ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

「Sante!」流れで2002年「カクテル」を見てみた

2017-08-14 07:00:00 | 宝塚コラム

 世の中お盆です。静かです。お盆と年末は一人でいたくないよね。

とはいうものの、滅多にない一人きりを体験するのもいいんですけどね。

ご先祖様、夢に現れてね。

我が家の姫ちゃんが「Sante!を見たらカクテルを見たくなっちゃった」と言って、ごそごそとDVDを出して見始め、それを一緒につらつらと見てたんですけどね。

その話の前に。

中村暁の演出家としての話を。

1990年「黄昏色のハーフムーン」で大劇場デビュー。これがいわゆる杜けあきさんが悩んだっていう作品ですか?

ざっと見てもよかったと思える作品が見当たらない。

真夜中のゴースト」の不評は見てなくても知っているし(ポスターからしてひどかったしね)

実際にこの目で見た「黄金のファラオ」も「大海賊」もなんじゃこりゃ?だったし。

我が家の姫が好きな「夢・シェイクスピア」では「真夏の夜の夢」を丸々劇中劇でやっちゃう愚をして、なおかつ1幕目の終わりと2幕目の最初が同じって・・舞台ではありえない事やってたし。

ショーの方では「サジタリウス」で強姦シーンをやったーーと何だか突っ込まれていたっけね。

ミロワール」はそれなりに好きだし「VIVA FESTA」では本当にいいなと思ったのに。

基本的に芝居を書くのに向かないというか才能のかけらもないというか、そもそもそういうお勉強をしていないというか?

だから小学校の学芸会のような脚本になってしまうんでしょうね。

この芝居で描きたいものは何か?という基本的なスタンスがなく、主役を主役として光らせる事が出来ない。頭が全部ショー・・っていうか、テレビ型になっているのではないかと思います。

昔から中村暁先生には主張がない、自分がないと言われ続けて来たと思います。

芸術家としてそれはかなりまずいのではないか?

90年代デビューの作家は宝塚を否定するような作品傾向が高かったです。

植田景子児玉明子木村信司も・・・徒弟制度がなくなったからーとか言われて植田元理事長が必死に「宝塚らしさ」をアピールしてた記憶があります。

正塚先生だって小池先生だって、ある意味宝塚の中では邪道であるわけですが、うまく折り合いをつけた小池先生と馴染む事が出来ない正塚先生は対照的。

石田先生も10年以上は品性に欠けて「男尊女卑」と言われて来たけど(谷先生もね)最近は柔和になったのか、感動出来る作品を書いてます。

斎藤吉正もショーと芝居と両方を書く人ですが、一時の暴走が無くなり、宝塚に似合ったものを提供してくれています。

それぞれ成長しているというのに、全く成長が見られない作家が木村信司・植田景子・中村暁なんですよね。この3人、どうしてくれようって感じですけど、それでもベテランの域に達してそれなりにお給料を貰って予算も普通の舞台に比べたら非常に大きく好きなように使える立場なんだから、もうちょっとちゃんとして欲しい。

邪馬台国の風」もそれなりに楽しめたという声もあるけど、少なくともS席8800円は高すぎるわ。SS席なら尚更、金返せだよね。

座付き脚本家は時間がなくて・・・っていうけど、それなら「ル・サンク」に載ってる脚本を私に下さいな。ちゃんと直してあげるから。

で・・今更チャーリーのさよなら公演「カクテル」を見てたんですけど。

姫いわく「Sante!」じゃなくて「カクテル2」でよかったんじゃない?」だそうです。まあ、どっちもお酒がテーマの作品ですし、で、どっちがいいかと言われたら断然「カクテル」だよね。

藤井先生も引っ張りだこでネタが尽きてるのか、自分の作品の焼き直しをやっちゃいけないよーーと思います。

「カクテル」はJPOP、サザンの曲を入れたり、バスケットボールのシーンを入れたり、BLもどき?を入れたりとそれはそれは内容が濃くて斬新で、見終わった後に胸がきゅんとします。

シーンがそれぞれカクテルの名前になっている所もよかったし、さりげなく「チャーリー」という言葉を随所に入れていたところも・・・

チャーリーファンじゃなくても「みんなの歌」から「乾杯」で号泣しますって。

演出家として「匠ひびきを送り出してやろう」っていう意気込みを感じましたよね。

無論、あの当時の花組は若手の人材も豊富で、春野寿美礼に彩吹真央、蘭寿とむに愛音羽麗、遠野あすかに舞風りら・・・今よりずっと濃いというか、個性を発揮していたように思うんですよね。

今思えば何が問題で1作退団だったのか?と。

使える人材を放置して役を与えない今の花組よりずっとましでしょ。

あるいは同じような顔の子ばっかり揃えているとかね。

「乾杯」の素晴らしいヤンさん振付。

あれは他ャーリー以外の誰が真ん中に立っても成立しないという事は春野寿美礼で証明済みなのに、これを明日海りおでやっちゃう必要性があったのかな?と思います。

せっかくシャンソンで全編を飾っている所に長渕剛だもんね。

整合性がないといったらないです。

宝塚の座付き作家っていい意味でも悪い意味でもワンパターンなんです。

芝居もショーも真ん中に合わせて設定を変えているだけで、運びはほぼ同じ。

だから「Sante!」は明日海りおに合わせたショーだった筈なんですけど、明日海のよさを引き出せたかといえば疑問です。

確かに今の花組はイメージをつけにくい部分はありますけどね・・・・

 

 

 

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする