つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

本日優勝戦なんですが!?~ オーシャンカップ。<追記アリ>

2020年07月26日 18時00分06秒 | 賭けたり競ったり
全国には24の競艇場がある。
皆、同じルールで、同じ競技を行うのだが、
それぞれの個性を構成する要素の1つが「実況アナウンサー」だ。

擬音連発型。
濁音連発型。
巻舌連発型。
低音絶叫型。
言語崩壊型。
選手にニックネームを付けるアナ。
色っぽい吐息が漏れる女性アナ。
特徴ある声が、レース観戦に味わいをプラスしてくれる。

--- 今節、SG「オーシャンカップ」開催地、徳島・鳴門競艇のそれは、
「競合い型」とでも呼べるかもしれない。

『スタートしました。 
 1号艇トップスタート! 逃げ隊形に持ち込んだんですが、
 2号艇が差し込んできて、舳先をかけて並びかけるんですが、
 突き放しにかかるんですが、もつれ合って直線コースへ!
 それでも力強く1艇身前に出て、1号艇が先に回るんですが、
 追いすがる2号艇なんですが、勝負あったか?!』


お決まりのフレーズは「~なんですが」。
現状を妄信せず、近未来の不安を丁寧に煽るのがなかなか面白い。
--- 枕が長くなった。
本題へ進む。

本夕、徳島県・鳴門市の「鳴門競艇場」に於いて、
「第25回 SGオーシャンカップ競走」優勝戦が行われる。
5日間の激戦を戦い抜き、ラストバトルへ舳先を進めたのは以下の6戦士。

1号艇:瓜生 正義(福岡)
2号艇:山口 剛(広島)
3号艇:茅原 悠紀(岡山)
4号艇:峰 竜太(佐賀)
5号艇:枝尾 賢(福岡)
6号艇:高野 哲史(兵庫)

並々ならぬ覚悟を背負った唯一の地元選手がフライングに散り、
有力選手が事故で帰郷。
前評判の高いモーター不在の優勝戦となった。

ポールポジション1号艇は、“福岡の英雄”「瓜生正義」。
オーシャンカップ連覇、SGタイトル11冠。
デビュー通算2,000勝が掛かるメモリアルレース。

なんですが!

3度目のSG参戦で初優出を果たした「枝尾」。
SG初参戦で初優出と、勢い抜群の「高野」。
圧倒的に頭抜けた機力の持ち主がいないだけに、
彼等の出番はないだろうか!?
配当妙味は大きいんですが、
1~4はSGウィナー揃いなんですが、

波乱は起こらないだろうか??

波に乗るのは、いったい誰だ!?
<2020年7月26日:午前9時投稿>

追記:強竜、ポセイドンになる。

波に乗ったのは「峰 竜太」だった。
レースをご覧になった方、競艇に興味のある方ならお分かりだろうが、
鍵を握ったのは3号艇の奇策だった。
チルト0調整とぶっつけ本番の3角ダッシュ。
アレがなければ、結果は違っていたかもしない。

フライング持ちにも係わらず「茅原」が後ろに引いてトップスタート。
内の2艇を捲り潰しにかかる。
だが、このメンバーの中では機力のいい「山口」が必死に抵抗。
そのまま「瓜生」の外を攻める。
開いた懐を狙い、差しに転じた「茅原」よりも先に、
“艇界の強竜”が突き抜けた。

午前投稿した通り、優勝戦は銘柄モーター不在。
ある意味、強者なき戦いだった。
故に、ポールポジションが逃げきれないのではないかという予感はあった。
また、3号艇が奇策に打って出るかもしれないとも、思わないではなかった。
しかし、僕は2号艇と1号艇をアタマに張った。
「瓜生」を出し抜くなら、「山口」だと考えたのだ。
結果は4-3-1。
5と6の出番もなかった。
完敗である。

見たい未来ではなかったんですが、流石のレースでした。
おめでとう「峰」!

<2020年7月26日:午後6時投稿>
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束の間の美、或いは幻。

2020年07月25日 23時25分40秒 | 日記
来週からは、もう8月。
しかし、沖縄・奄美を除き、列島の梅雨は未だ明けない。
太平洋高気圧の北への張り出しは鈍く、上空に梅雨前線が停滞。
湿度の高い蒸し暑い、レイニーシーズンが続いている。
--- しかし本日夕方、ほんの束の間、晴れ間が覗いた。

津幡川のほど近くで撮影。
夕陽の手前に広がるのは「稲の草原」。
しっかりと根を下ろし、すくすくと成長している。
これからは、水を溜め過ぎず、湛水と落水を繰り返し、
稲刈りの前まで「飽水状態」を保つのが肝要。
長梅雨は、米作りにとっても歓迎できない。
農家の皆さんも、稲も、盛夏到来が待ち遠しいだろう。
「美味い新米」を食べたくて仕方がない僕も同じ気持ちだ。

さて、雨上がりに日が射してきたので「アイツ」が出るなと思い、
後ろを振り返ると、やはり、いた。

すぐに写真を撮りたかったが、かなり距離がある。
性能の低い拙スマホのカメラでは、かなり小さくなってしまう。
少し近付いてからシャッターを切った。
橋脚から信号~街灯の上に架かる姿が分かるだろうか。

「虹」は、太陽と雨とが作りだす、ひとときの魔法。
条件が揃わないと現出しない自然現象。
長くはもたない、儚き幻である。

しばらく眺めるうちに思い出す。
「萩原朔太郎」は、こんな十七音を紡いだ。

【虹立つや 人馬にぎはふ(賑わう) 空の上】

『わが幻想の都市は空にあり』--- と考える詩人は、
空に浮かぶ七色(なないろ)の共演に、ある種の喧騒を見たのだ。

その感性は悪くない。
久しぶりに彼の詩集を読んでみたくなった。
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タイムリープとタイムカプセル。~ 時をかける少女。

2020年07月23日 05時17分21秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび手慰み。
不定期イラスト連載、第百四十七弾は「時をこえた少女たち」。

僕がまだ子供だった頃、
楽しみにしていたTV番組の一つが、NHKの「少年ドラマシリーズ」。
昭和47年(1972年)から、10年余り続いた。
--- 思いつくままにタイトルを列挙してみよう。

「なぞの転校生」。   
「まぼろしのペンフレンド」。
「マリコ」。 
「11人いる!」。  
「未来からの挑戦」。  
「二十四の瞳」。 
「赤い月」。 
「幕末未来人」。 
「七瀬ふたたび」。
(※順不同)

多岐に及ぶ作品群の第一作は「タイム・トラベラー」という。

ラベンダーの香りを引金に、タイムリープ(時間跳躍)能力を発揮する少女が、
過去と未来を行き来し経験する、サスペンスやラブロマンスを描く青春SFファンタジー。
「筒井康隆」の著作「時をかける少女」の初TVドラマ化「タイム・トラベラー」では、
主人公「芳山和子」を「浅野真弓(故「柳ジョージ」の細君)」が演じた。

以降、
83年に「原田知世」、85年は「南野陽子」。
94年が「内田有紀」、97年の「中本奈奈」。
2002年「安倍なつみ」で実写映像化。
2006年には、「和子」の姪が主役の劇場アニメも公開。
2010年、上記アニメ版の声優を務めた「仲里依紗」が、「和子」の娘として銀幕を飾る。

原作小説が発表されて半世紀以上が経つが、
繰り返し映像化され、時を越えて多くの人を魅了する青春物。
息の長いコンテンツであり、原作者曰く「よく銭を稼ぐ少女」なのである。

それぞれの「時かけ」のヒロインには、その時代の少女像が投影されてきた。
清楚な女子高生あり、ギャルあり、JKあり。
ストーリーを追いながら、各作品の「芳山和子」に注目し、
制服のデザインやメイク、言動の違いを比べるのも一興。
また、背景も同様だ。
街の様子や人々のファッション、世相、文化風俗など、
制作された「時代」が詰まっている。

それらを味わうのは、過去へのタイムリープに似ているかもしれない。
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雨降って、木野子生える。

2020年07月19日 12時00分56秒 | 自然
「きのこ」を漢字変換すると以下の候補が出る。
例えば「木ノ子」。
あるいは「木野子」。
倒木や切り株などによく発生する事から、
「木の子供」と呼ばれるようになった、と言われている。

「きのこ」は秋の季語だが、実際は1年中生える。
特に梅雨から夏にかけては盛ん。
長雨の合間、散歩に出かけると「きのこ」を見かける事が多い。

「きのこ」は菌類。
植物のように葉緑素が無いため、光合成はしない。
樹木や落ち葉などに菌糸を張り巡らせ栄養を得る。
そして、種子ではなく、胞子で子孫を増やす。
傘のような「子実体(しじつたい)」は、胞子を生産するための菌糸集合体。
つまりは「花」のようなものだ。

「きのこ」には、大きく2つの生き方がある。
一つは、相互扶助を行う共生グループ。
樹からデンプンをもらい、土の中の水分やリンなどを集めて樹に届ける。
松茸やポルチーニなどがそれだ。

もう一つは、枯れた木や落ち葉、切り株、動物の死骸などから養分をとって生活するタイプ。
シイタケやナメコなどがこのグループである。

津幡町役場そば「津幡中央公園」の立木に生えた「きのこ」。
カワラタケの一種か。
母体になった樹木は、あまり元気がない感じがする。
弱っているから「きのこ」が生えたのか。
「きのこ」が付いたから弱っているのか。
両方が相関しているのかもしれない。

「きのこ」は、枯れた木や死んだ動物を分解して土に戻す役割を担う。
樹木目線、樹木を育てる人間目線からすれば敵。
より大きな観点---自然のサイクルからすれば益。
生と死、光と影、善と悪が表裏一体であるように、
見方によって「きのこ」の立場は変わる。

最後に人間目線の話題を。
最近、樹勢に陰りが見える気がする「おやど橋」袂のタブノキ。
幹に、褐色腐朽菌(かっしょくふきゅうきん)の代表選手「サルノコシカケ」を認める。

大火や水害を乗り越え、風雪に耐えてきた津幡町中心部のランドマークである。
どうか、これからも健やかにいて欲しい。
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再会、嘆きの天使。

2020年07月18日 08時59分33秒 | 日記
津幡町・横浜の寺院「普念寺」。
その裏手、住宅街の一角には、小さな沼地がある。
散歩の折、度々そこを通るのは「天使」に会うのが目的だった。

蒲や蓮、カキツバタに囲まれ、膝を抱えてうずくまる様子から、
勝手に「嘆きの天使」と名付けていた。
時に神々しく映るのは、やはり「神の御使い」--- 神と人の仲介を行う使者だからだろうか。

有翼の姿の起源は、古代メソポタミアやエジプト。
ユダヤの伝承を経て、キリスト教に取り入れられた。
天使は1つではない。
上級・中級・下級の3つに大別され、それぞれ更に3段階に区別されている。
前掲画像のモチーフは、どのヒエラルキーに属するものか分からないが、
気に入って、何度も眺めに足を運んだ。

ところが。
ある頃を境に、いなくなってしまった。

台座を遺して、忽然と消えた天使。
まさか、飛び立って行ってしまったわけではないだろうが、
散歩の楽しみが1つ減り、少々落胆した。

まさか、舞い戻っていたりしないだろうかと先日も訪れてみたが、いない。
小さく溜息を突き、踵を返した刹那、
「鈴(りん)」の音が聞こえた気がした。

冒頭に書いた通り、近くにお寺はある。
しかし音がする方角は、背後の小路。
「リーン」
今度はハッキリと聞こえた。
導かれるように、ゆっくりと進む。
--- すると、茂みの奥に、いた。

思わず「あっ!」と声を上げてしまった。
何んらかの理由で、ここに移設されていたのだ。
沼地の中という絵になるシチュエーションは失われたが、お陰で距離が近くなった。

曇天の下、久しぶりに再会した「嘆きの天使」。
感激して観賞する事しばし。
気が付くと「鈴」の音は止んでいた。
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