ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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神戸新聞の7日間

2010-01-16 23:24:54 | ドラマ・ワイドショー

 今日は一日中外出していたので・・・疲れました

センター試験・・・どうだったのか、怖くて聞けませんでした。

あまりいい結果じゃない ああ・・・悪夢だなあ

でも・・・遅く帰ってジュニアに「ただいま」と言ったら珍しく

「お帰りなさい」と言われ、ついにで「ママの髪型どう?」と言ったら

(ちょっと凝った形にしてみたので)「可愛いよ」と言いました。

 天の地がひっくり返る?ジュジュジュ・・ジュニアがママに

「可愛い」っていったーー

 

 神戸新聞の7日間 

 

始まりのナレーションと同時に涙が出て、終わるまでずーーと

泣いていました。

とにかくぐすぐすぐ涙が止まらなくて

 

もうあれから15年になるのですね。

当時、関東にいたので全く情報がわからず・・・・

仕事から帰って来てテレビをつけたら街が燃えていた・・・という記憶が。

でもテレビは朝から放送してたんですね

そして地元の神戸新聞の方々が怪我をしつつ、食事も取らずに

とにかく情報を伝えたいという一身で新聞発行を頑張った・・・・という

話には本当に頭が下がります。

 

俳優さん達もいつになく力が入っていて、素直にドキュメンタリー

の部分と演技の部分を見る事が出来ました。

とてもいい作品だったと思います。

 

それにしても、そっかー被災者の方々は情報が入らないので

右往左往していらしたのですね。

消防車から水が出なくて焼けるに任せるしかなかった家。

「応答がある人が優先」として下敷きになっても助けられなかった人。

そして、骨を拾う少年・・・・時代が60年もさかのぼったかのようでした。

 

悲惨な目にあった人にカメラを向けられない・・・撮れないという

迷いは誰にでもあるかと思います。

でも、もしかしかたらそれって平和な時代を50年以上謳歌してきた

人だからこそいえる話?

戦場のカメラマンや原爆の被害者を撮ったカメラマンだって

心が痛んだに違いないのです

彼らが躊躇したり迷ったりしたら、歴史の証拠は出来なかったわけで。

東京大空襲を撮り続けたカメラマンだって泣きながらだったと思います。

それでもシャッターを押さなければならない。

それが報道カメラマンの宿命なんでしょうね。

 

今の神戸はすっかり復興して、全く別な街のようになっています。

もしかしたら15年の歳月も風化していくかもしれない。

だからこそ、当時の新聞、記事、写真が何をどう記録したかが

大切なんだと思います。

 

 

 

 

 

 

コメント (5)
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