きっと面白い物語があるのではないかという予感がした。それが、田村京子『北洋船団 女ドクター航海記』(集英社、1985.12)だった。1000人以上の男漁師が172隻の独航船と母船のサケ・マス船団を組んだなかに、史上初めてという女医ひとりが赴任することになった。その閉ざされた環境のなかでの航海記の中身が読者をぐいぐい惹きつける。
本番のサケマス操業そのものが記述していくのは本書の半分以上たってからのことだった。というのも、初めて女医が決まっていくあらましや決まってからの船内の改造をはじめ、素人では計り知れない船内のしくみや当時のソビエトの不当で厳密な漁区指定や船団スタッフの構成等など、好奇心のかたまりの田村医師のはつらつとした見聞録がこれでもかと思うほどに展開していく。
また、漁業に関係する専門用語が紹介されたり、米ソの「監視員?」も乗船していることなど、事実上北洋船団の入門書にもなっている。それ以上に魅力的なのは、同乗の船員たちへの暖かなまなざしだ。それは同時に、田村女医が麻酔科という内科や外科の花形からみると亜流に見える専門医だったことと関係する。エリート制服組とは違う、同乗の船員たちの肉体労働にかけるいのちがけの猛者の立場と重ね合わせる。
そのような感性が田村女医のコミュニティー能力の高さやおおらかさと合わさって、船員たちが心を開いていく過程が軽快に表現されている。いわば、ピュアな荒くれ男たちと好奇心のかたまりの女医との仲間意識が本書を貫いている。それに至るには、「肩振り」という船内の特殊用語に表れている。つまり、医者という鎧を脱ぎ捨てて何気ない世間話・声掛けをしてきた田村医師の柔軟性・適応力に感心するばかりだ。そこに著者の「牛若丸」(船員の証言)のような変幻自在・自由闊達な生き方が表れている。
極限ともいえる環境の中でも、そんなはつらつとした発露ができるとはすばらしい。ひるがえって、バーチャルと武力が支配している日本や世界の閉塞状況にいかに元気にいられるかがひとり一人に問われている。その意味で、好奇心と共感・怒りというものを失ってはならないとつくづく思うばかりだ。