夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ときには私たち夫婦は、我が家の小庭の手入れに、昼食抜きで7時間ばかり奮闘・・。

2014-05-07 17:24:21 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に築後36年の古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

過ぎし4月20日に私たち夫婦は、樹木の剪定、草抜きをしたが、
私の体力の疲れて小庭の6割方で終了してしまった。

この時節は 樹木の枝葉は日増毎に伸び、雑草も生い茂り、
世の中は大型連休と称されるゴールテン・ウィークの合間に、私は手入れをしなければと思ったりしてきたが、
初夏のような陽気もあり、何かと暑さに苦手な私は敬遠してしまい、怠(おこた)ってきた・・。

昨夕、私は家内に、
『樹の枝葉も伸びてきているし・・明日庭の手入れをするよ・・』
と私は家内に言ったりした。
『そう・・私も手伝うから・・』
と家内は微笑みながら言ったりした。

我が家の敷地は変形5角形で、家屋を建つと、玄関庭と主庭となり、
原則として庭の手入れは私の責務の範疇であるが、蚊(か)の出る5月下旬頃から10月頃までを除き、
体力の衰えた私を見かねて、家内の支援を受けることが多い。

そして私は今朝は4時に目覚めて、6月中旬頃に梅雨入りする前、徹底的に手入れをしょうと決意した。
     
注)掲載した写真のすべては、庭の手入れをする前の5月4日に撮ったものである。

我が家の小庭は、垣根は常緑樹、庭は四季のうつろいを明晰に変貌する落葉樹を10数本があり、
草花は茶花を中心に植えている。
これからの時節は、梅雨の時節の主役の数枚の上葉が白く染められた半夏生(ハンゲショウ)の群生であり、
或いはピンクのたわわな花穂で芳(かぐわ)しい香りの唐糸草(カライトソウ)、
そして群生させた稲穂に近い小判草(コバンソウ)である。

小判草はイネ科の草花で、毎年、3月の下旬頃に芽を出して、稲のような容姿で成長し、
5月頃から葉先が小さな小判のような花穂となる。
そして、これからの時節は小麦色に染めら、風もないのに揺れたりしている。
水田の稲が実を重たげに見せている状況と同じで、 背丈30センチ前後の小判草は、けなげな容姿となっている。

そして茶花だけだと少し寂しいので、アメリカ芙蓉(フヨウ)を群生させている。
初夏のなれば、白と淡いピンクの複輪で底紅した大輪の花が10数輪咲く。

こうした中でも、玄関庭には、紫色の小花の露草(ツユクサ)は庭の片隅に群生していたり、
底紅で花びらは淡紅色した高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)がまもなく数多く咲き、
夏の終りの頃から淡き紅色の可憐な秋海棠(シュウカイドウ)、
そして純白の小花の玉すだれ(タマスダレ)が咲いたりする。

こうした状況なので、せめて梅雨の時節に半夏生(ハンゲショウ)に心を共にし、
やがて初夏にアメリカ芙蓉(フヨウ)に期待し、
黒土の上で彩(いろど)る情景を秘かに待ち焦(こ)がれているのであった。
     

このような思いのある私は、今朝は7時過ぎに庭に下り立った。
そしていつものようにストレッチパンズの長ズボン、着古したスポーツシャツ、ウォーキング・シューズ、帽子、
滑り止めの軍手をした上て、剪定鋏(ハサミ)を腰の周りにしたりした。

まもなく家内も出てきて、トレーナー姿にエプロンを身に着け、そしてタオルを姉さん被(かぶ)り、
ウォーキング・シューズの万全な容姿で、滑り止めの軍手をして、
高枝鋏(たかえだばさみ)を薙刀〈なぎがた〉のように持ち、私に近寄ってきた。

               
        
この後、私は剪定用の鋸(のこぎり)を右手に持ちながら、
適度な台に乗り、枝葉を切り落としはじめた。

家内は高枝鋏(たかえだばさみ)を枝葉を切り落としたり、
或いは剪定鋏(ハサミ)を使ったりしていた。

こうしてお互いに4時間近く奮戦したが、陽射しは燦々と照らし、
少し熱いじゃないの、と私は感じながら、
家内は切り落とした枝葉を整理し、私は草むしりに専念した。

結果として私たちは、お互いに昼食抜きで奮闘し、
午後の3時少し前に、『XXちゃんさぁ・・ボチボチ・・やめない?』
と私の方から家内に提案し、やがて風呂を沸(わ)いた頃、家内に先に入ってもらった・・。

この後、家内に風呂に入ってもらっている間、
私は主庭のテラスに簡易椅子に座り、煎茶を飲みながら私は記念樹を眺めて微苦笑したりした。
              
この記念樹は、私の定年退職時に5センチぐらい自生した幼き樹で、
私の勤めた業界は定年7年前の頃からリストラ烈風となり、私が勤務した会社もリストラ烈風の中、
私は無念ながら定年の5年前に出向となり、やがて出向先で定年退職時を迎えたので、
せめて思い私の定年記念樹としている。

そして2004年〈平成16年〉の秋に定年退職し、
その後の年金生活してきたが、月日の流れは、実に早く過ぎ去っている、と私は深めたりした。
そして人生は色々あったよねぇ、と年金生活を享受している私は微苦笑したりした。

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