夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

寝たきりなし「ピンピンコロリ」の理想と現実、高齢者の私は真摯に学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2019-01-16 14:45:04 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 日刊ゲンダイ 】を見ていたら、
『 医師が提言 寝たきりなし「ピンピンコロリ」の理想と現実 』と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む74歳の年金生活の身であるが、
やはり晩年期は、安息に過ごして、あの世に旅路たい、と願っているので、
今回の《 寝たきりなし「ピンピンコロリ」の理想と現実 》を学びたく、記事を精読してしまった。

この記事は、公式サイトの【 日刊ゲンダイ 】の『ヘルスケア +』に、
2019年1月10日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・
寝たきりになって、連れ合いや子供に迷惑をかけたくない。
老後は最期まで元気に過ごし、死ぬ時は静かに息を引き取りたい。
それを理想とする中高年は多い。

そのためにお金をかけて、やりたくもない運動で汗を流し、食べたくもない食事を口にしている。
しかし、お金をかけ、健康に気を使えば、寝たきりなしのピンピンコロリを実現できるのだろうか?

「医療の現実、教えますから広めてください!!」(ライフサイエンス出版)の著者で、
「武蔵国分寺公園クリニック」(東京・西国分寺)の名郷直樹院長に話を聞いた。

              

■ピンピンコロリは東大入学より難しい


「私は350人以上の患者さんを自宅でみとってきました。
寝たきりにならずに、亡くなった人はゼロ。

死ぬ前に短くて数カ月、普通は数年、長ければ10数年寝たきりになります。
それを避けるために、どんなにお金をかけて、健康に気を使っても、逃れることはできません。
ピンピンコロリは、運次第。
東大入学よりも難しいというのが実感です」


ピンピンコロリに次いで、理想とされる老衰死でも、寝たきりは避けられない。

「噛めなくなる」、「飲み込めなくなる」高齢者は、
BMI(体格指数)が亡くなる5年ほど前から落ちていき、2年ほど前になると不可逆的・加速度的に落ちていく。

食事も亡くなる1年くらい前から減っていき、
食べても栄養が体格を維持することに、つながらなくなる。
筋力が衰えるので、普通の生活は困難になる。


そもそも現時点で、寝たきりにならないための努力といっても、確立した方法は存在しない。
少なくとも医学的コンセンサスを得たものはないのだ。


にもかかわらず、自由に動けて意思を伝えられる、
残り少ない時と大切なお金を使って、ピンピンコロリという奇跡を目指し生活するのは
バカバカしいのではないか、と名郷院長は言う。


「私は、子育てや仕事を介して社会的責任を果たし終えた人たちは、
残りの人生を自分の好きなこと、輝けることに費やすべきだと思います。
旅行でも絵でも好きなことをすればいい。

どんなに立派な人であっても、いつかお風呂もトイレも食事も他人の介助なしには、できなくなります。
おむつが手放せなくなり、自分の意思すら伝えられなくなるのです。
亡くなる前の一時期は、それが自然だと今から覚悟すべきです」
              

それは医学データが、物語っている。

2016年のデータによると、日本人の平均寿命は
女性が87.14歳、男性が80.98歳で、男女とも世界一。

健康寿命も、女性で74.79歳、男性で72.14歳である。

2001年の健康寿命は72.65歳、69.41歳だから、健康寿命も延びていることがわかる。
しかし、その一方で寝たきりを含めた不健康だと感じる期間も、また延びている。


「平均寿命マイナス健康寿命イコール不健康寿命と考えると、
2001年では、女性の不健康寿命は12.28歳、男性は8.67歳。
2016年では、それぞれ12.35歳、8.84歳と延びているのです。

この間、喫煙率は大きく低下し、メタボの人も減っています。
多くの人が健康を心がけているのです。

にもかかわらず不健康寿命が延びているのは、
努力して健康的な生活を続けても、不健康だと感じる時期の始まりを先延ばししているに過ぎないからです」

              

■高齢者が必ず病と闘う必要があるのか

高齢者の中には、がんになったらどうしようと心配する方がいる。
しかし、がんの痛みをコントロールできるのなら、
がんで亡くなる方が幸せ、と考える医療関係者は多い。

寝たきり期間が短く、亡くなる直前まで意識がしっかりしているケースが多いからだ。


「“調子が悪いので診てください”と言ってきた80代の男性患者は、
末期がんで数日後に亡くなりました。

子供が小さく、家族や会社への責任がある若い人は、がんと闘わなければなりません。

しかし、子育てを終え、会社を勤め上げた人にとって、がんは悪い病気ではないかもしれません。
例えば、85歳の人が胃がんの早期がんになったとしましょう。

通常、早期胃がんの5年生存率は、50%ほど。
一方、85歳の人の平均余命は6年余りです。
どちらも91歳前後で、半分近くが亡くなる可能性が高い。

そう考えれば高齢者が、必ず病と闘う必要があるのか、
考える必要もあるのではないでしょうか」
              

年を取ってお金がないという人もいるが、
その場合は、国や自治体に堂々と頼ればいいと名郷院長は言う。


「日本国民は憲法により、健康的で文化的な必要最低限な生活を保障されています。
長い間しっかり働き、真面目に税金を納めるなど、義務を果たし、
国に尽くしてきた高齢者は、それをもっと主張していいのではないでしょうか。

人生には運・不運があり、不運にもお金を残せなかった高齢者も、おられると思います。
そういう人は恥じることなく、生活保護制度など公的支援を求めればいいと私は思います。
国や自治体は、そうした高齢者に報いる義務がある。

働いて税金を納めている間だけ、生活を保障してやる、なんてことではないと思います」


健康に生きることは大切だが、人生は、そのためだけにあるのではない。

老後の生活で真剣に考えるべきは、
「自分は何のために生まれてきたのか?」ではなかろうか・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
                            

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに日常を過ごしている。

ここ数年会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されてきた・・。

こうした中、幸運にも私たち夫婦は、年金生活14年の中で、大病で入院したこともなかったが、
今年は三が日の1月3日の深夜、私は左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の病院に8泊9日の入院し、1月12日に退院したりした。

そして私は、死をみじかに感じさせられ
、数か月の先は誰しも解らない、
冷厳なこの世の実態を震撼しながら学んだりしてきた・・。

                            

過ぎし5年前の頃、私は「ピンピンコロリ」は難しい、とネットの記事で学んだりした・・。

がん医療の権威で終末期医療に詳しい大野竜三医師(愛知県がんセンター名誉総長)は、
『・・ピン・ピン・コロリ。それは中高年なら、誰もが願う生き方でしょう。
でも、そう簡単なことでは、ありません。

現実的に60歳以上の日本人がコロリと逝くとしたら、心筋梗塞か、脳出血か、脳血栓かと思いますが、
救急搬送されれば、救命措置が施されるでしょう・・』
と私は学び、苦笑したりした。
          
そして『急性心筋梗塞』の場合は、《“バットで思い切り、胸を叩かれた感じ”、
“熱した鉄棒を、左胸のあたりに、突き刺されたみたいだった”と口にしていた。
・・手足をバタつかせて、もがきながら、救急車内で搬送中に、心肺停止するケースもありました」・・》

このような『急性心筋梗塞』のことを学び、何かと小心者の私は怯(おび)えながら、
勘弁してほしい、と思ったりしてきた。

このような深情を秘めてきた私は、今回の《・・寝たきりなし「ピンピンコロリ」の理想と現実・・》を学びたく、
多々教示された・・。

              

今回の名郷直樹院長の明言、
《・・死ぬ前に短くて数カ月、普通は数年、長ければ10数年寝たきりになります。
それを避けるために、どんなにお金をかけて、健康に気を使っても、逃れることはできません。
ピンピンコロリは、運次第。・・》、

そして《・・残り少ない時と大切なお金を使って、ピンピンコロリという奇跡を目指し生活するのは
バカバカしいのではないか・・・
残りの人生を自分の好きなこと、輝けることに費やすべきだと思います。
旅行でも絵でも好きなことをすればいい。・・》と明言され、私はそうですよねぇ・・微苦笑したりした。

しかしながら《・・健康に生きることは大切だが、人生は、そのためだけにあるのではない。
老後の生活で真剣に考えるべきは、
「自分は何のために生まれてきたのか?」ではなかろうか・
・》と明言されていたが、
余りにも高尚な課題に、私は微苦笑するばかりであった。

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10年前の投稿文を読み返し、あの頃の私は元気だったなぁ・・と独り微苦笑して・・。

2019-01-15 16:08:53 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに日常を過ごしている。

こうした中、私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や15年目となっている。

こうした中、
新年の1月4日より心臓の悪化に伴い、循環器専門の病院に8泊9日の入院し、
1月12日に退院し、我が家に帰宅しているが、ぼんやりと覇気のない時間が多くなったりした。

本日、たまたま家内より駅前で買い物をしたいわ、と私は誘惑されて、
私は家内のホディ・ガード兼お供、荷物持ちで、スーバー、ドラッグストァー、
ホームセンター、百円ショップなどを共に廻ったりして、帰宅した。

            

やがて私は昼下がりのひととき、ぼんやりと過ぎし10年前は・・と思いながら、
ブログ投稿文を読み返したりした。

この当時の私は、ブログに熱中していて、朝、夕に於いて、投稿していた時代であったりした。

朝の9時前には、【 まもなく『大寒(だいかん)の時節を迎え・・♪ 】と題して、
投稿していたので、再掲載をする。

            

《・・東
京郊外の調布市に住む私は、
早朝にカレンダーを眺めていたら、1月20日は【大寒】と明示されて、
私は苦笑したりした。

古人より『大寒』の頃になれば、一年で最も寒い時期、と伝えられているが、
東京の郊外は、昨年の23日に雨が降ってから、今年も一度に降った程度であり、
冬晴れの日が多く、乾ききった日々となっている。

私は年金生活の5年生の身であり、日頃は買物、散策をしたりしているが、
昨年の初冬以来、札幌に訪れた旅行以外、
マフラーをしていないことに、先ほど気付かされたりした。


今朝方、地元の天気情報を見ていたら、
朝の6時過ぎは2度、日中は6度前後の冬晴れとなるが、
ときおり北風が強く吹くので今年一番の寒さとなります、と報じていた。


私は散策などの場合は、冬のスポーツ・シャツに綿入れの外出用の袢纏(はんてん)、
冬用のズボン、そして足袋と下駄の容姿で出かけたりしている。

或いは買物などで購入品が多い場合は、厚手のセーターと冬用のズボン、
そしてウォーキング・シューズとなったりしているが、
いずれもマフラーはしなかった。

私は付近の遊歩道を歩いたりしていると、乾ききった状景を眺めたりしていると、
早く雪が降らないかしら、と待ち焦(こ)がれているひとりである。
そして公共交通機関の支障がない5センチ前後がベストよ、
と心の中で祈願したりしている。


先ほどから、主庭、居間に朝のまばゆい陽射しを受けて折、
私はいつものように足袋を穿(は)き、下駄で主庭のテラスに下り立った。

煙草を喫いながら、霜柱を見つめたりしていたが、
陽射しを燦燦と受けているので、まもなく消えうせてしまうので、
私は、はかなさの美を感じたりしている。・・》

            

私は自身の10年前の投稿文を読み返して、あの頃の私は元気だったなぁ・・と独り微苦笑した・・。

たとえば散策などの場合は、《・・冬のスポーツ・シャツに綿入れの外出用の袢纏(はんてん)、
冬用のズボン、そして足袋と下駄の容姿で・・》と記載していた。

昨今の私は、冬のスポーツ・シャツ、カーディガン風のフリースを着て、
北風が吹く寒い時には防寒着を着ている。

そして冬用の靴下にウォーキング・シューズとなっている。

あの当時の64歳の私は、お酒も盛んに呑み、タバコも愛煙して、
たとえば読書にしても気力の衰えも知らず、元気溌溂と過ごしていたよなぁ・・。
と独り微苦笑した・・。

しかしながら、遅ればせながらタバコを禁煙し、お酒は当面自主規制している今、
何かを断念しなければ、この先のお誕生日も
五体満足で迎えることはできないょなぁ、と微苦笑したりしている。

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人生は気合だ、8泊9日の退院後の私、自身を鼓舞しても・・。

2019-01-14 16:09:01 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
新年の1月4日より心臓の悪化に伴い、循環器専門の病院に8泊9日の入院し、
1月12日の午前中に退院し、我が家に帰還した。

我が家は、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに日常を過ごしている。

こうした中、私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や15年目となっている。

             

今回、退院した帰宅後は、何かとぼんやりと過ごしたりしている。

やはり私は、年金生活を15年目を過ごす中で、心臓の悪化に動揺したり、
まして入院して、応急治療を受けたことに失墜感を感じたりした。

私は40代のなかばに、ギックリ腰を悪化して、整形外科の病院に、28泊29日の入院体験があるが、
この時の退院後の真情は、年齢差を配慮しても、余りにも差異を感じたりした。

もとより心臓の悪化は、死に至ったり、病状の結果、日常生活に制約される場合もあり、
私なりに恐れていたことも確かにあったりした。

やがて退院まぎわになると、何かしら思考回路が、明晰に感じ伝わらないのである・・。

今回の入退院の変化は、運動もできず、病院食事のカロリー制約もあり、もとよりお酒も呑めないので、
体重が3キロ減少し、体力の衰えも実感している。

そして入院を機に、タ
バコを禁煙宣言して、今日に至っている。

            

私は大学一年、ワンダーフォーゲル部に所属して、夏の合宿の時、
先輩が美味しそうにタバコを喫っていたので、まもなく真似事をして以来、
タバコを愛煙してきたので、56年以上となっていた・・。

やはりタバコは心臓にも良くないし、まして身体にも良くないので、
遅ればせながら禁煙している。

このような反動として、何かしら思考回路が、脳裏から舞い降りてくるのが、
途絶えてしまうように、ときおり感じている。

私は若き20歳前後、映画、文学青年の真似事をしている時、
タバコを喫いながら、物事を思案したり、思考したりしてきた・・。

こうした習性が50年以上続き、禁煙した今は、
言葉とか文章が以前のように舞い降りてこなくなり、戸惑ったりしている。

そして私は、困ったなぁ・・と溜息をしたりした後、
自身を鼓舞するように、人生は気合だ、と心の中で叫んだりした。

            

       
本日、体力も衰えているし、思考回路の修復は程々の期間を要するので、
早春の花をたずねて、都立の神代植物園に行ったりした。

私は年金生活14年の中で、都立の神代植物園は月に2回ぐらい訪ね、
季節の移ろいを享受してきたが、今回の入院前後の真情は予測した以上に差異があり、
戸惑ったりしている。

こうした根底には、以前は死を意識したこともなかったが、
今回より死を心の片隅に、意識し始めたことである・・。

そして園内を3時間ばかり歩いたりしたが、やはり入院期間の運動不足があり、
体力の衰えを実感したりした。

            

今回もいつものようにデジカメで撮ったりしたが、うつろな思いで散策して、
我が家に帰宅したのは、午後2時すぎであった・・。

やがて、こうしたブログの投稿文を書いているが、まとまった文章にならず、
困ったなぁ、と独り微苦笑をしたりしている。

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ブログの投稿文を重ね、突然に途絶えることは・・信頼の問題であり、困苦して・・。

2019-01-13 14:33:36 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに日常を過ごしている。

こうした中、私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や15年目となっている。
 


私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、

この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
                          
そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。

過ぎし年金生活を始めて間もない時、偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、
私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。

この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。

                         
           
ブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれの御方が自由に、私生活の出来事から、政治、外交、軍事、経済、社会などの分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、
誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来している。

この少し前の時代は、もとより各専門知識のある有識者が、雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の身は、せめて新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
そして掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。

こうした結果として、私は自在に私の生活のことから、政治、経済、社会などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露でき、何よりブログはホームページより手軽に開設、運営できると感じ、
ブログに加入しょうと決意した。

そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりの10万人ぐらい加入していた小さなブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入し、この日から約5100日が過ぎている。

この間、まもなく他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり中断したが、
やがて2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。    
        
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸14年が過ぎて、早や15年生となっている。
結果的には、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。

              
                                              
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
                    
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、
そして年金生活の日々の心情を脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、
あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。
       
恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。

               
                                                  
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。

或いは7年近く前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
         
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
不勉強の為に筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省する時もある。
               
ここ7年、このサイトに綴ることが生きがいのひとつになっているので、
数多くの御方にお読み下さり、私がブログが継続できたこともあり、偏(ひとえ)に感謝の一言です。

                                   

こうした中で、たまたま私は1月3日の夜10時過ぎ頃、左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
医師のアドバイスに基づき『ニトロペン錠』を舌先で舐(な)めたりしたが、
鎮静化することなく、やむなく救急車で病院に行き、この後は8泊9日の入院となったりした。

この間、確か二日目の深夜、ブログを書いている私を・・夢の中で見たりした・・。

私は恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話、
ましてスマホと省略されているスマートフォンも使えなく、
せめてながら
インターネットに関して、固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
我が家の居間で据え置き型のパソコンを利用している。

こうした状況なので、病室のベットに横たわっている私は・・
ブログの投稿文を書けるパソコンがないのに・・と微苦笑したりした。

こうしたことは、やはりブログの投稿文を重ねると、
突然に途絶えたりすることは、多くの御方に御心配をお掛けしたり、
何よりも信頼の問題に係わる、と私なりに困苦したりした・・。

              


以前、このようなことを私はブログ上で、体験してきた。


私は2004年(平成16年)の秋に定年退職後、まもなくブログの世界を知り、
私は無我夢中に毎日数通は投稿し、そしてブログ上のコメントで知り得た8名の人と、
お互いにコメントを交わしていたブログ熱中時代の時であった・・。

そして定年後の生活に備えた肝要のパソコンは、2006年(平成18年)9月中旬に、予告もなく突然にダウンして、
まもなく年金生活2年生を迎えようとしていた私は、
『10年ぐらい利用しょうと思ってたのに・・どうして突然に故障するのよ・・』
と心の中で呟(つぶや)きながら、長らく黒い画面を見つめ大いに落胆したりした。

やむなく買い求めたパソコンの量販店に修理を依頼したが、
1週間後に我が家に来宅することをなり、私は困窮した・・。


我が家は無念ながら、この当時はパソコンは一台しかなく、この来宅するまでの1週間の間、

どうしょうかしら、と悩んだりした。

この当時の私は、ブログ上で盛んにコメントで交流を重ねていた時代で、
コメントを頂いたりし、半日以内に必ず返信していたが、
もとより返信が出来なくなり、相手の御方はどうしたのかしら、と戸惑うと思いながら、悩んだりした。

もとよりリアルの交流であったならば、電話でお詫びの連絡もできるが、
ブログの世界は匿名が多く、連絡できる方法がないのである。

もとより匿名の世界であっても、何よりも信頼が大切なのに、と困苦したりした・・。

この後、やむなくパソコンを買い改めたりして、即急、相手の御方にお詫びのコメントを投稿したりした。

          

          
今回、8泊9日の退院後、ぼんやりとした状態でブログの投稿文を思案したりして、
匿名の世界であっても、何よりも信頼が大切ですよねぇ・・と心の中で呟いたりしている。

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新年そうそう、心臓の悪化に伴い、8泊9日の入院し、先ほど我が家に帰宅して・・。

2019-01-12 14:29:45 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
新年そうそう、心臓の悪化に伴い、循環器専門の府中市に所在する『榊原記念病院』に、
1月4日より8泊9日の入院し、先ほど我が家に帰宅した。

私が心臓の痛みを感じたことは、このブログに記載してきたので、重複になるが、
過ぎし日の
元旦の2時過ぎに私は目覚めて、まもなく左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
左側に寝返りしたり、或いは右側に寝返りをして、痛みに耐えたりした。

この10日前に、このような状態があったが、一時間過ぎた頃に解消したが、
今回は痛みが去らず、深夜2時過ぎから継続しているので、不安を増した・・。

やがて5時過ぎに、私は痛みが半減してきたが、
やはり、狭心症や心筋梗塞などのまえぶれであったら、
この後の私の人生は何かと大変だ、と思い、
救急車を呼んで、病院で早期治療を受けようと決意して、家内に伝えたりした。

            

やがて、私たち夫婦は救急車に搬送されて、
私は世田谷区にある日産厚生会『玉川病院』
で緊急治療を受けて、
痛み止めの薬を頂いたりした。

そして男性医師から、あなたが通っている最寄りの内科医院に状況報告書を書きますが提出して下さい、
その後、心臓に関する専門病院で、早めに精密検査を受けて下さい。

こうした中で、耐えがたい痛みを発生した時、『ニトロペン錠』を舐(な)めて下さい、
と私たち夫婦は言われたりした。

やがて病院を辞して、病院前よりタクシーに乗車して、我が家に向かう車内の中、
『元旦そうそう・・救急車で病院に行き、応急治療を受けるとは、まさかの出来事だったょ・・』
と私は苦笑しながら、家内に言ったりした。


            

まもなく私たち夫婦は我が家に到着した後、
家内が家内の母宅に介護に行く予定は、取りやめにして、家内の妹にお願いするわ、
と私は言われたりした。

結果的には、私は安静した状態で正月3が日を過ごすこととなり、
私たちは初めて静かなお正月を過ごすこととなるわねぇ・・と家内から言われたりした。

今回、やむなく生まれて初めて正月三が日は、安静の中、戸惑いながら過ごした・・。                       

お節料理の好みの単品を揃えてきたが、思いがけない病状に、何かとプラス思考の私でも、
失墜感で、うつろな状況で食べたりした。

或いは日本酒、ウィスキー、ビールを年末で準備完了であったが、
一滴も呑めない正月三が日は、二十歳以来初めての出来事となったりした。

やむなく日中のひとときは、寝室の布団の中で身も心も預けて、
本を読んだり、昼寝をして過ごした・・。

こうした中、今後の私の予定をめぐらしたりしていた。
正月三が日明けの4日は、最寄りの内科医院に私は行き、
日産厚生会『玉川病院』より状況報告書を内科医院長宛てに手渡した後、
この内科医院長より、大きな循環器専門の病院に紹介状を書いて頂く。

そして循環器専門の病院として、私たち夫婦は思案した中で、
都心にある東京医科歯科大学の附属病院の中に循環器内科に受診できれば、と願ったりした。

            

このように思案したりし、3日の夕食を家内と共に頂いた後、
やがて私は9時過ぎに布団にもぐり、本を読だりしている中、寝付いたりした。

そして10時過ぎ頃、左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
『玉川病院』の医師のアドバイスに基づき『ニトロペン錠』を舌先で舐(な)めたりした。

やがて20分過ぎても鎮静化しなくて、やむなく2錠目の『ニトロペン錠』を舐(な)めたりし、
今回果たして『ニトロペン錠』鎮静化がするのだろうか、と思いながら、
痛みに耐えたりしたが、効果なく3錠目の『ニトロペン錠』を舐(な)めたりした時、
私は家内を起こして、救急車で病院に行く、と決意したのは11時半過ぎであった。

やがて救急車が我が家に到着して、救急スタッフの御方が昨今の私の状況を把握し、
循環器専門の府中市に所在する『榊原記念病院』を進言して下さった。

そして『榊原記念病院』に到着後、10数名の医療スタッフの中で、
私は中央診察台で心電図、造影剤を入れてカテーテル、そしてCTスキャンなどの精密検査、或いはレントゲン終えたのは、
早朝3時半すぎであった・・。

やがて『胸膜炎』(追記・急性冠症候群)と病状とされ、しばらく経過観察したく・・
と入院が余儀なくされて、結果的に8泊9日の入院となったりした。

こうした中、痛みは当日の4日の夕方には解消したが、
集中治療室の専門部屋より、3名部屋、やがて4名一般部屋に移動したが、
予測した以上に、遥かに快適な部屋であった。

            

今回、私は自身の健康に関して、タバコの喫煙に自身に甘えてきたが、
遅ればせながら禁煙を決意した。

私は大学一年、ワンダーフォーゲル部に所属して、夏の合宿の時、
先輩が美味しそうにタバコを喫っていたので、まもなく真似事をして以来、
タバコを愛煙してきたので、56年以上となっているが、今回の担当医師よりも禁煙を勧められた。

やはりタバコは心臓にも良くないし、まして身体にも良くないし、
1月3日の夕食後にタバコを一本喫って、これ以来禁煙しているので、
何日になるのかなあ・・・と指をおりながら微苦笑したりしている。

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正月三が日、高齢者の私は、生まれて初めて安静の中、戸惑いながら過ごして・・。

2019-01-03 11:47:28 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

こうした中で、元旦の2時過ぎに私は目覚めて、まもなく左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
左側に寝返りしたり、或いは右側に寝返りをして、痛みに耐えたりした。

過日の10日前に、このような状態があったが、一時間過ぎた頃に解消したが、
今回は痛みが去らず、深夜2時過ぎから継続しているので、不安を増した・・。

やがて5時過ぎに、私は痛みが半減してきたが、
やはり、狭心症や心筋梗塞などのまえぶれであったら、
この後の私の人生は何かと大変だ、と思い、
救急車を呼んで、病院で早期治療を受けようと決意して、家内に伝えたりした。

            

やがて、私たち夫婦は救急車に搬送されて、私は大きな病院で緊急治療を受けて、
痛み止めの薬を頂いたりした。

そして男性医師から、あなたが通っている最寄りの内科医院に状況報告書を書きますが提出して下さい、
その後、心臓に関する専門病院で精密検査を受けて下さい。

こうした中で、耐えがたい痛みを発生した時、『ニトロペン錠』を舐(な)めて下さい、
と私たち夫婦は言われたりした。

やがて病院を辞して、病院前よりタクシーに乗車して、我が家に向かう車内の中、
『元旦そうそう・・救急車で病院に行き、応急治療を受けるとは、まさかの出来事だったょ・・』
と私は苦笑しながら、家内に言ったりした。


            

まもなく私たち夫婦は我が家に到着した後、
家内が家内の母宅に介護に行く予定は、取りやめにして、家内の妹にお願いするわ、
と私は言われたりした。

結果的には、私は安静した状態で正月3が日を過ごすこととなり、
私たちは初めて静かなお正月を過ごすこととなるわねぇ・・と家内から言われたりした。

私は正月3が日に於いては、幼年期から凧揚(たこあ)げをしたり、活発な男の子であり、
この後も何かと落ち着かない少年であったして、もとより安静した状況には程遠かった3が日を過ごしてきた。

今回、やむなく生まれて初めて正月三が日は、安静の中、戸惑いながら過ごした・・。

                        

お節料理の好みの単品を揃えてきたが、思いがけない病状に、何かとプラス思考の私でも、
失墜感で、うつろな状況で食べたりした。

或いは日本酒、ウィスキー、ビールを年末で準備完了であったが、
一滴も呑めない正月三が日は、二十歳以来初めての出来事となったりした。

やむなく日中のひとときは、寝室の布団の中で身も心も預けて、
本を読んだり、昼寝をして過ごした・・。

たまたま読んできた本は、高橋洋一さん著作の『未来年表 人口減少危機論のウソ』(扶桑社新書)、
この後は、藤原正彦さん著作の『国家と教養』(新潮新書)を読んだりしている。
ともに私が敬愛している御方であり、多々教示されながら、お勉強の時となっている。

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元旦そうそう、恥ずかしながら救急車に私はお世話になり、思いがけないことが避けがたく・・。

2019-01-02 11:59:37 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。


こうした中で、我が家の年末年始に関しては、
私の母が亡くなる1998年(平成16年)の生前までは、
家内が奮闘して、世間並みに御節(おせち)料理を三段重として、
素材の購入から料理までを一週間ぐらい要して、ふたセットを作ったりしていた。

そして独り住まいの私の母に、大晦日(おおみそか)の31日に私は届けた後、
家内の両親を我が家に迎えて、大晦日の夜に年を取ることを祝って行う儀式の『お年取り』をした後、
宿泊して頂き、
翌日の元旦に家内の両親は帰宅されたりした。

この翌日の2日には、私は三男坊の身であり、私の実家で私の長兄宅で、
私の母を中核に、私の兄妹、親戚一同で、華やかに『新年会』を行ってきた。

こうした行事が、私の母が亡くなるまで20数年続いたりした。

この後は、私の長兄宅での『新年会』は消滅し、
家内の両親を我が家に迎えて、『お年取り』をした後、共に新年を迎えることも消え去り、
私たち夫婦は年末年始の5年間は、国内の冬の旅路を重ねてきた。

やがて私が定年退職する2004年(平成16年)の秋の直前に家内の父が死去し、
家内の母は独り住まいとなったので、年末年始には我が家に来て貰っている。

そして私たち夫婦は、この時節の年末年始を共に3人で過ごすのが、
ここ14年間となってきた。

そして本年は、介護・要となってしまった家内の母は、我が家に来るのも難儀となり、
私たち夫婦は15年ぶりに、ふたりだけの年末年始となるが、
家内は新年早々の2日より、家内の母宅に介護で行く予定となっていた。

                         

こうした中、
大晦日の『お年取り』を、
私たち夫婦は料理を食べながら、私は濃いウィスキー水割り、家内はワインを呑みながら、
15年ぶりに、ふたりだけの談笑したりした。

やがて10時過ぎに私は眠くなり、二階にある寝室に行き、布団にもぐりながら本を読んでいるうちに、
眠りこけた・・。

深夜の未明に私は目覚めて、まもなく左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
左側に寝返りしたり、或いは右側に寝返りをして、痛みに耐えたりした。

過日の10日前に、このような状態があったが、一時間過ぎた頃に解消したが、
今回は痛みが去らず、深夜2時過ぎから継続しているので、不安を増した・・。

やがて5時過ぎに、私は痛みが半減してきたので、バソコンで
『心臓の痛み・・』と検索した。

まもなく『 急に胸が痛くなり続いています。心臓や肺の病気でしょうか? 』と題された
『社団法人 日本呼吸学会 』のホームページが明示された。

《・・胸部には、肺、胸膜、心臓、骨、神経、筋肉、一部の消化器臓器が存在し、
様々な原因が考えらます。

痛みの原因がなにかを推測するためには、
(1)どのような痛みか(刺すような痛みか、鈍い痛みか、圧迫されるような痛みか、締め付けられるような痛みか)、
(2)どこが痛いか(左胸部か、前胸部か、背部か、首や肩に放散するか、局所的か、いつも同じところか)、
(3)どのくらい持続するか(瞬間的か、数分か、数時間からそれ以上か)、
(4)どのような時に痛むか(動いた時か、安静時か、体位を変えた時か、呼吸との関連があるか、食事との関係があるか)、
(5)ほかに症状があるか(呼吸困難、発熱、冷汗、吐き気、嘔吐など)を知る必要があります。

これらの点が原因を推測するうえで重要なポイントになるので、
説明できるようにしておくことが大事です。(略)

心臓と肺の病気は、胸痛を伴う頻度が高く、緊急性を有することが考えられます。
症状が耐え難く、持続している場合は、直ちに救急病院を受診するようにしてください。

症状が比較的軽い場合は、内科、とくに呼吸器内科または循環器内科に受診することが望ましいでしょう。(略)・・》

ここまで読み終わった後、狭心症や心筋梗塞などのまえぶれであったら、
この後の私の人生は何かと大変だ、と思い、
救急車を呼んで、病院で早期治療を受けようと決意して、家内に伝えたりした。

            

やがて、先導された救急部隊の自動車に乗車した女性から、
『今、XX
さん宅に向かっていますが、痛みに関しての病状の経過をお知らせ下さい・・』
このような問い合わせが電話があり、私は2時頃より耐えがたい痛みがあり、
今は半減していますが・・詳細状況を伝えたりした。

やがて我が家に救急車と先導された救急部隊の自動車が到着したのは、元旦の6時過ぎであった。

そして私は、救急車に同乗された男性から、心電検査など丁重に検査を受けた後、
病院で詳細検査を受ける為、私たちの希望を配慮して、行先の病院を救急部隊の2名が問合せをして下さった。

結果として、世田谷区の東名自動車道の入口に近い瀬田地区にある大きな病院に、
先導された救急部隊の自動車、そして私たち夫婦が同乗した救急車が向かった・・。

私は救急車の車内でタンカーに乗せられながら、元旦そうそう救急車にお世話になるのかょ、
と失墜しながら、ときおりサイレンの音色を聴いたりした。

やがて指定された大きな病院に到着した後、緊急治療室にタンカーに乗せられて運ばれ、
ベットに移された後、心臓に関する詳細検査を受けたりした。

結果として、午後の2時頃から耐えがたい痛みを100とすると、10ぐらいに沈静化した為か、
受診時には異常な状態がなく、ある一面、私はやがて安堵したりした。

            

やがて男性医師から、あなたが通っている最寄りの内科医院に状況報告書を書きますが提出して下さい、
その後、心臓に関する専門病院で精密検査を受けて下さい。

こうした中で、耐えがたい痛みを発生した時、『ニトロペン錠』を舐(な)めて下さい、
と私たち夫婦は言われたりした。

やがて薬剤コーナーで、『ニトロペン錠』などを頂いた後、
病院前よりタクシーに乗車したのは、9時半過ぎであった。

そしてタクシーの車内で、元旦そうそう救急車で病院に行き、応急治療を受けるとは、
まさかの出来事だったょ・・と私は苦笑しながら、家内に言ったりした。

まもなく私たち夫婦は我が家に到着した後、
家内が家内の母宅に介護に行く予定は、取りやめにして、家内の妹にお願いするわ、
と私は言われたりした。

結果的には、私は安静した状態で正月3日を過ごすこととなり、
私たちは初めて静かなお正月を過ごすこととなるわねぇ・・と家内から言われたりした。

やがて私たちは高齢者夫婦であり、何かとプラス思考の私でも、
これからの晩秋期は、どちらかが思いがけないことが避けがたく、
幾たびも何らかの形で遭遇かしら、と思ったりしている。

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☆ 恭賀新年 ☆ 本年もよろしくお願い致します。

2019-01-01 10:53:17 | ささやかな古稀からの思い

お健やかな新年をお迎えのことと思います。

昨年も数多くの諸兄諸姉の投稿文を読ませて頂きながら、
日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と多々ご教示されることが多く、
確かな人生の教科書と思い、深く感じている次第です。

そしてこの広い空の下で、未知の御方に投稿文の上で、めぐり逢えたことに秘かに感謝したりしています。
こうした中で、コメントを頂いたり、
私は数多くの方の投稿文を読ませて頂きながら、ときおり感きわまってコメントをしたりしています。

或いは季節感あふれる写真に感銘を受けたり、
そして心の深淵まで描写できる御方の散文に圧倒されたり、
ときには数多く人から私は励まされたりして、読ませて頂ただいているのが本心です。

改めて、数多くの皆様には感謝する次第です。

          
                         
私は2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始めて、早や15年生の身ですが、
今年の9月の誕生日を迎えると、恥ずかしながら75歳となります。

過ぎし年にゴールデン・イヤーズと称される60代を卒業し、
定年退職をするまで、何かとつたないサラリーマン航路を歩んだ為か、
我が人生として、予測した以上に安楽な期間を享受できましたので、ときには60代の日々に愛惜を重ねたり、
或いは70代を過ごし始めると、ときおり物忘れもあり、やむなく人生は気合だ、と自身を叱咤激励する時もあります。

こうした中、70代を迎えてからは、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるようにと願いながら
プラス思考で過ごしているのが実態です。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている次第です。

          
                    
私の日常は買物、散策などの時、季節のうつろいを享受し、
その時に思ったこと、思索したことなどを心の発露として、あふれる思いを
このサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっています。

数多くの御方に私のつたない投稿文をお読み下さり、感謝の一言です。
そして私が投稿を重ねることが出来たのは、ひとえに皆様に支(ささ)えて下さったことは事実です。

或いは日常の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅の居間で鑑賞したり、
そして音楽も聴いたりしていますので、一日が終るのが早い、と溜息(ためいき)をする時もあります。

そして、ときたま小庭を手入れをしたり、
家内との共通趣味の国内旅行をして、その地に宿泊滞在する中、
周辺を歩き廻りながら、その地の風土、文化などを遊学しています。

ありふれた身過ぎ世過ぎの年金生活の家庭ですが、
私は本年も数多くの皆様に支(ささ)えられ、心身ともに健全な一年を過ごす所存です。

          
          ☆6年前、深大寺で初詣の時、私は偶然に見て瞬時に魅了されて、
            これ以来、我が家の年金生活の秘かな守り神となっている☆

末筆ではありますが、皆様のご家庭一同さまのご健康と
                   ご多幸を心よりお祈り申し上げます。 

                        2019年(平成31年) 元旦
                                   『夢逢人』 

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