夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

年金生活18年を過ごしてきた私、予期せぬ出来事の中で、最大のピンチは・・。

2022-09-24 16:30:17 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活のまもなく78歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして 雑木の多い小庭の中で、古ぼけた戸建てに住み、
我が家の周辺は住宅街であるが、自動車もない稀(まれ)な家となっている。



         
私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風が更に加速なる中、
会社の首脳部が社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前の退社を余儀なくされた同僚、後輩に少し後ろめたく、

退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。

このような拙(つたな)いサラリーマン航路である上、
そして定年退職するまで半生期は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。



                         

年金生活は、これまで人生航路が悪戦苦闘が多かった為か、

予期した以上に安楽な生活を享受してきたが、
年金生活18年を過ごしてきた中で、
幾たびの予期せぬ出来事の中で、最大のピンチは・・
と思い馳せたりした・・。

やがて、2019年の3月の初めの頃、
突然に左眼だけが酷い白内障になったように視力が激変し、
結果的には4月2日より、眼科医院に6泊7日して左眼の硝子体手術を受けたことだった・・

と微苦笑したりした。



過ぎし2015年の晩秋、私は左眼、そして右眼の白内障の手術を受けて、
それまで酷い近眼であつたが、手術後は0.8前後の視力となり、
高校生より長年にメガネを愛用してきたが、

メガネが不要となり、人生観さえ変わったりした。
        
この清く正しくなった両眼は、2019年の3月の初めの頃に、

突然に左眼だけが視力が激変し、
私は困苦しながら、最寄り駅近くにある眼科専門医院に通ったりしてきた。




この眼科専門医院は、私は2015年の晩秋に白内障の手術を受けてきた医院で、
この前後を含めて、少なくとも数10回通院してきたので、
医院長をはじめ10数名のスタッフとも、 顔なじみとなり、
男の癖におしゃべりな私でも、少し遠慮しながらも談笑したりしている。

このように信愛できる医院長に診察された結果、特殊手術が必要と判断されて、
この医院長より特殊手術ができる『御茶ノ水』にある井上眼科専門病院を紹介されたりした。

そして2019年の3月下旬に、

この『御茶ノ水』にある井上眼科専門病院に行く予定であったが、
まもなく3月8日、この顔なじみとなっている最寄り駅近くにある眼科専門医院で再度診察を受けた結果、
想定より悪化しているので、同じ井上眼科専門病院でも、本院の『御茶ノ水』よりも、『西葛西』にある分院には、
この特殊な手術に特に優れている医師を紹介する、と紹介状を書いて下さった。

何かしら瞳を支えている眼球の周囲にある緬膜(めんまく)が離脱して、
このような状況下で視力が不安定で低下し、特殊な手術が必要と教えられたりした。




こうした結果、2019年の3月9日、『西葛西』にある井上眼科病院に朝8時に私は訪ね、
やがて受付で、紹介状を提出したが、何かしら紹介状の宛名の御方は、 副医院長だったが、
本日はお休みと知り、 多種な眼の検査を受診した後、代理の医師より診察を受けたりした。

やがて私は、副医院長の診察を受ける3月13日の日時を指定して、
予約をした後、私は我が家に帰宅した。

この後、3月11日の日中、『西葛西』にある井上眼科病院より、
私は電話を頂いたりした。

私が予約している3月13日を一日早い12日では・・と尋ねてきた。
そして12日、私は家内を伴い、『西葛西』にある井上眼科病院を訪ね、
そして眼の多種な診察を受けた後、紹介状の副医院長に私は診察を受けた。

              

やはり左眼の水晶体の後方の壁を後嚢(ごうのう)と称せられているが、
これを足場にしている3年半前に挿入した眼内レンズが脱臼(だっきゅう)』して、
硝子体に浮かび、視力が不安定となっている、このようなことを診断して下さった。

そして硝子体の一部の手術となり、
3年半前、幡手に挿入した眼内レンズを摘出。
②硝子体の一部を切除。
③新たな眼内レンズを眼球の一番外側は線維質な膜で覆われている強膜(きょうまく)内に固定。


このような手術の内容を話して下さり、病名は『眼内レンズ脱臼(だっきゅう)』と記載され、
麻酔は『局所』と明記された。


そして手術の実施日は、2019年の4月2日午前、として、
手術後の経過診察などで6泊7日の入院となり、
やがて私たち夫婦は、手術の当日は、8時少し前に病院に到着した。




そして指定された病室で、私は着替えて待機していると、
まもなく手術前の検査を受診したのは、8時15分過ぎであった。

この後は、手術前の待機であったが、小心者の私は、
どうせ手術するなら早い方が良いのに・・と少し待ちわびたりした・・。
            
やがて10時半少し前に、看護師より手術室に導かれて、
私は手術して下さる副医院長、スタッフの前では、
まな板の鯉のような心情であったりした。

そして45分過ぎた後、手術して下さっている副医院長より、
手術は無事に完了、とスタッフと私に大きな声で明言されたので、
私は一堂に聞こえるように、お蔭様でありがとうございました!!、
と若き自衛官に負けないような声で御礼の言葉とした。

この時、若き女性スタッフより、さりげなく手渡された。

            

そして私は指定された病室に戻り、表紙には、
      西葛西 井上眼科病院
            手術室一同 と明記されて、

開くと右側には、千羽鶴の折り紙となって、
左側には、お大事に なさって 下さい。
女性が書かれた字体が優美に明示されていた。

私はベットの横に設置されているサイドテーブルの上に於いて、
神棚のように置いて、女神のような後光を感じて過ごしてきた。 

         

この後は、6泊7日の入院生活の中、
検査、診察、そして各種の点眼薬と称せられる目薬を注(さ)すこと以外は、
単調な時を過ごしたりした。

私は病室に設置しているテレビは、日に一時間ぐらい視聴する程度であり、
持参した新書本、家内に買ってもらった週刊誌2冊、 そして休憩室にある新聞を読む程度であったが、
やはり手術後の眼には、疲れが実感させられたりした。 




やむなく眼をつぶり、物思いに耽るしかなく、あてどもない時を過ごしたりした。

こうした中で、時空を超えて、幼年期とか定年後の年金生活の出来事が
不意に思い浮かび、とりとめなく思い馳せたりした。 


そして私は、何よりも学んだことは、午前中の検査、診察で、 受診前に待機している私たち・・
私は隣接した男性、或いは女性の60歳以上の御方と、
ささやかな人生のこぼれ話し、お互いに微苦笑しながら話し合ったりしたことであった。



          
このような眼科医院に6泊7日で入院していたことを思い浮かべて、
改めて数多くの御方に、私はささえられ深く感謝して、これも人生だよなぁ・・と
私は思い深めたりしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする