、
エンターテイメントなら、悪の魅力に酔いしれるのも一興。
しかも、主人公が美しい「悪女」なら尚更である。

ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載 第百七十弾は「ボニー・エリザベス・パーカー」。



1930年代初頭、アメリカは空前の不況に喘いでいた。
ニューヨーク株式市場の大暴落でバブルが弾け、
GDPは45%減、株価は80%下降、失業率は25%にも達した。
貧すれば鈍する。
社会全体が絶望感に苛まれ、不信感や恨みが募ってゆく中で、
颯爽と現れたのが「ボニーとクライド」だった。

貧しい農家に生まれた、街のチンピラ「クライド」。
気風のいい奔放なウェイトレス「ボニー」。
20歳そこそこのカップルは、アメリカ中西部を暴れまわった。

次々と窃盗、強盗、殺人を繰り返し、盗んだ車で州境を超え、追跡をかわす。
駆けつけた警察をあざ笑うかのような鮮やかな手口は、
新聞やラジオで報道され、全米の注目を集めた。
富裕層の象徴・銀行を襲うことを、義賊のように伝えるケースもあり、
2人を英雄視する動きが広まったという。

要因の一つとして、やはり「ボニー」の存在は大きい。
当時は、禁酒法を背景に「アル・カポネ」らマフィアが暗躍した頃。
犯罪は珍しくなかったが、若い女性が手を染めるのは極めて稀。
愛するオトコと結ばれ、子を成し、家庭を守る。
そんな幸せに背を向けた、刹那的な生き方に眉をひそめる人は大勢いた。
逆に、拍手喝采を贈る人も少なくなかった。

--- そしてドラマチックな幕切れが訪れる。

1934年5月23日、寂れたルイジアナの田舎道。
フォードV8を待ち伏せしていた公安・警察チームのサブマシンガンが火を噴き、
150発もの弾丸のシャワーを浴びせかけ、
うららかな初夏の空の下に血飛沫が舞う。
わずか24年の生涯だった。

それから30年余り後。
映画「Bonnie and Clyde」、 邦題「俺たちに明日はない」が封切られる。

生々しいガンファイト。
当時としては際どい性描写。
血塗(まみ)れになりながらも愛を全うしようとする姿。
悪者に人間味を持たせた斬新な演出。
ハリウッドのタブーを破る問題作を、時代の空気が後押しする。

1960年代半ば、アメリカはベトナムの泥沼でもがいていた。
開戦当初は、共産主義に対する「民主主義の聖戦」と受け止められていた。
だが、メディアを通じて、国民が現地の惨状を知り、
犠牲者の数が増えてゆき、次第に厭戦気運が高まる。
自信と誇りを喪失したアメリカンたちが、体制に牙を剥くアウトローに共感を寄せ、
「俺たちに明日はない」は、配給会社が予想もしていなかったヒットを記録。
稀代の悪女はヒロインになった。

「ボニー・エリザベス・パーカー」は、アメリカ犯罪史上に悪名を刻む極悪人だ。
それを奉(たてまつ)るのは、正しくないとも思う。
--- しかし、考えてみて欲しい。
例えば日本の戦国武将、アレクサンダー大王、ユリウスカエサル、
チンギスハーンにリンカーン、ナポレオンボナパルト、毛沢東。
彼らの指揮により失われた人命は、彼女が奪った数の比ではない。
歴史上の英雄・英傑の生涯も、血塗(ぬ)られているのだ。
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津幡短信vol.88 ~ 令和参年 卯月。

2021年04月25日 14時48分48秒 | 津幡短信。
              
津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回の話題は以下の3本。

【つつじ、咲き始める。】



過去にも投稿したが、わが津幡町の「町花」は「つつじ」である。

“紅白のつつじは清楚で美しく、源氏の白旗・平家の赤旗が連想され、
倶利伽羅合戦で名高い津幡町にふさわしい”
--- との理由から、ちょうど今(2021年)から47年前、
昭和49年(1974年)4月24日に制定された。



画像は「住吉神社」にて撮影したもの。
他にも、民家の庭、公園、街路・施設の花壇など、
町内の彼方此方(あちらこちら)でつつじを見かける。
いずれも美しく、散歩の折に目を楽しませてくれるのだ。

【田植え、始まる。】



水田での稲作には、田んぼに直接種を蒔くやり方と、
苗代で育てた苗を植える方法がある。
日本では早くから後者が一般化。
また、世界的な主流も「田植え」だ。
俗に「苗半作(なえはんさく)」、苗の良し悪しが収穫の半分を左右するという。



僕は、この時期の田んぼが好きだ。
早苗が風に揺れ、水に天が映り込む。
それは、一幅の絵のようだ。

【工事、始まる。】



住吉公園で大規模な工事がスタート。
公園全体の整備と、“町民待望の”屋内温水プールの建築のためだ。
入口の看板によれば、何と丸3年の長きに亘り使用禁止になる予定だという。



どんな姿に生まれ変わるのか、楽しみではある。
でも、個人的には温水プールを使う機会はないかもしれない。
オッサンが他人様に身体を晒すのは気が引ける。



スーパーマーケット「どんたく津幡シグナス通り店」が、
先月(2021/03)、およそ8年の歴史に幕を下ろした。
理由は様々あるだろうが、
近隣に、多くの同業者がひしめく激戦区だけに影響を受けたのか?
跡地は、岐阜県・恵那市に本社を置くスーパーマーケット
「バロー」になると聞いている。
人口と照らし合わせると飽和状態にも思えるが、余計な心配だろうか?



リメイク工事中の裏手には、過去の残骸。
「どんたく」以前にあったスーパーマーケット、
「ビッグママ」のコンテナが佇んでいた。

<津幡短信 vol.88>
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それでも聖火は走る。

2021年04月24日 18時31分31秒 | 日記
今朝の散歩中、津幡町役場庁舎前で、
東京オリンピック「聖火リレー」実施に伴う交通規制の張り紙を見つけた。



わが津幡町では、来月末(2021/05/31)に開催を予定。
住吉公園から津幡町文化会館「シグナス」前が走破コースで、
スタート時刻は、17時55分を予定しているそうだ。

--- しかし、ご承知のとおり、今は感染爆発のさ中にある。
gooニュースhttps://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-210423X687

変異株の脅威がいつ収まるのか、まったく分からない。
正直、それどころではないと思う。
聖火がストリートを駆け抜ける画を想像しても楽しさが湧いてこない。
日本各地、特に「緊急事態」にある都府県は尚更だろう。
石川県も、連日、新規感染者数が増えている。
エマージェンシーの赤信号が点るのは時間の問題かもしれない。



聖火はゴールに辿り着くのだろうか。
辿り着けたとして、そこは平和の祭典と呼べるところなのだろうか。
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百敷や 古き軒端のしのぶにも なほ余り有る昔なりけり

2021年04月18日 17時43分43秒 | 日記
              
平安から鎌倉を生きた公家「藤原定家(ふじわらの ていか)」が
京都・小倉山の山荘で編んだ和歌集『小倉百人一首』。
100首目の歌が本投稿のタイトルである。

百敷(ももしき)や 古き軒端(のきば)の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり

百敷(宮中)の古屋根の端から、
忍ぶ草(※シノブグサ/シダの一種)が垂れ下がっている。
永遠に続くと思われた貴族の栄華も今は昔。
まったく偲んでも、偲びきれない。
懐かしんでも二度と戻らぬ遙か過去のことよ。

作者は「順徳院」、第84代の天皇だ。
わが津幡町には、その帝(みかど)にまつわる伝説がある。



権力の外に追い遣られた立場を嘆く哀切の歌を詠んだ「順徳天皇」は、
“あの頃をもう一度”と夢見る父親の「後鳥羽上皇」と共に、鎌倉へ弓を引く。
時に、承久三年(1221年)春。
世に言う「承久の乱(じょうきゅうのらん)」だ。
戦いは、武家の圧勝。
クーデターは失敗に終わり「後鳥羽上皇」は隠岐へ、
「順徳天皇」は退位して佐渡へ、島流しになった。

途中、大しけに遭い、やむなく王崎(現在のかほく市大崎)の浜に上陸。
津幡町に行在所(あんざいしょ=仮の御所)を定め、3年間滞在。



仮御所の屋敷は失われたが、
地名の「御門(みかど)」は、今に残る。



かつて屋敷が置かれた場所の側を流れる「能瀬川(のせがわ)」対岸、
「英田(あがた)郵便局」の真裏に石碑が建つ。
「順徳院」へ献じる飲料水用に掘った「龍ヶ口(たつのくち)井戸跡」。
昭和61年(1986年)、河川改修・道路拡幅によって埋められた。

また、隣の集落の「広済寺(こうさいじ)」にも、こんな伝説がある。



島流しの途上、大しけに逢った「順徳院」を、
「弘法大師」が彫り、寺院に安置された「聖徳太子」像が光明を放って浜に導き、
命を救ったというのだ。
「広済寺」が建つ地名は「領家(りょうけ)」。
随行するお供の住居があったことに由来する。



史実か否かは不明。
すべては、なほあまりある昔の言い伝えである。

さて、最後に冒頭の歌について短く私見を述べたい 。
歌のテーマになった貴族の没落は、長く続いた文化の終焉も意味する。
貴族文化の象徴「和歌」のコンピレーションアルバム「小倉百人一首」が編纂されたのは、
承久の乱から14年後。
ラストソングにコレを据えた「藤原定家」もまた過ぎし世へ哀切を抱き、
「順徳院」にエールを送ったのかもしれない。
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祝!れきしるオープン5周年。

2021年04月17日 20時36分00秒 | 日記
           
津幡ふるさと歴史館・れきしる」が、間もなく開館から丸5年を迎える。

オープンは平成28年(2016年)4月21日。
およそ330平方メートルの木造平屋建て。
館内には--- 縄文、弥生時代の遺跡から出土した土器類。
近世~現代の交通の変遷を振り返る、絵図と航空写真を組み合わせたジオラマ。
国重要文化財で平安初期のお触れ書き「加賀郡ぼう示札」(レプリカ)。
--- など、遺物や史料、写真パネル、200点あまりを常設で展示している。

また「子ども民俗歴史講座」を通じた歴史教育、
「れきしる友の会」との連携による生涯学習の場として歩みを続けてきた。

そして「企画展」は、拙ブログにて度々取り上げさせてもらった。



現在は、本日(2021/04/17)~5月30日(日)まで「あそびとおもちゃ」展を開催中。
昭和期を中心にした数々の玩具が並ぶ。
出入口近くのショーケース、上段には羽子板、ピロピロ笛、紙風船。
紙風船は「越中の売薬さん」定番のおまけ。
富山県と境を接するわが津幡町では、取り分け身近なおもちゃだった。

下段には「旗源平(はたげんぺい)」。
源氏と平家の二手に分かれ、2つのサイコロを振り出た目によって相手の旗を獲り、
相手の最高位の「まとい」をとった方が勝つ遊び。
出目の組み合わせにより、奪取できる旗の本数、サイコロを振る連続性などが変化する。
金沢~加賀地方の子供遊びと聞く。



「ツバメ玩具製作所(本社:埼玉県戸田市)」製のおもちゃ。
ゴム動力がないところを見ると手投げ式ソフトグライダーか。
零式艦上戦闘機52型(初号機から5代目の機体、2代目のエンジン)がプリント。
ちょっと仕様は違うが、僕も昔よく遊んだ。



昭和男子のスタンダード「ミニカー」。
個人的には乗用車やスポーツカーより、働く車に萌えた。
中でもブルドーザーやショベルカーなど、マッチョな重機が好きだった。

他にも比較的歴史の浅い、
「ニンテンドー ファミリーコンピュータ」の初期型も展示されている。



世界中で大ヒットし、新たな文化も創り出した「ファミコン」。
その存在感、影響力の大きさは認める。
しかし、僕の子供時代の遊びの記憶は「人が手で物を動かす玩具」が占めていて、
それに比べれば「CPUが司る玩具」には、左程、思い入れがない。
嫌いなわけじゃない。
古臭い人間なのだ。

まったくの想像だが、
今回の企画展「あそびおもちゃ」と銘打っているのは、意図アリと思う。
遊び方も玩具も「時代によって違いがあり、歴史がある」。
歴史館らしい暗示を含んだタイトルなのではないだろうか。



さて、企画展のお隣「民俗資料コーナー」は「(春)農事とくらし」に展示替え。
一つだけ印象に残った農具を紹介したい。



田鞍(たくら/たぐら)。
水田の田起こしや代かきの際、牛馬の背に装着して作業機を牽引させる道具である。
洗練された乗馬鞍とはずいぶん異なる外観。
前述ミニカーの件(くだり)で、幼い頃の重機萌えについて触れたが、
やはり、僕は、無骨で実用的な道具に惹かれるらしい。



最期にもう一つお知らせを。
「れきしる」では4月25日(日)まで、開館5周年記念イベント週間とし、
来館者に、スタッフお手製のプレゼントを渡している。
折り鶴を作ると、背中や翼に絵柄が見える折り紙だ。
手作業の楽しい遊びを体験できる。
また、4月24日(土)は、ナイトミュージアム・夜の「れきしる」を開催予定。
但し、新型コロナの感染状況によっては、見直しもあるという。
詳しくは、同施設HPをご覧くださいませ。
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