ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

小室圭氏 近く文書で説明へ

2019-01-22 07:38:33 | 皇室報道

共同通信&日経&産経が報じているんですが

 小室圭が母親と元婚約者の男性との金銭トラブルについて

「解決済」とする文書をだすことがわかった。

文書では「金銭的な問題はすべて解決済みであることを確認した」と記されている。

 この問題について小室圭が説明するのは初めて。

 何を今更という感じです。あの婚約者の人は裁判に持って行っても負けることを承知で訴えているんですよ。「返して」って。

「贈与」で押し通すなんておかしいです。他人様のお金で大学も留学も成人式もやったのに・・・そりゃ「当時婚約者から受け取ったお金は貸したとはいえない」というのが通常の解釈でしょうけど、そんなもの今更聞かされて国民が納得すると思いますか?

 現在、フォーダム大で特別待遇を受けつつ勉強している小室圭。それもこれも眞子さまの婚約者・・・とあちらが勝手にとらえているからじゃないですか。彼自身にそんなに価値はないということですよね。

 本当に自分に非がないなら記者会見したらいいのよ。NYで。こうなって来ると「婚約不履行」などで小室圭が逆に訴えることもありそうで怖い。

眞子さま、ぜひ宝塚の「ダル・レークの恋」を見て欲しい。リタはマハラジャのお姫様なのに詐欺師ペペルに騙されて結婚するの何のと騒ぎだし、結局暴かれて終わったわけです。大昔から姫は刺激がある人が好き。でも真実の愛はそんなもんじゃないんですよね。

 今回のアクションは2月に皇后が最終決断するという週刊誌の報道に起こしたものではないかと言われています。どっちにしてももう無理。絶対に無理。





 

コメント (40)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本一運のいい女ー新皇后の肖像 19

2019-01-22 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 新婚早々、色々やらかした雅子妃ですがこの頃は・・・というか、それからもずっと「愛すべき失敗」とか讃えられて、「お可哀想な雅子様」と言われるようになりました。

 女性自身 1993年10月5日号

「雅子さまマタニティ風スーツと5日間の静養」

この日の雅子さまについて
「実は“ご懐妊では?”という話が出ましてね」
 と本誌カメラマン。
「われわれは国技館正面入口のロビーで、カメラを向けていたんですが、曙、貴ノ花、若ノ花がお迎えする前に、皇太子さまについて歩いてこられた雅子さまの服が、すごくゆったりしているんです。それを見て女性記者が“マタニティ風では”と……

 週刊新潮 1993年10月28日号

「雅子さま初めての園遊会」

初めての園遊会で気さくに言葉をかけられたのは(女子マラソンの)浅利(純子)選手へ。「殿下と夕食をとりながらテレビを見てたのよ。」

 この場合は信子妃に色被りなのかしら?

 1994年1月 皇室ご一家

この写真、よくよく見ると、雅子さんよりも紀子妃よりも、紀宮のありえないくらい地味な恰好がはっきりと・・・何で母君はピンクで娘が緑色にグレー組み合わせ?

祖母君が孫を独り占めしているような気が。

 

 1994年1月1日新年祝賀の儀

この時は結婚の儀の時のネックレスをしています。この頃はまだティアラをつける習慣がなかったんです。平成になってティアラ付きになったけど真っ先にとっちゃう皇后陛下です。

 一般参賀

 週刊新潮 1994年1月20日号

ご懐妊はまだですか?」

 1994年1月14日 初めての歌会始め

 この頃はみなさん、様々な色のドレスをおめしです。でも紀子妃がいない。

  

 

 

 女性自身臨時増刊「新妻・雅子さま輝いて愛の1年」

「 歌会始(1月14日)のころから風邪ぎみだった雅子さまが、ご公務の予定を中止または延期、ほとんど東宮仮御所に引きこもったままの日が続いたのである。
 巷では期待が先走りして“ご懐妊”の声が高まり、雅子さまと小和田家にとっては大きなプレッシャーとなった。
 2月の初め、恒さんと優美子さんは4日間の予定で、中近東への旅行へ出かけていたが、2月3日、エルサレムで外人記者のインタビューを受けた優美子さんは、ハッキリこう答えた。
「皇太子妃が妊娠しているのでは、という噂が流れているのは知っています。
 その噂にはまったく根拠がありません。私は日本を発つ2日前にも皇太子妃と会いましたが、皇太子妃は、はっきりと私にそう語りました
 優美子さんが雅子さまについて語るのは、まったく異例のことだったが、外国にまで間違った噂が流れているのを、見過ごしてはいられなかったのだろう。そして、この発言の中には、優美子さんが心配のあまり、たびたび東宮御所にお見舞いにあがっていることがうかがわれた。
・・中略・・
 4月2日小和田家は喜びと賑わいにつつまれた。ニューヨークに赴任するご両親との“お別れ夕食会”という意味をこめて、雅子さまのお里帰りが実現したのである皇室記者によると
「夕方から皇太子さまもお見えになって、今回は和食中心のおもてなしだったようですが、新潟にゆかりの深い小和田家には、越後銘酒がいろいろそろえてあるそうです。小和田さんと皇太子さまはよほど盃を重ねたらしく、お帰りのときはお二人ともかなり上気した顔でした。しかし、さすがに乱れたところはなく、皇太子さまの強さには恒さんも驚いたことでしょう」
 4月28日、いよいよ小和田さん夫妻がニューヨークに出発する日が訪れた。この2日前には、さらに別れを惜しまれてか、おひとり、おしのびで4度目のお里帰りをされたという雅子さま――。

 

 1994年1月17日

お風邪でダウン」

 女性セブン1994年2月10日号

「宮内庁は全面否定でも消えぬ雅子様懐妊の理由」

 1994年2月9日婚約内定1年記念記者会見

 週刊読売2月27日号

雅子様「ご病状」「ご懐妊」会見で放映されなかった部分」

 「充血した目。やや濃いめの化粧、ぴっちりとした服装、高さ5センチの低いヒール、入室した雅子さまを見た時、この部分に強い印象を受けました

 「お体の具合はいかがですか」の言葉が雅子様に飛んだ。カメラも雅子様に据えられたまま。しばし、雅子さまの沈黙が続く。この時、画面には映っていなかったが皇太子さまの右手がしきりに動いた。問いかけをこちらへ引き取るジェスチャーだった。

「カゼについてはお二人の間でまず皇太子さまから発言するという取り決めがあったようですね。それが、いきなり雅子さまに直球が行ったから、ちょっと驚かれたようです。このようにご回答にあたっては皇太子さまの助け舟が再三ありました。このため、雅子さまのお答えが前と比べ、控えめというか元気がないというか、そんな感じでした。

 雅子様は1月17日の屋久島フォーラム以来カゼを理由に公務から離れていた。以来、3週間を超す長欠。

 『一月二十二日までが三十七度台、二十四日以降は三十六度の後半を不規則に変化している』というのが宮内庁の説明でした。三十六度台なら普通の人は気にせず働いているようなものですが…。それで雅子さまの平熱を質問したところ『医師の守秘義務にあたり言えない』の返事。誰もがご懐妊を想像し、説明のたびに問いただしましたが、説明約の侍従は両手をもがくように振り回して『絶対に違う』と否定していました」
 で、二月四日の胸部エックス線撮影で、渦巻いていたご懐妊説は消えた格好となった。
 しかし、カゼがこんなに長引くものだろうか、という素朴な疑問も残った。

 結婚から半年ですでに「適応障害」だったらしいですね。あの友納文ではここらへんですでに雅子さんは「微熱があるんです。病気ではないでしょうか」と必死に訴えていた部分かもしれません。そう言われても妊娠してるわけじゃないし、生理前の微熱じゃないの?程度かな。

 正直、半年で皇太子妃という地位に飽きて来たんじゃないかと思います。最初はちやほやされていい気になっていたし、失敗も許されていたけど数か月経つうちに、儀式の手順が覚えられないとか、すぐに忘れるとかそういう症状が出ていたのでは?

結果的にやれと言われることばかりでちっとも面白くない。自分より学歴が低い人達にああだこうだ言われてプライドは傷つくばかり。自分としては「変人」と思われているんじゃないかと・・不安だったかもしれませんね。

 

 FRIDAY 1994年3月11日号

「ふっくら写真に議論百出だが皇室じゃーナリスト河原敏明氏が断言。「雅子さまご懐妊」5つの根拠」

 

正直、どうやったらこんなに太ることが出来るんでしょう。それを隠そうともしない所が何とも。

 

 1994年4月11日 春の園遊会

 

 

 

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝塚歌劇にとって平成とは何だったのか7

2019-01-21 07:00:00 | 初心者の為の宝塚講座

 96期いじめ事件

かつて音楽学校を訪問した鳳蘭が生徒たちに「学校生活は楽しい?でも大変じゃない?いじめとか・・・」と心配そうな顔をして質問したことがありました。

生徒たちは明るく「楽しいです」と答えていましたが、多分ツレちゃんも結構辛い目に会っていたんじゃないか?と当時は思ったものです。

女の子だけの音楽学校ですから、いさかいがあるのは当然だろうし、いじめもあると思います。ただ、同期生の中でのいじめというのがファンにとってかなり衝撃的だったことで、この事件は大騒ぎになりました。

 被害者はSさん。岩手県盛岡出身で新調172㎝の端正な顔立ちの人。しかし、いわゆる子供アテネなどには通った経験はなく、それでも1度で合格しました。

 平成20年・・・入寮式後、Sさんは優波慧と同室に。しかしこの部屋には優波慧と仲のよい生徒が泊まり込む為に、Sさんは音咲いつきや桜舞しおんの部屋で寝るようになる。

 平成20年4月・・・寮や学校で現金や生活用品などがなくなる

 平成20年5月・・・本科生の洗濯機やごみ箱にSさんの洗濯物が入っていて問題になる。

 平成20年5月・・・学校が生徒達に「被害届」を提出させる

 平成20年6月・・・Sさんがいない時に寮の部屋が捜索されて、無くなったものがいくつか見つかる。委員(優波慧)らのSさんに対する詰問が夜中まで続き、Sさんは精神病の病歴があり盗癖があったとされ、一人部屋に隔離される。

 平成20年7月・・・学校側に「精神科へいけ」と言われたSさんは親に電話をし、両親が駆け付け何度も面談を重ねる。

 平成20年夏休み・・・学校側が防犯カメラを設置

 平成20年8月・・・Sさんは原爆で亡くなった岩手出身のジェンヌ、園井恵子の法要に参加。突如テレビ取材を受け、地元で流れる。

  そのニュースを見た茜小夏が電話でSさんを責め、宝塚に帰った後は他の生徒達からも責められる。(なぜ茜がSさんに「精神科へいけ」と電話で言ったのかは不明)

 平成20年夏休み明け・・・Sさんはペアを組んで貰えない、暴言などのいじめをうけるようになる。両親が宝塚に来て学校側と面談。

またSさんは洗濯機の使い方を守らないと言われ、洗濯機の使用を禁じられる。

 平成20年9月・・・Sさんは共用スプレーを間違って鞄に入れてしまい、叶羽時らに「盗んだ」と騒がれる。

 Sさんの両親が学校と面談。

 平成20年9月・・・「Sさんがコンビニで万引きをしている」と報告を受けた優波慧が朝水りょうと秋音光にSさんを監視するように命じる。

この監視結果を元にSさんが寮に帰って来て紙袋の中身を確認し、五目おにぎりやジュースを万引きしたとして学校に報告。

Sさん 「コンビニの防犯カメラを見て下さい」

今西校長 「イライラする。本当にやってなかったら言えるんじゃないの」

 平成20年9月・・・修学旅行に行かないことになったSさんは「これ以上悪名売らないでね」と夢華あみからメモを渡される。

 平成20年10月・・・Sさんは一人部屋で監視対象となり、防犯カメラも設置されているにも関わらず、橘幸の1万円札がなくなる。

 平成20年10月・・・Sさんが宙組観劇のおり、財布を拾う。拾得物は委員に渡すことになっていたが、Sさんは「また盗んだ」と言われると思い、そのまま持ち帰る。

 また、ロッカーの前にあった茜小夏の携帯電話を返そうと思ったが、「いじめ」の原因がわかるのではないかと思い、持ち帰って内容をみてしまう。

「アイスがなくなった」と部屋に捜索に来た委員に携帯と劇場で拾った財布を見つけられてしまう。また、本科生あてのDMも見つかる。

警察が入り、携帯と財布を渡す。

コンビニの件に関して生徒が陳述書を書く。

図書室からなくなった本を探すという名目でSさんは数時間監禁される。その理由はSさんが本科生と接触しないようにとのこと。

本科生のDMに関して委員が本科生に説明。「いじめ」を疑っていた本科生は、逆にSさんの頭がおかしいと思い始める。

平成20年11月・・・授業を受けようとしていたSさんは、突如飛行機に乗せられ、自宅に強制送還される。生活必需品は置いたままだった。

その日の学校側からSさんへの通達は

無断で取材を受けた件

・コンビニ出の万引き

・財布を違法所持していたこと

・他人の携帯電話を無断で覗いたこと

・5月と6月になくなったものの件

・共用スプレーをカバンに入れた件

平成20年11月18日・・・学校がSさんに自主退学を勧める。電話で「21日までに自主退学しないと退学にする」という。

平成20年11月22日・・・Sさんに退学通知が届く。

平成20年12月・・・Sさんは神戸地裁に「生徒としての地位保持」を訴え

          Sさんの自宅に寮の持ち物が届くが、その際、新たに「盗品があった」とされる。

平成21年1月・・・Sさんの訴えが通り、神戸地裁は仮処分決定

         学校側は職員会議を開き、財布の件などを話し合う。

平成21年1月17日・・・2度目の退学通知

平成21年1月21日・・・Sさん側、2度目の退学処分に対して「生徒としての身分保持」「授業を受ける権利」を主張。

     学校側は96期の保護者に対しSさんの復学を拒否するように勧める

平成21年1月29日・・・二度目の仮処分決定。Sさんが勝つ。

           財布の持ち主は「盗まれたとは思ってない」という。

平成21年2月7日・・・Sさんと母親、事前予告の上学校へ行くが、学校側弁護士に「登校拒絶」と叫ばれて学校に入れず。

平成21年2月10日・・・Sさん、1日あたり1万円の間接強制のもうしたて。

平成21年2月27日・・・Sさん、財布の持ち主に会い謝罪。持ち主はこの件が裁判になっていることに驚く。

平成21年4月30日・・・学校側は財布の持ち主に聞き取りを実施。しかし、「盗まれたと思っていない」という部分は削除。また、音楽学校はSさんを復学させたくない為にお金を支払っている。

平成21年8月17日・・・大阪高裁でSさんの主張が通り仮処分確定

平成21年10月1日・・・音楽学校から裁判所に対し、起訴命令(本訴を起こせ)の申立て。

平成21年11月1日・・・Sさんは地位確認と一千万円の損害賠償(うち慰謝料が300万、将来の収入が700万)を求めて訴状を神戸地裁に提出。翌日、訴状は受理される。


平成21年11月11日・・・音楽学校のHPに「いじめの問題はございません」と書かれる。

平成21年12月・・・96期W氏のブログのURLが宝塚系掲示板にさらされ、「いじめ」が存在していたことがわかり、Wは自宅謹慎。

平成21年12月25日・・・Sさん、「退学処分にするぞ」と言われ、自主退学。

平成22年1月・・・音楽学校と警察の癒着が明らかになる。Sさんがみせて貰えなかったコンビニの防犯カメラを学校が頼むとすぐに渡したので。

平成22年3月1日・・・96期が卒業。入団

平成22年3月18日・・・第二回口頭弁論。朝水りょう・秋音光・桜舞しおん・千幸あき・優波慧・蒼井美樹・茜小夏

平成22年3月31日・・・Sさん、回答書を提出。

平成22年4月1日・・・真地佑果・拓斗れい・桜奈あい・夢華あみ・空波輝らが出廷。

            小林公平音楽学校校長退任

平成22年4月16日・・・96期「スカーレット・ピンパーネル」で初舞台

平成22年7月13日・・・主席の夢華あみが新人公演ヒロインに抜擢

平成22年7月14日・・・調停。Sさんに卒業資格を与えるが入団せず。

   学校側HPには「良心に従って証言した生徒が誹謗中傷を受けた」と掲載。

平成23年1月・・・夢華あみ、音月桂お披露目公演「ロミオとジュリエットで舞羽美海と共にジュリエットを演じる。

平成23年12月・・・Wが復学。98期の文化祭出演。しかし入団せず。

これがおおまかなあらましです。

私達ファンが大方知る事になったのはWのブログが広まってしまったあたりからではないでしょうか?歌劇団や音楽学校に多数、ファンから電話がいき、大騒ぎになりました。

迷惑をしたのは、平成22年にトップお披露目だった霧矢大夢と翌年、雪のトップになった音月桂です。

スカーレット・ピンパーネル」は住友VISAがついていたのですが、あまりに苦情が多くてスポンサーをおりてしまいました。

またロケットの時は、拍手が起きないなどお祝いムードに水を差す始末。

それ以上にファンの気持ちを逆なでしたのが音月桂のトップお披露目公演「ロミオとジュリエット」に研1の夢華あみが突如ジュリエットに抜擢されたことです。

まだ身体も出来上がっていないし、演技力もゼロの彼女が舞羽美海とダブルキャストというのはどう見てもおかしなキャスティングでした。

舞羽美海は音月桂の相手役に就任するのを1作遅らせられたわけですから。

おまけにこの夢華あみは東京ではストレスのせいか何度も休演。結果的に1年もたたないうちに退団してしまいました。

トップ二人のお披露目に大きな傷をつけた96期は、夢華あみを含め、大方の主犯と呼ばれる人は退団したのですが、それでもやっぱり96期と聞くとちょっと引いてしまいます。

その後のSさんは芸術系の短大を出て東宝に入るも宝塚の圧力で辞めざるを得なくなり、その後、AVに出るも発売中止という結果に。現在何をしているかは不明です。

背が高くて端正な顔立ちで成績もよかった彼女の「いじめ」による人生の転落はあまりにもすさまじくて、宝塚歌劇団の名誉にも関わる程の事だと思うのです。

しかし、歌劇団はそのスタンスを変えておりません。

むしろ、どんどん生徒を使い倒していくような政策をとっています。

Sさんがなぜいじめられたか?

私は一つは東北の田舎(岩手は決して田舎じゃないけど)から出てきて、突如脚光を浴びることになった彼女への嫉妬がすごかったのかなと。

入団前、彼女が冬季スクールで通ったKIEで「この子は受かる」とみんなの前で太鼓判を押されたこと、すみれ売りで話題になったことなど、多々あります。

しかし、実際に物品がなくなっているので、本当の窃盗犯がいたのかもしれません。その子はどうしているのか・・・とも思うのですが。

私達ファンとしては上級生が下級生をいじめるという話はよく聞きます。でもそれを同期が結束して耐える・・・というイメージを持っていたのですが、今回ばかりは同期が同期を虐めるという最低なことが起きてしまいました。

96期の問題は今もくすぶっていますし、歌劇団内の「いじめ」のうわさもちょくちょく耳にします。その一方で松岡修造の娘に対しては「いじめてはならない」というお達しが出るなど、後ろ盾がある人とない人の差がこれか・・・と感じる今日この頃です。

さて、平成も最後になって、歌劇団はどこへいくのでしょうか?

一般客がチケットを取りにくくなったり、ファンクラブにチケットが降りなくなったり、一体チケットはどこに行ってて稼働率を保っているのか。

歌劇団はファンの高齢化を全く気にしている様子もありません。外国人だろうが修学旅行生だろうが農協の団体だろうが、とにかく席に座って見てくれたらそれでいい。

しかも何百人単位を一度に確保できればそれでいいという感じです。

チケット代に重ねてお花代を弾んでくれるような人は常に見ることが出来るけど正規の値段しか払えない人はいらない・・という感じです。

今は外国からの観光客も多いですし、宝塚や歌舞伎は潤っていますがそれもいつまで。親子3代で見ることが出来ない宝塚の未来は決して明るいものではないと思います。

 

 

 

 

 

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本一運のいい女ー新皇后の肖像 18

2019-01-20 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 1993年 7月13~14日 岩手県献血運動推進全国大会

「雅子さまお疲れコックリ」シーン

 週刊新潮 1994年6月15日臨時増刊号

夢中で過ごされた公務の日々、緊張、初々しさ、そして堂々と記者の目に映った新婚のお二人」

接近取材を試みた記者に驚いた雅子さまは飛びのき、身をひるがえされた……」
 盛岡市内でも、独特の「雅子スマイル」はひんぱんにこぼれた。

結婚前と比べ、目や口もとに一種の深みが備わった。

常に何かを発信しようという思いの表れとも見えた。
 その雅子さまに、初日最後の訪問先である血液センターの廊下で、抜き打ちに声をかけてみた。
妃殿下、初めての公務のご感想はいかがですか」
 感想自体の興味より、新皇族・雅子さまが、どのような言葉や表情で答えられるかに対する興味の方が強かった。
 ところが、どうだろう。質問を発するやいなや、あの才知と優しさにあふれ、堂々たる押し出しの雅子さまが、飛びのくように壁ぎわへ身をひるがえされたのだ。そして、記者に視線を向けず、本当に困ったという表情を浮かべ、小走りに立ち去られようとする。
 たしかに宮内庁詰め記者には、公務中の皇族に、むやみに話しかけないという不文律がある。

行事の進行や、参加者と皇族との触れ合いを妨げないようにするためだ。しかし、この時は日程の終了後だし、いやなら無視されれば済む。妃殿下がこれほど切羽詰まった反応を示されるとは正直のところ思いもよらず、焦りと後悔が猛然と襲ってきた。
 すぐ前を行く皇太子さまが「おや」という感じで振り返られたのや、護衛官たちがこわい顔で駆け寄ってくるのが目の端に映る。

ひるむ気持ちと、ここまできたらもうひと押しという思いが交錯して、あいまいに一歩踏み出したとき、妃殿下の後ろから来た老練の東宮侍従が記者の右肩を手のひらで「ポーン」。
 極めて軽い衝撃なのだが、絶妙の呼吸に棒立ちとなった。雅子さまは壁伝いに立ち去られ、侍従もにっこり笑って去っていく。
 すべてはほんの数秒間の出来事だった。遠ざかりながら何度か振り返った皇太子さまは「おやおや早速ですね」というような温厚な笑顔を浮かべられている。 一緒にいた記者連中からは、汚い顔を突き出すからだとか、どら声をあげるからだとか、いろいろご批判をいただいた。そもそも、婚約決定まで追い回した「記者」という存在全般に抵抗感を持たれていたのかもしれない。
 それにしても、雅子さまが、皇室生活の入り口で、はた目よりもはるかに張り詰めた緊張の糸の上を歩かれていたことが、声をかけて初めて伝わってきたのだ。

 

 女性自身 1993年8月3日号「あ、雅子様 愛すべき居眠り」

 

 週刊文春 1993年7月9日号

そのとき雅子様は超眠たかった」

 女性セブン 1993年8月5日号

「雅子様超多忙の毎日「ご公務で居眠り」への反発

 

 1993年7月20日 明治神宮参拝

雨の中、ドレスの裾を踏んでしまうハプニング

こんなによごれちゃった・・・・・

 

 1993年7月21日

赤十字の副総裁としての初仕事・・・これが今年からはもう一度見られる?

 

 1993年7月28日

山口県開催の第35回自然公園大会にて、一般人に「ご起立下さい」という言葉を自分も?と思って立ち上がった雅子妃。事前にきちんと説明をうけてない?

 

 週刊新潮 1993年8月26日号

「里帰り雅子様一家団欒の食卓風景」

 女性自身 1993年9月14日号

滋賀県のご公務で気配りTPO雅子さまショルダーバッグとお帽子なしのファッション改革!」

「おや、どうして今日は帽子をかぶっていらっしゃらないのだろうと、疑問の声が上がった雅子さまの装い。皇太子さまと全国農業青年交換大会ご出席の為、滋賀県をご訪問の最終日。

黄色いブレザーに黒のスカート。そしてご結婚後初めてのショルダーバッグというスタイル。キャリアウーマン的なファッションがとてもお似合いだった。

「カジュアルファッションの場合、帽子は通常帽子はかぶりませんからね。お出掛け先のTPOをお考えになったのではないでしょうか?農業青年達が集う長浜ドームと県立長浜農業高校。あまりカチっとした装いでは若い人達との交流に合わないとお考えになったのだろう。皇室ファッションにも少しずつ雅子さまらしさが出て来たようだ」

 女性セブン1993年9月23日号

雅子様お体に変調?」

頬から首にかけての発疹はアトピーによるものと推察されるが、「これが超過密の公務の単なるお疲れからの発赤やご懐妊によるご体調の変化だったら心配ないのですが」

 

 週刊文春 1993年9月9日号

相合傘のお二人」

レインボーブリッジ開通式典。羨ましいほど仲睦まじい」

ご公務をこなされるうちに雅子さまは身も心もすっかり皇太子妃におなりになったのかもしれない。頼もしく感じると同時に、雅子さまが手の届かないところへ行かれるようで超っピり寂しい感じもしてしまった」

車から降りてこられたお二人にはもう1本の傘が渡されるまでのほんの一瞬の出来事だった。お二人はなんと相合傘を楽しむ(?)という早業をやってのけた。この時ばかりは雅子さまも歯を見せて照れ臭そうににっこりと微笑まれた」

 

新婚早々色々やらかしてくれてます。というか悪目立ちしてますね。

特に相合傘のシーンなんて文章と真逆。二人とも別々の方向を見ているじゃないですか。最初からあれやこれやプレッシャーがっていうけど、それはマスコミがあおっているだけで、国民の方は少しも期待なんかしてません。

新婚3ヶ月でご懐妊云々もまたマスコミが勝手に言ってただけですよね。

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皇室ウイークリー

2019-01-19 11:25:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

1月11日・・・両陛下 → 講書始めの儀

             講書始めの儀関係者と会う

       天皇陛下 → 通常業務

1月14日・・・両陛下 → ルーベンス展鑑賞

1月15日・・・両陛下 → 離任大使と会う

       天皇陛下 → 通常業務

1月16日・・・両陛下 → 歌会始めの儀

             

 

歌会始めの儀関係者と会う

1月17日・・・天皇陛下 → 信任状奉呈式

       両陛下 → 新任外国大使夫妻とお茶

 

皇太子同妃両殿下

1月11日・・・皇太子殿下 → 講書始めの儀

                勤労奉仕団に会釈

1月16日・・・皇太子殿下 → 歌会始めの儀

1月17日・・・皇太子殿下 → 外国大使と会う

 

秋篠宮家

1月11日・・・両殿下・眞子内親王 → 講書始めの儀

1月15日・・・両殿下 → 外務省から進講を受ける

1月16日・・・両殿下・眞子内親王 → 歌会始めの儀

1月17日・・・両殿下 → 第15回日本学術振興会賞並びに日本学士院学術奨励賞」受賞者について説明を受ける

             第59回交通安全国民運動中央大会出席

 皇太子妃は風邪の為に全ての行事欠席。それだけじゃなくて愛子内親王も10日から風邪の症状らしく、多分学校には行ってないかも。

  風邪をひくなとは言わないです。ただこうもタイミングがいい事ばかりだと疑いたくなります。その日の為に体調を整えるんじゃなかったっけ?

  これじゃ即位の礼の時も「風邪のようなもの」で欠席になってしまうのでは?

 愛子内親王も本当に学校へ行っているのかどうか・・・どこまでも気まぐれでp自分勝手な姫ですから。成年式が20歳でよかったねーーとしかいいようがありませんが、記者会見なんて無理でしょ。

 即位30周年記念式典で三浦大知が歌うことが決定。作詞:天皇 作曲:皇后による「歌声の響き」

これは沖縄への思いをつづった歌で三浦大知は沖縄出身だから選ばれた模様。

最後まで「沖縄」ですか・・・両陛下の目には北海道や北方領土は目に入らないらしいです。沖縄をここまで贔屓する事によって得られるものは何なんでしょうね。

今や沖縄は極左翼の聖地になりつつあります。公然と政府に逆らう。それも被害者意識を丸出しにして。そもそもの沖縄の人はそんな人達ではないのにプロ市民によってそういう都市になりつつあるのです。

あの日、火炎瓶を投げつけられた思いがよほど強いのか。罪悪感で一杯なのか。

即位30周年式典って祝って貰う立場の人が作詞作曲して披露するっって・・・あのねむの木の歌同様、皇后陛下は作曲家になりたかったのかしら?地位を利用してお披露目するってあまりいい事とは思いません。

 即位の礼の装束に関するあれやこれやが決まり、少なくとも皇嗣妃殿下までは新調されるようでよかったですが、何よりも「黄丹の袍」を着用されることが決まってほっとしています。「黄丹の袍」は東宮しか着用出来ない色ですから。

対外的に「クラウンプリンス」と呼ばれる秋篠宮殿下なのですね。

コメント (19)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皇室に関して お題「光」

2019-01-18 08:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 歌が盛り上がっていますので、私のも含めてあらためてみなさんの歌を掲載させて頂きます。

また新しい歌を詠まれた方はコメント欄にどうぞ。

 

堂々と風邪と言えるその瞳(め)には 我こそ妃の光宿たり

いつからか母宮と呼ぶ白樺の 老いたる皮の焼ける光に

これからの未来に敵なし光あり 妃の宮を母宮と呼ぶ

(BY ふぶき)


山茶花さま

ベランダで 民ら見下ろし 手をふれば 我に降りくる 次代の光


宮中の あまたの行事に 体調の
 いつととのふと 人のいふらむ

体調は スキー静養ぞ 整わん 光浴びつつ 描くシュプール

 雅子さんへの皮肉たっぷりで最高です!!

被災せし 身を陸(おか)の河童と 語りしを 妃は笑ふ 漁師(いさりお)あわれ
 
いとしごの 授業給食 遠足に ひねもす沿うは 未来の国母

太陽の 裏の姿ぞ 表れど なおも恋せし 月の姫あり

母君の 身を賭して 守らる 高野槇 真直ぐに伸びよ 後々の世まで


花物語さま

光ある道と信じ歩きけむ道 振り返れば光薄れて

 うわっ・・・・光が薄れちゃったのか・・・・

七難を七光りにて目くらまし 百代の威光背負いて立てり
(強烈な目くらまし光線に眼が潰れた国民もいましたが、ついに最強の目くらまし光線を手にされますのね。眼を損なわないためには、眼を閉じるしかないのでしょうか。)

 め・・目くらましとは!!すごい発想です。


睡蓮さま

天光の母の教えは雅と愛吾なす地上の三位一体

  ええーーーっ!そんなあ。

 

 八重葎さま

今しばし生きなむと思ふ寂光に園(その)の薔薇(さうび)のみな美しく

と詠ませる妃の宮の歌に

「道長の我が世の春も皇室の「萎びし薔薇」に光は差さぬ」



雲間よりさしたる光に導かれわれ登りゆく金峰(きんぷ)の峰に

と詠ませる東宮の歌に

「頂きに126代の光あり民の竈は見えずとも良し


大君と母宮の愛でし御園生(みそのふ)の白樺冴ゆる朝の光に

と詠ませる東宮の妃の歌に

「日本語も使ひこなせぬ貧しさに左翼選者が塗る光苔」

 辛口でストレートなお歌の数々です。すっきりしますね。


しまきさま

暗愚なる帝の時代に突入す光求めて 我らさまよう」

 私達、さまよってます。

 

8時だよ神仏習合さま

 光には必ず影あり いつの日か 悠か(はるか)輝く日本を信じて

 悠仁殿下にかけられたのですね。

いいなと思った歌も教えて下さい。

コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Twitter始めました!

2019-01-17 21:06:19 | つれづれ日記

Twitter始めました!みんなみてね

https://twitter.com/Rhjg4MiAm66ygfF

色々ヨンジュナに聞いているんですけど・・・難しくてねーーあ、彼はハンドルネームはRドラゴン系バーチャルyoutuberっていうんですって。わらっちゃうよね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成最後の歌会始の儀

2019-01-17 07:00:00 | 皇室報道

 予定通り、皇太子妃は歌会始めに出席せず。

堂々と風邪と言えるその瞳(め)には 我こそ妃の光宿たり

いつからか母宮と呼ぶ白樺の 老いたる皮の焼ける光に

これからの未来に敵なし光あり 妃の宮を母宮と呼ぶ

(BYふぶき)

 

 御製

贈られしひまはりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に

 「はるかのひまわり」の種を贈られてそれが花をつけて・・・という阪神大震災を歌ったものです。深読みすれば自分達がやって来た事が一定の成果を上げたともとれる歌です。


 御歌

今しばし生きなむと思ふ寂光に園(その)の薔薇(さうび)のみな美しく

 御所の庭にはバラ園があり、それが一輪づつ美しい花を咲かせている今、もう少し生きてみようと思った・・・とちょっと気弱にも思える歌ですが、実は上皇后になるから全てから身を引くのではなく、もう少し自分の活躍の場所を残してほしいという歌にも思えます。

 この歌を聞いて、「そんな寂しいことをおっしゃらずいつまでもお元気で長生きして頂きたい」と思う人もいるんだろうなと思います。

 皇太子殿下

雲間よりさしたる光に導かれわれ登りゆく金峰(きんぷ)の峰に

 昔の登山を歌っているんですが私にはどうしても「僕は今年天皇になります」宣言にしか聞こえないのです。よくもまあこんなにあからさまに・・・金峰だって。頂上だ!「お気持ち」次第で何でも出来る!やった!て感じ?

 

 皇太子妃殿下

大君と母宮の愛でし御園生(みそのふ)の白樺冴ゆる朝の光に

 両陛下が長い間過ごされた東宮御所には白樺の木立があり、25年以上、使わせて頂いてありがとうございます・・・の歌ですが、聞いた瞬間耳を疑ってしまいました。最初「母宮」しか聞こえなかったので「え?小和田優美子?」って思ったんです。そしたら天皇と皇后のこととわかり。しかもゴマすり度が半端ない。

これは絶対に皇太子妃作じゃないでしょう。歌の中に「大君」「母宮」「白樺」こんな言葉を織り込む才能はないと見てます。

しかし、「大君」=天皇 だけど「母宮」と書くと天皇の母、つまり香淳皇后のことに聞こえてしまうのです。なぜ「父宮」「母宮」ではなく「母宮」だけだったのか。まさにこれからも私の味方をよろしくねーーって感じです。


 秋篠宮殿下

山腹の洞穴深く父宮が指したる先に光苔見つ

 登山のおり、天皇が指さした先に本当に光る苔があって驚いた歌。情景が目に浮かびますが、秋篠宮殿下は天皇の指さす道をひたすら従順に歩いて来たともととれるのです。

 秋篠宮妃殿下

日の入らむ水平線の輝きを緑閃光(グリーンフラッシュ)と知る父島の浜に

 悠仁殿下と共に父島へ行った時に「グリーンフラッシュ」という情景と言葉を教わったという歌ですが、紀子様はひたすら現実的に今を見てまっすぐ進まれているという印象です。今までは夫婦で対になる歌が多かったんですが、今回は全く別な方角を見ています。

 

 眞子内親王

日系の百十年の歴史へて笑顔光らせ若人語る

 ブラジル訪問の歌でしょうけど、どこか苦肉の策で作ったような印象。

 

 佳子内親王

訪れし冬のリーズの雲光り思ひ出さるるふるさとの空

 こちらも同じ苦肉の策で留学時代に見た景色を歌っています。

 

とにかく皇太子夫妻の歌の気持ち悪さには辟易しました。

ここまでやるかーーって感じで。無論、皇后陛下の控えめな自己主張も全然理解出来ませんけどね。

 平成22年「光」 

 御製

木漏れ日の光を受けて落ち葉敷く小道の真中草青みたり

 御歌

君とゆく道の果たての遠白く夕暮れてなほ光あるらし

 皇太子殿下

雲の上に太陽の光はいできたり富士の山はだ赤く照らせり

 皇太子妃殿下

池の面に立つさざ波は冬の日の光をうけて明かくきらめく

 秋篠宮殿下

イグアスの蛍は数多光りつつ散り交ふ影は星の如くに

 紀子妃殿下

早春の光さやけく木々の間に咲きそめにけるかたかごの花

 皇太子は登山の歌。皇太子妃は平成22年に比べて上達したと言えるんでしょうか?別人のような作でしょう?「あかく」という言葉を夫妻が使っていて、何となく縁起が悪いと思った人もいたようです。

 

 

 昭和35年(1960年)「光」 

 御製(昭和天皇)

さしのぼる朝日の光へだてなく世を照らさむぞ我がねがひなる

 太陽の光は分け隔てなく世を照らす。それが私の願い。今上の平成22年は落ち葉だらけの小道の真ん中で青々とした草を見た・・・「草青」は悠仁殿下の事ではないかと言われたこともありますが、とにかく今上に昭和天皇の気概はないようで。

 御歌(香淳皇后)

あたらしき力わきくる心地して朝日の光あふぎみるかな

 朝日の光を浴びると新しい力が湧いて来る感じがする。まさに高度経済成長の時代にふさわしい明るい歌ですね。「朝日」が生まれ来る皇子を指していれば、きっと昭和天皇も香淳皇后も「東宮ちゃんには男子が生まれるね」とほのぼのおっしゃっていたかもしれません。

美智子皇后の場合、結婚50年を記念しての歌で寄り添うと言ってしまえばそれまでですが、このころからやたらべったりしていたかも・・・って思います。

 皇太子殿下(今上)

昼ふかき光降りしく楢林落葉の上は日のはだれなり

 今上は落ち葉が好きかしら?でも平成22年の歌とどこか似ているような?今年の歌が一番のびやかですね。


 皇太子妃殿下(皇后)

光たらふ春を心に持ちてよりいのちふふめる土になじみ来

 生まれてくる子供を待ちわびる歌です。本当に浩宮は生まれる前から美智子皇后にとって歌の題材にされていたんですね。


さて、来年のお題は未定。こういうことは今までなかったと思います。歌会なしになる日も近い?


 

 

 

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝塚歌劇にとって平成とは何だったのか 6

2019-01-16 07:00:00 | 初心者の為の宝塚講座

 匠ひびき・絵麻緒ゆう・貴城けいの悲劇

この3人がトップになって退団するまでの宝塚は観劇するのがとても辛かった記憶があります。何組を見ても「どこの組を見ているんだか」みたいな印象があって。

 自分がいないのに自分のさよなら公演が始まってしまった匠ひびき

匠ひびきは天海祐希や絵麻緒ゆうの同期で、花組ではダンサーとして評価されていたような気がします。生の舞台で見た彼女は演技がいつも硬くて素人っぽいなと思っていたので個人的にファンだったわけでも何でもありません。

愛華みれがトップになってから、間に香寿たつきを挟んで路線トップに出て、香寿たつきが組替え後は2番手をキープ。新専科に配属されても立ち位置が変わらず・・・と思っていたのですが、平成12年「ルードヴィッヒⅡ世」でグッデン博士を演じ、好評を博すも大劇場公演後半に杖をついて登場。そのまま東京は休演になってしまったのです。(原因は疲労骨折と聞いた記憶が)

それが全ての始まりというか、歌劇団としては愛華みれの次のトップは春野寿美礼で決まっていたのかもしれません。

愛華みれのさよなら公演が始まってすぐに噂が立ち始めます。

「歌劇団はチャーリーを1作で退団させる気なのよ」と・・・・まだまだヅカファン初心者だった私は、まさかそんな事ってあるの?と思いました。

「だってショーの大階段の歌はオサだったじゃない。普通だったら二番手でしょ」って言われてああ、なるほどなあと。

私自身は匠ひびきがそれほどトップとしてのカリスマ性があるとは思っていなかったし、花組ファンでもないし・・と冷静に見ていたのですが実際にお披露目と同時に退団発表された時はびっくりしたし、だったら何で最初からトップにするのよーーと思ったものです。

幸いにしてプレお披露目「カナリア」がいい作品だったし、大劇場公演「琥珀色の雨にぬれて」「カクテル」も両方ともよい作品でよかったかなと思っていたのですが、信じられないことに大劇場まではぎりぎり頑張っていたけど実は病気でした・・・という話にさらに驚きました。

え?じゃあ、東京公演はどうなるの?と思っていたら、春野寿美礼が代役ということでこれはもうさよなら公演じゃないじゃない?と。何で延期するとか順番を変えるとかしないんだろう。たった1作の最初で最後のトップ作品なのに。

この時期、マスコミでも匠ひびきの1作トップが取り上げられ歌劇団の横暴だと叩かれました。しかし・・・組織というのは怖いもので、叩かれてもシカトすれば存在し続ける、それが宝塚だと証明してしまったんです。

小林一三が生きていたらきっとこんな仕打ちはしないだろうにと思ったけど、歌劇団は一切の方針を変える事無く、東京公演は始まってしまいました。

当時、白城あやかが司会する「カフェブレイク」で笑っているのに泣き顔の春野寿美礼を見て「彼女も辛いだろうな」と同情はしたけど。

実際、トップがいない二番手代役のショー「カクテル」は変でしたよ。麻路さきも「うたかたの恋」「パパラギ」で二番手なのにトップをやったけど、あの時とは状況が違います。

ショーのあらゆる場面にチャーリー愛をちりばめ、大階段には「チャーリー」の文字が浮かび、安寿みら振付の「乾杯」が観客を泣かせる泣かせる。

そしてこういうのはファン同士の争いを生むもので、当時は結構あちこちで・・

結局、匠ひびきは千秋楽の終わりだけ出て来たのですが、退団してからも病気はぶり返しているようですし、若い頃にあまり無理をすると本当にいけないなと思うし、なんでこんなに歌劇団は冷たいんだろうと今でも思います。

 記者会見で「1作退団を示唆された」と暴露した絵麻緒ゆう

絵麻緒に関しては4番手あたりからずっと見ているのですが、いわゆる星組の御曹司で苦労知らずでわがままという印象があり、、その手のエピソードは事欠かない人ではありました。

稔幸がトップになって2番手に就任。確かに歌もダンスも下手だけど星組を受け継ぐ人としては別にそん色がないのではないかと思っていました。

それが平成12年にいきなり新専科に配属され、翌年1月~2月まで「花の業平」「夢じゃ世界をかけめぐる」2月~6月「猛き黄金の国」「パッサージュ」と休みなしのスケジュールに組み込まれてしまったんですね。

多分、この時には香寿たつきの星トップ就任が決まっていて絵麻緒はどうなるかわからなかったと思うのですが、あまりのスケジュールのハードさに体調を壊して数日休演する羽目になりました。

その後、雪組に2番手として配属されたのですが、誰でもそうですけど全く知らない組へ行くのは相当なストレスだったろうと思います。それを支えてくれたのは紺野まひると成瀬こうきだったろうと。

平成14年、トップに就任するも退団が決定。その時の記者会見で「劇団の方針に従って」退団すると言って波紋を広げました。

さよなら公演は、あの正塚晴彦が最初で最後のラブストーリー「追憶のバルセロナ」を書き、草野旦が「ON THE 5TH」で前年の9.11をとりいれ、素晴らしく綺麗な雪を降らせてくれたこと、ラストは星だらけの衣装を着せてくれたことがありがたかったです。

歌劇団としては朝海ひかるを早くトップにしたかったんだろうと思いますけど、ある意味残酷ですよね。

いつだったか、雪組の「逸翁デー」にぶつかって、麻路さきが出演したのですが、その時、絵麻緒ゆうが号泣していたのを覚えています。気が緩んだんだなあと。色々性格に問題があっても可愛い人ではあったかなと。

 黒装束で退団会見に臨んだ貴城けい

貴城けいは78期で、彼女もまた雪組の御曹司でした。ノーブルな顔立ちで優等生風。白軍服がよく似合う人です。しかしながら77期の活躍に随分損をしていたのも事実です。それでも朝海ひかるのトップ就任によって2番手に昇格。

二番手になってからの貴城けいは非常に実力をつけ風格も重なりよい男役に成長したと思います。朝海ひかるがフェアリー系でちょっと自信なさげだったので、余計に貴城が際立っていたと思います。

しかしながら、平成17年に突如宙組に組替え。そして宙組からは水夏希が2番手として入って来たのです。この人事には首をかしげました。

なんで貴城が宙組に配属されなくてはならなかたか全然わからなかったからです。

宙組の和央ようか・花總まりコンビの長期政権による害悪が水夏希に及び、雪へ配属させたという噂もありましたし、「かしげは肩たたき」との噂もありました。

その通り、トップになって僅か半年で退団してしまったのです。

しかも最後の作品が「維新回天・竜馬伝」という貴城には全く似合わない役柄だったし、相手役の紫城るいも急きょ月組から宙組に配属されて貴城と一緒に同時退団しました。彼女は多分、もっとトップを続けたかったと思いますがこれまた劇団の意向に従ったもので、だから記者会見の時には普通白を着るのに黒装束だったと言われています。

しかし、宙組といえば大和悠河もまた月組の御曹司だったのに、いきなり宙組へ組替えさせ、星から陽月華を持ってきてどこまでツギハギだらけのトップコンビになってしまった事は宙組の歴史の中でも黒だと思います。

理事長が「宝塚らしさ」を強調しておきながら、なぜ上級生になってからの組替えを進んで行うのか、ファンとしてはさっぱりわかりませんでした。

 

 それからの出来事

 平成15年 宝塚ファミリーランド閉園

時の流れには勝てず、宝塚ファミリーランドが閉園。これによって風景が一変してしまった感があります。今や住宅地と温泉街に突如大劇場だけがあるという感じになってしまって。

駐車場も何もあそこに作らなくてもな・・・・

 平成16年 宝塚90周年ということで各組の2番手が特出

後にスカイステージなどをみると、どこの組も何組かわからなくなってます。

こんな企画をする必要があったのかどうか。

 平成21年 東西のチケット代を値上げして、大幅にB席を減らしS席を拡大

       本公演の公演期間を一ヶ月に戻す

ファンから大ブーイングが起きた事件です。S席がA席にまで波及して、これじゃ完璧に金儲け主義じゃないかーーと。そりゃ帝劇などよりは安い。けれど、そもそも宝塚って薄利多売な場所じゃなかったっけ?

ネットによるダフ行為がますます増して今や金持ちとコネ持ちしか見れない宝塚です。「歌舞伎の世界だってそうなんだからいいんじゃない?」という人もいるかもしれないけど、それじゃ芸術は死んでしまいますよ。

本公演の短縮はしょうがないとしても、余計にチケットが入手しづらくなったなと思う今日この頃です。

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海老蔵ファンではないけど

2019-01-15 07:00:00 | ドラマ・ワイドショー

 ネットで文芸春秋2月号の友納記事の片りんを読んでしまいましたが、腹が立つやらあきれるやら。

皇太子妃を辞めたいと思ったことは一度もない」ってどうして、友納&雅子さんは息をするように嘘をつくのか。

雅子妃が療養生活を始めて16年というが、実はその前から体調不良だった

・宮内庁に「身体がだるい。病気ではないか」と相談したが、とりあってもらえず、公務量は多いまま。

・「このままでは皇太子妃を辞めなくてはいけませんね」が歪曲されて世間に伝わった。

精神疾患を患う人にとって環境を変えることも大事だが、雅子妃は皇室という環境の中で治療していかなくてはならないことが長期にわたっている理由

 普通誰でも「身体がだるい」と言われて「病気かもしれないからお仕事休んだら」と言ってくれるひとはいません。熱もない、血圧正常、血液検査正常、食欲アリ、これで病気と言われても・・・・・

 いわゆる「皇太子妃やめます」発言は、人格否定発言から始まるらちのあかない公務欠席理由を記者会見した方がいいという側近に対して「そんなことをするなら皇太子妃辞めます」と電話がちゃん!だったよね。全然違いますわ。

さて、市川海老蔵が市川團十郎白猿を襲名するとのことで、同時に新之助を襲名する勸玄君と記者会見に臨みました。

正直、團十郎襲名は早いんじゃないか?って私は思いますけど、松竹としては早く襲名させたいんだろうなあと思い。

でも團十郎って名前は・・・縁起がいいとはいえないんじゃ・・・大丈夫かなあ。子供達もまだ小さいし、ママがいるわけじゃないし。長生きしないとダメなんだよね。

それにしてもこの勸玄君、6歳なのに手をきちんと揃えて背筋を伸ばして偉いなあ。

どうして皇族がこれと同じことが出来ないのか不思議です。

 今や芸能人の方が皇族より品格がある時代だものね。


コメント (33)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする