つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

石に閉じ込められた記憶。

2017年09月30日 17時15分20秒 | 日記

ランドセルを背負った僕が、この石碑の前を行き来していた頃、
黒い石板には「津幡町立 津幡小学校」と刻まれていた。

過去、拙ブログに投稿しているとおり、ここ小高い丘「大西山」の上には、
かつて母校が建っていたが、現在は跡形もない。
老朽化した校舎は取り壊されてしまった。
時の経過による変遷。
仕方のないことと分かっているものの、一抹の寂しさを禁じ得ない。
だから、散歩途中に訪れる度、往時を思い起こすのである。
今日は「石」を媒介に、記憶を遡ってみたい。

僕は、前庭の池の周辺に敷き詰めてある「玉石」が好きだった。
前掲の画像…石碑の足元に映っているが、少しアップにしてみよう。

民家の庭や外構などにも用いられる丸い石。
踏みしればジャリジャリと音が鳴る。
おそらく「那智黒(なちぐろ)」と呼ばれる種類ではないだろうか?
こいつは、乾いている時と、水に濡れた時では色が変わる。
状態によって表情を変えるのである。

雨の日、傘を差して玉石敷きの地面にしゃがみ込み、
艶やかで青味がかった黒い石を眺めていたものだ。
美しさに魅せられたのは勿論、別の興味もあった。

『川の上流には角ばった大きな石が多く、下流は丸く小さな石が多くなる。
 石が水に流されるうち、石同士がぶつかり合い削られ摩耗して、
 変形してゆくからである。』

授業でそう習った僕は、石が辿った道のりに思いを馳せた。

“昔々、地底から噴き出したマグマが冷え固まって岩になり、
 ある日、何らかの力が働いて塊から離れて川に落ちる。
 ゴツゴツ、ゴロンゴロンとぶつかりながら、岩石は小さくなり、
 角が取れて丸くなって、誰かに拾い集められ運ばれてきた。
 長い長い、想像もつかない長旅の果てにここへやって来たのだ”…と。

実際は、人が機械で研磨して作ったのかもしれないが、
子供心はロマンを追いかけていたのである。

もう一つ、この石の造作も思い出深い。

忠魂碑だ。
日清・日露・日中・大東亜と、近代日本の戦時に戦地で亡くなった、
わが町出身者を慰霊するモニュメント。
この竿石って、常々墨に似ていると思っていた。

習字が得意じゃなかった僕は、見上げる度に自分の字の下手さ加減から、
何となく複雑な面持ちになったものだ。
しかし、墨の香りは嫌いじゃなかった。
硯で墨を摺る毎に立ち上る、膠(にかわ)と煤(すす)と油脂が混ざった独特の芳香。
忠魂碑のシルエットは、そんな記憶も刺激してくれるのだ。

こうしてひとしきり「石」から昔を思い浮かべたからだろうか。
去り際に「石垣」が目に留まる。

幾度となく視界に入っているはずなのに、しげしげと眺めたのは初めてかもしれない。
じっと動かずに見入っている僕を、石垣の上の猫が怪訝そうに見つめていた。
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原点回帰。

2017年09月24日 07時42分55秒 | 日記
エネルギーの「電気」ではなく、マシーンの「電機」でもない。
身近なツールの「電器」を充てた家電の小売店…「街の電器屋」は、
地域の家電に関する「万(よろず)相談窓口」。
AV家電、生活(白物)家電、太陽光発電システムに、IHリフォームなどの販売、
商品の使い方説明や点検、修理受付も担う。
地域密着、電球一個の取り換えにも足を運ぶ細やかさがウリだ。

メーカー100%出資代理店より製品を仕入れ、
消費者への製品提案から販売・アフターを一貫して行う流通形態は、
高度成長期、全国津々浦々に広まった。
わが津幡町にも、各メーカーの看板を掲げた小売店が幾つもある。







一時は、量販店やネット通販に押されて下火になったが、近年、復活の気運。
製品が高度かつ複雑になり、電話回線やLANケーブル、デジタル対応アンテナなど、
家庭で新規配線・分配工事が生じるケースが増えるに伴い、中高年層を中心に、
「電気工事士」の有資格者が多い「街の電器屋」の利便性が見直されてきた。

ところが、経営者の高齢化が進み、およそ3割が後継者不在という。
“「街の電器屋」が暖簾を下ろしたら、
 周辺には高齢者を中心に「家電難民」が生まれるかもしれない。”
憂慮した「パナソニック」(旧:松下電器産業)は、
同社製品を扱う系列販売店の経営を後押しするそうだ。

事業承継を進めるマニュアルを策定し、10月からメーカーの営業担当者が、
経営者や親族、従業員とも面談して営業継続の可能性を話し合い、
経理や営業に関する勉強会を開催。
後継者が見つからない場合は、
近隣の店に顧客を引き継いでもらう手続きなどを行うという。

『消費者に低価格かつ高品質の製品を提供する為には、
 是非ともあなた方の協力が必要だ。
 その代わり、我々は決してあなた方を裏切らない。
 だから、どうか我々と一緒に頑張って共に儲けようではないか。』

戦後、「松下幸之助」がそう説いて、
自らの足で訪ね歩くことから始まり築かれたネットワークは、原点に立ち返ろうとしている。
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続・お江戸のアイドル。~ 高尾太夫。

2017年09月23日 06時12分16秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載・第五十八弾は、「高尾太夫」。

前回は、江戸時代の市井のアイドル「笠森お仙」について投稿した。
谷中・笠森稲荷の茶屋の看板娘が、美人画を切っ掛けにブレイク。
いわば、売れっ子アーティストの作品によって、素人がアイドルになった話である。

しかし「お仙」以前、浮世絵のモチーフと言えば玄人。
吉原の遊女や歌舞伎の花形役者ら、芸能のトップクラスが主役を張っていた。
特に「高尾太夫」の浮世絵は飛ぶように売れたそうだ。

「高尾」とは、吉原の高級妓楼「三浦屋」の名跡。
代々のトップ花魁が受け継いで名乗ってきた。
仙台藩主を袖にした2代目。
染物職人との愛を貫き、古典落語のヒロインになった5代目。
自分の体重と同じ重さの小判で身請けされた6代目。
…といった具合に、エピソードには事欠かない。

改めて言うまでもなく、太夫は「男のアイドル」。
そして「女の憧れ」だった。

整った容姿・美貌に加え、歌や踊り、俳句、お茶、お花、香道、書道、古典など、
英才教育を受け、高い教養を兼ね備えたスーパーウーマン。
更に日頃の馴染み客…大名、旗本、豪商らに見初められる可能性も。
厳しい身分制社会だった当時、庶民の女子たちにとっては「成功者」だ。

もちろん、その地位まで登り詰める事ができたのは、遊女の中でもごく一部。
大多数は、莫大な借金を返済する年季奉公に明け暮れる。
年齢を重ね下働きとして再雇用され、一生を遊郭の中で終える者もいた。
病気、怪我、刃傷沙汰などで夭折するケースも珍しくない。
様々な困難を乗り越え苦界で光り輝く太夫は、
幸運にも恵まれた、一種の「シンデレラ」だったのかもしれない。
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お江戸のアイドル。~ 笠森お仙。

2017年09月18日 09時23分02秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載・第五十七弾は、「笠森お仙」。

いわゆる芸能に関わり、サービスを生業にする場合、
「アイドル(Idol)」は、ファンに「偶像性」を提供して糧を得る。
写真集、DVD、CD、音楽興行、握手会、撮影会、関連グッズなど、
彼女(彼)のキャラクターや容姿を活かした有形無形の商品がそれだ。

一方、市井のアイドルは、呼び水としての役目を担う。
好例は「看板娘(ボーイ)」だろう。
彼女(彼)目当てにお客が足を運び、所属先は大繁盛。
評判を聞きつけたエンタメ界から誘われ、デビューに至るケースは珍しくない。
それは、江戸時代にもあった。

西暦1764年に始まる「明和年間」。
お江戸では3人の美人が話題になっていたという。
@浅草・二十軒茶屋「蔦屋」の「蔦屋およし」。
@浅草・奥山の楊枝屋「柳屋」の「柳屋お藤」。
@谷中・笠森稲荷の茶屋「鍵屋」の「笠森お仙」。
中でも人気ナンバー1だったのが「お仙」である。

【年のころは16、7。 髪は絹織物のように細く、光沢がある。
 色白・中高・面長の整った瓜実(うりざね)顔には、薄化粧。
 ほんのり青みがかった黛(まゆずみ)で目元を飾り、血色のよい唇は朱に染まる。
 髪飾り、下駄のお洒落も華美とは無縁。
 艶っぽく往来を見遣る瞳と目が合ってしまったら、これはもう立ち去り難い。】
(※滑稽本「売飴土平伝」抜粋/現代語意訳:りくすけ)

…なんて具合に紹介され、絵師「鈴木晴信」の筆による美人画が出回ったから、
「鍵屋」は大いに潤った。
「お仙」から2~3杯のお茶を淹れてもらい、二言三言会話して四十文(2千円)前後。
決して安くないが、鼻の下を伸ばした男衆が殺到した。
団扇や手ぬぐい、双六などの「お仙グッズ」も大人気。
「お仙」の手毬歌が流行り、彼女をモデルにした芝居興行も大当たり。
まさに「スーパーアイドル」である。

そして、アイドルは、笠森稲荷を運営してきた幕府御庭番の家に嫁いでいく。
町人から武家の奥方になる…玉の輿だ。
彼女の喜びは想像に余りある。
そして、ファンの嘆きも相当だったろうと想像に難くない。
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津幡短信vol.35

2017年09月17日 09時41分29秒 | 津幡短信。
津幡町に関するよしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回は、きのうに続いて秋祭りの様子。

【曇天の下、獅子が舞う。】

津幡中心部四町…清水、庄、津幡、加賀爪の「秋季大祭」。
今朝は、清水八幡神社へ足を運んだ。
風に揺れる大きな幟は、フェスティバル開催の旗印。
ご近所の氏子さん達が、続々と境内に集まってきていた。

神輿の準備。
雨対策か、透明のビニールシートがかけてある。
『台風はどの辺や?』
『合羽着んと済めばいいんやけどね~』
異口同音にお天気を心配する声が飛び交っていた。

一方、曇天の下、清水八幡会の若集連は元気に演舞。
本津幡駅裏の住宅街に、賑やかな祭囃子と掛け声が木霊する。

強面のお兄さんたちに囲まれながら、少年は薙刀を振るう。
そして、最後は見事に獅子退治。

夕方までもうひと踏ん張り。
クライマックスは四ツ角での「四町頭合わせ」が待っている。
空よ、どうかそれが終わるまでは雨を落とさずにいてくれ。

<津幡短信vol.35>
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