ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

秋篠宮ご夫妻結婚20周年

2010-06-29 17:37:13 | 皇室報道

 やっとパソコンが直りました・・・・

やっぱり使い慣れてるのが一番いいですね。

結果的にハードディスクを交換したので、今までの記録は全部ボツ。

これがショックで昨日は眠れませんでした。

「パソコンのリスクなんだからしょうがないだろ」って言われても・・・・

印刷代とか、CD-R代とかケチっていたのはうちのだんなやねん。

全部ハードディスクに入れてたんじゃん

一家の歴史が全部なくなった・・・・かなりショックで・・・

 

 秋篠宮ご夫妻結婚20周年 

 

今日、6月29日は、秋篠宮ご夫妻の結婚記念日

今でも覚えています。

1989年の8月。私自身の結婚を9月に控えていた頃に電撃的な

婚約発表

世の中にこんな清楚なお嬢様がまだいたのか」と日本全国が思った

川嶋紀子さん

婚約記者会見では、見ているこっちが恥ずかしくなってしまう程の

ラブラブぶり

お子様は何人?」

礼宮 「何人にしましょうか

紀子さん 「それも・・宮様と相談して」

紀子さんにとって礼宮様は初恋ですか?」

紀子さん 「お答えしてもよろしゅうございますか? はい。そうでございます」

濃紺のワンピースに長い髪。白手袋がちょっと大きかったような?

 

当時のマスコミの報道は

 弟殿下が兄殿下より先に結婚するのは異例

 昭和天皇の喪中なのに

・・・と、バッシングの芽はここからすでにあったのかなと。

(水面下では小和田家が皇太子妃擁立にやっきになっていたので、

礼宮のラブラブぶりは邪魔?)

そうはいっても、二人とも学習院育ち。美智子様の時にはがっくりきてた

常盤会の方々はこぞって

さすが礼宮様。お目が高い」と褒めまくりでした。

 

当時はねえ・・・弟が兄より先にってのはまだまだタブーっぽくて。

我が家もそうだったので秋篠宮様の結婚は非常に私たちにとっても

いい先例になってくれました。

 

結婚式までの「紀子ちゃんブーム」はすさまじかったですね

どんな時にもにこやかに挨拶をする姿は好感度抜群。

結婚式の報道の時は、学習院関係の学友がコメントされて・・・

お二人とも似たような環境でお育ちだったんだなあと思ったものです。

 

川嶋家は非常に学問に通じ、清貧を心がけるお家柄のようで

「自宅にはテレビがない」と聞いた時にはびっくりしたものです。

父君のご発言などもすべてにおいて教養の高さを物語るもので、

そのあたり、どこかの官僚とは品格が違うようなーーと思いました。

 

1990年の6月29日。その日はとても寒かった記憶があります。

報道される「結婚の儀」「朝見の儀」「パレード」を見てて思ったのは

紀子妃は大変、十二単が似合う女性であること。

ローブ・デコルテのデザインがすばらしかったこと。

手の振り方ひとつ、全てにおいてきちんとされている事。

思えば出会ってから4年程?毎日が彼女にとって「お妃教育」の日々

だったんですね

ご学友の言葉に

紀子ちゃんはある時期から言葉遣いが変わったので、あれ?と

思っていた」というのがありますが、覚悟していたんでしょう。

 

秋篠宮」という宮号も文字といい響きといいすばらしくて、両陛下の

センスに驚きました両陛下はネーミングの天才。

そしてそれは秋篠宮殿下もそうだなと。

紀子妃のお印は「檜扇あやめ」で、これは昭和天皇にちなんで選ばれたもの。

眞子様は「モッコウばら」 → 可憐な野生の薔薇

佳子様は「ゆうな」 → 沖縄にちなんだもの

悠仁殿下は「高野槙」 → 神様にお供えする木

 

当時、お二人の新居はぼろぼろで・・・庶民の私ですら

「へーー狭い」と思った記憶が。

今思うと、何で両陛下はあんなにも秋篠宮夫妻に厳しくされたのか

厳しくする相手が違ったんじゃないの?と思いますが・・・・・

 

即位の大礼を筆頭宮家の妃として見事に勤めた紀子妃。

嫁姑関係もすこぶるよく、義理の妹・紀宮にとってもよいお姉さま。

眞子様が生まれ、さらに期待は高まるばかり

しかし・・・佳子様が生まれたあたりから秋篠宮家には暗雲が・・・

 

 佳子内親王懐妊に「皇太子妃をさしおいて」とバッシング

 秋篠宮殿下に対する「愛人」騒動

 

以後、秋篠宮家の報道はぱたっと無くなり・・・・皇太子家に対する

「ご遠慮」の日々は今に至るのです。

私は、東宮家に子供が生まれなかった事に遠慮して子作りを控えられた

事や、悠仁殿下誕生時のいわれないバッシングを忘れません。

本当によく耐えてこられた20年だったと思います。

 

地道な学問研究と公務は皇族の鑑といえるでしょうね。

大変な20年でしたけど、この努力がいつか報われる日が来るように

お祈りしています。 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする