山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

プラスチックごみとマルチフィルム

2022-02-04 20:46:46 | 意見・所感

  小春ちゃんがこちらを振り向き始めたらしい。日差しは春らしさを予感できるが風は冷たい。でも、そろそろ、畑の畝づくりを準備しておかないといつものようにまたまた遅れてしまう。というわけで、硬くなった畑に古くなった黒マルチの撤去作業に入る。

  

 しかし、そこは黒マルチをそのままにしておけば雑草を多少抑えられるとして放置していた畑だった。だから、マルチは千切れやすくなっていた。これはまずいぞと丁寧にその破片を回収する。これをいい加減にしておくと川に流れ海洋汚染の元凶にもなりかねない。したがって、マルチを撤収するのに二日もかかってしまった。なにしろ、日本の一人当たりのプラスチック廃棄量は年間約32kgでアメリカについで世界2位にある。

            

 以前、NHKで「プラスチックごみ問題」を番組でとりあげたことがあったようだ(2019)。最近はマイクロプラスチックによる海洋汚染が魚や生物の体内から検出される画像がしばしばみられるようになった。オーストリアの研究グループは日本を含む世界8か国の人の便を調べたら、全員からマイクロプラスチックが検出されたという(2018)。いよいよ、人間の体に影響が出てきたというわけだ。

             

 番組の資料によれば、「サーマルリサイクル」というのは、温水プールのような焼却による熱利用等だそうだ。それは温暖化に拍車をかけた「有効利用」?ともなる。日本からアジアへのプラゴミ輸出は一時問題になり、中国が輸入を止める動きも出てきた。政府としては1000万トンに達しようするプラゴミ対策としてはそれは現実的な対応でもあるが、抜本的な解決策ではない。そこへの開発イノベーションにもっと予算をかける決断が必要だ。(円グラフは番組資料から)

     そのすぐ近くの畝では、マルチを引っ張ればスムーズにはがすことができた。こちらはマルチをやってから1年以内のものだったからでもある。そして、はがした地面には藁や雑草の残骸をかけておいた。それは地中の微生物のためでもあり、野菜作りの糧でもある。

    

 というわけで、日差しは暖かいが風が冷たいので汗はかかない状態で耕運機の出番となった。昨年は手こずった耕運機だったが、今回は優れて「いい子」だった。こうして、少しずつ黒マルチは撤収されていく。これらは大量でもないので一般ごみに出しているが、いずれ土中に分解するという生分解性フィルムを使いたい。

 この生分解性フィルムを一時利用したことがあるが、価格が2~3倍もするし、強度が弱くて破れやすいという弱点があった。ここへの研究開発とか補助金を補填するとかの対策が相変わらず貧弱のままだ。農業資材のプラスチック依存も馬鹿にできない量だ。ここでもまた、将来的なデザインが欠如している日本の皮相な打算にぶつかってしまう。春を前にしてまだ暖かさには距離がある。  

 

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倒幕に深くかかわった外交官

2022-02-02 19:25:56 | 読書

 幕末から維新にかけて活躍したアーネストサトウほど日本の動静に影響を与えた通訳・外交官はまれだ。そのサトウに注目した鳩山民主党政権の外交ブレーン、孫崎亨(マゴサキウケル)の『アーネストサトウと倒幕の時代』(現代書館、2018.12)を読む。

    

 外務省にいた孫崎は、日本の対米従属を批判する数少ない官僚でもあったようだ。その彼が「相手国の歴史の動きに、深刻な影響を与えたという点で見ますと、アーネストサトウ以上の人はほとんどいません」と断言する。例えば、江戸城無血開城のときは、西郷・勝双方のパイプを持ちながら頻繁に両者から情報を収集しパークス公使を動かし、江戸を戦火から守った。

    

 サトウが1866年に「ジャパンタイムズ」に寄稿した『英国策論』は日本語に翻訳され、志士に読まれていった。内容は、徳川将軍は諸侯連合の首席に過ぎず、現行の徳川との条約を日本を代表とする天皇と諸侯連合との条約に移行すべきだとする。つまり、倒幕を志向したものだ。イギリスとしては内政干渉には介入しない立場だったが、それを踏まえた対日政策を冷静に論じ、推進していったサトウは、当時まだ22歳だった。

   

 本書は、サトウの『一外交官の見た明治維新』の回想をベースにした幕末史でもあった。当時の引用が多用されて素人には読みにくいところもあったが、登山・旅行家・博物学者としてのサトウの顔は割愛したようだ。全体としては、わかりやすくまとめようとした作者だったが、引用を踏まえたうえで、もう少し自分の言葉でアーネストサトウ論を展開してほしかったと思う。

   

 サトウが果たした役割は、日本をフランスなどとの代理戦争の場にしないこと、内乱状態を避けることに腐心したことだ。イギリス公使館の内部的齟齬やフランスとの政策的落差も描かれているが、サトウは、日本語をマスターしていただけでなく、志士・公家・諸藩有力者との信頼関係を築いていた魅力的な外交官として、的確で冷静な日本の分析官でもあった。

   

 また、1850年代までのイギリスは、インド・香港等を植民地にしたものの、その経営維持に莫大な経費が掛かるので、自由貿易ができる環境を作ることに移行していったという対日政策を著者は見落としていない。徳川慶喜が不戦(逃亡)を貫いた裏にはサトウらイギリスからの助言があった背景も指摘している。したがって、1869年に一時帰国が決まったサトウに対して、岩倉具視や東久世通禮らの公家や木戸・森有礼・大久保らが豪華な品物を贈り、盛大な晩さん会も開かれた。日本を壊滅的な戦場にしなかったサトウの功績は大きい。孫崎氏のようにもっと注目すべき人物だった。

 

   

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