ふぶきの部屋

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帝銀事件について 東京裁判がいかに茶番だったか1

2023-01-10 07:00:00 | 政治

みなさんは「帝銀事件」を知っていますか?

恐らく戦後生まれの人でも名前くらいしかわからないかもしれません。

実は、去年年末NHKで2夜にわたって「帝銀事件」のルポをやっておりまして、それを見ました。

1夜目はいわゆるドラマ仕立てで、松本清張がいかにして「小説帝銀事件」を書いたかという事を追求し、2夜目は実際のルポから今まではわからなかった事がわかって来たという事です。

そして戦後生まれの私がなぜこの事件に興味を持ったかというと、主犯と言われた平沢貞道がいたのが仙台の拘置所だったからです。

仙台では毎年1回はこれをニュースとして取り上げ「無罪を主張する」平沢死刑囚の思いや、それを支援する人達のコメントなどが取り上げられました。

また、この事件は「昭和の謎」の事件として時々、テレビで取り上げられた事があるのです。

私は80年代でしょうか?

松本清張の本をテーマとしたドキュメンタリーを見てから、わりと興味を持って来たのですが、その当時は「731部隊」と「帝銀事件」が関りがある‥的な所までしかわかりませんでした。

 

そして去年年末。

これで解決ではないけれど、かなり確かな事がわかって来たわけです。

しかしながら事件はあくまで平沢貞道が犯人で変わってないし、支援をする人達の再審請求も棄却されたままです。どうして?何で?この21世紀に絶対に犯人じゃない人が獄中で亡くなったのに再審もして貰えないのか?と怒りに燃えました。

そこにあったのは、司法のへんなプライド、マスコミと政治の癒着、そして正確なものをみようとしなかった国民の愚かさだったのです。

では、「帝銀事件」とはなんでしょうか?

 昭和23年1月25日に豊島区の帝国銀行信濃町支店で起きた行員大量毒殺事件。

 昭和23年当時、海外から復員兵が続々戻って来て、同時に赤痢やチフスなどの病気も持ち込まれた。

 1月26日、午後3時過ぎ。閉店した帝国銀行に「東京防疫班」の白腕章をした中年男性が、厚生省技官の名刺を手にして現れた。

 「近くで集団赤痢が発生しました。GHQが行内を消毒に来るまで予防薬を飲んで待って欲しい」

 男性は湯呑を集め、スポイトで2種類の薬品を入れ「舌を歯につけるようにして一気に飲んで」と見本を見せた。

 行員は一回目の薬を飲み、二回目を飲む前に苦しみ、結果的に16人が倒れ、12人が殺された。

 男は現金と手形を持って消えた。

 飲ませたのは青酸カリ・・・後に青酸ニトリールである事がわかる。

 生存者からモンタージュ写真を作り、北海道の日本画家である平沢貞道が浮上。

 昭和22年に安田銀行と三菱銀行で似たような事件が未遂に終わっていた。

 平沢貞道は自白後、裁判では供述をひっくり返し「無罪」を主張するも叶えられず昭和62年に獄中で死亡。死刑判決を受けつつ誰も判を捺さなかった。

これが事件の概要です。

もしこれが現代なら絶対にひっかかる人はいないでしょう。

昭和22年の未遂事件も、行員の一人が「何だかおかしい」と思って派出所へ行ってる間に薬を飲むも死者は出なかったり、薬を飲むのを拒否されたりで犯人が捕まっていなかった。

帝銀の人達は「近くで集団赤痢が出ました」という言葉を信じ、現れた男の服装や名刺に騙された。さらに犯人は自ら飲んで手本を示した事ですっかり信用。

警察はすぐに2件の未遂事件を元に犯人を突き止めようとします。

手がかりとして浮上したのが

 旧日本軍の731部隊

だったんですね。

731部隊とは旧関東軍防疫部の俗称で、最初は「汚水を綺麗な水にして飲めるようにする」のが仕事だったのですが、やがて、化学の研究がどんどん進化して生物兵器にまで及んでいったのです。

いわゆる外国人の捕虜(マルタ)を使って、毒を注射してから何分で死ぬかとか、どういう殺し方が最も大量に、確実に殺せるかとか。

私達は歴史でこういう「人間を実験台にして生物兵器の製造をしていた」秘密の部隊があった事をしっていますが、当時の日本人はこんな人達がいた事を全く知らなかったのです。

勘違いして欲しくないのは「だから日本軍は悪だ」と決めつける事です。

時代は戦争中。

第一次世界大戦の時からドイツなどでも化学兵器の研究が盛んになり、防毒マスクを用意したりなど、世界は武器をハードからソフトに変えようとしていました。

日本も同じで、毒物、生物兵器の研究はある意味仕方なかった事と思います。

 

軍の中でも最高機密。

そして終戦当時には資料を全部焼き捨てた・・と信じられていたこと。

じゃあ、あの部隊にいた人達はどうなったんだ?って普通は思うでしょう?

私達が731部隊について知るのが遅くなった原因の一つには、東京裁判で誰も言及しなかったからです。

その理由はやがてわかります。

 

警察が軍へ捜査の手を伸ばした理由に「毒物はどこで入手したのか」という点があります。

青酸カリなら一般人でも工場などで手に入ったようですが、青酸ニトリールとなると?

 

 731部隊の石井四郎関東軍防疫部中将

最初は色々話をしてくれる人もいたようです。

飲ませた毒が青酸カリではなく、青酸ニトリールであったこと。終戦の直前に軍人が青酸カリを自決用にいくつか持って行った事など。

また、スポイトの持ち方や、手本を見せて毒を飲ます方法などもプロじゃないと出来ない事だったので、当然「そういう事を専門にやってた部隊があったのか」となるのです。

石井四郎元関東軍防疫部だった男は「自分の部下が犯人かもしれない」と言います。

松本清張もこのあたりは資料を熟読してわかって取材にもあたっています。

しかし、ある瞬間から捜査は旧日本軍ではなく平沢貞道へと舵を切りました。

その龍はGHQです。

 731部隊とGHQの裏取引

731部隊は細菌兵器、生物兵器、化学兵器と様々な実験を行っており、その証拠も沢山あったのですが、終戦前に全て消されてしまいました。

とはいえ、記録は持ち出されていたわけですね。

原爆を落としたアメリカがこの記録に目をつけないわけがない。

GHQは元731部隊全員の戦犯訴追免除、命の補償と引き換えに記録を持ち去り、それはアメリカでも機密文書扱いにされました。

警察も、マスコミも、GHQからの圧力によって真犯人を割り出す事が出来なかった。

という事は間違いなくこれは元731部隊の人間がやった事でしょう。

 

 最も犯人に近いとされた元憲兵A

警察は、元731部隊で憲兵をしていたAに疑いを向けましたが、行方が分からずしかもGHQからストップがかけられたので逮捕する事が出来ませんでした。

現代においてその憲兵Aの名簿が残っており昭和45年に死亡した事がわかっています。

じゃあ、仮にその憲兵だったとして、動機はなんだったんでしょう?

昭和20年。

終戦を迎えた日本でにこにこしていた軍部がいます。

まさに731部隊の上の人達。彼らは喜んでマッカーサーを迎えていました。

けれど、末端の兵士はそういうわけには行きません。

日本にいた軍人も復員して来た人も、それぞれ生活に困難を極めやっとの事で生きていたのです。

今は世界中コロナ一色で、でもワクチンがあるけど、当時は結核、チフス、赤痢、しらみに至るまで様々な病原菌に汚染され、特効薬がないという時代でした。

また、世の中がいきなり民主主義になって「元軍人は悪人」みたいな風潮になり、旧日本軍の兵士達は嫌な思いをしていたと思います。

そんな中で、闇に封印された部隊があった事をしらしめ、その技術を使って大量殺人を成功させれば大金が手に入る・・・これは大きな動機ではないでしょうか?

元憲兵Aが戦後をどんな思いで生きたのかわかりません。

身を潜めていたのか、働いていたのか。

名簿の中の名前が公表される事で特定されない限りは絶対にわからないです。

 

GHQの指令により「モンタージュ写真に似た人を追え」という事で、もっとも似た人物であった平沢貞道が浮上したのです。

 

 

 

 

コメント (3)
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