夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

高齢者の私でも、ときおり鼻歌をかぼそい声で唄い・・。

2014-05-23 15:22:11 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の高齢者の69歳の身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に築後36年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。

こうした中で、楽譜も読めなく楽器も弾けない私でも、家の中で鼻歌をかぼそい声で唄うこともある・・。
          
           ☆今回掲載した写真は、すべて昨日に散策した時の写真である☆

年金生活のひととき苦汁した時とか、過ぎし現役時代のサラリーマン時代だった時、業務で苦戦した時とか、
親戚との確執にさいなまれた時など、ときたま唄った歌のひとつは、『旅の夜風』である。

♪花も嵐も 踏み越えて・・《作詞・西條八十、作曲・万城目正、唄・霧島昇&ミス コロムビア》
と心の中で唄ったりして、自身を慰め、そして励ましたりして、ときにはかぼそい声で唄ったりした。

私が小学3年の春、祖父が亡くなり、
その前年に父に死去されて、母は私を含め兄妹の五人の子供が残されたので、
母がよく鼻歌を唄ったりしていた。

この当時、ラジオからよく流れていた、と子供心に記憶がある。

我が家の家内は私より5歳ばかり下であるが、戦前、戦後の歌謡曲は、私より詳しい。
こうした根底には、生前の家内の父が歌謡曲が好きで、唄に自信を深めていたので、
家の中とか勤務先の交際の折、よく唄っていたらしい。

時折、こうした歌を私が鼻歌を唄ったりすると、
家内が、NHKの『素人のど自慢』の鐘の音を真似て、
『カァ~ン』と微笑みながら、云ったりしている。

そして私は鐘ひとつかょ、と苦笑したりしている。

この『旅の夜風』の歌は、昭和13年(1938年)に上映された松竹映画の『愛染かつら』の主題歌であり、
原作が小説家・川口松太郎が雑誌『婦人倶楽部』に連載された、
と知ったのは恥ずかしながら10年前であった。
          

この五月の時節、小庭の手入れをして、幾たびか唄ったひとつに、『白い花の咲く頃』がある。
草むしりに専念している中、伊予柚子(イヨ・ユズ)がたわわに白い花を咲かせていた。

そして何かと単細胞の私は、この樹木の下とその周辺を草むしりをしながら、
♪白い花が 咲いていた・・《作詞・寺尾智沙、作曲・田村しげる、唄・岡本敦郎》
と鼻歌を唄ってしまうのである。

この『白い花の咲く頃』の歌は、 私が小学校に入学する昭和26年(1951年)の前の年、
ラジオから盛んに流れていて、幼児なりに心で覚えてしまい、
その後、白い花を見ると、何かしら鼻歌を小声で唄ったり、或いは心の中で唄ったりしている。
          

我が家の家内は、季節が変わる時などに、独り住まいの家内の母宅に泊りがけで行っている。
私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職日の直前に主人に死去され、
一戸建ての独り住まいの生活をされて、10年近くなっている・・。

そして家内の母は身の廻り程度はある程度は出来ているが、
庭掃除、季節に応じたのカーテン、布団、衣服、暖冷房器具などの出し入れがままならす、
家内が大掃除を兼ねて季節が変わるたびに行き、孤軍奮闘している。

私はこの間は、のんびりとした独り住まいとなるが、
家内が作ってくれた料理、スーパーのお惣菜コーナーの売り場で、適度に選定し、食べたりしている。

こうした時、私は台所で2日に1回ぐらいのペースで、午後のひととき、皿洗いをしたりしている・・。

家内から借りた前掛けをして、腕まくりをした後、
スポンジにファミリー・フレッシュなどの洗剤をつけて、こすったりし、
この後は水洗いを丁寧にしている。

こうした中で、ある時に、どうした心境が解からないが、
『ここに幸あり』の歌をかぼそい声で唄ったりしたことがあった。
♪嵐も吹けば 雨も降る・・《作詩:高橋鞠太郎、作曲:飯田三郎 唄:大津美子》

この後の私は苦笑しながら、確か私の小学五年生の時に、ラジオから盛んに流れていた歌だったので、
俺も古い人間でやはり齢は隠せない・・、と思ったりしてしまった。

私はカラオケは苦手であるが、現役時代のサラリーマンの時は、
おつきあい程度に唄ったしてきたが、
この『ここに幸あり』の歌に関しては、もとより唄ったこともないのである。

私の少年期に聴いた曲が、心の片隅にあったのかしら、
と少し照れたりし、戸惑ったりした・・。
          

過ぎ去りし2006年〈平成18年〉の秋、 私たち夫婦は家内の母と共に3人で道東旅行をした時、
私は婦人と観る所が違うので、独りで人影のない知床半島、阿寒湖の遊歩道を散策した。

私は何かと気弱な小心者で、熊(クマ)には遭(あ)いたくないので、
かぼそいながら、『イヨマンテの夜』の歌をお守り代わりに唄いだした・・。

♪イヨマンテ(熊祭り)・・《作詞・菊田一夫 作曲・古関裕而》
もとより伊藤久男さんのように、はりのある朗朗とした美声で唄えないが、
やがて私なりに大きな声で、音程も外れながらも唄ったりした。

幸いにも、この地域の熊(クマ)は従順なのか、熊(クマ)は万一《熊祭り》されては勘弁して欲しい、
或いは東京の田舎者の私に遭(あ)いたくないと感じてか、
私と熊(クマ)は出逢うことなく、このような体験を私は秘めている。
          

このように私は、小学・中学時代の『音楽』授業は、恥ずかしながら『2』の劣等生であったが、
ときおり鼻歌をかぼそい声で唄ったり、心の中で唄ったりしている。

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