ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

東日本大震災から1年

2012-03-11 15:02:29 | つれづれ日記

黙祷・・・・・

 

小さい頃から8月に行われる「追悼式典」の映像はよくみていたし、黙祷も捧げて

きました。でも、正直、自分が生まれる前の出来事だし遠い雰囲気があったのは確かです。

でも、今日、国立劇場で行われた式典はわずか1年前の出来事で、

ここで初めて「追悼式典というものはこういうものか」と理解した次第です。

 

野田総理の言葉・・・ごめんなさい。私には「原発」のことしか耳に入りませんでした。

「福島」さえよければいいのか?とも受け取れてしまって。

総理大臣にとっては津波や漁業の壊滅より原発を守る事なのかなあって。

 

陛下はあまりお具合がよろしくないのかも・・と思いつつ、しっかりと歩まれているのを

みてほっとしました。皇后陛下はお着物で。珍しいな・・・と。

 

あの日の事を思い出すと、今でもドキドキします。

とにかく揺れが長かったんです。いつまでもおさまらない・・・永遠に揺れているんじゃ

ないかと思った程。

普通、大きな地震っていうのは短い筈なのになぜ?何が起きているのか?と

揺れ始めて多分、2分か3分後に世界が終わるような恐怖感を覚えました。

その後は、外に出るも寒くて寒くて。結局マンションに戻りました。

保育園に行くと、子供たちは帽子を被って1室に集められていました。

早く迎えにこられる親はいいけど、あの日はきっと一晩を保育園で過ごした子も

いたでしょう。「夫と連絡がとれない」と言っていた人もいましたし。

 

ああいう時はとにかく情報が欲しいものですよね。

テレビはつけっぱなし。余震の中でパソコンを立ち上げあっちこっち見ている自分。

どうせ電車は動かないだろう・・・旦那は帰って来ないだろう・・・と思ってはいたけど

もしかして動くんじゃないかってテレビを見続けていました。

渋谷とか新宿駅前のバス停には走るあてもないのに、沢山の人が押し寄せてきて

何とか帰ろうと必死になっている。

通勤圏内のこの距離がひどく遠くて果てしないものに思えました。

都内にいた人達の感覚はちょっと違っていたようで帰宅難民になったのは

不幸だったけど、まさかそこまでの大災害というイメージでは受け取っていなかったよう。

「そんなに揺れましたか?」なんて、後から言われてびっくりしたり。

千葉県では津波被害と同時に液状化が大変な事態になっていたし、身近な

建物でも瓦屋根が落ちているのをみたりして、やっぱり心が痛かったんだけど

わずか電車で30分の距離でも東京の感覚とは違うんだなって思ったり。

 

あれから1年です。

テレビでは奇跡的に事業を再開した人達を取り上げたりしていますが

みんながみんあ勝ち組じゃない。

ほとんどは今も途方にくれている状態だと思うんです。

そりゃあ壊滅的になったかきの養殖が復活したり、漁船が海へ出たりって

それは嬉しいけど、町としてどうまとまって復興していくか先が見えないでしょう。

何度も書きますが都市は復興が楽ですが、地場産業に守られた田舎は難しい。

人が一旦流出したら戻ってこないしお金はないし。

政府は今の所、原発の方が心配かもしれないけど・・・もうちょっと北の方にも

目を向けて欲しいです。

沢山の失業者が出ている現状をどうするのか。

時間が経てばたつほど打ち捨てられる運命の人達を救い出して欲しい。

津波が襲った町・・・・あのまんまだけど、この先堤防を築く予定は?

首都圏の直下型地震が起きたら、やっぱりまた津波の心配があるでしょう?

住民の集団移転もままならず、何もない場所でお仕事を再開している人たちも

いるのに。

福島も同じ。堤防は?作らないの?

なーんか、釈然としない1年でした。

 

コメント (6)
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