ふぶきの部屋

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宝塚コラム・・・さよなら貴城けい1

2007-02-10 21:22:55 | 宝塚コラム

 さよなら貴城けい・・宝塚最後の貴公子 

 

宙組の「維新回天・竜馬伝」「ザ・クラシック」を見て、

いいようのない悔しさと悲しさに打たれてしまいました

これぞ断腸の思いというのでしょうか。

かつて、こんな不遇なトップがいたでしょうか・・・(いたかもしれないけど)

匠ひびき絵麻緒ゆうも、今回の貴城けいに比べたらどんなにか恵まれ

どんなにか惜しまれ、どんなにか自己完結出来たことか

何の因果で縁もゆかりもない組に突如落下傘のごとく下ろされ、

初めて組む相手役に馴染みの薄い二番手、三番手を従えて

たった1作のお披露目とさよならを兼ねた作品で主役を張り、しかもその

作品が全く本人の為にあてがきされたとはいえず・・・

入団以来、雪組の御曹司として大事に大事に育てられて来た貴城が

何でこんな仕打ちをうけて「さよなら」と言わねばならないのか

本当に今の歌劇団のやり方には疑問・・いえ、反発を感じざるを得ないです。

 

石田先生の「維新回天・竜馬伝」はとりもなおざす、真矢みきの印象が強い

作品で焼き直しというよりはつぎはぎだらけの超駄作。

誰が見たって貴城は竜馬のイメージではない

これが単なるお披露目だったら「試しにこういう作品をやらせてみました」で

済むけれど、さよならなればきちんとあてがきして欲しかった。

貴城は新撰組なら沖田か山南、幕末の志士なら勝海舟だし・・いえいえ

それよりも平安の貴族、それがかなわぬならせめて源義経をあててほしかった。

何が悲しくて一番イメージと程遠い竜馬を演じなくてはならなかったのでしょう。

 

貴城の着物での立ち居振る舞いは本当に見事で、それゆえに

日本物に慣れない宙組を逆に際立たせてしまい、楽も近いというのに

何となくお互いがギクシャクしているような演じっぷり

宙組に馴染めない貴城、貴城をどう扱ってよいかわからない宙組の間で

あてのない駆け引きをしているような舞台でした。

 

「ザ・クラシック」の方はショパンに貴城をあてたはいいけど、人生を追うでもなく

断片的に楽しい場面ばかり。

お披露目のいい作品と笑いたいけど、笑うわけにもいかず、でも思い切り

泣くわけにもいかず、ごてごてのコスチュームを華麗に着こなす貴城と

都会的なムードの2番手以下、これまた隔絶された感あり

 

本当に本当に何が悲しくてこんなことに・・・・

これではファンも涼やかな涙を流す・・というわけにはいかず、あとに残るのは

恨み節ばかり。

貴城のあまりに痛々しい笑顔がよけい「別れの曲」と重なって、ファンの心の中に

大きな傷を残しました。

あの笑顔をつむぎだすまでにどれほどの葛藤があった事でしょう。

それを思うと、地団太を踏んで座り込みでもしたい気分です。

私達は夢を見に劇場に通うのであって、こんな悲劇をみせられるために

通っているのではないと。

 

貴城けいは、「貴公子」という言葉が非常に似合う人でした。

「御曹司」という言葉もぴったりでした

雪組にどんな嵐が吹き荒れようとも、彼女はちゃんと動かずにそこにいて

風を受けつつ自分の役割をきちんと果たしてくれた人でした。

美しい顔立ちに映えるのは、美しい公達装束でした。

上品で威厳があって、見る人を納得させてしまう台詞回しを私達は

普通に、本当に普通に見ていたのですね。

その貴重さに気づくことなく。

失って初めて・・・多分わかることなのかもしれません。

この時代、宝塚の中で「貴公子」を表現出来る役者は彼女だけだったと。

 

けれど、貴公子には悲劇が似合うわけで。

それを思えば貴城を襲った悲劇も予定調和の流れだったのかもしれません。

幸せな貴公子は絵にならない。

苦悩と痛々しい傷を負ってなおかつ嫣然と微笑むしぐさの妙。

これが貴城けいの真骨頂だったのかもしれませんね。

 

今、走馬灯のように彼女の舞台姿が浮かびます。

舞台を見つめながら「うまいっ」と膝に手をあてて心の中で叫んだ思い出が

よぎります。

舞台が好きな人間にとって、いえ、宝塚が好きな人間にとって、その尽きない

欲求を満足させてくれた存在。

それが貴城けいでした。

下級生の頃からずっと・・・・・・

そうえいば・・下級生の頃から見ていたんだなーーと・・・・

気づいたのでした。

 

   つづく。

 

 

コメント (2)
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