ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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講演会報告

2015-04-19 16:24:09 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 4月18日の講演会。無事に終了いたしました。

全部で55名程参加して頂き、大盛況でございました。

あらためて皆様に感謝申し上げます。

会議室ってこんなの。

結構いいでしょ?テーブルの上においてあるのはお菓子です。

ブレイクタイムを入れて3時間半。私的には時間が足りないくらいでした。

 講演風景はこんなの。皆様、本当によく聞いて下さって

ありがとうございます。

では謹んで講演会のご報告を。

 8人10代の「女帝」が登場した理由

 天皇制 = いい意味で政治利用されてきた存在。時の政府とギブアンドテイクの

           関係で2000年存続。

           21世紀の今、政府にとって天皇は利用価値がない。

           それゆえ皇室典範改正が進まず。

 男系男子継承・・・・最初は偶然の産物が伝統と化していった。

              ゆえに「女帝」に拒否感がない。

 「女帝」の存在理由を見る為に8人10代の「女帝」の奇蹟を追う

推古天皇 → 日本で最初の女帝。蘇我氏の権力強化の為即位。

皇極・斉明天皇 → 日本で最初に譲位・重祚した天皇。

              皇極・・・出自が少々不明。舒明天皇の意を受けて即位。

                   もしかすると「同母兄弟継承」だったのではないか。

              斉明・・・孫の建王に譲位したかったのでは。

持統天皇 → 日本で最初に長子継承に導いた天皇

          壬申の乱の黒幕?

          藤原不比等と組んで、自己の即位の正当化→天照大神を女性化する

元明天皇 → 天皇にならなかった皇太子の妻の即位

         息子の意をうけて即位。孫が幼かった為。

元正天皇 → 日本で初めて独身女性の即位

          藤原氏の暴走を止め、聖武天皇の即位を遅らせる為に即位

孝謙・称徳天皇 → 初の女性皇太子

          藤原家の皇位独占の為に無理やり即位

          道鏡との恋

明正天皇 → 徳川家の血が入った天皇

         ・ お世津ご両人事件

         ・ 紫衣事件により後水尾天皇譲位 → 娘へ

         ・ 明正天皇になる事により徳川の血筋を絶つ

後桜町天皇 → 最後の女帝

          弟・桃園天皇の死によって即位

          桃園天皇の子である後桃園天皇即位への中継ぎ

 

 結論

女帝が立つとき → 権力者の権力強化をはかる為の道具

              真に継承者がいない時

 どちらにしてもあまりいい状況ではない。

現在、悠仁親王がいるにも関わらず「愛子女帝」画策の動きがある。

男系男子がいるにも関わらず「女帝」を画策するという事は

その背後にいる者が権力を握りたいという思惑。

 11宮家について

天皇家と血筋が離れているにも関わらず、時の天皇の「猶子」になる事で

家を存続させてきた宮家。

世襲宮家・・・岩倉宮(順徳天皇の5皇子)

         四辻宮(順徳天皇の6子)

        常盤井宮(亀山天皇子)

        木寺宮(後二条天皇の皇太弟)

        花町宮(木寺宮の兄弟)

        萩原宮(崇光天皇の皇太弟)

        五辻宮(亀山天皇の5皇子)

南北朝の争いのさなかに全て廃絶。

南北朝を生きぬいたのが「伏見宮」

 伏見宮家

初代 → 崇光天皇長子・栄仁親王

3代 → 貞成親王・・・息子の彦仁親王が即位し後花園天皇。後崇光太政天皇の尊号

20代・23代 → 邦家親王・・・山階宮晃親王・久邇宮朝彦親王・小松宮彰仁親王

                    北白川宮能久親王・華頂宮博経親王・北白川宮智成親王

                    閑院宮戴仁親王・東伏見宮依仁親王

臣籍降下時

博恭王(70歳) 博明王(15歳) 存続中

 

 桂宮家

初代  → 八条宮智仁親王

12代 → 桂宮淑子内親王

廃絶

 有栖川宮家

初代 → 好仁親王(後陽成天皇子)

10代 威仁親王

継嗣がなく廃絶

 閑院宮家

初代 → 直仁親王(東山天皇6皇子)

6代 → 戴仁親王(伏見宮邦家親王16皇子)

江戸時代に上記4つの親王家を「世襲親王家」とし、存続させる。

 

 江戸時代の天皇や宮家の子供達 → 寺に入る。親王宣下なし

                           内親王・・・五摂家に嫁ぐ事が出来れば幸運

 幕末・・・幕府の思惑で伏見宮晃親王・朝彦親王が還俗。

 

 明治時代

光格天皇→仁孝天皇→孝明天皇→明治天皇まで全て一人っ子

明治天皇の子女15人中生き残ったのは大正天皇と4人の内親王のみ

皇位継承に危機感を持った明治天皇は、政府にかけあい次々宮家の

設立を許す。

 

伏見宮貞敬親王 → 梨本宮家

伏見宮邦家親王 → 山階宮家

              久邇宮家 → 賀陽宮家・東久邇宮家・朝香宮家

              小松宮家

              北白川宮家 → 竹田宮家

              華頂宮家

              東伏見宮家

 

終戦時の11宮家は全て伏見宮が祖。

血筋は古いが天皇家との血縁関係は遠い。

現在、皇籍復帰論があるが、一体、どこに復帰させ身分をどうするかまで考えているのか。

 

 ふぶき案

1案・・・・徳仁親王即位。秋篠宮悠仁親王を「皇太子」にする為に天皇の「猶子」とする

      秋篠宮家に2名か3名の「猶子」を入れて宮家を存続。

      徳仁天皇から悠仁親王へダイレクトに皇位移行。

      秋篠宮は「准太政天皇」に。

2案・・・眞子内親王・佳子内親王と旧宮家の婚姻による宮家設立。

     しかし、この手を使えば愛子内親王も同じことをやりかねないため微妙。

 

要するに、「女帝」を立てればそこに黒い陰謀が渦巻き、だからといって旧宮家の

復帰をすればいいというものではないのです。

どこにどう復帰させるかが問題。その際、現皇室典範にはない「皇族の範囲」に

ついてきちんとした規制を設ける事が重要。

(現在は永世皇族制をとっているので、仮に高円宮家に男子がいて結婚したら

あらたに宮家設立や存続がありえた。旧皇室典範では初代から5世で臣籍降下。

それまで長子のみ皇族制)

現皇室典範に比べて、旧皇室典範は非常に合理的な考えがあったという事です。

反省点

かなり膨大な量を3時間半にまとめあげる事が出来なかった。

大雑把に説明するにとどまった。

事前に資料を渡していなかった為、受講者が戸惑う場面もあった。

もう少し現在にリンクする内容を選ぶ必要性がある。

次回に向けて参考にする事。

 

というような感じでございました。

 

二次会も盛り上がりました。32名の参加を頂き、いやーー飲む飲む。

「ふぶきさん、綺麗ね」って10年以上ぶりに言われました

褒めて下さってありがとうございます。

下は20代から上は70代まで、幅広い方々と交流でき、本当に楽しかったです。

また次回もよろしくお願いしたします。

 

参考資料

日出ずる処の天子(山岸凉子)白泉社

天上の虹(里中満智子)講談社

伏見宮(浅見雅男)講談社

奈良朝の政変劇(倉本一宏)吉川弘文館

古代天皇家の婚姻戦略(荒木敏夫)吉川弘文館

古代の皇位継承

天皇と宮家(小田部雄次)新人物文庫

もう一度読む山川日本史

持統天皇と皇位継承(倉本一宏)吉川弘文館

昭和天皇七つの謎(加藤康男)ワック

 

 

 

                    

 

 

 

 

コメント (22)
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