夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

TOKIO・長瀬智也さんに無縁な69歳の私でも、13年前に彼から秘かな学んだことは・・。

2014-05-08 11:40:16 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
3月の桜花の咲く頃から晩秋の時節まで、スポーツシャツ或いは作務衣の下着として、
Tシャツのような形をした襟なし、袖なしのシャツを愛用して早や13年が過ぎている。

もとより若い人はカジァルな軽装として、左の胸元にメーカーのロゴ・マークが明示されていて、
ポロシャツ、Tシャツの代わりに、昨今、街中で見かけているが、無念ながら高齢者の私は少し肥満体なので、
外出先では恥ずかしく秘かに下着として愛用している。

しかしながら夏季の時は、家の中では快適だょ、と微笑みながら愛着を深めてきている。

このシャツを私は知ったのは、確か2001年(平成13)年の5月であった。
          

私のサラリーマン現役時代は、中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に勤めていたが、
1998年(平成10年)に業界のCDを中核とした売上げがピークとなり、その後は業界全体が縮小した。
この前後に、それぞれの会社が再構築がよぎなくされ、リストラなども行われた。

私たちの同世代は、定年退職時が60歳であり、
暗黙として、お互いに定年退職まで、頑張ろうとする意志は大半であった。
そして、もとより若き入社時代から人生設計の主軸として過ごしてきた・・。

こうした中で、私の知人の多くは50代となり、
組織の見直しによる人事配置転換の人事異動、出向、そして早期退職優遇制度による退職などの烈風となった・・。
このような形で、同じ時代の空気を共にした上司、同僚、後輩などと別離があり、
業界から去った人も数多くあった。

私自身も1999年(平成11年)の初春、55歳の少し前に出向となってしまった。
                    

私の出向先は、委託しているCD、DVD等の音楽商品を保管・管理する物流情報会社であり、
通勤としては、ほど遠く、この中のひとつの物流センターに配属された。

私の住む自宅からバスに乗った後の最寄り駅は、小田急線の成城学園前であり、
30年近く情報畑、管理畑に勤めた本社で勤務していた時は、
自宅を8時過ぎに出て、都心に向かって一時間で通勤していた。

そして出向先は、自宅を6時過ぎのバスの始発に乗車し、成城学園前からは下り方面の本厚木駅に行った後、
バスに乗り換えて物流倉庫の多い処まで、一時間半ばかりで通った。

職場状況、そして通勤状況も大幅に変貌したので、初めの半年ぐらいは戸惑いながら、
つたない私でも、もとより出向は本社機能の戦力から不必要だと烙印を押されたことであるので、
まぎれなく都落ちで、敗北感が充満し失墜感で気落ちした・・。

この後、何とか半年後に私は職場の業務にも馴染み、
この間に、私の勤めていた出向先の物流情報会社も大幅なリストラがあったり、
かって30年近く勤めていた出向元のあるレコード会社も幾たびかリストラが実施され、
こうした中で、私なりに奮戦し、定年退職を迎えた。

そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
                     

私が勤めた物流センターは、CD、DVD等の音楽商品を保管・管理する部署であった。
センター長を始め、私も含めて正社員5名を中核に、
若き20代の男性の契約社員10名前後、そして女性パート120名前後の中で、
全国のCD販売店、卸店などからの注文に応じて、即日出荷するのが、業務が大半で、
私は主要曲の出荷量を予測したりし、効率よく迅速に出荷できるような業務も責務のひとつであった。

こうした中で、出向先の物流情報会社は全員が制服を着て職務している職場で、
夏季の時は、半袖の胸が少し開いた開襟シャツであった。

この当時の私は身長170センチ、体重70キロで溌剌と商品センターとか事務室で精勤していたが、
出向元のあるレコード会社の長き時代の下着は、ランニング・シャツとか半袖のシャツを着ていたので、
この制服の開襟シャツでは、恥ずかしながら私は少しばかり胸毛があり、見えてしまうので、
職場の風紀上に於いて、困ったなあ、と思ったりしていた。

そして私は家内に話しかけると、下着の半袖のシャツでⅤ字を購入して貰い、
職場で制服の開襟シャツの下に着て、奮闘していたが、少し熱く困苦していた。

やがて確か2001年(平成13)年の6月の頃、
私はTOKIO(トキオ)と命名された男性アイドルグループで、
ロックバンドなど多岐の分野で活躍している中のひとりの長瀬智也さんが
出演していたテレビ・ドラマの中のひとつシーンに於いて、
彼が軽快に着ていたシャツに瞬時に魅了させられた・

そしてシーンの中、このシャツ・・制服の開襟シャツの下で着たら、胸毛も見えず何よりも涼しそう、と思い、
家内に買い求めるように依頼をした・・。
          

私が見たテレビ・ドラマは、フジテレビで放送した『ムコ殿』であり、
この当時の私は帰宅時は9時前後で、確か木曜日の10時からドラマで、主演は長瀬智也さんであり、
家内と共に遅い夕食を頂きながら視聴する時が多かった。

そして長瀬智也さんの役柄は桜庭裕一郎となり、ドラマの中の主題歌のひとつとして、
『ひとりぼっちのハブラシ』で、この当時に出向元のあるレコード会社も契約し、
もとより商品センターでも取扱い、音楽ランキングとして名高いオリコンチャート1位を獲得した作品であり、
TOKIOにとってはデビュー7年目にして、初めてオリコンチャート1位となったので、
私は今でも心の片隅にある曲でもある。
          

この当時の私は、この時節はネクタイで長袖のワイシャツの下で、このシャツを着て、
アタッシュ・ケースの中は、家内に洗濯して貰った制服の開襟シャツ、
そして一日職場で奮戦した後に着替える《このシャツ》を持参してしていた。

そしてCDウォークマン、その日に応じてCDアルバムを3枚前後を聴きながら、
少し長い勤務先と自宅の往復路していた。

このように私は、《このシャツ》には、ささやかな思いを秘めてきたので、
教えて下さったTOKIO・長瀬智也さんには感謝を重ねたりしている。

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