夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『アナタが大金を持つ可能性は・・?』の心理テストに、齢ばかり重ねた私も挑戦し・・。

2011-09-25 21:22:56 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
夕暮れのひととき、パソコンのネットの『お気に入り』を整理をしていたら、
何かしら思い出せないサイトが、こっそりと私は開いた・・。

画面には、

《 お金で失敗したくないから
       正しく使ってきちんと節約
           どう使って、どう貯蓄する?

 お金の悩みは尽きないけれど、ちゃんと向き合って賢いマネープランを実践しよう。》

と表示された・・。


そして、この下段のひとつには、

《 アナタが大金を持つ可能性は ・・》

とあったので、たわむれに挑戦しょうかと思ったのである。

そして私は、何事も好奇心を失くしたら、この人生は終りだ、
と信念の持ち主のひとりであるので、
恥ずかしながら、こっそりとクイックしたのである。


マネーライフの心理テスト
    【 ズバリ、大金を持つ可能性は? お金持ち度テスト 】

http://contents.insurance.yahoo.co.jp/column/psychology/index.html?d=20090622


☆私の心理テストの結果は・・☆

《・・
     ☆☆☆ よく稼ぎ、よく使う才能あり! ☆☆☆

金は天下の回りもの。
潜在意識であなたは、お金のことをそんな風に思っていそうです。

実際に稼ぐ能力は高い方ですが、それと比例して気前よくポンポン使ってしまっているでしょう。
当然、お金はあまり貯まりません。

お金にセコいのは考えものですが、だからといって散財するのはもってのほか。
貯蓄に対する意識改革ができれば、お金持ちになる可能性も上がっていくでしょう。
・・》

このような心理テストの結果となり、やはりね、と私は微苦笑したのである。


私は古惚けた一戸建てに住み、程ほどの小庭のある家に住んでいる。

私が結婚したのは31歳の時であり、
賃貸マンションを借り、家内は茶事を習いながら専業主婦で、
収入に関しては私の責務であったので、私は孤軍奮闘して、それなりに収入、支出、貯金も順調であった。
この間、国内旅行も希望したところは行ったり、或いは都心のシティホテルに宿泊したり、
外食も都心のレストランにも行き、程ほどの優雅な生活をしていた。

この生活は二年ほど続いた後、実家の近くに一戸建てを建てたのである。
どうせ住宅ローンで多額に借金するのであるから、ついでに茶室も母屋の中に設けよう、
と私の若気の至りで決意した。

予想以上に経費も要し、庭の樹木などの予算が乏しく、雑木を植えたりしたのである。
何より驚いたのは、住宅ローンの返済と一戸建ては何かしら経費がかかるので、
働けど毎月は赤字が多く、家内はパート、その後は契約社員となり、
共稼ぎの生活となったりした。

移住した直後は、居間の絨毯、ソファなども購入できなく、クーラーも買えなかったのである。
そして私はワイシャツも最低価格帯、作務衣も一番廉(やす)いのを選定したりしていた。
国内旅行も希望したコースを断念し、廉(やす)い地域ばかり行ったりしていた。

このような困窮した生活を続けている間、家内がデパートに契約社員として働いていたので、
デパートのカードローンを利用して、少しづつ、絨毯〈じゅうたん〉やソファなどを購入したりした。

そして3年目に何とか赤字の生活から脱して、しばらくして家内は専業主婦に復帰した。
私達夫婦は共通趣味の国内旅行であり、子供に恵まれなかったせいか、
サラリーマンの多忙な合間に多少経費を抑え、たびたび行ったりした。

そして、50代を迎えた頃、定年退職後の生活設計をお互いに話し合い、
本格的に検討したのが、私が55歳の直前に出向となった時である。

結論としては、定年してから年金生活をして、
お互いの趣味を尊重し、共通趣味の国内旅行に行くことである。
生活基盤は年金で通常の生活をまかない、
国内旅行、冠婚葬祭、思いがけない出費は貯金から取り崩すことを原則としたのである。


昨今、年金生活の7年生の身となり、
定年退職の数年前に少しばかりリーフォームした古惚けた家に住んでいるが、
雑誌の広告で、外資銀行などは、『金融資産一億円の皆様に』、
このような広告を見ると、私は苦笑してしまうのである。

私はこの5月に本の整理などを兼ねて、大幅に処分したが、
小説、随筆、ノンフェクション系、歴史書などは2000冊前後は残っているし、
映画のVCT,DVDの1000本前後、
そして音楽のレコード、カセット、CD、DVDは1500枚前後を所有して、
その日に応じて読んだり、観たり、聴いたりして過ごすことが多い。
家内も少しばかりであるが、程ほどの茶道具もあり、
お互いに魅了されそうな処に、国内旅行に行ったりしている。

我が家はソフトに関しては、その時に応じて使ってきているので、
残念ながらが、程ほどしか貯金ができなかったね、
と私は家内に言ったりしている。

そして私は負け惜しみのように、
たとえ倹約ばかりして金融資産一億円あったとしても、
私達の人生の思いでの欠片〈かけら〉を数多くなかったら寂しいよ、
と現役時代の中小業である音楽業界のある会社に35年ばかり勤めた拙(つたな)い身の私は、
言い訳をしたりしている。

このように家内に話したりすると、
働らなくとも何とか生活できるのだから、有りがたいわ、
と笑ったりしている。

尚、我が家は自動車も持てず、携帯電話の使えない変わった家庭でもある。


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時流に取り残された我が家、ときには愛惜ある黒電話が懐かしき、微苦笑を重ね・・。

2011-09-25 09:00:02 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住んでいる。

恥ずかしいことを告白すれば、自宅に備えている電話機に関して、
私が定年退職した2004(平成16)年の秋まで、我が家は黒電話であった。

その直後、退職後の何かと多い手続きなどもある中で、
銀行の残高照会にしても、インターネット関係のプロバイダーの問い合わせをする際、
『一番から四番の・・何番を押して下さい』
と言われても、ダイアル式ては対応出来なかったのである。

やむなく困り果てて、遅ればせながらプシュホンの電話機に代えた。

プシュホンの場合、親子機にあったのを導入した。
家内は、この子機を戸惑いながらもマスターしたが、私はいまだにおぼつかない。

私が現役サラリーマンの時代は、1970年代が終る頃は、職場などではプシュホンの電話機であり、
一般の家庭に於いては1980年代の半(なか)ば頃までには、殆どプシュホンの電話機に変貌した。

この当時、悪友たちと居酒屋に行ったりし、何か気まずい話になると、
『俺の家・・まだ黒電話なんだ・・』
と私は云ったら、
『嘘だろう・・本当かょ・・』
と悪友の数人が私の顔を改めて見ながら、云われたりしたのである。
この後、お互いに和気藹々〈わきあいあい〉となり、互いに談笑を重ねたりした。

その後、定年退職後、やっとプシュホンの電話機とした後、
インターネットの回線に於いて、地元のケーブルテレビ回線から光ファイバーに変えた時、
電話回線もひかり電話とした。

たった1年で黒電話からひかり電話になったのは、単なるなりゆきである、と微苦笑したのである。

ただ、少しばかり寂しい気がしたのである。
何かしら黒電話のダイヤルを廻す時、相手方にこう話そうかと考え、
戻り時の感覚、状況が私達夫婦は好きである。


私の好きなセルジオ・レオーネ監督が映画の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』1984(昭和59)年の完全版に於いて、
男主人公が友人を密告する際、ダイヤル式の電話機が使われていた。

友が連邦銀行を襲うとする時、友の女から、殺されるのは決まっているから、
やめさせて、・・と依頼され、
主人公が警察に密告する電話のシーンであった。
ためらいながら、ダイヤルを廻す、その後の呼び出す音・・。

このように長らく世界から愛用されたダイヤル式の電話機が捨てられ、
安易にプシュホンの電話機に変えられた社会風潮に、少しばかりわだかまりがあったりした。

我が家の取り外された黒電話機は、居間の棚の片隅に、ちょこんと載せている。
何かしら私達夫婦を30年近く見守ってきたので、心の形見と思いながら、ときおり私は見たりしている。


ここ10数年、社会は急速に携帯電話が普及し、今や子供さえ使用し、
しかしながら私たち夫婦は、携帯電話が使えなく、
この広い世の中で保有していない稀(まれ)な国民のひとりとなっている。

まして昨今、携帯電話はスマートフォン、パソコンはスマートパッドの時代になります、
と新聞、とか何かの雑誌で読んだりすると、遥か遠い世界のような出来事と思ったりしている・・。


我が家は子供に恵まれなかったので、我が家は夫婦2人だけの家庭である上、
私の現役サラリーマンの最後の5年間は、物流情報会社に出向となり、
職場では携帯電話を使用することのない勤務状況であったので、
携帯電話は無知となったのである。

昨今の年金生活に於いても、携帯電話に興味がなく、
もとより携帯電話の使い方も知らないが、不自由することなく今日まで至っている。

このような関係で、我が家の通信費は『ひかり電話』だけであり、
家内が独り住まいの家内の母に、殆ど毎夜、長電話しても毎月2000円以下で、
年金生活をしている夫婦の家庭の中で、最も安い家庭かしら、と微苦笑している。

しかし、私たち夫婦のどちらかが、ボケる前には、
迷子のように、私はどこにいる・・と確認できるGPS機能の携帯電話が必要と思い、
ここ半年ばかり新聞に添付されるチラシの一部に、携帯電話の各社の広告が入っているので、
ときおり私たちは見たりしている。


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