夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

心臓の悪化に伴い、8泊9日で入院して、退院後うつろな状態で7日間が過ぎ・・。

2019-01-18 14:41:38 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
心臓の悪化に伴い、循環器専門の府中市に所在する『榊原記念病院』に、
1月4日より8泊9日で入院して、退院後うつろな状態で7日間が過ぎた・・。

私が心臓の痛みを感じたことは、過ぎし
元旦の早朝の2時過ぎに私は目覚めて、
まもなく左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
左側に寝返りしたり、或いは右側に寝返りをして、痛みに耐えたりした。

この10日前に、このような状態があったが、一時間過ぎた頃に解消したが、
今回は痛みが去らず、深夜2時過ぎから継続しているので、不安を増した・・。

やがて元旦の早朝の5時過ぎに、私は痛みが半減してきたが、やはり狭心症や心筋梗塞などのまえぶれであったら、
この後の私の人生は何かと大変だ、と思い、
やむなく救急車を呼んで、病院で早期治療を受けようと決意して、家内に伝えたりした。

            

やがて、私たち夫婦は救急車に搬送されて、
私は世田谷区にある日産厚生会『玉川病院』
で緊急治療を受けて、
痛み止めの薬を頂いたりした。

そして男性医師から、あなたが通っている最寄りの内科医院に状況報告書を書きますが提出して下さい、
その後、心臓に関する専門病院で、早めに精密検査を受けて下さい。

こうした中で、耐えがたい痛みを発生した時、『ニトロペン錠』を舐(な)めて下さい、
と私たち夫婦は言われたりした。

やがて病院を辞して、病院前よりタクシーに乗車して、我が家に向かう車内の中、
『元旦そうそう・・救急車で病院に行き、応急治療を受けるとは、まさかの出来事だったょ・・』
と私は苦笑しながら、家内に言ったりした。


            

まもなく私たち夫婦は我が家に到着した後、
家内が家内の母宅に介護に行く予定は、取りやめにして、家内の妹にお願いするわ、
と私は言われたりした。

結果的には、私は安静した状態で正月3が日を過ごすこととなり、
私たちは初めて静かなお正月を過ごすこととなるわねぇ・・と家内から言われたりした。

今回、やむなく生まれて初めて正月三が日は、安静の中、戸惑いながら過ごした・・。                       

お節料理の好みの単品を揃えてきたが、思いがけない病状に、何かとプラス思考の私でも、
失墜感で、うつろな状況で食べたりした。

或いは日本酒、ウィスキー、ビールを年末で準備完了であったが、
一滴も呑めない正月三が日は、二十歳以来初めての出来事となったりした。

やむなく日中のひとときは、寝室の布団の中で身も心も預けて、
本を読んだり、昼寝をして過ごした・・。

こうした中、今後の私の予定をめぐらしたりしていた。

正月三が日明けの4日には、最寄りの内科医院に私は行き、
日産厚生会『玉川病院』より状況報告書を内科医院長宛てに手渡した後、
この内科医院長より、大きな循環器専門の病院に紹介状を書いて頂く。

そして循環器専門の病院として、私たち夫婦は思案した中で、
都心にある東京医科歯科大学の附属病院の中に循環器内科に受診できれば、と願ったりした。

            

このように思案したりし、3日の夕食を家内と共に頂いた後、
やがて私は夜9時過ぎに布団にもぐり、本を読だりしている中、寝付いたりした。

そして夜10時過ぎ頃、左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
『玉川病院』の医師のアドバイスに基づき『ニトロペン錠』を舌先で舐(な)めたりした。

やがて20分過ぎても鎮静化しなくて、やむなく2錠目の『ニトロペン錠』を舐(な)めたりし、
今回果たして『ニトロペン錠』鎮静化がするのだろうか、と思いながら、
痛みに耐えたりしたが、効果なく3錠目の『ニトロペン錠』を舐(な)めたりした時、
私は家内を起こして、救急車で病院に行く、と決意したのは夜11時半過ぎであった。

やがて救急車が我が家に到着して、救急スタッフの御方が昨今の私の状況を把握し、
循環器専門の府中市に所在する『榊原記念病院』を進言して下さった。

そして『榊原記念病院』に到着後、10数名の医療スタッフの中で、
私は中央診察台で心電図、造影剤を入れてカテーテル、そしてCTスキャンなどの精密検査、
或いはレントゲン終えたのは、早朝3時半すぎであった・・。

やがて『胸膜炎』(追記・急性冠症候群)と病状とされ、しばらく経過観察したく・・
と入院が余儀なくされて、結果的に8泊9日の入院となったりした。

こうした中、痛みは当日の4日の夕方には解消したが、
集中治療室の専門部屋より、3名部屋に、やがて4名一般部屋に移動したが、
予測した以上に、遥かに快適な部屋であった。
          
今回、私はタバコを愛煙して56年以上となっているが、今回の担当医師より禁煙を勧められ、
やはりタバコは心臓にも良くないし、まして身体にも良くないので、遅ればせながら禁煙を決意した。

            

今回、退院して帰宅後は、何かとぼんやりと7日間を過ごしてきた・・。

やはり私は、年金生活を15年目を過ごす今、予期せぬ心臓の状態に動揺したり、
まして8泊も入院して、応急治療を受けたことに失墜感を感じたりした。

私は40代のなかばに、ギックリ腰を悪化して、整形外科の病院に、28泊29日の入院体験があるが、
この時の退院後の真情は、年齢差を配慮しても、余りにも差異を感じたりした。

もとより心臓の悪化は、死に至ったり、病状の結果、日常生活に制約される場合もあり、
私なりに恐れていたことでもあったりした。

こうした中、退院まぎわになると、何かしら思考回路が、明晰に感じ伝わらなくなったりしている・・。

今回の入退院の変化は、運動もできず、病院食事のカロリー制約もあり、もとよりお酒も呑めないので、
体重が3キロ減少し、体力の衰えも実感している。

            

私はタバコを愛煙して、56年以上となっていた・・。

そして禁煙している今、このような反動として、何かしら思考回路が、脳裏から舞い降りてくるのが、
途絶えてしまうように、ときおり感じている。

若き20歳前後の頃から、映画、文学青年の真似事をしている時、
タバコを喫いながら、物事を思案したり、思考したりしてきた・・。

こうした習性が50年以上続き、禁煙した今は、
言葉とか文章が以前のように脳裏より舞い降りてこなくなり、戸惑ったりしている。

そして私は、困ったなぁ・・と溜息をしたりした後、
自身を鼓舞するように、人生は気合だ、と心の中で叫んだりした。

            
今回、入院した『公益財団法人 日本心臓血圧研究振興会附属 榊原記念病院』を退院後、
『退院証明書』が発行された。

この中には、『入院に係わる傷病名』欄には、労作性狭心症の疑い、と記載されていた。

そして私は、公式サイトの【デジタル大辞泉】を開き、
《・・
歩行・階段昇降・入浴・排便・興奮などによって血圧や心拍数が上昇し、
心臓に負担がかかったときに起こる狭心症・・》と表示されたりした。

或いは私が入院中、医師が『安静時狭心症』と幾たびに聴こえたりしてきたので、
やはり今回、聞公式サイトの【デジタル大辞泉】を開き、
《・・冠攣縮性狭心症と同意。
冠状動脈が一時的に痙攣(けいれん)して細くなり、
血流が低下することによって起こる狭心症。

夜間から早朝にかけての安静時や、飲酒・喫煙時などに起こることが多い。
ニトログリセリンなどの硝酸薬やカルシウム拮抗薬により冠状動脈を拡張させ痙攣を抑える。・・》
と表示されたりした。

このように記載されていたが、私は入院する前と同様に、
我が家の買物専任者として、スーパー、専門店に殆ど毎日行ったり、
この後の散策も行ったりしている。

しかしながら体力の衰えもさることながら、覇気がなく、うつろな状態で過ごしている。

            

こうした原因のひとつとして、やはりタバコを愛煙して56年のニコチン中毒が、
解毒できる期間まで、時間を要すると思いながら、やはり散策かしら、と思い歩いてきた・・。

何かしらプラス思考の私は、やがて数か月過ぎた頃、
タバコを喫っていた時代もあったよなぁ・・と思い出に変わる時が訪れる、と微苦笑したりしている。

コメント (4)
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